慶應義塾大学は現在、最先端の高精細映像技術を研究するデジタルメディア・コンテンツ統合研究機構(DMC機構)とともに、大学院のメディアデザイン研究科(KMD)においても高精細映像のプロジェクトを設置し、積極的に人材輩出に取り組んでいる。このKMDは、大学院に2008年度から新設された研究科で、DMC機構とも関連が深い。ここでは、4Kコンテンツ制作という視点を離れ、高精細映像に関わる人材輩出という視点で、KMDの取り組みを取材してみた。

大学の機構改革から生まれたメディアデザイン研究科

「DMC機構は、これまでの大学のような学部や講座といった縦割りの運営ではなく、プロジェクトをベースにした今後の新しい大学のあり方を模索していく、大学の機構改革的な役割も担っていました。2008年度までの5年間にわたる取り組みの計画には、DMC機構で行うような高度な分野の研究をする人材を育てるための大学院を設置するというものがあり、DMC機構の1つのミッションとしてKMDが2008年春に設置されました。こうした背景もあり、KMDは大学の学部を持たない独立型大学院となっています」

KMDの開設について、こう振り返ったのは、KMDで委員長を務める稲蔭正彦教授だ。稲蔭氏は、KMDを設置する準備段階から関わり、カリキュラムの構築なども行ってきている。

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慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科のある協生館は、日吉キャンパスにある。最寄りの東急東横線・日吉駅正面の好立地。

「KMDの設置にあたり、DMC機構のプロジェクトをすべて受け継ぐことはせず、独自の視点で設計を行い準備をしました。母体はDMC機構ですが、サブセットとしての大学院教育という位置づけではありません。DMC機構は2008年度で文部科学省の委託研究機関としての役割を終えたので、今年度(2009年度)からはDMC機構とKMDの住み分けが明確になっていくと思います」

今後、DMC機構は研究機関として研究に集中し、KMDは教育機関として研究者を含めた人材輩出に務めていくことになる。

「通常の大学院は、学生の多くが学部から上がってくる人で占めますから、学部からは入りやすいが他の学部や他の大学からは入りにくいと見られがちです。独立型大学院にしたことで、さまざまな大学や、さまざまな学部学科から学生が集まりやすい環境となりました。運営側としては入学する学生数が読みにくいというデメリットもありますが、結果的にさまざまなバックグラウンドをもった学生が集まりました。定員は修士課程80人、博士課程10人ですが、初年度である2008年度は定員を上回り、1学年約100人となりました」(稲蔭氏)

DMC機構で高精細映像におけるネットワーク技術やデジタルシネマ技術の研究に携わり、2008年度からKMD専任となった太田直久教授は、さまざまなバックグラウンドを持つ学生が集まることのメリットを次のように話した。

「通常の大学院では、同じようなバックグラウンドを持つ学生が集まるので、コラボレーションと言いながら1人でできることを複数でやるということになりかねません。コラボレーションの本質は、自分が出来ないことを他の人がやることによって、倍以上の効果を生み出すということです。KMDは、さまざまなバックグラウンドを持った学生が集まることで、新しい展開を生み出しやすい環境ができていると言えます」

産官学共同研究により現場で学ぶリアルプロジェクト

KMDでは、デザイン創造性、テクノロジー創造性、マネジメント創造性、ポリシー創造性を調和・統合された人材であるメディア・イノベータの教育と育成に力を入れている。そのため、通常の講義科目を最小限にし、リアルプロジェクトを通じて学生が学んでいくという形式を採用した。このリアルプロジェクトとは、デザイン、テクノロジー、マネジメント、ポリシーの4分野にまたがった産官学協同研究プロジェクトであり、業務に近い実践の中からの学びを重視しているのだ。

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慶応義塾大学大学院メディアデザイン研究科における人材育成は、産官学協同研究における実践での学びを重視している。

「学生は、卒業までに2つのリアルプロジェクトに参加する必要があります。産官学協同で進めていくものをリアルプロジェクトとして位置づけています。こうしたリアルプロジェクトは、同時進行でいくつも動いています。DMC機構も、KMDにとってはリアルプロジェクトの1つのコラボレーション先です。今後、4Kを使ったリアルプロジェクトのなかには、DMC機構と連携しているものもありますし、別の切り口で外部の企業や団体などと連携するものも出てくると思います」(稲蔭氏)

リアルプロジェクトのなかには、映像表現における次世代メディアを模索し、提案していくイベントであるFutureMotionもある。2008年度のFutureMotion2009は、2009年3月28、29日の両日、KMDのある横浜市の慶應義塾大学日吉キャンパス協生館で、KDMの学生が主体となって行われた。4K高精細映像、マッシュアップ映像、ライブ映像、ネットワーク利用映像、縦型スクリーンなど、従来の映像イベントや映画祭では括れない表現手法に焦点を当てていることが特徴。映像表現の未来を表すキーワードとして、クリエイティブ、デジタル放送、3DCG、解像度、シネマ、モバイルなど12のカテゴリーに分け、トークセッションやパネルディスカッション、ワークショップ、セミナーなどが実施された。

「Future Motionは、企画から、マーケティング、スポンサー募集、当日の運営まで、すべてKMDの学生が主体となって行うリアルプロジェクトとなっています。教員は、困ったときの相談窓口やコンタクトをとる人を紹介するアドバイザー的な部分を担いますが、あくまでもサポートという位置づけです。リアルプロジェクトの基本的な考え方として、教員が刺激を与え、さまざまな分野のバックグラウンドを持つ学生達が集まって概念を考え、ブラッシュアップし、企業に提案して叩かれて企画を練り直すことを繰り返しながら、より良いものにしていくプロセスが必要と考えています」(太田氏)

「リアルプロジェクトは、学生と教員という住み分けよりも、教員はアドバイスを行いながらも1つのチームとして行っていくという形を採っています。学生が企業に提案をしてリアルプロジェクトとして成立させていく場合もありますし、企業から学生とのコラボレーションを提案されるケースもあります。いずれのケースでも、学生が何度でもトライできるようなサポート態勢をとりながら、学生の力で何が生み出せるかということを考えています」(稲蔭氏)

このようにリアルプロジェクトは、研究室における研究活動と似ていながら非なるものだと稲蔭氏は言う。

「2つの大きな違いがあります。1つは、KMDでは研究室を廃止したということ。1つのリアルプロジェクトに、複数の教員が関わっていくスタイルを採っています。もう1つは、リアルプロジェクトは、外部連携先と製品開発をしたりサービスを実現するということまでを視野に入れているということです。プロジェクトの通過点でプロトタイプを作ったり学術的貢献がなされると考えており、論文や学会発表などはゴールではないんです。学期や年次にしばられることもないので、プロジェクトの途中から参加したり、年度の途中でプロジェクトが終了するということもありますね」(稲蔭氏)

 KMDでは、4K高精細映像をどう捉え、リアルプロジェクトに結びつけているのだろうか。

「4Kは映画をスクリーンに投影した時に35mmフィルムのクオリティを表現できる解像度で注目されていますが、これはゴールではないんです。KMDとしては、4Kだけでなく、インタラクティブ性を追加するなどの新しい映像表現を考えるという方向で取り組んでいます。新たな表現では、4Kやそれを超える解像度も使われるかもしれないし、それ以外の技術も活用されるかもしれません。1つ言えるのは、学生が新しい表現に4Kの技術を駆使して取り入れるには、まだかなり敷居が高いです。現在進んでいるリアルプロジェクトは、FutureMotionのようなイベントを通じて、4Kやそれ以上の解像度での新しい表現を模索しています。新しい表現の技術まで含めたリアルプロジェクトは、現在は仕込み段階です」(太田氏)

外国人学生受け入れやサテライト授業など国際的な取り組み

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メディアデザイン研究科のリアルプロジェクトの1つとして実施されたFutureMotion2009。写真はデジタル放送の未来を考える、東京エフエム協賛のセッションにおける学生発表の様子。2日間のイベントでは、アストロデザイン協賛・計測技術研究所協力による次世代の解像度として4Kを扱ったセッションや、角川映画の協力により、4Kデジタル復元版の映画『羅生門』(黒澤明監督)の上映も行われた。

FutureMotionのイベント会場を訪れた時に気付いたのは、さまざまな学生が関わっているということ。単に学生のバックグラウンドというだけではなく、日本人だけでなく外国人も含めて運営をしていたことが印象的だった。

「KMDの特徴として、日本語が全く出来ない海外からの学生も積極的に受け入れており、2008年度は9カ国から学生が集まりました。海外からの入学に対応するため、後期から開始する授業は全て英語で行うなど、欧米の大学院に近いものとなっています。教員は、前期の授業と後期の授業で、同じことを日本語と英語で伝えられるバイリンガル性も要求されます。教授も学生と一緒にディスカッションをしながら、新たな表現を生み出せればと考えています」(稲蔭氏)

 KMDは、サテライト授業も行っている。2008年夏にシンガポールに研究所を設けて授業を配信し、2009年度からは大阪にも教室を設けた。

「KMDを開設するにあたってもう1つチャレンジしたのは、複数拠点で授業を受けられるようにするということです。学生や教員が3拠点のどこにいても、すべての授業を受けられ行うことができます。Face to Faceの方がしやすいのは当たり前ですが、遠隔地とのコラボレーションを避けられない状況も出てきています。グローバルカンパニーが世界中で設計図を回してディスカッションするように、次世代のデジタルメディアにおいてはグローバル・コラボレーションが出来ることがキーになると考えています。現在、シンガポールの研究所とは毎週テレビ会議をしながらリアルプロジェクトが動いています。大阪は立ち上げたばかりですが、4月から大阪在住の学生も入学しており、授業やリアルプロジェクトに活用します」

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独立大学院、研究室の廃止、産官学協同のプロジェクト、外国人学生の受け入れ、サテライト授業……。大学の機構改革のなかで生まれてきたKMDから、数年後には、グローバルな視点をもって研究活動に携わる人材が輩出されていくことになりそうだ。