CES 2026の会場で、いったい何度「フィジカルAI」という言葉を耳にしただろうか。ロボティクス、自動運転、製造、エネルギー、ヘルスケア。あらゆる産業がAIをどう組み込むかを競い、次なる競争軸は計算資源と電力、そしてフィジカルAIが活かされる「現場」へと向かっている。

実際、SiemensはCES 2026で「Industrial AI Revolution(産業AI革命)」を掲げ、NVIDIAとのパートナーシップ拡大を発表。フォックスコンやペプシといった現場での事例づくりを進めている。産業AI革命の騎手となるべく、鼻息を荒く競い合う企業の展示やセッションが並ぶ中で、筆者はあえて「ノスタルジー」を軸に未来を語るセッションを視聴した。

それが、CES 2026のセッション『Back to the Future: Tech’s Nostalgic Revolution(バック・トゥ・ザ・フューチャー:テクノロジーのノスタルジー革命)』だ。

登壇者は、Reddit共同創業者でありベンチャーキャピタル「Seven Seven Six」創設者のAlexis Ohanian、そしてOculus Riftの設計者として知られ、現在は防衛テック企業Andurilを率いるPalmer Luckey。Andurilは、最近日本法人ができたのも記憶に新しい。モデレーターはBloombergのCaroline Hyde。セッションはCES Day2の1月7日、ラスベガス・コンベンション・センター(LVCC)で行われた。
このセッションが提示したのは、効率化や最適化が進む時代に「昔は良かった」と懐古する話ではない。

むしろ、AIが社会の基盤へ深く入り込むほど、私たちが失いかけているもの——触感、所有する喜び、人と共にいる時間——をどう取り戻すかという設計論だった。

ノスタルジーは、なぜ強いのか

Ohanianは、まさにコミュニティの人だ。Redditという巨大な集合知を生み出し、現在は投資家として次世代のプロダクトを支えている。筆者は2021年、2022年にもNFT関連イベントで彼を見ているが、常に新しい流れの中心にいる人物という印象がある。

一方のLuckeyは、ハードウェアの人だ。CESの日本スタートアップブースにもよく足を運んでおり、この記事を読んでいる方の中にも、本人に会ったことがある人がいるだろう。

Oculus Riftを通じてVRという概念を世に示した発明家が、いまは現実世界の防衛・自律システムに向き合いながら、同時にレトロゲーム互換機「ModRetro Chromatic」のような、フィジカルで趣味性の高いプロダクトも手がけている。

CESの登壇者紹介では、Oculus VRが2014年にFacebookに約23億ドルで買収されたことまで明記されていた。

コミュニティとハードウェア。デジタルの集合知と、物理の体験。彼らがCESという舞台で「ノスタルジー」を語るとき、それは感傷ではない。「次に何が来るのか?」という未来予想を聞くワクワク感のほうが、はるかに勝っていた。

AIシフトが進むほど、手触りが価値になる

ここからは、筆者のメモに基づく要旨だ。

セッションで繰り返し語られたのは、「便利さ」や「収益化」への偏重が、体験の純度を薄めているという感覚だった。ゲームやプロダクトが広告主や課金導線の都合に寄りすぎると、使う喜びが抜け落ちる。

象徴的だったのが、Luckeyの「Smart TVなんて誰も見ていない」という発言だ。メーカーや広告主、代理店は見るかもしれないが、消費者が欲しいのは広告装置ではなく体験だ、という強烈な批評である。

Ohanianは、コロナ禍にデジタル・コレクティブルが流行した背景にも触れた。筆者自身もNFTに魅了された一人として強く共感するが、人には「収集する楽しみ」がある。物理的なモノに触れられなかった反動として、デジタル上の所有体験が盛り上がった、という見立てだ。

その対極にあるのがサブスクリプションだ。手元に何も残らない。Luckeyは、2000年代初頭に音楽ファイルを手当たり次第にダウンロードしていた体験を語り、いま再びレコードやカセットテープがクールなプロダクトとして再評価されている現実を指摘した。

任天堂が教えてくれること:「みんなで遊ぶ」軸をブレさせない強さ

このセッションを日本のオーディエンスに届けるなら、核はここだと思う。ステージ上で彼らが称賛していたのは、任天堂が長年守ってきた体験価値だった。
ゲームは、みんなで一緒に遊ぶのが楽しい。

同じ空間に集まり、笑い、盛り上がり、時に悔しがる。彼らが何度も例に挙げていたのが、「大乱闘スマッシュブラザーズ」のような、場の熱狂としてのゲーム体験だ。
AI時代は、あらゆるものが個別最適化される。好みに合わせたレコメンド、生成されるコンテンツ、そして一人ひとりの画面に閉じた体験。だからこそ逆説的に、「同じ瞬間を共有する体験」が希少資産になる。

任天堂は、その軸を決してブレさせない。新しい技術を使うかどうかではなく、テクノロジーを使うべき場所を見失わない。その姿勢こそが、AIとフィジカルAIの時代において、戦略原理として再評価されるべきだと感じた。

ハードウェアの復権。iPhone以後の単一化から、再び多様性へ

もう一つの論点は、ハードウェアの多様性だ。スマートフォンが一つの最適解に収束した結果、私たちは多様な形状、多様な操作感、多様なワクワクを失った。iPhone以前には、折りたたみ、超小型、フリップ、スライドなど、様々な携帯電話が存在していた。

Luckeyは、フィジカルAIの台頭によって、この多様性が再び戻ってくると指摘する。AIが「頭脳」を小型化し、センサーとアクチュエータが「身体」を与えることで、プロダクトの形は再び分岐する。フィジカルAIは、フォームファクターを解放する。

ModRetro Chromaticは、その象徴だ。現代技術で、ゲームボーイにワクワクした当時の体験を最高品質で再現することに、極端に振り切ったプロダクト。オリジナルがある以上、無条件で賞賛すべきものではないが、VRやドローンで成功してきたLuckeyが「次に来るのは手触りのあるプロダクトだ」と示している点は、非常に示唆的だ。

クリエイティビティとAI:「使う」ことと「委ねる」ことの違い

AIは創作の敷居を劇的に下げた。ゲームも映像も、プロトタイピングは加速している。だが、クリエイティビティがAIに置き換わるかといえば、筆者はそうは思わない。

印象的だったのは、AIを道具として使いつつ、制約や遊び心を重視する姿勢だ。Luckeyは、テキスト入力で生まれる作品と、人間が身体を使いペンで描く作品では、明らかに味わいが異なると語った。

AIをめぐる議論は、全面禁止か全面解禁かという二項対立に陥りがちだ。しかしそれでは創作現場が痩せてしまう。必要なのは運用設計——権利をどう守り、何を透明化し、どこを人間の領域として残すか。その組み合わせ技こそ、日本が得意としてきた領域だ。

コミュニティを見て進め

Ohanianの視点は明快だ。彼は「盛り上がっているコミュニティの先に未来がある」と見る。AI時代のプロダクトは、高機能なだけでは差別化できない。「どんなコミュニティを生むか」「どんな文化資産になるか」が競争優位になる。

スニーカーやカードのように、モノが文化として語られ、継承されるとき、プロダクトは単体を超えた存在になる。

これは、日本にとって追い風だ。任天堂、ソニーをはじめ、日本は長年にわたり文化資産を生み出してきた。その蓄積は、AI時代にこそ希少性を増す。

最後に、少しだけ地政学の話をしたい。
Luckeyは、ハードウェアの重要性とともに「Made in USA」へのこだわりも語った。生産を安価な地域にアウトソースするのではなく、作ること自体が文化資産を生むという思想だ。これは、日本にとっても他人事ではない。Made in Japanを意識し続けられる政策と企業体制が、今後ますます重要になる。

フィジカルAIが現実世界を変え、産業AIが生産性を押し上げる。これは間違いなく、次の10年の大きな潮流だ。しかし勝敗を分けるのは、最適化の速度だけではない。

何を大切にするかを手放さないこと。使い手の体験を真剣に考え続けること。

任天堂が守り続けてきた「みんなで一緒に遊ぶ楽しさ」は、技術トレンドよりも強い。むしろ、トレンドが激しくなるほど、その価値は増す。

未来は、計算だけでは作れない。
記憶と触感、そして誰かと笑う時間が、次のテクノロジーの意味を決める。