「相棒-劇場版Ⅱ-」完成カットから。この傑作のワークフロー管理についての話は興味深い。©2010「相棒-劇場版Ⅱ-」パートナーズ
テレビ朝日・東映の制作による「相棒」と言えば、誰もが知っている警察ドラマだ。正義の警察が悪を裁くというありがちな設定でなく、主人公を、強すぎる正義感故に「特命係」事実上の首切り担当に左遷された脱線キャリア組として設定し、刑事ドラマとしてのエンターテインメント性も充分に保ちつつ、昨今社会問題化している警察や検察の官僚としての側面やその腐敗をリアルに描き上げた同作は、文句なしに面白い。単発ドラマから連続ドラマ、そして映画化と成長を遂げた傑作ドラマシリーズなのである。
現在劇場公開中の劇場版二作目「相棒-劇場版Ⅱ-」も、公開から三週連続動員ランキング一位を続けるなど、記録的大ヒットを成し遂げており、ファンの間からは、早くもDVD化を熱望する声も上がっている。製作技術プロダクション「アップサイド」現場を指揮し、この名作の撮影を成し遂げた。多忙な同氏が、いかにして本作に関わったのかと探る内、一つのキーワードが見えてきた。それが「ワークフローのデジタル管理」である。今回は、この、「相棒-劇場版Ⅱ-」の撮影におけるワークフロー管理と、そこで使用されたパーソナルデータベースソフト、ファイルメーカー社の「Bento」について、会田氏に直接お話を伺った。
撮影のデジタル化に取り残されたフィルム時代のワークフロー
ファイルメーカー社の「Bento」は、著名なデータベースソフト「FileMaker」の弟分のような個人向けデータベースソフトウェアである。その名の通り「お弁当」のように手軽にパーソナライズしやすく、バラエティに富んだ使い勝手の良さを売りにするMac向けソフトウェアだ。最近では、iPhoneやiPad向けの製品まで登場しており、その低価格とMac OSとの連動性の高さもあって、ちょっとした情報整理ソフトとして人気を集めている。そうした個人向けソフトウェアが、どういったいきさつで「相棒-劇場版Ⅱ-」の制作に用いられ、どのように活用されたのであろうか?
今回インタビューさせて頂いた「相棒-劇場版Ⅱ-」の撮影監督である会田正裕氏は、制作プロダクション「アップサイド」常務として、映画、ドラマ、特撮作品等々数々の作品を手がけ、多忙な日々を送っている。
会田氏の手がけるその撮影カットは、例えば今回の「相棒-劇場版Ⅱ-」のOKカットだけでも実に1000カット近い。実際の撮影数で言えばその数倍のカット数を管理する必要があるわけで、従来ながらのフィルムベースの手書きメモ管理では、記録するのも、その情報を利用するにしても、大変な労力を要していた。
しかし、昨今大規模ゲームやIT系開発で流行りのWEBアプリによる管理や本格的なアセットマネジメントソフトウェアなどは、導入に多大なコストを要する上に、インタフェイスが固定され、映像制作のようなグラフィカルな仕事には直感的に使いにくいという欠点があり、ハードルが高いと感じられていたという。
大体一つの映画で500から1000カットあるんですよ。全カット記録を取るとなると、紙ベースだとどうしても難しいのです。コンピュータ管理の有用性はわかっていたのですが、でも、PCベースだとどうしても撮影現場には持ち込みにくいんです
確かに、多忙な現場で、いちいちデータ管理のためだけにPCを立ち上げ直して入力をしている余裕はない。今までも表計算ソフトなどを使って、助手にデータ入力をさせるなどして試みていたというが、いかんせん、表計算ソフトではインタフェイスが取っつきにくく、印刷出力もただの表になってしまうため、結局現場で使うのは紙ベースになってしまっていた。確かに、無機質な表計算ソフトと映像との相性は極めて悪い。かといって、本格的なデータベースソフトで作品ごとにデータベースを組むのは手間もコストもかかりすぎるし、出入りの激しい撮影現場では、他のスタッフとの連携にも問題がある。
ところが、Webでたまたま興味を持った「Bento」は、インタフェイスが直感的で、操作画面の見た目そのままの印刷出力が出来る点が会田氏の興味を引いたという。
で、ファイルメーカーというソフトの名前は良く知っていたし、それと似ていてMacならいけるだろという事で、買っちゃったわけですよ。安かったし、駄目でもいいやって感じで。そしたら、説明書もほとんど入ってないのかな?とにかく、何にも勉強しないまんま、いきなり使えたんですよ、テンプレートが。直感的に即使えたんです
そこで会田氏は、表計算ソフトと手書きメモで記録されていた過去の作品を、試しにこの「Bento」に入力してみた。すると、検索は非常に楽だし、項目を増やすのも直感的だということにすぐに気がついたという。その後、個人の各種のID番号管理や日記にも使ってみたが「これは本格的に使える」という実感を持って、今回、本格的に導入してみた、と言う。
現場の撮影データは今までもApple社のMacintoshで収録管理を行っていたため、「相棒-劇場版Ⅱ-」に「Bento」を導入する際にも、非常にスムーズにいったという。今回の作品「相棒-劇場版Ⅱ-」は、実は、全カットファイルベースで撮影されたフルデジタル作品で、パナソニックP2の「VARICAM3700」をメインカメラにし、そこからHD-SDI経由で「KiPro」に収録してAppleの「ProRes422」形式で収録を行っている。そのため「Bento」が、撮影作業自体にも使っている機材であるAppleのMacベースで動くのは、好都合だったようだ。まさに、ファイルベース時代だからこその「Bento」によるワークフロー管理という選択だったと言える。
安価な「Bento」の思わぬ実力
しかし、「相棒-劇場版Ⅱ-」は、元からレベルの高い東映作品の中でも相当にハイレベルな作品だ。それに、店頭価格:税込み5040円という、極めて格安な「Bento」が使われていることには、正直驚いた。高価なアセットマネージメントシステムを導入する会社も多い中、こうした安価なシステムによる制作管理で、問題はなかったのだろうか?この質問に対し、会田氏は明確に「Bento」の導入効果を示した。
実は、「相棒-劇場版Ⅱ-」は、テスト段階から全部、全てのカットを「Bento」で管理してるんです
会田氏は、今回の撮影において、従来も表計算ソフトに入力していたような使用レンズやカメラ設定などの数値データだけではなく、今までは申し送りで口頭で伝えていたような「このシーン、なんか注意点あったよね」というような、今までは助手の方が個人で記録していたような情報まで入力をしてみたという。
すると、本当に楽だったんです、検索が。あのときのカットって何月何日のどんな状況だっけというような、どんな情報でも一発で検索できるんですよ
例えば、後日追加で撮ることになったカットであったとしても、その機材設定や環境などをすぐに知ることが出来るのは非常に効果が大きかったようだ。撮影部の技術というものは、個人の内側に留めていてもしょうがない、と会田氏は語る。例えば、ある出来の良いカットがあったとして、その効果が、レンズが良かったお陰なのか、あるいはカメラの設定なのか、他の要因なのか? 「Bento」によるデータベース化は、そうした部分を一目でわかるようにしてくれたという。そうした技術部分をデータとして取り出して、撮影部全体で共有化できたのが、作品の質の向上に非常に役に立ったという。会田氏は、導入の効果を熱く語った。
そういう効果はファイルベースで今までやっていた人には当たり前だったのかも知れないですけど(笑) でも、快適なんですよ。何か欲しい項目が出来たとしても、メニューからドラックしてくるだけで全部自分で作ったかのようなインタフェイスが構築できるわけで
撮影現場では、まず、撮影助手スタッフに従来通りに紙ベースでメモを取らせ、それをその日の内にMacに入力する、という手法をとった。その入力データに対して会田氏が書いた申し送りなどをメールで送付し、データをマージして各カットごとの管理データを作り上げていった。
もちろん実際の撮影の時には、コンピュータなどいちいち立ち上げて見ている暇は無い。そこで、現場ではあらかじめ「Bento」の画面を印刷出力してスタッフに配り、そのままその紙にメモを書き加えていたという。そのメモを撮影が終わり次第その日の内に「Bento」のデータとして書き戻すわけだ。そうすることによって、常に最新の情報が撮影スタッフ間で共有できた。こうしたワークフローができたのも、インタフェイスそのままの印刷出力が出来る「Bento」ならではの使い方ではないかと会田氏は言う。
実際のBento画面。国内撮影だけでなく、フィリピンでの撮影にまで使われたことがわかる。前後のカットのEOSムービーとのマッチングのメモまで読み取れる。©2010「相棒-劇場版Ⅱ-」パートナーズ
これがもし、高価なアセットマネージメントシステムであれば、システムに合わせてデータ収録の手法などを変更したり、管理情報にあわせていちいちシステムを組み直す必要などもある。また、制作現場にアセットマネージメントシステムのためのPC端末を設置する必要も出てくるだろうし、そのオペレート業務も新たに発生することになる。つまり、今までうまくいっていたフィルム時代のワークフローそのものをデータ管理システムのために大きく変えなければいけなくなるのだ。しかし、「Bento」であれば、従来の手書きメモを利用したフィルム時代のワークフローの延長上で、確実にデータベース化が出来るようになるのだ。そうしたデータ管理の整理によって、撮影に入るまでの準備時間や実際の撮影にかかる時間が短縮されることも多かった。こうした時間の短縮は、単に撮影をスムーズにして各カットごとの質を高めるだけでなく、明確なコスト削減効果もあったという。
例えば、ワークフロー管理のおかげでポスプロの時間が1日減ったら、100万円違うんですよ。それが「Bento」だと、Mac1台当たり数千円の投資で済む。コスト面で考えても、そして映像の質で考えても「Bento」1本で100万円浮くというのは大きいんです。それだけ撮影現場に費用を掛けられるということなんですから
実際、ポスプロに使うスタジオ費用は、素材準備に使う時間など、実際の編集作業時間以外の時間もかなり長い。それを縮められれば、その費用効果は絶大だ。今回は、撮影部内での導入であったが、もし、作品全体に適用されれば、例えば香盤表からカメラデータまで、一括管理をすることなども可能なのかも知れない。そうなれば、そのコスト削減効果はさらに大きなものになるだろう。簡単で手軽なソフトウェアでありながら、制作現場における「Bento」の可能性は、非常に高いものがあるのだ。
まだまだ広がる「Bento」の可能性
会田氏は、この「Bento」の便利さに目覚めた当初、多くの入力フィールドを入れ込んだ大きなデータベースを作ったが、結局最終的には、今のような最低限のフィールド数に落ち着かせたという。
今はとにかく、ユーザーとして非常に満足して使っています。なんというか「手頃」なんですよね。その「手頃感覚」を生かすためにも、あまりフィールド数が多くてもいけないな、と
実際、フィールド数を削り、プリントアウトして一枚の紙で見られる範囲にフィールド数を押さえることで、非常に大きな効果が生まれたという。また、「相棒-劇場版Ⅱ-」の撮影に当たっては、主要スタッフや撮影部のMacには「Bento」が入れられ、仕事の際には個人データを別途バックアップ保存してから、配布された撮影管理用のデータをバックアップから復元して作業環境を完全に共用化する手法がとられた。この手法は一見面倒だが、確実に同じデータを見ることが出来る為、最終的にはこうしたデータ共用手法になったという。
会田氏は、作品ごとに必ず「日本初」の技術を入れるようにしているという。その一つが、この「Bento」によるワークフローの改善だったわけだ。そしてその効果は期待以上のものであったらしい。すでにLANでのデータ共有などの機能がある「Bento」だが、会田氏はこれがインターネット経由などで簡単にデータ共有化できればさらに楽になり、将来的には様々なスタジオなどにも使われるに違いない、と指摘する。確かに、もし、そうした発展が「Bento」にあるのなら、それは、制作現場を大きく変え得る非常に大きなブレイクスルーとなるのではないだろうか。非常に将来の発展も楽しみなソフトウェアなのだ。会田氏は、PRONEWSの読者のような、映像のプロにこそ「Bento」によるデータ管理の効果は実感できるのではないか、と言う。
データを管理するということは、単にコストを安く作業が楽になるだけじゃなく、個性を含めた項目を客観的に見ることに直結するんです。そうすると、映像の質がワンランク上がります。これは、とても大きいことではないか、と
日本の撮影現場は、どうしても根性論が先行する体育会系の世界である。しかし、厳しい世情の中撮影を続けていくためには、能率化や客観化によるさらなる技術向上は欠かせない。そうした撮影現場の一助として、会田氏の提案するこの「Bento」活用手法は、大いに参考になるものなのではないだろうか?