取材・文:山本加奈 撮影:池ノ谷侑花(ゆかい)構成:編集部
商業長編映画デビュー作にして中島哲也監督映画でカメラを回すということ
映像作品におけるモノづくりの解像度を追いかけていく本シリーズ。第二回目に登場するのは中島哲也監督最新作「来る」から、撮影監督を務めた岡村良憲氏。監督・脚本を務める中島哲也監督は、CM演出の巨匠にして、2010年には「告白」で、興行収入38.5億円の大ヒットを記録し、その独自の映像センスで日本映画界に新風を巻き起こしたマエストロ。一方、岡村氏は商業長編映画デビューとなる。岡村氏のモノづくりの解像度を紐解くインタビュー。
岡村良憲(Ryoken Okamura):
1975年神奈川県生まれ。 1999年黒澤フィルムスタジオ入社、特殊機材部を経て2003年よりフリー撮影部、2013年独立。2016年スタージョン設立
特殊機材部から、ムービーカメラマンへ
脚本・監督:中島哲也 撮影監督:岡村良憲
あらすじ:オカルトライター・野崎のもとに相談者・田原が訪れる。最近彼の身の回りで、超常現象としか言い様のない怪異な出来事が連続し、妻・香奈と幼い一人娘・知紗に危害が及ぶことを恐れていると言う。野崎は、霊媒師の血をひくキャバ嬢・真琴とともに調査を始めるのだが、田原家に憑いている「あれ」は、想像をはるかに超えて強力なものだった。あれのエスカレートする霊的攻撃に死傷者が続出。真琴の姉で日本最強の霊媒師・琴子の呼びかけで、日本中の霊媒師が集結。かつてない規模での「祓いの儀式」が始まろうとしていた。彼らは、あれを止めることができるのか!?© 2018「来る」製作委員会
――黒澤フィルムスタジオにいらっしゃったそうですね。やはり映画志望だったのですか?
実は、映画をやりたくてこの業界にはいったわけじゃないんです。それどころか元々カメラに興味があったわけでもないのです。僕は小さいときからずっと絵を描いていて、将来は絵の仕事をしたいなと考えていました。
それが、高校生の時にバンドをやったら上手くいって、プロとしてやっていくことを目指しました。まぁ、世の中そんなに甘くない。「バンドじゃ飯食えないぞ」と気がついたのですが、同時に受託で絵を描くことがとても苦痛に感じていました。「絵も音楽も仕事に出来ない」と悟るわけです。それで、旅をするんです(笑)。
22歳の時にインドのゴアでスチールカメラマンに出会うんですけど彼が写真を撮るのをみていると、パシャって1/500秒で一枚撮っている。僕は絵を描くのに何日間もかかるじゃないですか。「ずるい!1/500秒で絵を描いていた!」って。漠然と日本に帰ったらそういう仕事をしたいなって思いました。
帰国後、バイトを探していたら、「黒澤フィルムスタジオ社員募集」の広告が出ていました。まだみんなフィルムを現像しに写真屋にいく時代でしたから、てっきり街の写真屋さんだと思ったんですね。そういう小さなお店が社員を募集していると思いこんで、髪を切って真面目な格好をして面接にいったんです。求人に書かれた住所にいくと、街の写真屋さんなんてなくて、代わりにドーンとでっかい建物がある。ウィーンって自動ドアを入ったら、ポスターが貼ってあるんですよ、「七人の侍」の。
「映画???黒澤って明か!間違えた!」と動揺しながら面接で正直に「間違えました」と言うと「いいね、君。明日から来てよ」ということで、本当に次の日から働き始めたんです(笑)。そこで特機部を希望して僕のムービー人生が始まりました。
――特機部からムービーカメラマンに転身されたのは?
特機部で、瀧本幹也氏やKIYO氏らのキーグリップをやらせてもらっていたのですが、切るアングルや撮った画がすごいんですよ。そんなのを目の当たりにしていたら自分でもやりたくてしょうがなくなっちゃって。あと撮影業界の年上の先輩らがまたこれかっこいい。元々バンドでロックスターに憧れたけど、カメラマンってまさにロックスターじゃんって。
特機部として自分を指名してくれる仕事も増えてきたんですが「俺、いいカメラマンになれるんじゃないか」って漠然と思い始めちゃったんです。というのもインドで感じた、絵とカメラの共通感覚があったので。絵画で描いているのは光と影で、カメラでも同じことをしている。
そう思ったら最後、知り合いの撮影助手さんらに頭を下げて、見習いの助手につかせてもらったのが28歳のころでした。撮影助手としてはすごく遅いスタートです。教えてくれる先輩は20歳そこらの年齢ですからね。
――2003年頃ですね。まだフィルム撮影も多かったのですか?
当時、広告の撮影はほぼフィルムでした。僕がカメラマンとして独立するまで九割以上フィルム撮影でしたから。助手になってから気がついたのは、僕にはカメラの基礎知識がぜんぜん無いということ。フィルムの感度、シャッタースピード、絞りとか、基本中の基本さえもろくに分かってない。人生ではじめて死ぬほど勉強しました。
遅れを取り戻すためにも、僕の知っている中で一番厳しいと思われる師匠につこうと、辺見法久氏のチームに頭を下げて入れてもらいました。助手の基本が出来ないとすぐにクビになる厳しい場所でした。そこで真剣にがんばりました。その後、白鳥真太郎氏や、草間和夫氏の下で撮影チーフをやらせてもらって、晴れて独立したのが36歳の時でした。
――その分いろんな監督やカメラマンの現場をみてきていらっしゃる。その中でご自身の強みをどう捉えていますか?
助手時代の経験はもちろん、人生で今までやってきたことが映像って全部出ると思っています。MVを撮るにしてもバンド経験がすごく役に立っているし、旅の経験は言うまでもありません。絵を描いていた事に関して言えば、初めて反射計で露出を図った時、同じ光があたっているのに、色によって光の反射率って違うんですけど、その反射計を除きながら、「うわ、これ知っている!」と。昔、鉛筆画で全く同じ行為を頭の中でしていたからなんです。そういう事が自分の強みになっていると思います。
――では、映画やコマーシャルというメディアへのこだわりはあまりなかったのですか?
漠然といつか長編映画をやりたいな~くらいの気持ちはありました。きっと最初は小規模な映画を撮って、少しづつ大きな映画にいけるといいな、なんて思ったところにマネージャーから「映画の話がきました」と電話が。「中島哲也監督の映画です」「嘘でしょ!?」ですよね。長編映画の経験ないのに。
映画マニアではなくても、中島哲也監督はのことは知っている。CMで一度仕事したこともあるから、どれだけ厳しくてすごい監督だって言うのも知っている。「2時間ものを中島さんと…。俺が??」って。
受けるにはすごく覚悟がいるというか。映画の現場は、過去に一度フィルムローダーとして園子温氏の「奇妙なサーカス」(2005年)に参加したことはありましたが、ずいぶん昔の話ですし。
基本1カメ。こだわり抜いたカットの連続
――最終的には覚悟を決めて映画作りに参加されるわけですが、現場でのお話を聞かせて下さい
毎日、真剣勝負でクラインクインして最初の頃は、中島さんのビジョンを切り取るということがなかなか出来てなかったと思います。自分で考えたアングルを切ると中島さんが「違う。全然面白くない。なんだこのつまらないアングルは!?」と返ってくる。
ちなみに二ヶ月で6キロ痩せました。後半二ヶ月で戻りましたけど(笑)。でも、カメラマンが情けなくなると現場が崩れちゃうから、自分との戦いというか。もがいているうちに、段々と中島さんの求めているものがわかってきて、そこに対して自分が何をするかが見えてきた。
過去中島組を経験しているスタッフにも本当に助けられました。何よりも、全員が一致団結して中島映画の世界を作り上げようとしている、美しい現場だと思いました。
――中島映画を実現するために、機材チョイスにおける取り組みを教えて下さい
カメラはRED社のWeapon Dragonをチョイスしました。今回大活躍した機材があって。そもそも、映画は予算的にコマーシャルほど潤沢でない時もあるので、撮影現場にカラーグレーディングの環境を設けることが難しかったり、ロケ地も多岐にわたるので、全ての撮影時にVEベースを組めない、そうなると監督とのやり取りがスムースにいかないことも予想されました。
DITの木村さんからの提案で、iOSアプリのFoolcotrolをiPadにいれて現場での簡易カラーグレーディングをしてはどうかとありました。
最初はカメラに入っているLATを当てて撮ろうかと考えたのですが、それだけだと監督に納得してもらえない。なのでそれはいい!と。毎シーンの色をその場でiPad上で作って、イメージを監督と確認、共有していました。
ワークフローとしても有効で、そこで作った色のメタ情報はプリセットとして保存していけます。スケジュール的に、同じシーンを飛び飛びで撮影ですることも多く、シーンごとの色情報を記録も出来るし呼び出すこともできて、本当に便利でした。
撮影後は、それをRED社のREDCINE-Xを使って、同社のグレーディングソフトDaVinci Resolveへ渡して、そのプロジェクトデータをポスプロとやり取りするというワークフローを構築しました。ポスプロではプロジェクトデータを開いたらすぐに作業に取り掛かれます。
――そういったワークフローを鑑みてのRED Weapon Dragonを選択したのですか?
一番は自分が使い慣れていたというのがありますね。ARRIのALEXAもそういう意味では使い慣れたカメラですが、REDはファインダー上でシャッタースピードを変えたり、パパっと直感的に操作しやすいんです。サクサク現場を進めるためには大切なことだと考えました。
もう一つの大きな理由はハイスピード。「ここはHSの5倍で行きたい」って突然言われてもポンと対応できる。中島さんから何を言われても対応できるようにしておくのがポイントでした。
5Kや6Kにも変換するのも簡単でレンズで足りなかった時に6Kで広めの画を撮影したり、ちょっとしたことが、あっと思った時に出来るのが武器になるんだろうなって考えました。それに加えて、FoolControlも対応している。これだなって。
——カメラは何台体制だったのですか?
監督によって本当に作り方が違うと思うのですが、通常だと、カメラを2、3台いれて一回で寄りと引きで撮影することも多いと思います。
ですが中島さんに限ってはそれは絶対にないのです。1カメで、そのカメラの構えたアングルに対して一番いいライティングをし、その寄りでは寄りのライティングをする。美術セットを変えてもいいから、一番いい構図を作る。
切り返しになると、切り返しに一番いいライティング、美術をまたつくる。1カット後にすごくこだわって作っていくんです。
さすがに、「祓いの儀式」では役者だけでなく、本物の神職さんにも沢山出ていただいているし、火も焚いていたりで、2カメで効率よくおさえていこうとなりました。近藤哲也カメラマンに入ってもらって、寄りと引きで撮るのですが、監督的に、引きのアングルに対しては光はいいいけど、寄りはダメだって話になるんですね。
結局セッティングしているけど、先回りでアングルを切っているだけで1カメずつ回しているんです。1.5倍位は効率化されたかもしれないですね(笑)。例外で言うと、カーアクションのシーンは、流石に3カメで撮りました。
――主に使ったレンズは?
Leitz Cine(Leica)のズミルックスがメインです。使い慣れた好きなレンズです。「来る」で、中島さんから言われていてたのが「スタティック」に撮るということ。Leicaのレンズはボケ足もすごく好きだし、ディストーションも少なくて、スタティックな演出意図に合うと思いました。
普段良く使っているのはZEISSのZEISS SUPER SPEED(ファースト)という少し古いレンズ。ハレーションの出方が好きでふわっとした画がほしい時に使っています。ただ、地方ロケが多い今回のような現場では、故障の可能性を考えるとちょっと気が引けたのと、CG合成も多かったので、新しいキレのあるレンズを選びました。
――岡村さんのお気に入りのシーンを教えて下さい。
たくさんありますが…小松菜奈扮する、真琴の登場シーンのトーンがすごく気に入っています。
真琴の部屋ですが、あそこはそれまでとはまた違ったトーンを現場で作っています。小松さんが衣装合わせの時に撮った写真を見て、監督が「この肌の色がいい」と言っていたので、だったらと、少し色と彩度が抜けていて、肌が美しく見えて、光がきれいにはいってくるイメージを現場で作り、監督に提案しました。各シーンそうですが、現実にはない少し誇張された光の入り方が中島映画なのかなってって考えながら画を作っていったのを思い出します。
もうひとつは、神職の4人が、いざ、「祓いの儀式」に向かう朝、カプセルホテルで着替えるシーン。カプセルホテルでのロケなのですが、引き画のパースペクティブな感じがバチッとハマっていてすごくかっこいい画になったと思います。ロケハンに行った時にイメージしていた通りの光で撮影できました。
この映画では、マンションの建物線や血の線をピシッと捉えて、冷たくてスタティックな感じを見せていく狙いがありました。マンションの外観もレンズの歪みを編集で矯正しています。
――具体的にはどのような方法をとられたのですか?
レンズには、樽型や糸巻き型に歪んだり個性があるので、それぞれのディストーションチャートを作成して、編集に「このカットは(レンズ)◯mmで撮影して、ディストーションチャートはこれです」と伝え、きれいなラインを作っています。
こわいけど、面白いから、観てください。祓いの儀式
最終的に撮影期間は約4ヶ月におよんだ
――クライマックスの「お祓いの儀式」。普通、ホラー映画で味わうことのないテンションの上がり方を感じました。
お祓いフェスティバルです。音楽フェスのような感じ。いろんなお経や太鼓の音が入り混じり、音楽のうねりとなってどんどん世界がおかしくなっていく。見ている方は「なんだこれ」となるトリップ映像という狙い。不思議な色のライトを沢山たいています。
前半はとにかくスタティック、そして最後の「祓いの儀式」は完全なるエンターテイメント。僕は本来ガリガリとした画が好きで、ダイナミックなカメラワークが好きなんですね。
あそこに自分らしさが出たなと思います。とは言え、撮影は各部署めちゃくちゃ大変でした。屋外のお祓いのシーンは実際に住んでいる方がいるマンションの前でやっているので撮影できる時間帯も限られます。話の時間軸が昼から夜にかけて進んでいきます。
夜のロケシーンは暗くなってからじゃないと出来ない。それぞれの時間帯で撮るべきものは大量にある。撮影日数がどんどんずれ込んでいく。
しかも飛び飛びに撮影していて、部屋のシーンはセットなので、ずいぶん前に撮り終わっている。外ではお祓いの儀式が行われている設定なので、その光や色の影響を考慮して、セットの部屋の中を色付けしていく。
だんだんと日が沈んで暗くなり、あるタイミングで外の松明がブワッと消える、同時に部屋の中のろうそくが消える。そうしたら青い世界になる。それまでは赤い火が灯っているんですね。そういう時間軸と、「あれ」がやってくる、カラーライティングの世界、どんどんおかしな世界になっていく演出意図。もうパズルでした。
――カラーライティングでの演出意図とは?
演出的には、このクライマックスはカラーライティングとCGでいろんな色がウヨウヨしていてかなりサイケデリックになるんだろうと想像しながら撮影していました。特にCGがすごいことになる。まだ観ぬクライマックスを思いながら、そこまでのシーンごとに特徴的な色はつけていくけれども、カラフルにならないよう意識的にしました。
例えば秀樹の夜のシーンはブルー、香奈のベッドシーンではマゼンダにしてという風に。最後はそうやって散りばめてきた色がぐちゃぐちゃに混ざって、観ている人をトリップさせていく。そんな思惑がありました。
――屋外ではすごいボリュームの登場人物です。登場するのも役者だけじゃないとのことですが。
© 2018「来る」製作委員会
すごく大切なシーンです。撮影技術とは外れますが、宗教専門助監督が任命され、クランクインするまで、彼は日本全国を飛び回って仏教、神道はもちろんいろんな宗教を取材しています。各宗派ですごく厳密な作法があり、映画の中で絶対に間違いがあってはならない。
役者には所作、唱えるお経、衣装をはじめ、すごく細かいところまで徹底的にリアルに指導しています。すごく難しい作業だったと思います。彼は、ほとんど神職の人のようになっていましたね(笑)。
現場で、中島さんから演出的に仏教はこういう風にしてほしい、とあっても、その助監督が「いや、それはありえないですね」とバッサリ。「お前はどっちの見方なんだ」ってね(笑)。それをやってしまうと嘘になるからと。宗教専門助監督としての任務を貫いていました。
――他に撮影機材で多用したものはありますか?
エアロシューター(小型クレーン)です。アームの先にスライドレールがついていてカメラが前後に移動できるようになっているジブをどんな場所にも持っていっていました。
それによってアングル決めることが早くできます。三脚だったら、助手とよいしょっと移動して、あ、あと10cmくらいあがろうか、ってなるとネジ緩めてせーの!で持ち上げ調整しなくてはいけない。そう言う作業の時間すらももったいなかったので、エアロシューターで臨機応変にアングルを自由に探って、そのままワンマンで動きをつけたオペレーションに入る。
自分の負担は大きくなったと思いますが時間短縮には役立ちました。
もう一つ常に現場にあったのがDJIのRonin2。今回ワンカットもステディカムを使っていません。長期撮影中ずっとステディカムオペレーターを待機させておくことは非現実的。だけれども、その日その日で中島さんの要望に答えるために、いつでも、ステディカムのような動きができるよう準備する必要もありました。Ronin2なら自分でオペレートできますからね。かなり活躍しましたよ。防振装置なので、人物を追いかけながら自由にカメラを動かすときはこの装備を使っていました。
――映画をやってみていかがでしたか?
映画特有の、俳優部のみなさんの素晴らしい演技を目の当たりに出来たのは貴重な経験でした。撮影しながら「あ、英樹はそういう役だったんだ」とか。僕が切ったアングルの中で役がどんどん構築されていく。これぞ映画の面白みだと感じました。
あまり大きな声では言いたくないですが、これまでだと自分があえてチョイスしなかった手法を手に入れたと思います。やっぱり中島さんのような監督と仕事が出来るというのは、カメラマン冥利につきますよね。
撮影して感じたのは、結局みんな中島監督のこと、そして監督の世界がすごく好きだということでした。スタッフが一致団結して中島さんのビジョンに向かい、さらに各部それぞれのビジョンを乗せて進んでいく。モノづくりの醍醐味であり、美しい事だと。この映画に限らずですが、映画には病みつきになる何かがありますね。まだ1本目ですけど(笑)。