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高橋俊充 TOSHIMITSU TAKAHASHI │ プロフィール
1963年、石川県小松市生まれ。デザインプロダクション勤務を経て、1994年フリーに。アートディレクター、コマーシャルフォトグラファーとしての活動を主体とし、カメラメーカーのプロモーションや雑誌執筆なども行う。日々、フォト・ドキュメンタリーをテーマに写真創作に取り組み、写真展開催、写真集制作など自身写真作品を発表し続ける。受賞歴:日本APAアワード入選、金沢ADC・会員特別賞、準グランプリ、ほか多数。
写真集:「SNAPS ITALIA」「SNAPS MOROCCO」ほか。
Webサイト:TOSHIMITSU TAKAHASHI Photography

8から始まったデジタルMの系譜

デジタル・ライカ。レンジファインダーの魅力(前編)」では、レンジファインダーで撮影する楽しさなどを、勝手ながらお伝えできたかと思うのだが、後編ではデジタルMの歴史と共にその進化とそれぞれの魅力についてもお伝えできればと。

私自身、フィルム時代はほぼ一眼レフを使用して、レンジファインダーを最初に使ったのはエプソンR-D1sだった。デジタルでのレンジファインダーとしてはこのR-D1sがライカより先なわけで、私を含めこのカメラからレンジファインダーの魅力にとりつかれた人も多いのではないかと思う。

ファインダーは等倍で、軍幹部には飛行機の計器のように指針式のメーターが鎮座し、それらの針は撮影枚数や、バッテリー残量、ホワイトバランスまでも示すという、馬鹿げているようでありながらアナログ針マニア(?)の心をくすぐる逸品だった。画素数は610万画素と現行のデジタル機器と比較すれば驚くほど小さいものだが、当時は非常に滑らかなトーンで独特の表現力があると感じた。

やがてライカから初のデジタル・レンジファインダーとしてM8が登場する。

R-D1sのAPS-Cに対して、APS-Hのサイズセンサーを搭載し、35mm判換算1.3倍相当という倍率はレンズの焦点距離そのまま撮影できている感覚だった。画素数は1030万画素。こちらも現行と比べればかなり低い画素数ではあるものの、ローパスフィルターレスによる解像感は衝撃的で「やはりライカ、違うわ…」と思わせる写りだった。

しかしながらライカ初のデジタル・レンジファインダーは、いろいろネガティブポイントもあった。その一つが赤外色被り。その補正のためにUV/IRフィルターをレンズごとに装着するなど、それはそれは手の掛かる存在だった。

本命の登場LEICA M9

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2009年9月、35mm判フルサイズセンサーのM9が登場となる。私自身、発売まもなく予約したものの手にできたのはその年の暮れだった。今思えばややベータ機的な印象だったM8に対し、これぞ製品版のデジタル・レンジファインダーの登場だと感じた。ライカとコダックが共同開発したとされるCCDセンサーが描き出す絵は独特の色味とコントラストで、今見てもポジフィルムで撮ったかのような印象であり、Mマウントレンズもフルサイズで、周辺まで描写が楽しめるという夢のデジタル・レンジファインダーの登場だった。

やがてM9に派生モデルが登場する。その一つがM9-Pだ。

プロフェッショナルのPと謳われていて、正面に入るM9の文字やLEICA赤バッチを排除し、M3から始まる往年のM型ライカを彷彿させるレタリングのロゴが軍艦部上部に刻印される。写りはもちろんスペックもほぼ同じだが、たまらず買い替えたくなるという、これがなんとも恐ろしいライカ商法の始まりだった。

また、Mモノクロームの登場もこのM9からだった。現行のM11まで歴代Mモノクロームは続いているが、CCDセンサーでもあるM9のモノクロームは特別鮮鋭な印象だった。

カラーフィルターが取り除かれていることで、なにかヴェールが剥がれたかのような精細な解像感に、濃厚なトーンなど圧倒的な写りだった。

しかし、私自身それよりも感じたのが「モノクロはモノクロフィルムで撮る。だったらデジタルでもモノクロセンサーで撮るもの、そんなの当たり前でしょっ」と突きつけられたような衝撃の一台だった。

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LEICA Mモノクローム / Leitz Elmar 5cm f3.5
※画像をクリックして拡大

その後、M型ライカはMの後ろに続く数字をやめ、LEICA Mとシンプルな名前に(Typ240)と謎のナンバーをつけるという時代に入る。私自身LEICA M(Typ240)はすぐには買わなかった。CMOS 2400万画素による高感度耐性や、安定した画作りが想像できたが、M9-Pの持つ独特の画や、何より赤バッチのないルックスが気に入っていたので飛びつきたくなるものではなかった。

しかしその後、LEICA Mもまた赤バッチを取り外したM-P(Typ240)なる恐ろしいライカ商法を発動する。これには居ても立っても居られず思わず手を出してしまった。

画としてはM9のシアンがかった独特の世界観は薄れ、割と温かみのある自然な発色だった。このモデルには動画機能やEVFを装着して撮影ができたりと付加機能も搭載されていて、やや巨大化してしまい、それらはその後のM10の登場で、それは間違いだったと答えを出されることになる。

M10という完成形

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M9以来の数字が復活する。M10の登場である。

ボディの厚みはM6などフィルム時代の厚さに近づき、LEICA Mに付いていた動画機能などを取り去りスチール撮影のみとし、ややボッテリしていたこれまでのデジタル・ライカはスマートに生まれ変わった。新機種に機能を追加するのではなくマイナスしていくという進化。デジタルMの完成形を見た気がする。もう赤バッチが付いていても、今後「P」なるモデルが登場するとわかっていても飛びついた。

そのM10は、スマートになったルックスを始め、操作系も大きくブラッシュアップされた。シンプルになった起動スイッチや、フィルム巻き上げ部分にISOダイヤルを設けるなど、M8から数え四世代目となり、パッケージングもリファインされ、フィルム時代に生まれたレンジファインダーもデジタルカメラとして、しっかり形になったように感じた。

画作りとしてはCCD時代のM9に寄せてきたかのような印象で、ライカ独特の描写が復活し、欲しかったレンジファインダーがついに生まれたかという感じだった。

やがて、お決まりのM10-Pは登場する。

言うまでもなくその「P」に買い替えた。もうライカ商法の思うつぼだ。というかそれを待ち望んでいたと言っても過言じゃない。

その後、4700万画素のM10-Rの登場に、さらにそのブラックペイントモデルとライカ・レンジファインダーマニアのツボを抑えたモデルが畳み掛けてくるのだった。

M11。さらなる進化へ

そして現行モデルのM11。ライカレンジファインダーの進化は止まらない。

M10と見た目にほぼ変わらないM11だが、大きくデジタルカメラとして構造も変わり新たな進化を遂げている。6000万画素に解像度は上がり、電子シャッターも搭載し、測光方式もグレーのシャッター幕はなくなり映像面の測光方式となる。

また、フィルム時代の意匠をまとっていたベースプレートは取り払い、バッテリーは直接差し込む形となり、これまで真鍮だったトップカバーも、ブラックモデルはアルミを採用することで軽量化され、シルエットこそ変わらないもののミラーレスデジタルカメラとして真っ当な進化を遂げている。

M8から始まったデジタル・レンジファインダーも、これまではフィルム時代のデザインや様々な意匠は残していたものの、M11でシャッターの機構を変えるなどミラーレスカメラとしてシフトチェンジした印象だ。もちろん大きく変化はしているものの、光学ファインダーを持つレンジファインダーとしての魅力や、楽しさは変わらない。

かなり駆け足でデジタル・レンジファインダーの歴史をお伝えしたのだが、いずれのモデルでもそれぞれに良さがある。未だにM8の画が好きで大切に所有している人も居れば、Mモノクロームをこよなく愛し買い続けている人など様々だ。また、撮り手によって常に最新モデルがベストであるとは限らないのもライカなのかもしれない。

これからM12、M13…、さらにM20、M30と進化していくことになるだろう。どんな形になってもレンジファインダーとしての楽しさ、魅力を第一に進化していって欲しいものだ。

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LEICA M9-P/LEICA Summilux 50mm F1.4 ASPH.
Italia Siracusa 2013
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