InfoComm 2026の熱気と、ある買収劇への「率直な疑問」
米国・ラスベガスで開催された「InfoComm 2026」。世界中から最新のAV・インストレーション技術が集結するこの熱気溢れる会場の一角で、私は非常に濃密な時間を過ごしていた。時間を割いてくれたのは、パナソニック コネクトから独立事業会社としてカーブアウトした、パナソニック プロジェクター&ディスプレイ株式会社でCMOを務める松原氏、そしてCTOの田中氏だ。多忙を極めるトップマネジメントの二人が、私の率直な問いに対してオープンに、そして熱くビジョンを語ってくれたことに、まずは心からの敬意と感謝を表したい。
事の発端は、パナソニックによる英国のメディアサーバーベンチャー「HIVE MEDIA CONTROL(以下:HIVE)」の完全子会社化というニュースだ。長年、世界のハイエンド・プロジェクター市場を牽引してきたハードウェアの巨人が、なぜ今、メディアサーバーという「ソフトウェア・上流」のプレイヤーを自社に取り込んだのか。
かつてDisguise Japanの社長としてメディアサーバー市場の最前線に立っていた筆者からすれば、このM&Aは単なる事業拡大のニュース以上の、業界地図を塗り替えかねない地殻変動の前触れのように感じられた。公式のニュースリリースだけでは見えてこない、パナソニックの根底にある危機感と、彼らが描く次世代映像システムの全貌を、ここに解き明かしたい。
ハードウェア至上主義の終焉と「表示装置の価値低下」

パナソニックのプロジェクター事業は、大きな転換期を迎えている。パナソニック コネクトから事業がカーブアウトされ、新たに「パナソニック プロジェクター&ディスプレイ株式会社」という独立した事業会社としてスタートを切ったのだ。古い組織の枠組みを越えて、機動的な事業体制へとしっかりと脱皮する。この組織的な変化こそが、今回のM&Aを加速させる原動力となったことは間違いない。
では、なぜ「脱皮」の標的がメディアサーバーだったのか。そこには、ハードウェアベンダーとしての非常にシビアな危機感があった。
CTOの田中氏は、現在の市場環境を次のように語る。
田中氏:やっぱりコンテンツが一番の価値なんです。システム全体から見ると、表示装置単体の価値というのは相対的に低くなっている。IT化が進み、専用線ベースからIPネットワークへと移行する中で、いかに簡単に性能を出せるかが求められています。
これまで、プロジェクターの解像度や光束(ルーメン数)といった「ハードウェアのスペック」で勝負できていた時代は終わりつつある。映像表現の主導権は完全にコンテンツ側にあり、末端のディスプレイ機器だけを売るビジネスモデルは、いずれ頭打ちになる。この「表示装置の価値低下」という本質的な課題に対するパナソニックの答えが、映像の上流(再生・制御)を担うメディアサーバー領域の獲得だったのだ。
上流を制するための「ビジュアルソフトウェアスイート」構想
パナソニックが目指すのは、単に「自社製プロジェクターの横に自社製メディアサーバーを置いて売る」という単純なクロスセルではない。彼らは、映像システムの設計から運用・保守までを包括する「ビジュアルソフトウェアスイート」というワンストップ構想を描いている。
田中CTOは、その世界観を「入り口から出口までを1つのソフトウェアで、ワンストップで構築する世界」と表現する。案件の「見積もり」や「3Dシミュレーション」、そして本番の「メディア再生・制御」、さらには施工後の「表示装置の管理・メンテナンス」に至るまで、映像表現に関わる全てのレイヤーをシームレスなソフトウェア環境で統合しようという野心的な試みだ。
この構想を実現する上で強力な武器となるのが、「Intel SDM(Smart Display Module)スロット」の存在である。パナソニックは、プロジェクターやディスプレイにこの汎用スロットを標準搭載し、PCボードやメディアサーバーボードを直接本体に内蔵するアプローチを強化してきた。しかし、その上で動くメディアサーバーのソフトウェア技術を自社でゼロから構築するのは極めてハードルが高い。すでに欧州で実績を持ち、SDM戦略と完璧な親和性を持つHIVEをパートナーとして迎え入れることは、技術的にも極めてロジカルな選択だった。
Cooluxの崩壊とtwolooxの誕生。メディアサーバー業界のトラウマ
ここで、メディアサーバーの現場を知る人間として、客観的な市場の視点から一つの強烈な懸念を提示しなければならない。業界の人間であれば、今回の「ハードウェアの巨人によるメディアサーバー会社の買収」という構図を見た瞬間、ある"10年前の出来事"とその結末を想起したはずだ。
それは、2015年の米・Christie(クリスティ)による、独・Coolux(クーラックス:メディアサーバー「Pandoras Box」のメーカー)の買収である。 メディアサーバーとは本来、あらゆるメーカーのディスプレイやプロジェクターと縦横無尽に繋がる「ベンダーニュートラルなハブ」でなければならない。しかし、大手プロジェクターメーカーの傘下に入ったことで、市場には「自社製品への囲い込みが進むのではないか」という心理的なクローズド化の懸念が生まれた。
その結果何が起きたか。縛られることを嫌った優秀な才能や技術DNAがスピンアウトし、現在のPixera(AV Stumpfl)の躍進へと繋がり、さらにはIOVERSALという新勢力を生み出した(そのIOVERSALも昨年、2025年にROSS Videoに買収されている)。
そして、この「Coolux買収劇」は最近になって劇的な結末を迎えた。Pandoras Boxの技術と顧客を長年知り尽くした業界のプロフェッショナルたちが新たに設立した「twoloox(ツーラックス)GmbH」がChristieからPandoras BoxとWidget Designerの製品ラインを取得し、2025年10月に完全独立を果たしたのだ。
一周回って独立したソフトウェア企業へと回帰するという「twolooxへの帰結」は、特定ハードウェアの傘下でソフトウェアプラットフォームを囲い込むことの限界を、何よりも雄弁に物語っている。だからこそ、現場のクリエイターやシステムインテグレーター(SIer)は、今回のパナソニックによるHIVE買収に対しても「また歴史の蒸し返しになるのではないか」と、心底心配しているのが本音だ。
完全なる「ベンダーニュートラル」の証明とKAIROSの実績
「過去の歴史の二の舞にならないためには、市場とのコミュニケーションを今まで以上にやらなければならない」。筆者のこの直言に対し、パナソニックはどのようなスタンスを取るのか。インタビューの中で松原CMOが放った言葉は、市場の不安を真っ向から払拭する、驚くほど明確な「解」であった。
松原氏:そこは完全にベンダーニュートラルです。HIVEという会社の名前もブランドも残します。プロジェクターと一緒に売らなければならないというような紐付けは一切ありません。彼らはメディアサーバーを、独立した主語でベンダーニュートラルな形で提案し続けます。
パナソニックは、M&AによってHIVEを自社製品の「付属品」にするつもりは毛頭ないという。むしろ、HIVEが他社製のLEDやプロジェクターとオープンに繋がることを後押ししていく。
この戦略が単なる綺麗事ではないことは、パナソニックの既存プロダクトが証明している。「KAIROS(ケイロス)」というIT/IPベースのライブ映像制作プラットフォームの実績だ。KAIROSは、パナソニック製のカメラだけでなく、他社製のソースを一切問わずに接続できる完全なオープンシステムとして成功を収めている。中間機器におけるベンダーニュートラルの強みを、パナソニックはすでに自社内で実証済みなのである。
Disguise型からのパラダイムシフトと、AIがもたらす革新
今回の買収によってパナソニックが得たものは、単なる再生機能にとどまらない。HIVEが持つ「エッジコンピューティング」の思想は、今後の映像システム構築に破壊的なパラダイムシフトをもたらす。
Disguiseに代表される現在のハイエンドシステムは、中央に重厚長大なモンスターサーバーを鎮座させ、そこから太いケーブルを引き回す「中央集権型」が主流だ。しかしHIVEのアプローチは、表示装置のすぐ近く、あるいはSDMスロットによって本体内部に組み込まれた「エッジ側」で処理を分散させる。これによって中央のサーバーをスリム化し、配線とシステム構築を劇的にシンプルにすることができる。
さらに、このシンプル化の波を極限まで押し進めるのが「AIの組み込み」だ。現在の映像ワークフロー(デザイン・クリエイト・マネージ)は、多機能化によりオペレーションが複雑化しすぎている。「現場で映像が映らない」となった際、特定のエンジニアしか対応できないことが市場拡大の最大のボトルネックだ。
田中CTOはここにLLM(大規模言語モデル)などのAIを投入すると次のように語る。
田中氏:プロンプトで指示を出すだけで、チャットボットがトラブルシューティングを自動で行ってくれる世界を作りたい。液晶の劣化予測など、長期間使えるようサポートする監視にもAIは有効です。
ハードウェアの運用の難しさを、AIとソフトウェアが完全補完する未来を見据えているのだ。
100年企業のDNA「水道哲学」が導くエンタメの民主化
ハードウェア至上主義を捨て、エッジコンピューティングとAIへのシフトを進めるパナソニック。そのドラスティックな変革の根底には、100年企業に刻まれた明確なDNAがあった。 松原CMOはインタビューの最後に、パナソニックの拠り所である「水道哲学」を持ち出し、次のようにコメントしている。
松原氏:水のように誰もが簡単にアクセスできるようにすることで社会が幸せになるという考え方です。エンタメも水道哲学的に広げていきたい。ハードウェアだけではお客様の苦労をなくせないので、HIVEと一緒になり機会を増やしていきたいです。
エンターテインメントの表現領域は、一部の巨大な予算を持つ現場や、天才的なエンジニアの特権になりがちだった。しかしパナソニックとHIVEが目指すのは、ソフトウェアとAIの力で運用の壁を突き崩し、誰もが簡単にイマーシブ空間を作り出せる「エンタメの民主化(量産)」である。
メディアサーバー業界の酸いも甘いも見てきた筆者からすれば、今回の買収がtwolooxが辿ったような歴史に陥らず、彼らが宣言する通り「完全なベンダーニュートラル」を貫くのであれば、これほど心強いイノベーションはない。新生パナソニックが、映像業界の次の10年をどうシンプルに変えていくのか。彼らが誓ったオープンな市場との対話に大いなる期待を寄せつつ、熱いエールを送りたい。