360°カメラメーカーの旗手として業界をリードし続けてきたInsta360が、この6月、Leicaと共同開発した二眼タイプのポケットジンバルカメラ「Insta360 Luna Ultra」を世に送り出した。6月13日と14日には東京・渋谷で先行予約販売イベントが行われ、会場には大勢のユーザーが詰めかけた。しかし、Luna Ultraの誕生の裏側には、5年もの歳月をかけた試行錯誤と、一度は断念しかけたプロジェクトを再始動させた情熱と執念があった。

本記事では、先頃、中国・深圳より来日したInsta360創業者の劉靖康(Jingkang Liu、通称:JK)氏へのインタビューを通じ、Luna Ultraの開発秘話、製品に込められた「記録と体験の両立」という理想、競合との熾烈な競争、そして、同社が掲げるクリエイターエコシステムやAIが加速させる未来の「カメラマン」構想の真髄に迫った。

「Insta360 Luna Ultra」は、DJI Osmo Pocketシリーズの強力な対抗馬となる同社初のデュアルレンズ(2眼)搭載フラッグシップ・ポケットジンバルカメラである。メインカメラに次世代1インチ8KイメージセンサーとLeica Summicronレンズを採用。高い解像感と幅広いダイナミックレンジを誇る
6月に渋谷で行われたLuna Ultraの先行予約販売イベントの模様(写真提供:Insta360)

5年の雌伏を経て結実した「Luna Ultra」プロジェクト

――新製品「Insta360 Luna Ultra」がついに発表されました。
このプロジェクトを立ち上げた時期と、なぜ今このタイミングでポケットジンバルカメラ市場に打って出たのか、その経緯をお聞かせください。

JK:

実を言うと、このプロジェクトが産声をあげたのは5年前に遡ります。 当時は3,000万元(約7億2,000万円)という巨額の開発費を投じて、プロトタイプまで完成し、量産直前まで漕ぎ着けていました。しかし、発熱問題という壁にぶつかり、苦渋の決断で一度は計画を断念したのです。その後、機を見て、2023年にプロジェクトを再始動しました。

――実は長年温め続けてきた執念のプロジェクトだったのですね。
Luna Ultraが体現する「Insta360らしさ」、「独自性」とは何でしょうか?

JK:

私たちの根幹の理念は、社名の「Insta(英語のInstantの略/瞬時に)」のごとく、誰でも素早く使いこなせる撮影体験を提供することです。Luna Ultraでは、スマートフォンに頼らず本体のみで操作が完結する「分離型タッチスクリーン」を採用しました。かつては「カメラ起動、アプリ立ち上げ、接続完了まで待つ」という3ステップ必要だった操作なども一発で完了できるように設計されており、撮りたい瞬間にすべてを簡単に完結させることができます。これこそが、私たちのオリジナリティです。

当初のプロトタイプはInsta360 ONE Rを利用したモジュール式だったが、発売された完成形の設計は一体型へと変更されている

月の女神「Luna」に込めた願いと妥協なき開発の裏側

――「Luna」というネーミングには、どのような由来があるのでしょうか?

JK:

社内では「HALO(光線、後光)」という案も有力でしたが、最終的に「Luna」を選びました。夜間撮影の美しさを強調したかったことに加え、ローマ神話の月の女神が持つ「優雅さ」をイメージしています。この製品は女性層もターゲットユーザーに見据えており、洗練された筐体のデザインに相応しいこの名前を冠することに決めました。

Luna Ultraのホワイトモデルは女性層に特に人気があり、日本や中国では発売早々に売り切れとなった
PureVideo機能を実装し、夜間撮影の美しさにアドバンテージがあるLuna Ultra

――開発の過程で、チーム内で意見が分かれた機能や実装を見送ったアイデアはありましたか?

JK:

最も議論を呼んだのは、分離型タッチスクリーンの採用です。結果的にコストが数パーセント増大し、ハード・ソフト両面で設計が複雑化したため、開発期間が半年も延びることになりました。また、当初はレンズ保護カバーをスライド式にする案をデフォルトとして据えていましたが、手持ちの際に嵩張ることが課題となりました。そこで、スライド式保護ケースは別売りのアクセサリーとして選択肢を残すこととし、本体には固定式の保護カバーを同梱する形に落ち着きました。
トラッキングしながら、自動的に画角を拡大する機能も想定していましたが、そちらは、まだ搭載していません。

スマホと接続せずとも遠隔でカメラコントロールが可能となる画期的な分離型タッチスクリーン
Luna Ultraのスライド式保護ケース(別売りアクセサリー)

愛着を生むデザインと次世代への技術的挑戦

――JKさん個人として、あるいはクリエイターの視点から、Luna Ultraにおいて、最もこだわったポイントはどこですか?

JK:

主なこだわりは2点あります。分離型タッチスクリーンとアクセサリーのPOVヘッドトラッカー。そして、もう1つ加えるなら、あえてデュアルレンズを「横型」に設計した点です。

ユーザーの頭の動きを検出し、追跡することで、没入感のある一人称POV映像を撮影するアクセサリーのPOVヘッドトラッカー

――光学系には、Leica製Summicronのデュアルレンズが使用されていますね。これらを横型のレイアウトにしたメリットは何でしょうか?

JK:

収納時には、一本のペンのような一体感が感じられ、レンズ保護もスムーズにおこなえますが、起動時の姿はまるで「生き物の目」や「愛らしいロボット」のようにも見え、デバイスとしての愛着を感じていただけるはずです。

Luna Ultraのデュアルレンズ。向かって、左がLeica Summicronの広角レンズ20mm F1.8、右が同じくLeica Summicronの望遠レンズ 60mm F2.0。20mm〜120mmまではロスレスズームに対応、最大240mm(12倍)
この写真はユーザーによるLuna Ultraのカスタマイズ例
電源オフの際は、デュアルレンズが折りたたまれて、保護カバーに収納される

――経営判断において、Luna Ultraの開発の中で最大の挑戦はどのようなことでしたか?

JK:

新しいカテゴリーへの挑戦であったため、開発費は従来製品の2倍に達しました。特に心臓部となるチップはスマートフォンに近い性能が要求されるため、開発チームには携帯電話開発の第一線で活躍していたエンジニアを多く登用しました。

――リアルタイムにユーザーの頭の向きに連動して一人称POV映像を撮影するヘッドトラッキングPOVアクセサリーが開発された目的は、「記録すること」と「その瞬間を楽しむこと」の両立を目指したものだと伺いました。

JK:

開発当初はそこまで意識していなかったのですが、昨年9月に福岡を訪れた際に、ある船上ライブでテスト機を試した経験が転機となりました。素晴らしい演奏と素敵な雰囲気に包まれていたのに、私は撮影のためにずっと液晶画面越しにその光景を見ていたのです。「自分はこの瞬間を心から楽しめていない」という痛烈な気づきがあり、そこからLuna Ultraにおけるヘッドトラッキングという発想が生まれました。

――撮影するのはスマートフォンで十分だという層に対しては、Luna Ultraが提供できる価値は何でしょうか?

JK:

スマホは長時間の動画撮影では発熱しやすく、ホールド性も高くありません。Luna Ultraは専用機としての高い放熱性と保持しやすさを備え、小型なので被写体に対してもスマホを向けられるような圧迫感を与えません。画質の優位性は言わずもがなですが、何より「撮影を意識させずに、その場の空気感を記録できる」点に価値があります。

カメラが「カメラマン」になる究極の理想と「クリエイターエコシステム」構想

――Insta360は近年「クリエイターエコシステム」というビジョンを掲げています。なぜInsta360はカメラメーカーから、包括的なクリエイターエコシステム企業へ進化しようとしているのでしょうか?これは創業当初からの構想だったのですか?

JK:

創業以来、専ら360°カメラやアクションカメラの開発に注力していたのですが、その後、新しいニーズやユーザーのユースケースも増えてきて、新しい商品も展開していく中、2019年に初めて弊社において「カメラマン(Cameraman/摄影师)」という理念が生まれました。私たちが目指すのは、将来的にカメラ自体が「カメラマン」の役割を担う世界です。これまでに蓄積したレンズ、様々な機能、さらにはドローンなどの技術を統合し、ユーザーの意図や撮影環境を理解して、自律的に撮影・編集を行うプロダクトを目指しています。

――つまり、人間が撮影するというよりは、カメラそのものが「カメラマン」として振る舞うということですね。

JK:

その通りです。弊社の定義する「カメラマン」とは、スマートイメージングを実現するための包括的なソリューションであり、その本質は「自律的に撮影を行うことができるロボット/エージェント」です。これは単一の製品形態に限定されるものではなく、利用シーンやユーザーニーズに応じて、最適なハードウェアの形態を柔軟に選択します。
このシステムにおいて、AIは視覚を司る脳・認知神経、カメラレンズ は目、オーディオ技術は耳、ジンバル技術は首・胴体という役割を担います。
人々は撮影の苦労から解放され、その場の楽しさを心ゆくまで享受すべきなのです。

――一方で、カメラ自体が好きだったり、撮影そのものを楽しみたい趣味層のユーザーやプロフェショナルについてはどうお考えですか?

JK:

理想は「カメラの存在を忘れること」ですが、その高みにいたる過程では、まず撮影を愛する専門的なユーザーの方々に納得いただける技術を磨く必要があります。そこで得た知見と資金を糧に、最終的な理想のプロダクトへと繋げていく。私たちはプロ向けというより、より幅広いユーザーの皆様へ、たとえば、富士フイルムのコンシューマー向けカメラやミラーレス機のようにデザインや独自の色彩設計で愛されるような存在を目指しています。

――「クリエイターエコシステム」というところで言うと、カメラやマイクなどの単体のデバイスやツールというだけではなくて、ワークフローの構築こそが大事ということなのですね?

JK:

ワークフローに関しては、商品単体だけではなくて、アプリ内の様々な機能の充実や、たとえば編集のテンプレートなどにも力を入れており、もっと一般の方がコンテンツを作る際のハードルを下げたいと考えています。

――機材以外にユーザー同士のコミュニティ作りみたいなことで、重要だと思っている点はありますか?

JK:

たとえば、中国ではすでに実施しているのですが、ユーザーにアプリ内で使用できるテンプレートをアップロードしてもらい、特にクリエイティブなものについては、弊社が買い上げて権利をクリアにし、さらに多くの方に使ってもらうことなども進めています。それは、すなわちユーザーがお互いにインスピレーションを与え合うコミュニティと言えるでしょう。
また、大きなユーザーコミュニティとしては、コンテンツプラットフォーム、たとえば、TikTokなどに弊社のカメラで撮影したコンテンツを投稿しているユーザー同士が、アルゴリズムのリコメンドにより、他のユーザーのコンテンツをお互いに見たりしています。弊社も広告費を拠出して、それを支援しています。そのような仲間同士の見えないコミュニティのプラットフォームも機能していると思います。

AIが変える映像表現と揺るぎないクリエイティビティ

――AIの台頭により、カメラの未来はどう変わるとお考えですか?

JK:

映像には、主に「記録」、「シェア」、「商業的な制作」の3つのニーズがありますが、特にシェアや商用の領域ではAIのインパクトは絶大でしょう。AIの画像処理により、撮影した映像がより美しくブラッシュアップされれば、人々はもっと多くのコンテンツを共有したくなるでしょう。また、中国ではすでにAIエージェントによるドラマ制作も始まっています。しかし、「記録」に関してはAIの影響は限定的だと考えています。

――それはなぜでしょうか?

JK:

私の娘の無邪気な表情を記録した写真はかけがえのないものですが、実在しない息子やペットの写真を、あえてAIで作りたいとは思いません。「現実を記録する」という尊さは、生成AIの産物には代えられないものなのです。

――AIはクリエイターにとって脅威になるのでしょうか、それとも可能性を広げるものでしょうか?AIが進化すると、プロとアマチュアの境界線がなくなるという意見もあります。

JK:

AIによって如何にツールが便利になっても、良い作品が生まれるのは作者が長い時間を費やした教養の蓄積や審美眼、パッションからです。タイピングが普及しても全員が作家になれないのと同じで、人間の創造性の価値は変わることはないでしょう。

リスクを恐れぬ投資とユーザー至上主義の経営

――他社との競争、特にDJIのような強力なライバルに対して、Insta360はどう立ち向かいますか?

JK:

重要なのは、5年前から掲げている「カメラマン」構想への情熱を絶やさないことだと考えています。DJIの戦略はブランド力に加えスペックと価格のバランスでシェアを取ることですが、私たちは「自分のニーズを深く理解しているユーザー」に選ばれる付加価値の高い製品を提供し続けます。私たちは価格競争には加わりません。
ユーザーのニーズを深掘りすることで、さらに技術を極め、新たに蓄積された技術を融合して、そこから、新しいイノベーションが生まれます。
具体的には、トラッキング機能はInsta360 Flowの時から蓄積されてきた技術です。音声収録はLinkシリーズにおいて、また夜間撮影用の機能であるPureVideoもONE RやAce Pro 2などで培ってきた技術を投入するなど、様々な技術を積み重ねて、最終的にLuna Ultraを完成させることができました。ですから、Luna Ultraは弊社の初代ポケットジンバルカメラですが、完成度が高くて、業界内でも非常に競争力を持っている商品なのです。
つまり、全ては長期的な考えとユーザーのニーズの深掘りからできたものであり、その背景にはパッションがあるとというわけです。

――次に経営戦略について伺います。御社の直近の決算を踏まえると、売上が急増している一方で、研究開発費の増大により、短期的には純利益が下がっているとの指摘もあります。経営リスクのバランスについてはどうお考えですか?

JK:

今年は部材のコスト高騰もあり、メモリーだけで3億ドルも負担が増えるなど、確かに厳しい経営局面です。しかし、今の投資は数年後の価値として必ず戻ってくるものと考えています。また、弊社はリスク管理を徹底しており、たとえ、数年間収入が途絶えても存続できる内部留保を持っています。極端な環境の変化や外部刺激に遭遇した時でも、しっかりと対応できる体制を構築しています。
しかしながら、純利益が下がることによって、投資家から不満が生じるのは事実ですので、その点については申し訳ないと思っています。

――経営における目標とは何でしょうか?

JK:

経営において、稼ぐことは「結果」であり「目標」ではありません。目標はあくまでユーザーに価値を提供することです。目先の利益のためにコストを削れば、将来的な競争力を失います。私たちは今、しっかりと投資して開発を行っていくことで、未来の付加価値を創造することを選びます。

中国の春節期間中にInsta360本社で開催された年会でLuna UltraについてプレゼンするJK氏の模様

さらなる高みへ〜Insta360が描く次なる挑戦

――今後、挑戦したい新しいカテゴリーはありますか?

JK:

ミラーレスカメラは開発に想定以上に時間がかかっていますが、現在、鋭意開発中です。上場企業という立場上、詳細は明かせませんが、スマートフォン以外のあらゆる映像ジャンルを視野に入れています。

――最後に、表現の可能性を広げようと日々奮闘している日本のクリエイターやユーザーの皆さんに向けて、メッセージをお願いします。

JK:

創業からの10年間あまり、私たちを支えてくださったすべてのユーザーに感謝しています。これからも「記録すること」と「その瞬間を楽しむこと」を究極の形で両立させる製品を目標に努力していきますので、ぜひご期待ください。

まとめ〜テクノロジーの進化を「人間の自由」のために

今回のJK氏へのインタビューを通じて最も強く感じたことは、Insta360の企業理念の根底には、「プロダクト開発とイノベーションへの飽くなきパッション」があるということだ。3000万元の投資を一度白紙に戻してまで技術課題の解決とクオリティを追求し、自らの実体験から「ヘッドトラッキング」というアイデアを見出す姿勢は、クリエイターやユーザーの視点に限りなく近い。

今やInsta360は、カメラからプロ仕様のマイクまで、製品の領域を急速に拡大しながらも、「単発のヒット商品を作る会社」から「プラットフォーム型ハードウェア企業」へと進化しようとしている。
クリエイターのワークフローも含め、Insta360はゲームのルールを変えようとしているのである。

彼らが掲げる「カメラがカメラマンになる」というビジョンは、「人間を機材から解放し、今、目の前にある感動に100%没入させること」にある。テクノロジーの進化を、単なるスペック競争ではなく「人間の自由」のために使うこと。その一貫した哲学こそが、Insta360の躍進の理由なのであろう。

「折りたためる黄金の紙」は、Insta360社内のクリエイティブ・デザインチームによるイノベーションプロジェクトで、バラやハートなどの形に折ることができるものだ。デザイナーのアイデアをもとに、JK氏がこのチームに投資し、インキュベーションを行った。従業員が創造し、Insta360が投資することで、Insta360が人材を信頼し、オープンイノベーションを奨励していることを示している。
このプロジェクトは、同社の主力事業ラインではないが、この商品は、現在、Insta360の社員向けグッズ販売サイトで販売されている

WRITER PROFILE

染瀬直人

染瀬直人

映像作家、写真家、VRコンテンツ・クリエイター、YouTube Space Tokyo 360ビデオインストラクター。GoogleのプロジェクトVR Creator Labメンター。VRの勉強会「VR未来塾」主宰。