txt:江口靖二 構成:編集部
NAB会期後に思う事
NABから帰国して10日ほどが経過したところだ。今回のNABは正確な回数は分からないが、筆者としては十数回目になると思うのだが今までとは様子が異なっていたなと、「じわじわ思う」のである。それは決して目立つことではない、現場にいた時には感じ取れなかったことが、帰国して、時間が経過して、アタマが整理できて、なるほどこういうかと思うことがある。
もちろん、例年のように今年もいくつかのトピックスがあった。それは4K、HDR、そしてドローンあたりだろうか。これらは言うまでもなく、それぞれ重要なイノベーションだと思う。また別記事でも書いたが、これらに隠れて、粛々と進行しつつあるのが、放送のオールIP化の流れだ。これは日本にいると非常にわかりにくいというか、感じにくい事象だと思う。理由はやはり別記事に記載の通り、国内ではそれは未だタブーにすら近く、大部分のメーカーやシステム会社がそれに関する情報提供を行わないからだ。それぞれの企業の事業の維持継続の視点からは、一概に悪くいうことばかりもできない。
では何をじわじわ感じたのか。それは、放送業界はすでに放送業界ではないんだということだ。少なくともNABではそうだ。何を言っているのかわからないという意見と、今さら何を言っているんだという意見の両方があるだろう。
まずは来場者、出展者の服装がすっかり変わった。NABは実はコンサバティブな、エスタブリッシュメントとしての放送技術者が集う会であったので、ダークスーツに身を固めた白人が大多数だった。そして彼らの大半は太りすぎだ。ところが最近はそうではない、ポロシャツとかTシャツ系の若者が相当増えた。それは各企業内で変化が起きたのではなく、出展者と参加者の層が変化しているということだ。
こうしたことを感じられる現象を書き連ねてみる。
- 服装の変化。ダークスーツからポロシャツ、Tシャツへ
- 展示物が無くなった、ほとんどがディスプレイの中にあるので
ぱっと見だけではそれが何なのか全くわからない。
- モノがあったとしても、全部が超小型化した
- 白人の減少。有色人種の増加。中南米とインド
特に物がなくなっていく傾向は、展示会的にも、それに関わる人の属性はもちろん考え方にも大きな変化を与えているように思う。たとえばソフトウェアの世界ではもともと姿形がないので、そういうものだということで理解納得されると思う。ところが放送機器がソフトウェア化、デジタル化、さらにIP化していくと、元々あったモノが消えてしまうことになる。これまでは機器と機器、モノとモノをケーブルで組み合わせの数だけ繋いでいた時代だった。そう、ちょうどレゴブロックで色んな物を創り出すような感覚に近い。放送業界はこんなおもちゃ箱だらけだったのだ。
ところがこれからはまるで違う世界に入ろうとしている。目で見て、手にとって、確認できたものからすべてがディスプレイの中に入り込んでいく。これは決して悪いことではない。確かにある意味ブラックボックス化されるともいえるが、ある意味、ドリームボックスなのかもしれない。
こうした傾向で、一番わかり易いのは「Harris」が「Imagine」になったあたりからだろうか。元々軍事用の無線送信機を作っていた同社は、やがて総合放送関連システムメーカーになっていった。ところがデジタル化まではなんとかリーディングカンパニーであったが、その先のマルチスクリーン対応やIP化に向かう段階で失速した。いや、自らギブアップして生まれ変わったと見るべきだろう。今年のImagineブースはすべてがIP対応を謳っていた。
Imagineのデモ。どの機能のデモも見た目は全部こうなってしまう
Imagineのクラウドベース放送システムの概念
NABは多分年々、ベースバンド系の放送技術者には居心地が悪い場所になっているに違いない。自分も身体半分以上はそちら側である。一方、ドリームボックスを使いこなしていく人々が、NABにはまだほとんど参加していないのが気になるところだ。
txt:江口靖二 構成:編集部