Eテレ「おはなしのくに」の仕事をやるようになってからNHKの局内に私専用のデスクが置かれた。
「か、か、か、会社に私専用のデスク???」
はじめて聞いたときは本気でたじろいでしまったほど、私にとって会社は縁遠い場所になってしまった。はるか昔会社員だったこともあるが、フリーランス生活の長い私にとってはそれだけでプレッシャーと緊張の日々だ。
新鮮すぎる日々のはじまり
何しろむこう三軒両隣知らない顔だらけなので転校生気分がつらいし、内線電話はしょっちゅう鳴るし(電話をとってもどうしていいかわからないが、とらないのも失礼だし、という迷宮にまよいこむ…)、上司にハンコをもらったり、部の定例会議に顔をだしたりもするのだ。演出の仕事と関係ない事が多すぎて、なおかつ社会常識を求められることも多々あり、もう限界ぎりぎりアップアップだ。とにかく新鮮すぎる日々がはじまってしまった。
NHKの番組制作は独自のシステムで、基本的に一番組につき担当ディレクターは一人と決まっている。何から何まで一人きりの作業で、アシスタントがつかないのだ。普段の仕事でいうと、演出家、脚本家、アシスタントディレクター、キャスティングを一人で全部やるということになる。
仕事の流れは、こんな感じだ。まず決められた物語を10分間の放送サイズになるように脚本化する。並行してキャスティングもあたらなければならない。役者の顔が思い浮かんだら、上司のOKをとり、資料を作って事務所を調べ、電話を入れて出演交渉。たいていは一発で決まる事などないので役者事務所を何カ所かあたる。決まったらスケジュールを調整し、リハーサルや本番のスタジオをとる。
上司の脚本チェックが通ったら、コンテやカット割り、美術や照明など基本的な演出を考え、局内の映像デザイナーと美術進行に美術を発注。カメラマン、照明、録音、音楽、効果音、衣装、メイク、イラストレーター、それぞれのスタッフと連絡をとり、打合せを組んで話し合う。当日のスケジュールを組み、香盤を作成。台本を制作し業者に発注、スタジオにスモークなどを焚く場合は消防署や局内にも火気申請を行う。役者やスタッフに当日のスケジュールを配布し、入り時間などを連絡…。
局内の大小さまざまなスタジオにセットを組めるのが醍醐味
これは撮影がはじまるまでのざっとした流れだが、この後に音楽制作のスタジオを取ったり、楽器を手配したり、オフライン、本編集、完パケ作品を局の各所に配布…と果てしないと思えるほどの作業が続く。そして仕上げ作業の途中には次回の脚本を作り始めないといけない。もう信じられないほどの作業量。バタッ…。
予算の範囲でやりくりするということも、はじめてきちんと学んだ。「かさじぞう」を作っていたとき、私はどうしても地蔵さまを六体造形したかった。予算からいうと、平面的な地蔵のイラストをパネルに貼付けることも選択肢として考えざるを得ない状態だったが、「かさじぞう」というタイトルの通り、主役でもあるのでそう軽くは扱えない。美術さんに熱意を伝え、どういう素材ならイメージ通りの造形を安く作れるのか具体的に話し合うことで道が開けた。
結果、予算を抑えた上で、想像以上にアジのある地蔵さまが出来上がった。「最高のものができたね~」と美術さんや造形スタッフとともに喜び合うような達成感は今まで味わったことのないものだった。こうして普段やらない業務をやることで、現場で作品を支えてくれる数多くの人たちと深くコミュニケーションがとれたことは、アシスタント時代がほとんどなかった私にとって貴重な体験だった。NHKは一人ディレクター体制だからこそ、こうして純度が濃く質の高い番組たちが作られているかと思うと納得感もあるし、制作者たちにはただただ頭が下がる思いだ。
会社員と母親の間で…
食堂からNHKホールをのぞむ。毎度食べた料理の記憶がまったく残らない味…
私は普段プロダクションに声をかけられて仕事をすることが多いため、CMにしろテレビにしろ最低一人のアシスタントはつくシステムで仕事をしてきた。しかしいざNHKの内部で仕事をはじめてみると会社員ディレクターとしてNHK社員同様に仕事をしなくてはならなくて、その実務作業の多さにめまいを起こす。当然、保育園の定時にお迎えに行くなんて不可能に近く、遅刻しつつも、なんとかお迎えをし、ご飯を作り、子どもを寝かして残りの作業にかかるという日々を過ごした。
たった半年間だが子育てをしながらこの生活を続け、楽しさを超えてやっぱり本当に疲れ果ててしまった。同じ部には幼い子どもを抱えたお母さんディレクターが私以外に二人もいて、片方は三人の男子のお母さん…。もうあっぱれとしか言いようがない。
お気楽なフリーランス生活に慣れきっていた私も「案外会社員生活もできるんだなぁ」という自分の新しい面に気づかされたけれど、あの日々に戻りたいかと聞かれると、遠い目をしてしまう。あんまり暇なのも困るけど、忙しすぎるのもやっぱり困る。こうして喫茶店でのんびり原稿を書ける日々に感謝しつつ、さて、お迎えの時間まで映画でも観ましょうかね~。