これまで課題に感じていたところ
アプリケーションはバージョンナンバーと共に機能追加や安定化を実装して、世の中に出て以来ユーザーに使われながら成長し続けます。Final Cut Proは現在バージョン7の途中にいます。アプリケーションのライフサイクルで見れば、成熟期を越えて良くも悪くも「枯れた」時期に来ていました。そのユーザーインターフェースは誕生時以来一貫して変わることなく、その内部に機能を追加して現在に至りました。安定して使いたいビジネスユーザーと、新機能で自分を別の世界に導いて欲しいと期待するユーザー。そんな時期に来ていたと感じます。
今年の4月1日、yamaq blogでは恒例のエイプリルフールネタとして、FCPを題材にしたエントリーを書きました。今年のNABではこんな新機能が付きますよ、というエントリーだったのですが、自分でも良くできているなと感じるくらいの、あってもおかしくないような書き方をしました。例えば、アプリケーションが完全にCocoa化される、ファイルベースのワークフローが前提になってビデオI/Oがなくなる、タイムラインのレンダリング管理が進化する、などでした。このネタにした項目の背景には、FCPが現在抱えている大きな課題があります。克服しないと時代に合わないレガシーなアプリケーションに成り下がってしまう、というユーザーとしての心配がありました。
私がずっと感じてきたFCPへの最大の物足りなさは、アプリケーションがCocoaベースになっていないところです。AppleのアプリケーションはMac OS X以前からあったCarbonテクノロジーと、新しい技術を盛り込んだ最新のCocoaテクノロジーがあります。Mac OS Xのバージョン10.6 Snow Leopardからは、OSに付属するソフトウエアの大半がCocoaに移行しました。MacではすでにCocoaが標準の時代になっているのです。これに対してFCPはいまだにCarbonのままです。この弊害として、Appleがユーザーに提供する最新の機能が使いにくいという残念な結果になっています。どこかで大きく「建て替え」をしなければ、この先のFCPに未来はないというのは、みんなが感じていたところです。
やっと生まれ変わることができたFCP
今年のNABの2日目、ラスベガスの中心部のホテルの一角で、新しいFCPが「Sneak Peek」されました。まだリリース版ではない最終開発版を、こっそり見せますよという趣旨のお披露目でした。ライブストリーミングでも発信されていて、ご覧になった方も少なくないでしょう。生まれ変わったFinal Cut Pro Xは、ファイナルカットプロ・テンと読みます。バージョン番号で言えば、8と9を飛び越して一気に10にジャンプしたことになります。ユーザーインターフェースの第一印象は、これが同じFCPなのかと感じたことでしょう。FCPはディスコンになって新しい未知の名前の編集アプリがこれですよ、と言われてもおかしくないくらいの変化です。
アプリケーション内部はCocoa化を果たしフルスクラッチで完全に「新築」して、最新のAppleテクノロジーがたくさん詰め込まれています。64bit化でメモリを有効に使えるようになり、高解像度化が進む映像メディアにも、これまで以上に安定化が増すでしょう。Grand Central Dispatchにより、レンダリングそのものに対する考え方も変わるでしょう。CPUコアが増える傾向にあるMacハードウエアにおいて、実装するコアを有効に使うことができるようになるのがGCDの利点のひとつです。デモを見るとレンダリングが必要になるとタイムライン上にオレンジ色のバーが現れるのはこれまでと同様ですが、エディターの操作をFCPが監視して、ここぞというタイミングで自動的にレンダリングがバックグラウンドで実行されているようです。FCP7までのように、エディターの意思でクリップの書き出しを実行するような、レンダリングが編集行為に幅を利かせるワークフローではなくなっています。
解像度は今や普通のことになりつつある4kサイズもサポートし、素材クリップはトランスコードすることなくタイムラインに配置するだけで、ただちに編集作業にかかれるような仕組みが実装されているようです。また、未確認ではありますが、もしかするとビデオラインからのキャプチャ機能は実装されていないのではないかとも思われます。素材の基本はファイルであり、元からファイル記録したメディアをはじめ、VTR素材であってもなんらかのキャプチャ機器を経由した後にできた、ファイルとしてFCPに持ち込むことを前提としたのではないかと私は見ています。
素材ファイルがFCPにリンクされるタイミングでは、いろいろな事前処理を加えることができ、Image Stabilization、People Detection、Shot Detection、Color Balance、Audio Cleanupが紹介されていました。これらのどれもが編集ラインと並行した別フローで処理していた作業です。粗削りな素材は編集前にある程度整えておいて、編集開始時には下ごしらえが済んだ素材で編集できるという配慮でしょう。また素材へのリンクを付ける時にメタ情報も加えることで、編集時に選択クリップの候補の中でそれらを再利用することもデモで見せられました。
私が最も大きく変わったと感じたのがタイムラインでした。Magnetic Timelineと紹介されていましたが、時には磁石のSとNのようにクリップ同志が吸い付けられたり、SとSのように互いに反発しながら移動したり、エディターの意思によってタイムライン上のクリップが上下左右に移動していました。FCP7や一般的な編集アプリでは、タイムライン上で先行するカットを移動する時に、後方のギャップの部分へは簡単に配置できますが、すでに別のクリップがその場所に居座っていると、押しのけることはできません。Magnetic Timelineでは、居座っているクリップを跳ねのけて、タイムライン上での再配置がダイナミックにできていました。また、ソース、レコーダーという明確な棲み分けが無くなったタイムラインになり、エディターのやりたいことに合わせてタイムラインの機能を切り替えてくれます。
ここまで見ただけでも、明らかにこれまでのFCPの面影はまったく見つかりません。どちらかといえば、これまでコンシューマー製品とされていた、iMovieの系統を強く感じるくらいです。クリップをフィルムストリップで見せるところや、レンジ選択できるところなどiMovieのユーザーインターフェースを利用している点も少なくないのでしょう。
リニア編集から従事しているエディターは、特にキーボード操作を好む傾向にあります。Avid Media Composerではキーボードだけでもどんどん編集できるような、ショートカットを豊富に持っています。これに対してFCP Xでは、ポインティングデバイスを多用するインターフェースになっているように見受けられました。それを補完するためにキーボードも併用する、そんな操作環境になるのではないでしょうか。マウスやタブレットが必須で、それを補う形でキーボードがある気がします。決してキーボードだけでの操作を想定していないと感じました。
何がこの先変わるのか?
via nofilmschool
これほど大きくFCPが生まれ変わると、既存ユーザーでビジネスで使っている場合には、すぐに移行できるのかどうか躊躇する層も少なくないでしょう。Mac OS Xが登場してしばらくの間は、それまでのOS9が並行して使われたように、FCP Xでもしばらくはそんな並行運用が現場では見られるのではないでしょうか。重要なのはFCPを使って生み出されたコンテンツなのですから、どんな編集アプリを使うかは結局のところはコンテンツを観る側には無関係です。ただエディターというのは映像を創る時には不安感を持ち続けるもので、自分の背中を強く押してくれる何かを模索しているものです。目新しいツールを使いたがるのは、それを使うことで自分の技量が高まったとの良い意味での錯覚を与えてくれるからです。
使うツールが変われば、エディターの編集手順も変わります。今回のように劇的なアプリケーションの革命は、今後予想できないところにも影響が出るでしょう。提供価格が$299と衝撃的だったところも、波及効果が現れる部分です。これにより、安価な故にだれでも気軽に手にできるようになって、プロとアマチュアの垣根がこれまで以上に低くなるでしょう。学生さんでも気軽に使ってみられるような価格帯にまで下がりました。こうなると安心していられないのはプロと呼ばれる人たちです。
もうこの先は映像のプロは不要になるのではないか?存在意義が見いだせない。みたいな話は出てくるでしょう。私は「ビデオ編集は特殊な行為ではなくなった」と感じています。高価な機材が編集作業には不要になり参入障壁が無くなった今求められるのは、テクニックと知識を備えた安定した能力を持つプロフェッショナルな、「ひと」だという点を強く感じます。
Final Cut Pro Xは6月にリリースされると言われています。実際に自分の手にした時にどんな衝撃を受けるのか。Appleは正式にこの製品に対してどんなマーケティングを展開するのか。想像するとワクワクすることばかりです。さらにMac OS Xの更新もありますので、今年は話題に事欠かない年になるのは間違いないでしょう。