宇宙航空研究開発機構(JAXA)が2003年5月に打ち上げた小惑星探査機「はやぶさ」。そのミッションは、小惑星「イトカワ」に接近、着陸し、表面の岩石をサンプル採取して地球へと帰還するというものだ。イトカワは、短径約200m、長径約500mほどの不規則な形状の小天体で、火星と木星の間にある小惑星帯から地球軌道近くまで接近する変速楕円軌道をとる。小惑星帯で円軌道に近い楕円軌道をとる通常の小惑星とは異なった微小天体だ。2005年11月にイトカワに着陸したはやぶさは、姿勢制御リアクションホール2基の機能を失うアクシデントを乗り越えて、現在地球への帰還途中にある。2010年6月には地球に帰還し、イトカワ表面の岩石サンプルの入ったカプセルを放出、はやぶさ自体は大気圏再突入で燃え尽きる予定だ。こんな過酷な旅路を経てまでも、小惑星イトカワに探査機を送った理由とは何か──。

 はやぶさのイトカワ探査ミッションを解説した全天周映画『HAYABUSA ―BACK TO THE EARTH―』(企画・制作:「はやぶさ」大型映像制作委員会、上映時間43分)が、4月1日から大阪市立科学館プラネタリウムホール(大阪市北区、Tel.06-6444-5656、月曜と祝翌日は休館)で上映されている。

『HAYABUSA ―BACK TO THE EARTH―』のトレーラー映像  (c)「はやぶさ」大型映像制作委員会

『HAYABUSA ―BACK TO THE EARTH―』のトレーラー映像  (c)「はやぶさ」大型映像制作委員会



この全天周映画『HAYABUSA ―BACK TO THE EARTH―』は、4096×4096ピクセル・秒30フレームのフルCG映像で構成。構成、シナリオ、CG制作からコンポジティング、編集・フィニッシングまでを担当したのが映像制作プロダクションのライブ(東京都台東区、Tel.03-5817-1559)だ。

「当社は、企業VPやCMなどの映像制作を行っていますが、CG制作はフルHDのものであっても数分ということがほとんどです。今回の制作は40分以上の4096×4096のフルCG制作であり、初めての経験でした。当初は年末から上映という案もあったのですが、構成とシナリオを作りこんでいく段階で8月くらいになってしまい、最終的に4月からの上映となりました。」

こう振り返ったのはライブの上坂浩光(こうさか ひろみつ)代表取締役だ。今回の作品では、プロデューサー、監督を担当した。制作のきっかけになったのは、JAXAがはやぶさのミッションを紹介するDVD-Video『祈り』のCG制作に関わったことだった(現在、JAXAのWeサイトで「はやぶさ物語」としてストリーミング配信中)。このDVDが各科学館で利用されるなか、はやぶさのミッションを紹介したいと考えていた大阪市立科学館の目に止まった。プラネタリウム番組配給・制作会社のリブラ(神奈川県大和市、Tel.046-272-6384)を通じて、2008年2月に制作の依頼があった。

CGからフィニッシングまで一貫制作の強み=シーン分割環境

構成とシナリオを練り上げるのと平行して、4K映像用の探査機はやぶさと小惑星イトカワのCGモデリングをオートデスクの3ds Maxで6月から開始した。このCGモデルを使用しながら、レンダリングテストも実施。その処理スピードを考慮して、9月には、新たな制作環境として3GHz Quad Coreをデュアル搭載したWindows PC 13台を導入したという。

「通常の制作では、サーバ上に素材を置いて共有しながら制作を行っていますが、この方法では、4096×4096の素材でコンポジット以降の作業が不可能でした。制作予算からみても、4K制作に対応したポストプロを使う余裕はありません。フィニッシングまで制作を行うために、絵コンテからコンポジット素材を13シーンに分割し、そのシーンごとにPCを割り当てる方法を採用しました。4K素材は可能な限りディスク間を移動しないようにすることで、制作時間とワークフローの効率化を図ったのです」(上坂氏)

制作にはアニマティックス手法も採り入れた。絵コンテを元にシーンに必要な尺を決定。制作段階に応じて、低解像度の512×512ピクセルのCG映像から高解像度4Kの映像へと差し替えていくことで、シーン全体の流れをつかみながら制作する事が可能になった。さらに、制作と同時進行で、シーンに利用する楽曲制作も行っている。全天集映画用の曲面スクリーンに対応するための変換は、オーク(東京都千代田区、Tel.03-3254-2094)が取り扱う3ds Max用レンダリングアプリケーションV-Ray for 3dsMaxを入れることで、3ds Maxの素材レンダリング時に行っている。

『HAYABUSA ―BACK TO THE EARTH―』の制作にはアニマティックス手法も採り入れた。

『HAYABUSA ―BACK TO THE EARTH―』の制作にはアニマティックス手法も採り入れた。



今回の制作でポイントとなるのは、その画像の大きさだ。スクリーンに投影するのであれば2:1のアスペクト比になるのだろうが、全天周映画ということもあり、通常の2倍の面積になる4096ピクセル角の正方形映像(ドームマスターと呼ばれる)なのだ。フルHDに換算した面積では8倍というサイズだ。当然、レンダリングには時間がかかり、2.5GHz Quad Coreデュアルのマシンで平均1分、最大で30分かかるような状況だったという。そこで、日本IBM(東京都港区)のクラウド・コンピューティング・センター内にあるIBM BladeCenter HS21を14台使用したブレードサーバー環境にV-Ray for 3dsMAXのネットワークレンダリング環境を構築。IBM Computing on Demand(IBM CoD)を活用してレンダリング処理の一部に活用した。

制作したCG素材のコンポジットはAdobe After Effects CS3で行い、作品全体の編集作業はAdobe Premiere Pro CS3で行っている。納品はJPEG連番ファイルで行っているが、1枚7MBになったという。納品後に、科学館の投影機の解像度・台数に合わせて画面分割するスライス作業を経て、ようやく上映となる。

4K解像度、全天周映画であるがゆえの作り込みが必要

制作には4K全天周映像ならではの苦労もあったようだ。まず、制作した小惑星イトカワのCGモデルは、カットごとに違うものを使っていると上坂氏は話した。

「1つのイトカワのCGモデルを作品全体で使用できればよかったのですが、32bit環境のメモリ空間の制約があってできませんでした。そこで、ベースとなるCGモデルからシーンで見えない部分をカットし、見える面についてはさらにクオリティを上げるための作り込みを行いました。結果的に、イトカワのロングカットを除けば、同じモデルを使ったカットは1つも存在しないということになりました」(上坂氏)

HAYABUSA.jpg

全天周映画ということもあり、映像内の文字の大きさも試行錯誤しながら制作をしたという

全天周映画ということもあり、映像内の文字の大きさも試行錯誤しながら制作をしたという



 衛星の背景となる星空はテクスチャを使用しているが、このテクスチャの制作も大変だったと言う。

「最近のプラネタリウムは、投影機の高性能化でよりリアルになってきていますので、背景の星空にも気を遣いました。星表データを使用して星をプロットしたあとに、天の川や星雲星団などに部分に写真を張り付け、12000×6000ピクセルというサイズの星空テクスチャデータを3カ月かけて制作しました。地球再突入後の大気圏ごしの星空には、After Effectsでのコンポジット時にゆらぎや瞬きを加えたりといったことも行っています」(上坂氏)

思えばSDからHDへ移行するときも、細かい部分が見えすぎるために作り込みをしっかり行う必要があった。4K映像においては、さらに細かい部分もしっかり作り込んでおく必要が生じてしまったようだ。作り込んでいくほど、レンダリングには時間がかかるだけでなく、メモリ消費量も増加していく。このように、CG素材の制作が大変だったのはもちろんだが、全天周映画ならではの編集時の表現の制約もあったようだ。

「通常のディスプレイやスクリーン投影する作品であれば、上下左右に枠があるのでフレームイン/アウトが使えます。しかし、ドームに投影する全天周映画は、この手法は使えないんです。だだ1つの例外は地平線ですね。昇ってくるか沈んでいくかというところ以外でフレームイン/アウトを使用すると、唐突に物体が現れたり消えたりしちゃうんです」

上映している大阪市立科学館は、座席数300・直径26.5mの大型ドーム。座席は南正面に向かっているため、北側から昇ってくる映像は視界に入りにくい。はやぶさの背景に地球を登場させるシーンでは、この特性を利用して空間を感じさせる演出も行っている。

「全天周映画ならではの演出です。視界に入りにくい部分を利用してフレームイン/アウトの効果を出すことが可能になります。しかし、ドームサイズによっては北側であっても視界に入ってしまうこともありますし、従来のプラネタリウムのように投影機の周りに同心円状に座席が配置されている場合は利用できない演出方法となります」

 今回の制作によって、4KサイズのCG映像ならではの難しさや、全天周映像ならではの演出方法を確認できたという。今後も、4KサイズCG映像や全天周映像作品に積極的に取り組んでいきたいと話した。

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『HAYABUSA ―BACK TO THE EARTH―』は、大阪市立科学館で2010年3月31日まで毎日上映されるほか、日立シビックセンター天球劇場(茨城県日立市)で6月28日まで、府中市郷土の森博物館(東京都府中市)で6月6日から9月6日まで上映される。今後も引き続き、リブラを通じて配給が行われていく予定だ。