txt:茂出木謙太郎 構成:編集部
VTuberのクオリティ
突然ですが、VTuberのコンテンツ、見たことがありますか?YouTubeだけではなく、テレビやニコ生、ShowRoomや17などなど、様々な動画プラットフォームで毎日たくさんの動画がアップされている。ゲーム配信、雑談配信、ネタ動画、歌ってみた。ちょっと変わり種では、料理や食事などの動画もあるようだけれど、大きくはこの程度の種類の動画になっているようだ。
「VTuberの動画って、本当は何を作れば良いのだろうか?」と、この頃よく思う。キャラクター(アバター)を自分の代わりに自由に、低コストで動かせるようになったのは、技術や機材が進歩したからに間違い無い。ただ、前述のようなコンテンツ、特にテレビで紹介される番組には、「アニメ」と書かれていることがある。
「アニメ」と書かれた途端に何が起きるかというと、当たり前だけれど「アニメ」と比べられてしまうということだ。では、アニメと比べられた時に、VTuberは果たして遜色なくアニメとして受け入れられることが出来たのだろうか。
そんな思いをよそに、4月からVTuberが主演のドラマが始まることになった。ドラマ25「四月一日さん家の」というタイトルということだ。番組の内容がわかるティザーなどが3月15日現在公開されていないので、なんとも言えないが、設定や雰囲気を見るに1988年に人気があったドラマ「やっぱり猫が好き」を今風にしようとしているのでは無いか?と感じる。
ここでも心配なのは、もし「やっぱり猫が好き」を手本にするのであればそれはあの時のあの女優のあのテンションの、あのクオリティを相手にするということになるのだ。
VTuberの中の人のことを「魂」と呼ぶことがある。最近のテレビ番組で、VTuberを紹介する時にこの中の人「魂」をばらす前提で紹介していることが増えてきた。「このキャラクターの中の人は、実はこんな人です」「実は美少女なのに中の人は男性でした」といったように。
VTuberをプロデュースしている側は、今まではキャラクターを一つの人格として扱い、「中の人などいない」というのが当たり前だった。しかし一般的には「中の人がいる前提」で話をしないと到底理解できないということになっているようだ。だから「アニメ」という言葉が成立したのだろうし、せめてもの対抗としての「ドラマ」なのだろうと思う。
何が言いたいのだお前はと、思われるかもしれないが、PRONEWSという場所だからこそ、このVTuberコンテンツに対する思いをご理解いただけるのでは無いかと期待して、書かせていただく。VTuberコンテンツは、まだ映像表現に関する試行錯誤やチャレンジが、一部を除いてほとんどなされていないという現実に、危機感を抱いているのだ。
この、CGキャラクターを使って、クリエイターたちはもっともっとチャレンジして良いのではないか。カメラワークも据え置き、色も影も、レイアウトも、テクスチャも、判を捺したように同じような模倣が溢れている。もしかしたらまだそこまで成熟していないからだけなのかもしれない。まだ、CGを自在に表現できるほどの余裕がないのかもしれない。
しかし、そうしている間にもアニメやドラマは、どんどん新しい表現を模索しているのだということを、忘れてはいけないのだと思う。