txt・構成:編集部
CG合成ワークフローを大きく変えるeXtended Data
カールツァイスから、eXtended Dataの幅広い認知と活用を目指して、検証実験の意味を含めて1本のリールを制作して貰えないか、とマリモレコーズ社に打診があったのが今年初夏。そこからマリモレコーズでは実機検証も踏まえつつ、実際のCG合成作業を行うフィニット社との打ち合わせが始まり、ここで紹介する映像「MORPHO」に結実した。
Vol.03では、MORPHOの試写で集まった撮影部とCG部のスタッフにご協力を頂き、eXtended Dataワークフローをテーマにした座談会を開催した。撮影部側のマリモレコーズからチーフディレクターの江夏由洋氏とディレクターの渡辺知憲氏、CG部側のフィニットから武田貴之氏、脇坂宝氏、足立直氏に集まって頂いた。近年、重要度が増しているレンズデータの中でも、eXtended Dataの場合はどのような効果があるのか?具体的なメリットなどについて語って頂いた。
左から、フィニットの取締役 武田貴之氏、CGディレクターの足立直氏、プロデューサーの脇坂宝氏
有限会社フィニット
2001年2月設立。CMを中心とした、PV、モーターショー映像等におけるVFX・CG制作、VRコンテンツの制作、コンポジット・ディレクションなどを行っている
「Shot on ZEISS CP.3 XD Lenses」のメイキング動画
困難だった撮影現場でのレンズ特性情報の収集をeXtended Dataで軽減
――今回はeXtended Dataワークフローを使って、どのようなことにチャレンジされましたか?
江夏氏:企画段階では、eXtended Dataが特長のディストーション補正って「それって需要があるの?」というのが本音でした。確かに後から焦点距離のmm数がわかるというのは助かります。しかし、焦点距離や被写体までの距離は、たぶん僕らの制作レベルでは使わないのでは?とそんな感じでした。
ただ、CGスタッフにお聞きすると、広角で壁や床、直線的なものに対して、何か合成をする場合には、やはりディストーションがきちんと取り除かれた(補正された)状態で合成をしないといけないです。今回の作品でもカメラが常に動いているので、当然、トラッキング(実写映像から撮影されたカメラの動きを解析すること)がうまくいかないとそこに当然違和感が生じています。映像を観ているだけの人には実写とCGの辻褄あわせの大変さは伝わりません。僕も把握しなかったことなのですが、実はそこに手間が膨大にかかります。それをeXtended Dataを活用することで、回避できるということでした。
そこで、eXtended DataがどのようなメリットをCGにもたらすのか効果を実証するために、あえて厳しい撮影条件を設定しました。ロケーションは直線的なビルが建ち並ぶ場所にして、そこを広角レンズでくるくると回転しながら撮影して、その実写画像の端までCGで合成するという企画はここから生まれました。
チーフディレクターの江夏氏
――eXtended Dataワークフローを使った「MORPHO」の制作で難易度が高かった点はどこでしょうか?
渡辺氏:実務で圧倒的に難易度が高かったのは、CGチームが担当するポストプロダクション工程でした。これは時間的(納期)にも物量的(撮影カット数)にも大変でした。
今回はカメラが動き回るため、実写被写体とCG背景が自然にマッチムーブ(トラッキングの解析結果をCG上で一致させて、実写映像とCG映像の動きを合成すること)できるのか不安でした。
撮影現場にはCGを制作を担当していただくフィニットさんに来ていただき、カットごとに「これは間違いなくトラッキングできる」と裏付けしながら撮影を行いました。ポスト段階の確認では、eXtended Dataのおかげでマッチムーブの精度が高いのには驚きました。
ディレクターの渡辺知憲氏
幕張ベイタウンで行われた実写映像の撮影現場より。モニターを確認する江夏氏とカメラをコントロールする渡辺氏
――CG部はコマーシャルやテレビドラマ作品撮影で現場に入ってレンズ特性情報を取得したり、環境撮影することは多いのでしょうか?
武田氏:基本的に、CGが絡むところは必ず立ち会うのが一般的です。CG部の役割は、業界全体で理解が進んでいます。CMドラマ、映画関わらず、CGが関わるところはなるべくCG部が入ります。そして、カメラマンやカメラマンのアシスタントから、カメラのレンズデータを聞いたり、手書きメモをもらいます。
その際に、記録に選んだ撮影サイズと画素数のメモも大事です。スーパー35mm判の時代は、レンズの特性情報だけでもなんとかなりました。それが、REDのようなラージフォーマット対応カメラですと、撮影解像度によって撮像面積が変化します。カットによってHSで撮っているのか?コマ数によって撮像エリアと面積が大きくなったり、小さくなったりするので、その辺りも確認が必要です。これまで見落としたり、聞き漏らしたりすることは結構ありましたが、結局最終的に目視で作業することもありました。
現場は香盤に従って動くので、正直ポスプロ側の意見は若干弱いと感じます。現場は、タレントさんや天気などの都合を優先させて進みます。そのあとに、私達がレンズ補正データ取得用のグリッドを撮ります。最近は環境撮影も本番が終ってから撮ります。撮影と平行して撮れるのが理想ですが、若干のタイムラグが生じて撮影しているのが現状です。
今回、レンズ特性情報を出力可能なツァイスのeXtended Dataを使う現場は初めてです。eXtended Dataを使うことによって、これまでの撮影現場での情報収集作業なしでも必要な情報がすべてデータに収録されました。われわれもカメラマンもすごく助かりました。
フィニットの武田氏
幕張ベイタウンの撮影現場より。グリッドの撮影の準備をする足立氏と脇坂氏
完成度の高いカメラトラッキングが可能で、完璧なマッチムーブを実現
――eXtended Dataは、ディストーション補正を特長としていますが、一般的には「ツァイスのレンズは歪まない」と評価が高いです。皆さんはどのように感じてらっしゃいますか?
江夏氏:広角は必ず歪みます。歪まない広角はありません。…っと通説はそうですよね。
もう一点言うと、みんな歪んだり周辺光量減光をするのが好きなんですよ。ビネット効果というのがカラーグレーディングのプロセスにあります。わざわざ周辺解像度を落としてまで、リアルなものにしたい考えがあるぐらいです。
渡辺氏:歪まないと逆におかしく見える場合もあります。ツァイスのレンズは確かに質が高くて歪みは大変に少ないです。しかし、歪みが凄く少な過ぎると広角に見えないこともあります。おかしいと思って、よく見たら歪みのなさが原因だったということがりました。
江夏氏:実際、ツアイスのレンズはほとんど歪んではいません。35mmと50mmはアンディストーションをかけても、そこまで大きな補正にはなりません。ほんの少しだけ補正されるぐらいです。
武田氏:ただし、少しでもディストーションが生じていると場合、トラッキングはうまくいきません。例えば今回のように周辺部分にあるビルなどは歪んでいるため、トラッキングソフトでは動いているように判断します。パンの時に周辺が歪むということは、ビルがぐらぐらしていると認識してしまい、結果マッチムーブはずれてしまいます。なので、必ずトラッキングをする前にディストーションは補正しなければいけません。
これが本当に大変な作業なのです。特に、今回みたいに回転しながらワイドレンズで仰角をつけてる要素が加わってくると 意外と苦労します。経験上補正できないものはないと思っていますが、苦労します。
歩く女性の背景で、次々と形を変えていく建物群。カメラが動き回るカットは28mmのワイドレンズで撮影
幕張ベイタウンの撮影現場より。メインカットのカメラは手持ち撮影で行われている
eXtended Dataで迷いがなくなる。クリエイティブなことに使える時間が増える
――eXtended Dataのメタデータで周辺減光とディストーションが補正できるメリットを教えてください
足立氏:大幅に作業の手間を軽減できます。まず、グリッドを使って補正する場合は、レンズが変わるごとにグリッド撮影しなければいけません。センサーサイズが変わった場合は、調節をしないといけません。ツァイスのプラグインで自動的にできるようになると、その工程がすべてなくなります。
1カットだったらグリッド撮影も負担ではありません。しかし、何十ものカットをさまざまなレンズで撮影するとなると、いちいち補正情報をダウンロードしてきてそれをアンディストートのは大変な作業になります。
また、カメラの撮影データはカメラアシスタントの方に協力をいただくのですが、撮影中の時間がない中でメモしているので読めないことがあります。CG部側で提供していただいた情報で進行して、トラッキングまで行ったところで誤りであることに気が付き、もう一回アンディストーションの工程に戻らないといけないことがよくあります。
ツァイスのWebサイトで公開されているLensCorrectionノードだけ入れれば一発で補正可能で、ボタン1つでできるのはすごいありがたいと思いました。トラッキングさえ集中してやればよく、大幅に時間の節約が可能だと思います。
脇坂氏:私の場合も目合わせの作業は、合っているのか?合っていないのか?他の人に聞きますので、進んだり、戻ったりすることがよくあります。目視で合わせて、監督に見せて、OKと言われてやっと進める。eXtended Dataなら物理的に合っている。迷いはなくなり、自信をもって「合っています」と言えます。そういう意味で、eXtended Dataを使う意味はありますね。
ディストーションもアンシェードもそうなんですけれども、悩むことが減ればクリエイティブなことに使える時間が増えます。CGで悩むことが減るのが、コンポジターにとって本当にすごくありがたいです。
フィニットの足立氏
――江夏氏は今回の作品をeXtended Dataを活用したワークフローで制作されて、どのようなことを感じましたか?
江夏氏:ワークフローがどんどん新しくなっていることに驚きました。僕らが撮影するタイミングでREDのカメラ側レンズマウントからeXtended Dataのメタデータを読み出してR3Dファイルに記録することができるようになりました。今回は単焦点を使いましたが、焦点距離やアパチャー(絞り値)などの様々な情報がリアルタイムでタイムコードともに記録されます。コンポジットする際にそのデータを使えば色々な作業が楽になります。
また、ポストプロダクションの作業では、Injection Toolが登場するまで、Silverstackと呼ばれるDITが使うインジェクションツールを使っていました。これまではREDで撮影をして、Silverstackを使ってR3Dファイルのメディアからコピーしますが、そのコピーする際に一緒にzlcfファイル(ZEISSレンズ補正ファイル)を書き出していました。
例えば、A01というカットのフッテージがった場合は、そのA01に対してのzlcfファイル、A02に対してのzlcfファイルというように、各ファイルを各クリップに対して1つずつ生成していました。After EffectsやNukeにその素材を読み込むときに、その素材のタイムラインにツァイスから支給されているプラグインをかけることで、そのzlcfファイルを読みに行かせて、そのカットに対してアンディストーやアンシェードを適正をしていました。このとき、ワークフロー的には毎回Silverstackを使ってフッテージをコピーしてからZLCFファイルを生成する必要がある、ということがやや手間でした。
ところが今年8月、ツァイスはSilverstackと同様の作業を実現できるInjection Toolの無料配布を開始しました。コマンドプロンプトで動くEXEファイルですが、これで年間6~7万円のSilverstackを使わなくても、eXtended Dataを抽出できるようになりました。
SilverstackはもともとはDITが購入するハイエンドなデータマネジメントソフトウェアで、その付加機能のひとつであるZLCFファイルの生成のためだけにポストプロダクション側で年間ライセンス料を払うのはハードルが高いと思います。Injection Toolのリリースは、eXtended Dataのワークフローが広がる大きな一歩じゃないかなと感じています。
カメラはカメラ側レンズマウントからeXtended Dataのメタデータを読み出してR3Dファイルに記録できるREDのMONSTROが使用された
課題は撮影部とCG部の両スタッフがレンズ特性情報の意識を高めること
――今後、eXtended Dataを広めていくための課題はどんなことでしょうか?
武田氏:撮影部は、eXtended Dataを導入してもフォーカスと絞り情報がモニターに表示される以外には特に恩恵を受けるわけではありません。カメラが6Kや8Kの解像度になると、画にはっきりとした違いがでてきます。しかし、それと同じぐらいレンズ特性情報って重要なのですが、そこまで全制作スタッフの意識が薄いというのが実情です。
今後は、われわれCG側が積極的に広めていく手はあるのかもしれないと感じています。
渡辺氏:撮影部側は、今回のようにCG部との密なやり取りを一回体験すれば便利さを分かってくれると思います。撮影部は導入するだけで何もやらなくていい。eXtended Data対応のレンズを選択するだけでいいです。そんなに難しいことではないと思います。
あとは製作費の中で、そのレンズやカメラが、レンタル予算の中にはまるかはまらないか、というところですよね。eXtended Data対応のレンズを使わなかったときのCGスタッフ側の作業量を金額に換算したときにどのようになるのか?多少レンズが高かったとしても、作業料金のほうが高いかもしれない。そこはわかりやすい形で、その金額として出すこともできるでのはないでしょうか?
武田氏:実情を言うと、レンズの歪みのディストーションを戻す作業は、見積もりの中にはありません。ディストーションを戻すのはごく普通の行為として認識されており、CG側としてもディストーションは当然元に戻すものという意識で作業を行っています。
ディストーション補正がきちんと料金として発生していて、その項目がeXtended Dataを使うことでなくなるのであればわかりやすいですが、見積書には、「ディストーション補正」という項目はなく、このあたりは今後の課題かとと思います。
――CGと実写合成の現場で、今後、eXtended Dataの活用は進みそうですか?
江夏氏:CGのポストでは今回有効に使用できました。今回に限らず実写合成においては、一回使うとやめられない。今後は必要なワークフローになるのではと思います。
eXtended Dataは、富士フイルムのラージフォーマット対応ズームレンズ「Premista」にも搭載されます。ツァイスがeXtended Dataを富士フイルムさんに「ぜひ載せてください」と技術を無償で提供したことに僕は驚きました。これまでのズームレンズの場合は何mmで撮っているか後からわかりませんでした。しかし、このeXtended Dataは、その瞬間が、何mmなのかしっかりとレンズ特性情報として記録され、完璧なCG上でのカメラマッチングを行うことができます。
今回はプライムレンズだったので、15mmのレンズを使えば焦点距離は15mm固定のままですが、eXtended Data自体は、フォーカスの位置も時間軸で撮れて、ズームレンズを使えば焦点距離のmm数も完璧にわかるようになります。今後、シームレスにピントが動いているようなものに関しては、こういったレンズが恐らくCG合成に限らずいろんなところで活用されていくのではないかなと思います。
eXtended Dataはより身近に、今後はもっともっと良くなるでしょう。来年ぐらいには、ズームレンズでもeXtended Dataが活用できるようになれば、このワークフローはもっと標準的になってくると思います。
富士フイルムのラージフォーマット対応シネマカメラ用ズームレンズ「Premista28-100mmT2.9」は、ファームウエアアップデートでZEISS eXtended Dataへの対応を予定している