4月は、東京においてアートマーケットのシーズン
2008年秋から始まった地球規模の経済危機は、クリエイティブ経済時代の富の象徴であった現代アートのマーケットをもろに飲み込んでいった。それまで右肩上がりの伸びを見せていたアートオークションにあって、有名な作家の作品や歴史的遺物であろうが落札率は急低下、出せば次から次へと売れる勢いであった現代アートマーケットにおいてもなかなか売れないという事態が世界を包んだのである。
アートフェア東京 |
4月、集中的に東京においてアートマーケットが開催されるこの月は、日本におけるアートマーケットのシーズンとして定着しつつある。 アートマーケットのシステムが確立した欧米、そして、現代美術が富のステータスとして定着したアジア、その中において歴史的に大衆文化が中心に存在し、現代美術への関心が薄い日本において、アートマーケットは比較するとあまり盛んな状況ではなく、アートマーケットを育ててゆくこと自体がつい最近まで大変であった。失われた10年とよばれた時代(そのまま失われた時代のままのようにもみえるが)には、銀座の画廊は老舗であっても、路面から撤退し、ビルの上層階に移らないといけない状況にまで追い込まれる側面も存在していた。 それがニューエコノミーの反映として、今世紀に入り現代アートマーケットが世界規模で急成長を見せるとともに、その波はやっと東京にも押し寄せ、始まった当初はクオリティの高い参加画廊を募るのが大変であった日本最大のアートマーケット「アートフェア東京」においても、レベルの足切りや参加ウエイティングリストまで起こるまでになり、若手作家を扱う新たな画廊と海外のギャラリーの東京市場への進出意欲の高まりはエマージングなギャラリーを扱う新たなアートマーケット「101東京コンテンポラリーアートフェア」を秋葉原に産むまでに昨年高まっていった。 それが経済危機によって大きな影響を被ることとなったのである。 しかし、それはまるで地球規模のクライシスを前に、恐竜にかわり哺乳類が跋扈する隙間ができたような、新たなチャンスをメディアアートに与えたようなのである。
メディアアートがアートマーケットにデビュー
経済危機によって生まれた底無しの不況感は現代芸術のマーケットをもろに直撃しているかのようであった。この4月の東京におけるアートマーケットに出展するギャラリーの多くは出店規模を縮小し、出展者を集めることに苦労するマーケットも生まれた。その間隙を縫って、メディアアートがアートマーケットにデビューするという快挙が生まれている。
ASIAGRAPH |
これまでの加熱する足切りとウエイティングリストの状況では生まれ得なかったチャンスをメディアアートが獲得した瞬間である。
現代芸術ギャラリーの出展を扱う「101東京コンテンポラリーアートフェア」その中において、静止画CGアートの時代からCGアートの普及を展覧会を中心に続けてきたアートイニシャチブ「ASIAGRAPH」が独自のブースを構えることに成功した。
扱う作品は日本とアジアの「ASIAGRAPH」参加CG作家によるもので、ほとんどは静止画CG作品、それに映像や着物などCGアートらしい可能性を見せられる作品を網羅して出店に臨んだ。 このことがなぜ快挙かといえば、いわばメディアアートがアートマーケットにおいて価値ある存在(グローバルなコレクターによって資産価値のあるものとして売買される存在)であることは、世界のアートワールドにおいてはとても難しいことだからである。現代美術として価値を見出されたメディアアートは、メディアを用いたメディアアートの作品として昇華して行く中で、メディアアートそのものは常にアートワールドの中の周縁、それもデザインやファッションよりも遠い周縁に存在するしかないのである。アートワールドの視点からメディアアートを求めるコレクターは、世界に6人しかいないとまで言われており、メディアアートを専業で扱うギャラリーは現代美術としての価値を創出しうる力を持ったニューヨークの「bitforms」のほかは皆無であるとまでされている。
メディアアートのチャンスとは?
「ポストペット」や一人乗りの飛翔体をつくるプロジェクトで知られる八谷和彦から社会に対して挑戦的なビデオアート作品群でお騒がせのChim↑Pomまでメディア性の高い作品を扱っていることで異彩を放つギャラリー「無人島プロダクション」、VJ活動がアートとして昇華している宇川直宏など同じくメディア性の高い作品を扱う「NANZUKA UNDERGROUND」といった東京においてエマージングで元気なギャラリーもアートマーケットでは、絵画や写真、立体など、現代美術として商材足りえる作品を出展し、ディールしている。それだけ、メディアアートは周縁であり、難しいのである。
フォトモ |
その中にあってメディアアートのチャンスは、日本最大の現代美術マーケット「アートフェア東京」でも垣間見ることができた。 写真を組み合わせることで立体のパノラマ世界を箱庭のように現出させる、糸崎公朗オリジナルのメディアアートインスタレーションである「フォトモ」が、四国丸亀のgallery ARTE によって出展された。 「フォトモ」は前世紀より日本ならではのポップなメディアアートとして知られており、既に様々な作品集や「子供の科学」「デジカメWatch」などで連載中でもある。このように好事家によって世に知られ、評価を受けながらも、現代アートとしてマーケットに並ぶことのなかった良質のメディアアートが遂に表に並ぶようになったのである。
これらメディアアートが日本におけるメジャーなアートマーケットのシーンに登場することが出来たのこそ。今の金融危機の困難による現代芸術の衰えの間隙であるということができる。数多くのギャラリーが経営上の理由により、アートマーケットへの出展を見合わせる中、通常ならコレクターを引き寄せる市場形成力がないということから予備選考で撥ねられるであろう「ASIAGRAPH」に出展スロットが生まれる隙間が生まれたこと。そして、今までならまさにマーケットとして「高く簡単に売れる」資産価値が形成出来る絵画や彫刻を前面に出してきたであろう画廊が敢えて、新たにコレクターに知ってもらいたい存在としてメディアアート作品を紹介するのは、今が投機家を誘う市場の季節ではなく、本当にアートを愛し手に入れたい人々に対してマーケットを開ける時期ではないかというギャラリーの考えが表れたのではないかとも見て取れる。 実際にこのようなメディアアートのケースだけでなく、作品として興味深かったり、欲しくなるようなものなのだが、それを持つことは資産にはならないだろう現代アートが会場で老舗や有名どころ程、様々にディールされていたのが、一方でまさにこの時期だからチャンスとして枠を得た新興ギャラリーの多くがコレクターが手に入れやすい絵画作品で勝負するのと対比して、印象的であった。
本当にメディアアートが市場の表舞台にたつために
それでも残念でならないこともあった。せっかく日本におけるメジャーなアートマーケットに登場した「ASIAGRAPH」なのであるが、商いとしてのアートマーケットへの道への工夫が必要であったことだ。額装のほとんどは発泡スチロールパネルの貼り込み、手の込んだ額装はまるで街角の額縁屋の額縁メインで中身はサービスに表れるような仕上がり、これではメジャーなアートマーケットにおける現代美術の意義である「資産としてのアート」(だから文化史的価値としての「アートワールド」という概念が大事にされる)というモチベーションが崩れてしまう。
これではいくらエディション(数量限定制作)を前面に出しても、そのエディションのひとつが既に安っぽいハレパネであり、そもそも疑わしいのではないかという疑念を持たれてしまって残念なのではないのだろうか。
ここは現代美術の先輩で、既に大きな価格形成力を持っている、フォトアートの分野における作品の仕上げ方やマーケットとしての演出方法から学ぶ点が多いのではないのだろうか。 ともあれメディアアートにとって、大きな挑戦の第一歩が始まったのである。 この経験が、次にどのようなかたちで進歩し、日本から世界に現代美術の表通りに歩めるか期待してゆこうではないか。