放送・配信の世界で長く当たり前とされてきた「素材をトランスコードし、パッケージングし、CDNにコピーして配る」というワークフロー。その前提そのものを覆そうとしているのが、米カリフォルニア州バークレーに本拠を置くEluv.io(エルビオ)だ。NAB2026会場のWest Hallに小さなブースを構えていたEluv.io社にミーティングのアポをとったところ、2階の会議室に通され、そこで詳細なプレゼンテーションを受けることになった。
プレゼンターを務めたのは、APAC担当のSean Curran(ショーン・キューラン)氏だ。彼が熱く語ったのは、従来のメディアワークフローを根本から覆すプラットフォーム「コンテンツファブリック」である。今回はホワイトペーパーの技術情報も交え、その全貌と同社が描く事業展開についてレポートする。
コピーを一切行わない「Just-in-Time」配信の衝撃
Eluv.ioの技術の核心は、コンテンツを視聴者に届けるトポロジーそのものを作り替える点にある。最大の特徴は、配信のために素材の物理的なコピーを一切作らないことだ。
従来は、ソースを作ってトランスコードし、パッケージングして世界中へ配信していくため、たとえ単一のソースでも配信先ごとにファイルが際限なく増え、そこにストレージや帯域コストがかかっていた。これに対しEluv.ioは、独自の「コンテンツオブジェクト」という概念を採る。まず元素材を「RAWパート」として格納し、それをどう組み合わせるかを定義した「ビルド指示書(Build Instruction)」、さらに権利・認可を司るコントラクトのレイヤーで構成される。
視聴者からリクエストがあると、エッジ(視聴者に最も近いノード)でこれらのパートを「Just-in-Time(ジャストインタイム)」で動的に組み合わせ、HLSやDASHといった形式のストリームをリアルタイムで生成・配信する。分かりやすい例が多言語対応だ。一本の映画に複数言語の音声トラックがあっても、それぞれを別ファイルとして書き出すのではなく、単一のソースオブジェクトからエッジ側でジャストインタイムに必要な組み合わせを生成する。デジタルシネマの納品に使われるDCPやIMFとコンセプトは似ているが、それらとは異なるEluv.io独自の仕様だという。事前生成を廃したことで、従来比で50倍以上のカーボンフットプリント削減を実現している点も見逃せない。
これにより、オンプレミスやクラウドでの事前トランスコード、CDNへのコンテンツコピーといった中間工程はまるごと省ける。特筆すべきは、ライブ配信とVOD配信のワークフローが完全に同一のトポロジーで処理される点だ。放送用の一つのスタックがそのままOTT配信にも流用でき、前述の遅延も3~5秒にまで劇的に短縮されるという。さらに、NAGRAの電子透かし技術とも統合されており、視聴者が映像を受け取る最後のエッジ部分で、ジャストインタイムで透かしを入れたり、ダイナミックに広告を挿入したりすることも可能となっている。
メディアとスマートコントラクトを密結合する「ブロックチェーン技術」
プレゼンではあまり詳しく説明してもらう時間はなかったが、Eluv.io社のWebサイトにある情報を詳しく見てみると、Eluv.ioのシステムを他社と決定的に差別化しているのが、プラットフォーム基盤である「Content Fabric Protocol(CFP)」に、独自のブロックチェーン技術が組み込まれている点だということがわかった。
従来の配信プラットフォームが中央集権型のクラウドサーバーやCDNに依存するのに対し、CFPは世界中に分散したノード(サーバー)群で構成されている。このブロックチェーン基盤によって主に3つの革新的な機能が実現されている。
改ざんを防ぐ「Merkleツリー」と履歴管理
コンテンツの追加やバージョン変更といった操作はすべて、「Merkle(マークル)ツリー」と呼ばれる仕組みを用いて暗号化(ハッシュ化)され、ブロックチェーン上の取引記録として残る。これにより、「誰が・いつ・何を変更したか」が完全に追跡可能となり、中央の管理者を信用しなくても改ざんを防げる(トラストレスな)セキュリティモデルを実現している。
コンテンツデータとルールの「密結合」
Web3やNFTを活用した高度な権利管理も特徴だ。一般的なメディアNFTは「映像が置かれている外部のURL(IPFSなど)」を指し示すだけで、映像自体へのアクセス制御を持たないことがほとんどだが、Eluv.ioでは、メディアオブジェクトのデータ自体と、「誰がどのような条件で視聴できるか」というルール(スマートコントラクト)をブロックチェーン上で直接紐付けて一体化させているという。
「プロキシ再暗号化」による強固なアクセス制御
上記のルールに基づき、トークン保有者や正規の購入者など「条件を満たしたユーザー」からのアクセスがあった場合にのみ、視聴者に届ける最後のエッジ部分で「ジャストインタイム」に専用の復号鍵を生成してストリーミングを行う(プロキシ再暗号化技術)。これによって途中の配信経路では誰にも中身を見られることがなく、海賊版や不正アクセスを強固に防ぐことができる。
「Bucharest Release」- 放送局からD2C、AIまでカバーするソリューションの3つの柱
Eluv.ioの最新バージョン「Bucharest Release」は、これらファブリックの特性を活かし、主に3つの柱を展開している。
1. 放送伝送(グローバルブロードキャストファブリック)
Eluv.ioはST 2110やST 2022に対応しており、さらにSMPTE 2022-7にもサポートを広げた。SRTなどのプロトコルを用いて、グローバルで500ms以下の遅延、1ms以下のジッターで高品質映像を配信できる。同じ技術でHLS/DASHのアウトプットも生成するため、放送系の一つのスタックがそのままOTTのスタックにもなる。 スポーツの例として、Sean氏は「例えばJリーグが自らの試合信号をNHKやTBS、あるいはアメリカのFOXに提供したいと考えた際、その配信の壁を大幅に低くすることができる」と具体的なメリットの例を示していた。
2. D2C-OTT配信とフルスタック・マネタイゼーション
D2C領域では、単一のソース・単一のスタックから、Apple TV、Fire TV、Tizen、Rokuなど多様なプラットフォームへ同時展開できる。既存のCMSや課金システム(Paywall)もそのまま組み合わせられる。視聴者は、サブスクリプションで観ることも、1話だけを購入して観ることもでき、その支払いをApple PayやGoogle Payで行える。
今回の目玉は「ポケットTV(Pocket TV)」だ。今年のNABで発表されたこの機能は、ログイン不要で有料コンテンツを視聴できるOTTのマイクロサイトで、QRコードからApple Payなどで都度購入し、すぐに視聴できる。デモでは、ある番組をTikTokやFacebook、InstagramといったSNSから集客し、サブスクリプションでも1話単位でも購入できる導線が示された。
マネタイゼーションでもう一つ強調されたのが「アンタップトテリトリー(未開拓地域)」、いわゆるグレーマーケットの収益化だ。ラグビーやクリケットのように、これまで配信地域を米国や英国などに限定し、それ以外の地域からのアクセスを遮断してきたコンテンツについて、放送権保護の機能を効かせながら、手をつけていなかった地域の視聴者へ有料で届けられるようにする。
Eluv.ioはノードからソフトウェア、インターコネクトまでファブリック全体を自社で一貫管理しているため、どの視聴者がどのプラットフォームで何を、どこで、どう視聴したかを把握でき、課金ゲートウェイと連携すれば、どれだけの収入があったかというレポートまで可能になるという。
3. AIビデオインテリジェンス
3つ目はフレーム精度のAI分析機能だ。ライブとVODの双方に対し、フレーム単位で正確なAI処理を行う「Video Intelligence」で、プレゼンでは2つの具体的なユースケースが示された。
- EPCR TVとCricket Australiaの事例:
EPCR(European Professional Club Rugby) TVでは、「10分で観たい」という視聴者からの要望に対し、「全ゴールだけ」「タックルシーンだけ」といったポリシーを先に設定してハイライトリールを自動生成して視聴可能にした。またCricket Australiaでは1992年まで遡る膨大なアーカイブをすべてデジタイズし、AIがロゴ検出・シーン分類・画面内文字認識などで分析することで、新たなコンテンツオファーを生み出した。
- Red Bullの事例:
Red Bullのブレイクダンスコンテンツでは、ライブ音声からのスピーチ・トゥ・テキストによる字幕生成に加え、骨格推定でダンサーの動きがどれだけ革新的かをスコア化。Red Bullが要望した縦型動画を、重要な瞬間だけ自動で切り出し、そのままSNSへ書き出す――という流れが示された。これらはいずれも、最後のエッジのところでジャストインタイムに生成・パーソナライズされる。
なぜコストが下がるのか―エグレスという急所
Curren氏が繰り返し強調したのは、配信コストの削減である。とりわけ、クラウドへデータを上げる際にネットワーク転送量に応じて課金される「エグレスコスト」が大きい。「たとえば2億人規模に配信しようとすると、エグレスのコストはとんでもないことになる」と述べ、大規模配信ほどメリットが効くと説明した。
また、ファブリック全体を自社管理しているため、どのお客さんが、どのデバイスで、どのコンテンツを、どのくらいの成功率で視聴できたかという詳細なデータをリアルタイムで把握でき、課金ゲートウェイと連携した収益レポートも提供可能だ。スポーツ団体やコンテンツオーナーへの訴求点として挙げたのが、パブリッシャー側のコントロールを強められること、低遅延であること、そしてノーエグレスであること――この3点だった。
日本市場への展開
プレゼンの最後に競合について尋ねると、Curren氏は、「CDNはAkamai、プレイヤーはBitmovinなど、個別の機能を提供する競合は存在するが、コンテンツのインジェストからトランスコード、パッケージング、DRM、配信、AI分析、マネタイゼーションまでを単一の統合プラットフォームで提供する企業は他にない」と、All-in-Oneソリューションとしての独自性を強調した。また、「たくさんの道具が入った道具箱は不要で、必要なのは強力な一つのツールだ」と述べ、自社技術への自信を示した。
放送とOTTの境界が溶けていく時代に、コスト構造そのものを設計し直すというEluvi.ioの提案は、日本の放送・配信事業者にとっても、検討に値する選択肢が一つ増えたと言えるだろう。
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