2011年12月12~15日、香港コンベンションセンターでCG映像の学会イベント、ACM SIGGRAPH ASIA 2011が開催された。毎年1回アジアで開かれるこの大会の様子をレポートしたい。
世界最大の学会SIGGRAPHのアジア部門
レジストレーションは大賑わい!日本で「学会」という単語から連想する地味な風景とは全く違う
世界最大の学会は、米国コンピュータ学会のグラフィック部門であるACM SIGGRAPHだ。これは、医学等も含め、その他全てのどの学会よりも大きい文字通り世界最大の学会である。中でもその年次大会は毎年夏に北米エリアで開催され、世界中から3万人もの専門家を集める一大イベントとなっている。SIGGRAPHの年次大会では、単に学者が論分を発表するだけでなく、その論文技術を利用するアーティストが作品を発表する場や、企業がそうした技術や映像を利用した商品を展示する場も設けられ、大いに盛り上がりを見せる。しかし、CGは既に米国を初めとする先進諸国では円熟期を迎えており、それに対し、これから発展するアジア地域での連携が不十分なのも事実であった(現実問題として、発展途上国の多いアジアでは、北米までの航空券やホテルを確保するだけでも費用的に困難なCG関係者も多い)。そこで、数年前からアジア各地域でのSIGGRAPH関連イベントの開催が企画され、それらを統合する形で、2008年から各国持ち回りでのアジア大会、SIGGRAPH ASIAが毎年冬に開催されるようになったのだ。日本でも2009年に横浜においてSIGGRAPH ASIA横浜が開催され、大いに盛り上がりを見せたのは記憶に新しい。
4回目になる今年は、アジアの中心地、香港での開催となった。SIGGRAPHの公用語は英語であり、香港は元々英国圏であったところから、相性の良い開催地であると言うことができるだろう。昨年のソウル開催では韓国語のみのセッションもいくつかあり、英語への同時通訳が間に合わずに困り果てたことがあったが、そうした事態を避けられるのは英語を公用語とする地域の大きな強みと言える。
Fast Forwardから見る今年の論文傾向
お祭りムードが濃いとはいえ、SIGGRAPHはれっきとした学会である。そうとなれば、大事なのは論文発表だ。しかし、この規模になるととてもではないが全部の論文を見ることは出来ない。各自、自分の専門範囲や、興味のありそうな分野の論文だけを選んで見ることになる。そこでSIGGRAPHでは、レジストレーションとワークショップのみ開催される初日の夜に、翌日以降発表される論文を論文執筆者自身が1分間で語る、Fast Forwardが開催される。各人、本番の論文発表でどんな人が聴講に来てくれるかに人生がかかっているため、笑いあり、派手な映像あり、たった一つのエレガントな数式を見せるだけのシンプル戦法ありの1分間。逆にいえば、このFast Forwardを見るだけで、大体の論文内容がわかってしまうという優れもの。
実はこのFast Forwardが、SIGGRAPHで最もエキサイティングなイベントなのである。もちろん、そのアジア部門であるSIGGRAPH ASIAにもFast Forwardは存在している。今回のSIGGRAPH ASIAでは、論文の発表の場である Technical Papers Fast Forwardと、技術面に特化した準論文とも言えるSketchesを解説するTechnical Sketches Fast Forwardの二つのFast Forwardが企画された。もちろん、共にたった一分間で素晴らしい論文内容を精一杯アピールした、熱い一時間であった。
Fast Forwardから見る今年の論文傾向は、明確に一つの方向を指し示していた。それは「高速化」だ。より処理の早いアルゴリズムを提案することで、より一般的な環境でも処理が可能となり、さらにはそれをハードウェアに乗せることでリアルタイム処理を目指す、というのが今年のSIGGRAPH ASIAの方向性である。
Postersと呼ばれる、壁貼り論文発表もある。論文発表者自らと触れ合いながら世界最新の論文を読めるとあって、なかなかの人気コンテンツである
これは、CG自体の進歩が円熟し、処理途中過程の方を振り返る余裕が出てきたという他、SIGGRAPH ASIAが主題とするアジア地域の特性、という側面もあるだろう。アジアはまだまだ発展途上国が多く、コンピュータ環境も不十分な状態であることが多い。しかし、CGは急速に普及しており、今後のCG制作の中心地となるのがアジアであることは間違いがない。そうなれば、発展途上国の不十分なコンピュータ環境でも制作可能なCGアルゴリズムを追求するのは当然の方向性であると言える。今回のFast Forwardからは、そうした、今後のCGの利用中心地がアジアになるという明確な予感を感じることが出来た。
SIGGRAPH ASIAに復活したエマージングテクノロジー
今年のSIGGRAPH ASIA Hong Kongでの最大のニュースといえば、エマージングテクノロジーの復活だろう。エマージングテクノロジーとは、先端技術体験という意味。つまり、実用化前の最先端技術を実際に体験できるというイベントで、米国の本家SIGGRAPHでも大きく人気を集めるイベントである。もちろん、技術的には実用化レベルには達していないから、多少の不具合があるのはご愛敬。とにもかくにもそうした近未来の技術を実際に経験できるというのが非常に面白いのだ。
とはいえ、このエマージングテクノロジー、どうしても大規模な設備が必要で多額の費用がかかるということもあり、一昨年の横浜開催を最後に、去年のソウル開催では休止されてしまっていた。それが再びこの香港開催で再開されたということは、SIGGRAPH ASIAでもエマージングテクノロジーが定番化する可能性があることを示しており、非常に期待が持てるのだ。
大阪大学が新しい裸眼立体視を出展。水蒸気に投影された立体像は、なんと、見る方向によって実際に形状が変わって見える
今回も、人を避ける機能を持ったロボットの群れの中を歩くことで近未来のロボットと一緒の生活を疑似体験するコーナーがあったり、新しい立体視の技術を実際に経験できたり、電子楽器テルミンの要領で電界干渉を食器と食事で測定して食べる物ごとに様々な音を出してみたりと、様々な先端技術体験を行うことが出来た。ここで発表された技術が我々の生活の中に降りてくれば、相当に面白い世の中に変わるだろうと実感できるのだ。
エキシビションで示された中国のCG覇権!
「水晶石教育」の「Houdini」教育ワークショップ。中国がついに大手ソフトウェアメーカーと直接タイアップでの教育をはじめた
SIGGRAPHの特色の一つは、学者だけの学会ではなく、アーティストや企業が参加していることにある、というのは先に述べたとおりだ。もちろん、このSIGGRAPH ASIAにも、商業展示会であるエキシビションは存在している。今回の香港大会でのエキシビションは、開催地である香港関連企業の展示の他、SIGGRAPH ASIAが学生が多いイベントということもあり、主に学校を中心にした展示が中心となっていた。
中でも話題をさらっていたのは、入り口を入って正面にあった、中国最大のCG制作会社「水晶石」の教育機関「水晶石教育」の展示ブースであった。ここでは、なんと、カナダのSide Effects Software社の3DCGソフト「Houdini」の教育をはじめた事を大々的にアピールしていたのである。しかもこれは、Side Effects Software社との提携での公式な教育カリキュラムなのである。
無論、こうした大手が最難関ソフトウェアである「Houdini」に乗り出すということは、中国企業各社でも、それよりも教育の簡単な「Autodesk 3ds max」「Autodesk MAYA」や「Autodesk SoftimageXSI」など他のメジャーソフトウェアも当然視野に入れているという事だ。ソフトメーカーとの提携での教育を行うということは、中国制作では問題となりやすいソフトウェアライセンス問題にも真っ正面から取り組んでいる、ということになる。
ここ数年、日本では、世界的に最もシェアが高く利便性の高いメジャーな3DCGソフトウェアを敢えて避け、それ以外の若干マイナーな3DCGソフトを使う傾向が一部制作企業にあった。これは、日本の隣国の一大CG制作地である中国のCG制作現場において、そうしたメジャーソフトの違法コピー版が蔓延しており、正規ライセンスと高い人件費を強いられる日本での制作では到底価格面で中国に対抗できない、という事情があるためであった。そこで中国とバッティングしないように、敢えて便利なメジャーソフトを使わずにいるという迂回制作手法を取る企業があったのだ。しかし、ここで中国の代表的CG制作企業である水晶石がソフトウェアメーカーとタイアップして「Houdini」での教育に乗り出してきたということは、その迂回手法が全く無意味になったという事を意味している。特に「Houdini」は物理計算に優れており、今まで中国でのCG制作が苦手としていたそうしたエフェクト系のCG制作にも、大きな力を発揮することが予想される。
また、今まで中国の泣き所であったライセンス問題にも、いよいよ中国自身が本格的に対応しはじめた、という点も注目だ。ソフトウェアメーカーとの直接タイアップとなれば、技術提供がある代わりに、当然違法コピー版のソフトウェアは使えない。そうなれば、制作価格こそ上昇するだろうが、日本や欧米などの著作権法の発達した先進諸国にも、正面から堂々と制作物を売り込めることになる。
いずれにしても、このエキシビションで、敢えて入り口正面のブースを取って、天下の「水晶石教育」が「Houdini」の公式教育をはじめた事をアピールしていたのは、ただ事ではない。今後、アジアの制作事情は、大きく様変わりをするのは間違いない。
また、日本からは、このエキシビションに、SIGGRAPH提携の学会や東京ゲームショーなどの団体の他、河合塾学園トライデントコンピュータ専門学校が出展をしていた。エマージングテクノロジーでも日本の研究機関から複数の参加が見られたが、こうした遠い地にもちゃんと日本のブースが展示されているのは、何とも頼もしい。激変が予想されるアジアのCG映像制作ではあるが、その中で、日本のCG制作業界も確実に生き残って行かなければならないのだ。