txt:ベン マツナガ 構成:編集部
新たな旅の始まり
2015年から2017年にかけて「simplife(シンプライフ)」というドキュメンタリー映画を制作した。アメリカで「タイニーハウス」と呼ばれる小さな移動式の家で暮らす人々を取材してまわったロードムービーだ。
「タイニーハウス」とは、移動可能な車輪付きの小さな家で、広さで言えば6~8畳ほど。上部に寝床となるロフトが付いているものが多い。アメリカでは、昔からトレーラーハウスと呼ばれる移動式の家はあるが、今、アメリカで「タイニーハウス」と呼ばれているものは、それよりもさらに小さなサイズで、自分でセルフビルドして作ることもできる。自分でデザインし、自分で作る。そんな楽しさも「タイニーハウス」の魅力の1つになっている。当然、家が小さければ持つもの少なくなり、大きな家に暮らすのが当たり前のアメリカでも、小さくてシンプルに暮らそうという人たちが増えてきている。
タイニーハウスに暮らす人の数は年々増え始め、今では「タイニーハウス・ムーブメント」と呼ばれる1つの社会現象となり、アメリカのReality-TVでも「Tiny House Nations」というテレビシリーズが制作されたり、Netflixなどでも、タイニーハウスを題材にした番組がいくつか制作されている。僕らが制作した「simplife」は、そうした「タイニーハウス・ムーブメント」を引き起こすきっかけとなったパイオニアたちやそこで暮らす人びとを取材してまわり、ムーブメントが生まれた背景やそこでの暮らしと人生の変化などを描いた作品だ。
「タイニーハウス」との出会い
僕が「simplife」を作るきっかけになったのは、日本でツリーハウスやタイニーハウスの制作を手掛けているツリーヘッズの竹内くんというビルダーと出会ったこと。竹内くんは、2014年に日本で最初のタイニーハウスを制作するワークショップを開催したが、その時にワークショップの記録映像を撮影してもらえないかと依頼を受けた。当時、「タイニーハウス」については詳しく知らなかったが、もともと小屋には興味があり、とても面白そうなプロジェクトだったので喜んで撮影を引き受けた。
ワークショップは、山中湖の近くのキャンプ場で開催され、参加メンバーが2週間に一度集まりながら、約3ヶ月で1棟のタイニーハウスを作るというもの。参加メンバーには、建築士もいれば、主婦の方やイラストレーター、学生など、個性的で面白い人ばかりで、毎回撮影がとても楽しかった。
そんな中、僕が惹きつけられたのは、ワークショップの講師として竹内くんがアメリカから呼び寄せたDee Williams(ディー・ウィリアムス)という女性だった。ディーさんは、アメリカの「タイニーハウス・ムーブメント」でもカリスマ的な存在で、笑顔が素敵でとてもチャーミングな女性。とても家を建てるような人には見えないけど、彼女自身大きな家を手放して、自らセルフビルドしたタイニーハウスでもう10年以上暮らしている。
タイニーハウスでの暮らしの素晴らしさについて綴った彼女の著書「The Big Tiny」は、アメリカでも大きな反響を呼び、彼女に憧れて小さな暮らしを選択する若者も多いという。もともとツリーハウスの作り手だった竹内くんが、タイニーハウスに興味を持ち始めたのも、このディーさんのTEDのトークを聞いたことがきっかけだった。
そんなディーさんが滞在中に僕たちに語ってくれたのは、小さくてシンプルな暮らしの心地よさ。大きな家を手放し、家を小さくしたことで、今まで以上に地域との結びつきが強くなり、街全体が彼女の家の庭のようになったこと。時間とお金を今まで以上に自分の大切なものに費やすことができるようになったことなど、それまでデザインや工法などタイニーハウスの建築的な側面だけを見ていた自分にとって、その時彼女が語ってくれた言葉はとても印象的だった。
TINY HOUSE WORKSHOP 2014の記録映像
タイニーハウスの映画をつくろう
タイニーハウスのワークショップは翌年も開催され、ディーさんが再び日本に来てくれた。2年目のワークショップも大盛況に終わり、「タイニーハウス」に興味を持つ人も日本で増えて来ていたが、その頃、竹内くんからある相談を受けた。
「アメリカで実際にタイニーハウスに暮らしている人を取材して映画を作りたい」というものだった。
聞けば、「タイニーハウス」を知っていたり興味を持ってくれている人は増えているけど、建築物としての興味だったり、単に安く暮らせる手段としての興味であって、僕らがディーさんから聞いたような、その先にあるタイニーハウスの暮らしの素晴らしさを実感できている人はまだまだ少なかった。また、僕らも実際にディーさん達の暮らしを見たわけではないし、僕自身、なぜ彼らが大きな家を手放してまでタイニーハウスに暮らし始めたのか、その理由にとても興味があった。
それはいいね!やろう!と話は決まり、取材先のリサーチなどをはじめたものの、僕らにはアメリカに取材に行くほどの先立つものがない。そこでクラウドファンディングで資金を集うことにした。早速、竹内くんが企画書をまとめ、僕は募集のための告知映像を制作した。海外への取材費や制作諸経費、プロジェクト用のWEB構築費など最低限のものを試算して、目標金額は150万円。ファンディングは、Motion Galleryさんにお願いした。
また、ファンディングで資金が集まるかもわからなかったが、その年の4月に、アメリカのポートランドでタイニーハウスの大きなカンファレンスが行われることがわかっていたので、それに合わせて撮影スケジュールを組み、取材対象へのアポ取りをはじめた。
「映画をつくろう」と話が出てからわずか2ヶ月後にファンディングを開始し、さらにその約1ヶ月後、目標額には到達しないまま、航空券だけを購入し、撮影担当の僕とプロデューサーの竹内くん、そして、映画にも登場する日本在中のガブリエルというアメリカ人、さらに「俺も行きたいっす!」と自腹でチケットを購入して参加してくれた普段はチェーンソーを振りかざして林業を営んでいるモヒカンヘアーの青年の4名でアメリカに渡った。
正直言えば、この時点では、取材を通じてどういう暮らしぶりが見れて、どういう話が聞けるのかも全くわからなかった。本当に1つの作品としてまとめることができるのか、そんな不安も少なからずあったが、参加するメンバーの様々な思いを乗せて、「simplife」の旅がいよいよスタートした。