子どもにとってテレビって害?
NHKで25年以上続く長寿番組「おはなしのくに」を演出させてもらうことになった。誰もが子どもの頃に読んだ名作を俳優が一人芝居で何役も演じるあの番組だ。私の担当も「みにくいあひるの子」、「長ぐつをはいたねこ」、「かさじぞう」、「手ぶくろをかいに」など、芝居でも映像でも何度も演出されつくした名作ぞろい。自分の子どももみるかもしれない番組を作れるなんてワクワクが止まらない。
子どもの通う保育園は基本的にテレビをみる事を推奨してない。テレビは“ビリビリ”と呼ばれ、「ビリビリ(光線)がでてるからみちゃいけないんだよ」と娘も言うくらいだ。しかし、「おはなしのくに」に関しては子どもの創造性を育む良質な番組というお墨付き(?)をいただいた。普段、商業映像の仕事ばかりやっている私としては、今回の仕事はなんだか精神的に堂々としていられてホッ。とはいえ私も幼児にテレビをみせるのってちょっとなぜだか抵抗がある。この件に関してはなんとなくモヤモヤと心の整理がつかないのだ。
© NHK「おはなしのくに」Eテレ毎週月曜 午前9:00~9:10。来週2月2日と9日は『かさじぞう』放送。出演:渡辺哲 イラスト:しおざわともみ
http://www.nhk.or.jp/kokugo/ohanashi/
そもそもこの番組の目的は、活字離れが進む今の子どもたちを本好きにするというもの。授業の一環として番組をみた後に先生が図書室に連れて行くと、原作を探したり、同じ作家の別の作品を読み出したりして、だんだんと本の世界にのめり込んで行く子どもが多いんだとか。映像という入口は子どもに受け入れられやすいという点でも、上手に教育として取り込んでいけば大きなメリットがあるようだ。
子どもの頃私の家には本があふれていた。門限もルールもたいしてない自由な家だったが、テレビの視聴時間に関しては厳しく制限されていた。だから子供の頃に流行ったアニメはほとんどみていないし、今でもたびたびあがる昭和の名作アニメの話題についていくことができない。これはこれで大事な何かを失っている気がするが、その分大事な何かも受け取っている。
それはまわりの誰よりも深く本の世界に入り込んでいたということ。きっとそこで活字の世界からビジュアルを想像する訓練を何度となくつんだことが今の仕事につながっているんじゃないかと思うのだ。
基本的にテレビをみせない子育てをしている私が子ども向けの番組や映像教材を作る…。ずっと子ども向けの映像を作りたいと強く願っていたのに、親になっただけでこんな迷いが生じるなんて。
しかしあの宮崎駿も同じようなジレンマを抱えていた。「子どもにはテレビの前に座ってないで外でのびのびと遊んでいて欲しいのに、自分が作ったアニメを家にこもって何度となく繰り返しみているという話を聞くと、私は何てことをしてしまったんだろうと深いジレンマに落ち込む」のだという。うーむ、駿すら答えがみつからないまま作り続けているなんて…。
お蔵入りしごとの行く末
身近なところで子ども向けの映像を作っている親仲間にどういう心持ちで仕事をしているのか聞いてみた。「実際自分の子どもにみせるみせないの選択は勝手にすればいいが、少なくとも自信を持ってみせられるものしか作っちゃいけない」。とても当たり前のことだけれど、明快な指針。とにかく良質なものを作り続けない限り、良心の呵責に苦しむのだ。
毎度実家に帰ると、孫のための絵本がずらりと並べられている
絵本が大好きなうちの娘も、最近は「うごく絵がみたい。うごくやつ!」と映像をみせるよう主張するようになってきた。困ったなと思う反面、仕事のやる気もあがる。やっぱり私も自分の子どもに堂々とみせられて、思いっきり熱中してくれる映像を作りたいのだ。
去年やった仕事でお蔵入りになったアニメーションがある。私が家で何度となく映像チェックをしていたため、娘もそれをみる機会があった。たった3分ほどのアニメだが、気持ちをこめて作ったもの。いまでも私がパソコンを開くたびに彼女は「あれみせて」という。映像とともにテーマソングを口ずさみ、ダンスを踊り、私の願ったとおりの所で爆笑し、見終わると必ず「もういっかい!」と言う。
こうして日の目をみずに心の奥にしまっておいたお蔵入りしごとにも私だけのハッピーエンドが訪れる。仕事人の私は心でガッツポーズをとりつつ、母親としての私は「もうおしまい」とPCを閉じるのだ。その途端ものすごいブーイングとともに、床にのけぞって怒る娘。やっぱりビリビリ光線出ているのだろうか…。
仕事の正解はわかっても、子育ての正解はどこにあるのかさっぱりわからない。