東京ドームのグラウンドでXR体験を行う参加者。グラス越しには、ボリュメトリックビデオで記録された選手が実寸大で現れる
東京ドームのグラウンドに立つ。これだけでも普段はなかなかできない体験だ。足元には見慣れた人工芝が広がり、周囲にはPCやXR機器、それらをつなぐケーブル、位置合わせ用のマーカーが並んでいる。何も知らずに見れば試合前の無人のグラウンドだが、ここが今回のXR体験の舞台になる。
グラスを装着すると、その風景が一変する。誰もいなかったグラウンドに、ボリュメトリックビデオで記録されたプロ野球選手が実寸大で現れ、過去のプレーが目の前で始まる。
東京ドームのグラウンドで名場面を追体験する「東京ドームXRツアー」
今回取材したのは、XR技術を活用した新たなスポーツ観戦体験「東京ドームXRツアー」の有償実証実験だ。キヤノン株式会社、株式会社読売新聞東京本社、日本テレビ放送網株式会社の3社が、XR技術を活用した新たなスポーツ観戦体験の創出を目的に、株式会社東京ドームおよび株式会社JTBの協力のもと実施している。開催期間は2026年9月8日~10日の3日間。
東京ドームには、137台のカメラで同時に撮影した映像から空間全体を3Dデータ化するキヤノンのボリュメトリックビデオシステムが設置されている。「東京ドームXRツアー」では、このシステムで記録した読売ジャイアンツの試合の名場面と、キヤノンのMRシステム「MREAL」などを組み合わせ、過去のプレーが実際に行われた東京ドームのグラウンド上で追体験できる。
今回の有償実証実験は、前年に東京ドームツアー参加者を対象として実施した無償PoCを踏まえた取り組みでもある。今回はXR体験を目的とした専用コースと、東京ドームツアー参加者向けのオプション体験コースを設定した。
体験は3つのMRと1つのVRで構成され、それぞれのコーナーには2台のグラスが用意されていた。1コンテンツはおよそ2~3分で、全体では約20分。MRではホーム付近、一塁側、三塁側などに体験ポイントが設けられ、それぞれ異なる視点から過去の試合を見ることができた。
誰もいないグラウンドに、実寸大の選手が現れる
MRでは、現実の東京ドームそのものが背景になる。グラス越しに見えているのは、いま自分が立っている東京ドームのグラウンドだ。ところが再生が始まると、何もいなかった人工芝の上に選手が実寸大で現れ、プロ野球のプレーが始まる。コンピューター上に作られた球場ではなく、現実の東京ドームに過去の試合を記録したボリュメトリックビデオだけが重なるため、映像を見るというより「そこに選手がいる」という感覚に近い。
グラスを外せば目の前にあるのは誰もいない人工芝だが、再び装着すると同じ位置で選手がプレーしている。この現実と過去の試合が切り替わる感覚が、MRならではの体験だった。
テレビ中継のように、あらかじめ決められた画角を見るわけではない。収録済みの3D空間内であれば、体験者自身が位置を変えることで、同じプレーを異なる角度から見ることができる。今回のシステムはPCを用いた有線構成のため体験範囲を限定していたが、ケーブルは最大20mで、20m四方程度をカバーできるという。将来的に無線化できれば、さらに自由度の高い体験も考えられる。
たとえば投手を正面から見る、横へ回り込む、少し離れて守備全体を見るといったことが可能になる。テレビ中継ではスイッチャーやディレクターが選んだ映像を見るが、ここでは視聴者自身が見る位置を決められる。
さらに、選手をミニチュアサイズで表示し、フィールド全体を俯瞰する体験も用意されていた。選手一人ひとりが小さくなり、まるで立体的な野球盤を上から眺めているように見える。
この視点では、投手と打者だけではなく、各ポジションの選手がどこにいて、プレーに合わせてどう動いているのかを一度に確認できる。外野手の動き、内野手のカバー、走者がスタートするタイミングなど、通常の中継映像では一画面に収まりにくい動きを、一つの空間の中で追うことができる。守備シフトや連係も含め、野球という競技を「空間」で見る感覚だった。
実寸大で選手の近くに立つ体験と、フィールド全体をミニチュアのように俯瞰する体験が、同じ3Dデータから成立する点もボリュメトリックビデオならではだ。
ガリバー目線で観戦する野球盤風表示の縮尺は約1/60
137台のカメラで「映像」ではなく「空間」を残す
この体験を支えているのが、東京ドームに設置された137台のカメラだ。スタッフによると、従来は101台で運用していたが、2025年には125台へ増設して撮影範囲を外野まで拡大。現在は137台まで増え、画質面も改善しているという。
通常のテレビ映像であれば、収録された複数のカメラ映像から最終的な画面を選び、それを視聴者へ届ける。しかしボリュメトリックビデオでは、撮影した空間を3Dデータとして保持する。今回の説明では「色の付いた点のデータ」と表現されていた。そのため、撮影時に実カメラが存在しなかった位置からの視点を収録後に生成できる。
映像取材をしていると、「このプレーを反対側から撮っていたらどう見えただろう」と思うことがある。この仕組みでは、空間を3Dデータとして記録することで、最終的にどこから見るかを後から決められる。映像を撮るというより、その瞬間の空間を保存する発想に近い。
映像制作の視点で考えると、ここは重要なポイントだ。従来のスポーツ中継では、どこにカメラを置き、どのレンズを使い、どのタイミングでどのカメラを選ぶかが映像を決める。もちろんボリュメトリックビデオでも収録のためのカメラ配置は必要だが、3D空間として記録しておけば、撮影時には存在しなかった仮想的なカメラポジションを後から設定できる。
審判に近い位置、選手の横、ベース付近、フィールドを上から見下ろす位置など、通常ならカメラを設置できない場所からの画も生成できる。これは単に視聴者が自由に動けるというだけでなく、映像制作者にとっても「撮影した画を選ぶ」ワークフローから、「収録した空間の中で画を作る」ワークフローへの変化と見ることができる。
中継映像だけではなく、試合後のハイライト、解説、選手の動きの分析、アーカイブなど、同じ3Dデータから用途に合わせて異なる視点を作れる可能性がある。ボリュメトリックビデオは、カメラ位置に固定された従来の映像とは異なる素材の持ち方を提示している。
ライデル・マルティネス投手や田中瑛斗投手の球を捕手付近から見る
今回、個人的に一番試してみたかったのがVRのコーナーで、投手の球を打者や捕手に近い位置から見る体験だった。田中将大投手の日米通算200勝達成時のリリーフ投手陣の投球シーンが再現され、ライデル・マルティネス投手や田中瑛斗投手らの投球を見ることができた。
グラスを装着してマウンド方向を見ると、マウンド上に実寸大のライデル・マルティネス投手が現れる。投球が始まると、こちらへ向かってボールが飛び込んでくる。横からプレーを眺めるのとは印象がまるで違った。
プロの投手が自分に向かって投げてくる。その距離感とスピード感を実寸大で体感できる。スタッフによると、ボール自体は条件によって見えにくい場合があるため、体験コンテンツでは球の軌道を視覚的に補助することもできるという。
実際に見てみると、「もう少し捕手の位置にぴったり合わせて見たかった」と思った。最初は立ち位置が少しずれて、バッターボックス寄りから見る形になったからだ。
見る位置を変えれば、打者目線にも捕手目線にもなる。投手の横や守備位置から見ることもできる。つまり「正しい視点」が一つだけあるわけではない。盗塁なら二塁ベース付近、ホームランなら外野から打球を見るといった楽しみ方も考えられる。
今回用意されたコンテンツには、田中将大投手の日米通算200勝達成時のシーンを中心に、竹丸和幸投手の初勝利、坂本勇人選手のファインプレー、丸佳浩選手の逆転満塁本塁打などが含まれていた。
MRでは現実の東京ドームに過去の選手が重なるのに対し、VRでは東京ドームそのものを含めたバーチャル空間へ入る感覚になる。現実空間を残したまま過去を重ねるMRと、自分の周囲を含めて過去の試合空間へ切り替えるVR。この違いも、複数のXR体験を用意している意味のひとつだろう。
「自分で見る場所を選ぶ」スポーツ観戦へ
この技術は、単に「東京ドームで過去の名場面を見る」という用途だけにとどまらない。スタッフによれば、技術的には別の球場で行われた試合を東京ドームで見ることや、ライブで収録した空間を利用した体験も考えられるという。
たとえば将来、自宅で試合を見る際、テレビでは通常の中継を見ながら、その横のタブレットでフィールド全体の3D空間を俯瞰し、気になるプレーがあれば自分で視点を動かす。XRグラスを使えば、捕手の後ろや一塁ベース付近など、自分の好きな場所から試合を見るといった形も考えられる。
「テレビ局が選んだ画面を見る」だけだったスポーツ中継から、「自分で見る場所を選ぶ」スポーツ観戦へ変わる可能性がある。個人的には、ここが今回の体験で最も気になった部分だ。
さらに長期的に考えると、スポーツ映像のアーカイブとしての可能性もある。10年後、20年後に歴史的な試合をXRで再生し、その日の東京ドームへ入り直す。一塁側へ行き、マウンドへ近づき、外野へ回り、自分の好きな位置からその試合を見る。映像を再生するというより、「その日の空間をもう一度開く」に近い体験になるかもしれない。
今回、体験したコンテンツを記念としてプリントして持ち帰る仕組みも用意されていた。空間として記録したプレーから、体験後の思い出を別の形で残していく使い方も見えてくる。
もちろん現段階では、ワークステーションの処理能力やデータ量、同時体験人数、機器との接続など、実運用に向けた課題もある。今回もPCとの有線接続を前提とし、体験できる位置や人数を絞って運用していた。取材時、スタッフは100人、200人が同じシーンを同時に体験する段階にはまだ達していないと説明していた。
技術として成立することと、一般客が料金を支払って楽しめる体験として成立することは別である。今回の取り組みは、前年の無償PoCから一歩進み、東京ドームという実際の観光・スポーツ施設で有償サービスとして提供し、体験時間、機器の運用、参加人数、コンテンツの内容などを検証するものだ。技術デモから有償サービスへ踏み込んだ点も、今回の重要なポイントである。
東京ドームという「場所」そのものがコンテンツになる
実際に東京ドームのグラウンドで体験してみると、この場所そのものがコンテンツの一部になっていることにも気づく。人工芝、マウンド、ベンチ、観客席。普段なら選手や試合を見るための背景である東京ドームが、XRでは体験そのものを成立させる舞台になる。
今回のツアーを体験している途中、「これ、毎日やってほしいですよね」と思わず口にした。門脇誠選手の守備だけを集めたシリーズや、浦田俊輔選手の盗塁だけを集めたシリーズでも、十分にコンテンツになりそうだ。現状はまだ実証実験の段階だが、東京ドームツアーでベンチやグラウンドを見学し、その場所で過去の名場面を実寸大で再体験する。さらに将来、ライブの試合まで好きな位置から見られるようになれば、体験の幅はさらに広がる。
そこまで発展すれば、東京ドームを「見学するツアー」から、東京ドームで起きた出来事をもう一度体験するツアーへ変えていける。グラウンドには誰もいない。それなのにグラスの中では、選手たちが目の前でプレーしている。グラスを外せば現在の東京ドーム。装着すれば過去の試合が目の前に現れる。この現実と過去の試合が同じ場所で重なる感覚こそ、「東京ドームXRツアー」で最も印象に残った体験だった。