編集長から「最先端のヴァーチャルリアリティ(VR)についてコラム連載してください」と依頼があったのだが、あえて「"使える"ヴァーチャルリアリティ」というタイトルで連載させてもらうことにした。まるで「VRが使えないものだった」という前提で話をするみたいだが、むしろ「使う側」の視点で広くVRを捉えて、最先端の話題をキャッチアップしていく連載になればと考えている。今回は連載第1回目でもあるので、まずは読者の皆さんと「VRの誤解」を共有しつつ、最先端の話題へとチューニングを合わせていこう。
ヴァーチャルリアリティは「嘘」ではない
ヴァーチャルリアリティの話に入る前に、まず「ヴァーチャル=仮想」が誤訳だということを知っているだろうか。辞書で「virtual」を調べると「1.実質上の、事実上の」とある。最近の英和辞典では「2.仮の、仮想の、虚の、虚像の」や「3.ネットワーク上の」といった意味も記載されるようになってきているものの、「嘘の」という意味は出てこないのだ。先日放映されたNHK高校講座「情報A」でもVR特集があった(NHK高校講座「情報A:バーチャルな世界とは」)のだが、『He is a virtual leader.』という英文で明快に解説されていた。『彼は嘘のリーダーである』なんて訳さないでくださいよ。『彼は実質上のリーダーである』です。つまり、virtual realityは「実質上のリアリティ」と言える。「本当のように見える映像体験をコンピューターで実現する」という取り組みは、VRの一部であるとも言えるわけだ。
ところで、日本VR学会・初代会長の舘すすむ氏(東京大学教授、「すすむ」は日偏に章)は、2005年にVRの訳語として新しい訳と国字を当てることを提案した。どんな字なのかはwikipediaで「バーチャルリアリティ」を検索することでも見ることができるが、立心偏に實(実の正字体)と書いて「ばーちゃる」もしくは「ジツ」と読むんだとか。「誤訳を生むぐらいなら、新しい文字を作ってしまえ!」という発想は、確かに日本のVR研究者の特徴かもしれない。
研究は進んでも産業に生かしていない日本
日本のVR研究は、「日本VR学会」が設立13年目を迎えていることから見ても、ある程度の歴史を持っていると言える。そんな日本のVR研究は、実は世界からも注目される存在にあるということをご存じだろううか?毎年夏に米国で開催されるSIGGRAPHなどでも、日本からの発表者によるVR研究デモは全体の5割に達するほど層が厚く、主催者や参加者から熱く注目されているのだ。米国だけではない。筆者はここ3年ほど、フランスのVR業界でテーマパークを開発する仕事をしていたのだが、欧州最大のVRコンベンションであるLaval Virtualにおいても日本人のVR研究は大きく扱われている。(写真はLaval Virtual 2008での「2面立体視+触覚VR」のデモの様子)
では、欧米のVR研究が日本に劣っているのかというと、そうではない。実は、日本の研究開発の先進性とは裏腹に、産業面でのVR利活用は日本はむしろ遅れているともいえる状況がある。例えばフランスでは、CAD業界や映像業界に下支えされた「3DVIA Virtools」をはじめとするソフトウェアによるコンテンツオーサリング製品があり、さらにそれを使いこなすことができる学生やクリエーターの層がとても厚いのだ。産業面で積極的にVRを活用していこうという流れがあるわけだ。
しかし「コンテンツが手軽に制作できる」ということは、コンテンツの個性・差別化を生み出しづらい状況も作られる。最近日本の製造業に指摘されている「ガラパゴス化」(世界の中で突出して特殊でハイエンド、高価な製品があふれている状態。「ガラパゴス化する日本の製造業」[宮崎智彦 著、東洋経済社 刊])がVR業界にも及んでいるという言い方もできるが、グローバルな視点で見れば、よりポジティブに捉えることもできるかもしれない。日本における問題は「バランス感覚」の問題でもあり、制作のミッションにあわせたイノベーションと安定性、コスト感覚をコントロールしてVRを制作する……、正確には「体験を作り出す」ことを考えなければならない時期にきていると表現できるのではないだろうか。
バランス感覚に注目する時に、「体験を作り出す」という考え方は非常に重要となる。なぜなら、いくら高度デジタル化時代になったとしても「体験はコピーできない」からだ。米国の映画業界が新作映画を次々と3D化している背景には、「3D」というコンテンツそのものが目的ではなく、「劇場内でのコピー目的の撮影を防ぐため」というハードプロテクション的な視点もあると聞く。酷い例では、封切り翌日にハイクオリティな劇場上映コピーがネットに流出してしまうという状況もある。3D化で多少のコストがかかっても上質なコピーを完封しなければ、劇場に観客を連れ出し、大スクリーンで「新しい体験を共有するヴァリュー」を打ち出す「映画」というエンターテインメントシステムで、収益を得るビジネスモデルが崩壊してしまう危機に立たされている。
この危機はもはや米国のハリウッドだけにとどまらない。では、ガラパゴス諸島に生きる日本の映像業界は何をすべきなのだろうか? 次回はVRにおける学生のイノベーションについて紹介しようと思う。(つづく)
(しらいあきひこ)
※次回は1月16日(金)掲載予定です。
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