「撮る」だけではなく、空間をデータ化し、決定的瞬間そのものを再構成

ソニーは、2026年9月11日から13日にかけてハンガリー・ブダペストで開催された「WAアルティメット選手権大会」において、ワールドアスレティックス(WA)のオフィシャルグローバルパートナーとして、スポーツ映像の新しい表現に挑戦した。

今回、特に注目したいのが、陸上競技の決定的瞬間を3DCGで再構成する取り組みだ。トラックを囲む26台のカメラから選手の動きをリアルタイムに解析し、3次元空間上の位置やフォームをデータ化。公式のタイミングデータと組み合わせることで、ゴール直後から約30秒で新たな映像コンテンツを生成し、放送へ送り出す。その狙いは単なる「リプレイ」ではない。

「0.01秒」という数字では伝わりにくい勝負の差を、空間として見せることで、陸上競技を知らない人にも「何がすごかったのか」を直感的に伝えることだ。今回、PRONEWSでは、この技術開発を担当したソニーの服部氏と、ソニーでミラーレス一眼カメラの事業を担当する町谷氏に話を聞いた。

「0.01秒の差」を、距離として見せる

今回の取り組みの背景には、約1年半前から始まったワールドアスレティックスとソニーの議論がある。東京で世界陸上が開催されることをきっかけに、「何か新しいことにチャレンジできないか」というところから検討がスタート。さまざまなアイデアを議論する中で着目したのが、陸上競技における「ゴール」だった。

服部氏は、もともと映像をAIで解析する技術を専門としている。ソニー入社後は監視カメラや放送向けの映像解析に携わり、ここ10年ほどはスポーツに特化して、選手やボールの動きなどを解析してきた。 ソニーのグループ会社であるHawk-Eye Innovations(ホークアイ)とも普段から連携して技術開発を行っているという。。

なぜゴールを3DCGで再構成するのか。その理由は、陸上競技の魅力を「数字」ではなく「体験」として伝えるためだ。

陸上では0.1秒、0.01秒というわずかな差が勝敗を分ける。しかし、競技に馴染みのない人にとって、その差がどれほど大きな意味を持つのかは分かりにくい。そこで、時間ではわずかな差に見えるものを、距離として可視化する。

ソニー株式会社スポーツエンタテインメント事業部 コーポレートプランニング部 統括部長 服部 博憲氏

時間で見るとわずかな差でも、距離で見るとこんなに差があるんだ、と視覚的に見せることができれば、陸上に興味がなかった人にも面白さを伝えられるのではないか?

服部氏はそう説明する。つまり、今回の技術は「ゴールをもう一度見せる」ためのものではない。ゴールという瞬間を、別の視点から再構成することで、その瞬間が持つ意味そのものを伝える。ここに今回の取り組みの大きな特徴がある。

26台のカメラで「空間」をデータ化する

スタジアムに設置したPTZオートフレーミングカメラ『BRC-AM7』:ソニー株式会社提供

では、実際にはどのように選手の動きを捉えているのか。今回、トラックを取り囲むように26台のカメラを設置。そのうち100mのゴール付近では8台のカメラを使用している。複数のカメラから得られた映像を組み合わせることで、選手が3次元空間のどこにいるのか、ゴールまでどれだけの距離があるのか、どのようなフォームで走っているのかといった情報をデータ化する。

そして、それを全フレームについてリアルタイムに計算する。カメラから光ファイバーで解析システムへ映像を送り、選手の動きがデータになるまでの時間は1秒未満。 そこに公式のタイミングデータを紐付け、最終的なグラフィックスを生成する。ゴールした瞬間から、およそ30秒程度で映像コンテンツとして中継側へ送るところまでを実現しているという。 ここで重要なのは、単純に選手を追跡しているだけではないことだ。服部氏は今回の仕組みについて以下の様に説明する。

実際の空間そのものをデータ化して、その空間の中にグラフィックスを置いている。

これは従来のスポーツ中継におけるCG表示とは少し違うアプローチだ。 選手の順位や位置を画面上に表示するのではなく、実際に存在した3次元空間そのものをデータ化し、その中に新しい映像表現を構築する。「未来のスポーツ中継」に向けた一つの方向性が、ここに見えてくる。

技術以上に難しかった「どう見せるか」

今回、技術的に難しかったポイントは大きく3つあったという。一つ目は、選手の動きをいかに正確に捉えるか。26台のカメラのうち、どの8台を使用するのか。どこに設置するのか。実験室で高い精度が出ても、実際の競技会場で同じ精度を維持できるのか。

スポーツの現場では、照明や環境などさまざまな条件が変化する。エンターテインメント用途とはいえ、「だいたい合っていればいい」では成立しない。

二つ目はリアルタイム性だ。翌日に完成する映像では意味がない。競技結果が出た直後に生成され、そのまま放送へ差し込める必要がある。そのため、解析システムだけでなく、放送局側との連携やタイミングまで含めたワークフロー全体を成立させる必要があった。

そして三つ目が、服部氏が「一番大きなポイント」と語る「その瞬間をどう見せるか」だった。実際のコンテンツでは、通常のカメラでは置くことのできないようなゴール正面から選手を捉え、バーチャルな壁を誰が最初に越えたのかを表現。

そこからカメラアングルを斜め上へ移動させ、最後は真上から見る。時間だけでは分からなかった僅差を、空間的な距離として直感的に理解できるようにするためだ。この演出はソニーだけで決めたものではない。 ワールドアスレティックス、放送事業者のHBSなどと議論を重ね、「この瞬間はどう見せるべきか」「予選と決勝ではどう変えるべきか」といった部分まで細かく検討したという。

大会直前まで議論が続いたというのも、今回の取り組みの特徴だろう。服部氏は、今回のプロジェクトを振り返り、プロジェクトメンバーから「ジョイントベンチャーのようなものだった」と言われたことを明かす。

ソニーチームが制作した映像は、Host Broadcast Services(HBS)の中継車に送られ、生中継中の放送に差し込まれる。 :ソニー株式会社提供

競技団体、放送事業者、テクノロジー企業。それぞれ異なる立場から意見を出し合い、一つの映像体験を作り上げた。

まずはスプリントから。次はフィールド、そして他競技へ

今回対応しているのは、100m、200m、400m、4×100mリレー、100mハードル、110mハードル、400mハードルなどのスプリント系レーン競技だ。 800mや1500mなどはゴールがある程度ばらけるため、今回は「決定的瞬間を捉える」という目的から、短距離のレースにフォーカスした。

しかし、服部氏は今回を一つの完成形とは考えていない。 今後は陸上のフィールド種目などへの展開を検討し、さらに陸上で培った技術を他のスポーツへ展開していくことも視野に入れている。球技など、すでにソニーのαシリーズが使用されている競技も多い。 選手やボールの動きを捉える技術との親和性も高く、今回のような「空間をデータ化し、新しい視点から見せる」表現が、ほかのスポーツにも広がる可能性は大きい。

現場では「撮りたい」を支える

今回のソニーの取り組みは、放送側の映像技術だけではない。大会会場には、プロフェッショナルのフォトグラファーを支援するカメラサービスも展開されていた。

町谷氏によれば、現場に寄せられる相談の根底にあるのは、フォトグラファーの「こういう撮影がしたい」「こういう表現をしたい」というクリエイティビティだという。 国際大会では、撮影場所に入ってから限られた時間でセットアップしなければならないケースも多い。そこで、「今持っている機材では思ったように撮れない」「もっとこういう絵にしたい」といった相談が寄せられる。

ソニー株式会社 イメージングエンタテインメント事業部 カメラ事業部門 カメラビジネス部 統括部長 町谷 康文 氏

ソニーは、それに対して単純に機材を貸し出すだけではない。「こういう撮り方をしてみてはどうか」「この操作をすると実現できるのではないか」といった撮影方法そのものへのコンサルテーションを行う。

手持ちの機材では難しい場合には、カメラやレンズを提案し、実際に貸し出す。さらにカメラやレンズだけでなく、通信機器やメンテナンスまでサポートする。

町谷氏は、その役割を大きく3つに分ける。一つ目が、撮影方法や機材の使い方についてのコンサルテーション。二つ目が、カメラ、レンズ、通信機器などの貸し出し。そして三つ目が、持ち込まれた機材のクリーニングやアクシデントによる破損などに対する簡易修理を含むメンテナンスだ。つまり「撮影で困ったことがあれば、できる限り対応する」というスタンスである。

「PDT-FP1」が変えたスポーツ撮影のワークフロー

ポータブルデータトランスミッター「PDT-FP1」

その中で、近年特に存在感を増しているのが通信環境だ。町谷氏によれば、ポータブルデータトランスミッター「PDT-FP1」の登場以降、報道やスポーツ撮影のフォトグラファーによる使用頻度が非常に高まっているという。

今回の競技場でも、固定されたフォトポジションだけでなく、フィールド内で撮影するフォトグラファーの姿が見られた。競技が始まれば、撮影者がメディアセンターなど通信環境の整った場所に自由に移動できるわけではない。 そのため、撮影した写真や動画をその場から速やかに届けるには、5Gなどを利用した通信環境も重要になる。

町谷氏は、現在ではポータブルデータトランスミッターがスポーツや報道の現場における「マストアイテム」になりつつあると話す。

ここにも、スポーツフォトグラフィーを取り巻く変化がある。カメラで撮影して、メディアセンターに戻ってから素材を処理する。

そうした従来型のワークフローから、撮影した瞬間に世界へ送るワークフローへ。カメラの性能だけでなく、その先にある通信まで含めて撮影環境を考える必要が出てきている。

夜間撮影では「たった1段」が大きい

今回の大会では夜間の競技も行われた。暗所で動く選手を撮影するためには、速いシャッタースピードを維持しながら十分な露出を確保する必要がある。

そこでニーズが高まっているのが大口径レンズだ。町谷氏が例として挙げたのが「FE 50-150mm F2 GM」。

一般的なF2.8通しに対してF2通しとなることで、1段分の明るさを確保できる。「たった1段」と思われるかもしれない。しかし、スポーツ撮影では、その1段が大きい。

選手の動きを止めるためにシャッタースピードを上げる必要があり、さらに競技自体が暗い環境で行われることもある。そうした状況で、大口径でありながら取り回しの良いレンズは、撮影の自由度を高める。

さらにソニーは、小型・軽量化やAIによる被写体認識・人物認識にも取り組んでいる。「もう1回」がないスポーツ撮影において、撮影者がより自由な撮影ポジション、自由な体勢で構え、決定的瞬間を捉える。そのための道具として、カメラ、レンズ、AI、通信が一つのワークフローにつながっている。

スポーツフォトグラフィーから「クリエイター支援」へ

ソニーがスポーツフォトグラフィーの領域で本格的に存在感を高めた転機の一つが、2017年頃の「α9」だったという。それ以前からプロフェッショナルにも使われていたが、α9以降、報道やスポーツのフォトグラファーからのフィードバックが増えた。

そこから約7年間、現場から寄せられた声を製品へ反映してきた。現在のフラッグシップ「α1 II」では約5000万画素、最高約30コマ/秒の連写を実現しているが、現場からの要求はまだ尽きない。 より高い高感度性能、より高い解像度、より高いスピード。

町谷氏は、この3つを大きな軸として挙げる一方、もう一つ重要なのが「ワークフロー」だと話す。 PDT-FP1の例に象徴されるように、現場が求めているのはカメラそのものの性能だけではない。

撮影した後、どう送るのか。どう共有するのか。どういう環境で撮影するのか。 そうした撮影前後を含めたワークフロー全体への要求が増えている。

「機能が欲しい」の、その先を見る

では、ソニーは今後、クリエイター支援をどこへ向かわせようとしているのか。

町谷氏の答えは明確だ。「こういうことをやりたい」「こういう映像表現をしたい」というクリエイターの思いを、単純に機能へ置き換えるのではない。 その要望の根底にある「何を目指しているのか」「どんな表現を実現したいのか」まで理解する。そして、それをサービスやカメラ、レンズの開発につなげていく。

最終的に目指すのは、フォトグラファーやビデオグラファーが、より自由に、より思い通りに写真や映像を撮れる環境だという。 これは、今回ブダペストで見た取り組みにも通じる考え方ではないだろうか。

服部氏が取り組むのは、カメラで撮った映像を単純に再生することではなく、その映像から得られたデータによって「その瞬間」を別の形で再構成すること。 町谷氏が取り組むのは、クリエイターが「撮りたい」と思った瞬間に、その表現を実現できるよう機材や通信、撮影方法まで支えること。 一見すると異なる二つの取り組みだが、その根底には共通するものがある。「撮影すること」をゴールにしないことだ。

撮る。その先へ

スポーツ映像は、いま大きく変わり始めている。 高性能なカメラで決定的瞬間を捉える。 AIで選手を認識する。 複数のカメラから空間をデータ化する。 そのデータをリアルタイムに処理する。 そして、現実には存在しなかった視点から、その瞬間を再構成する。

一方で、現場のフォトグラファーには、撮影した写真や映像をその場から世界へ届けるための通信環境が求められる。 そこでは「カメラ」という単体の製品ではなく、撮影、解析、データ、通信、演出、配信までを含めた映像ワークフローそのものが重要になっている。 今回、ブダペストでソニーが見せたのは、その変化の一端だった。 服部氏は、今回の取り組みを今後のスポーツへ広げていきたいと話す。

「スポーツって、こんなに面白いんだ」と感じてもらえるような体験を、ソニーの技術によって作ることができれば、すごく嬉しいですし、我々自身も楽しいと思っています。

「撮る」から「理解させる」へ。「記録する」から「再構成する」へ。スポーツ中継の未来は、カメラの性能競争だけではなく、現実をどのようにデータ化し、どのような体験として再び提示するのかという領域へ進もうとしている。 ブダペストで始まった今回の挑戦は、その可能性を具体的に示す一例と言えそうだ。