私は映像技術に従事しているフリーランスです。得意分野はポストプロダクション技術で、元々はテレビ番組の編集からスタートしました。この頃から映像システムにも興味を持っていたため、自らシステム設計や配線工事まで映像技術に関することは一通り経験してきました。ここ数年は、一番縁の薄かった撮影現場にも顔を出すことになりました。そのきっかけとなったのがRED ONEとの出会いでした。 私の場合、映像制作現場で活動するときのベースは、Apple社のMacintoshでした。Macという製品に惚れ込んで使ってきたことに加えて、最近ではAppleという会社の動向から見えてくる、ユーザーに対するメッセージに注目するようになってきました。このコラムでは、そんな刺激的なAppleの向こう側に展開する、映像制作の世界を見ていきたいと思います。 私はyamaq blogという、個人運営のブログを続けて5年目になりました。その中で得られた知らない方とのコミュニケーションで、書くことによる自分へのフィードバックということを数多く経験してきました。このコラムでは、「yamaq blog出張版」のような位置づけで書いていく予定です。

iPhoneショック

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iMovie for iPhone4 のインターフェース

2010年6月から日本でも販売開始されたiPhone4。すでに入手された方々は、十人十色な使い方をされていることでしょう。誰が買ってもiPhone4という製品に変わりはありませんが、一旦ユーザーの手に収まった瞬間から、まったく別々な特徴を持つ特性は、Appleの特性かもしれません。 映像屋の視点でiPhone4を見たときに注目するのは、720P記録できる動画カメラと、遠隔地の相手とテレビ電話ができるFaceTimeです。動画編集ソフトのiMovie for iPhone4もリリースされて、撮影後の簡易編集までもが手の中に収まる電話機の中で完結できます。テレビ放送がデジタル化されて16:9コンテンツが主流になっても、この720Pの動画であれば流用することもできるでしょう。

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素材をトリミング中
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FaceTimeでテレビ電話が可能に

もしかすると、大きなテレビカメラが入り込めない場所からの取材で、このiPhone4による映像が使われることはそんな遠い未来ではないかもしれません。 iPhone4の利点はそのサイズです。この小さなカメラは撮影場所を選びません。これまでの撮影段取りの先入観を大きく変えることでしょう。ポケットにさえ入れておけば、シューティングチャンスに遅れることなく対応できます。そして、撮った直後にシンプルな操作性で簡易編集ができるので、無駄な部分を簡単に削除できます。注釈程度のテロップも追加できますし、雰囲気を高める必要があれば、用意されている音楽もあります。

FaceTimeは、昔々テレビの中のヒーローが使っていたテレビ電話を、そのまま現実に持ってきた道具です。すでに他のメーカーからもテレビ電話機能搭載の製品は世の中にありましたが、Appleがリリースするとまったく異なる切り口からユーザーに訴求します。 FaceTimeのテレビCMを御覧になるとわかるでしょう。あのCM中に、テレビ電話機能に関するハードウエアのスペックに関する売り文句があったでしょうか?

AppleはFaceTimeを使ったことにより、ユーザーがこんなに幸せになれるよ、というメッセージを込めているわけです。これらの映像ツールがiPhone4には収まっていて、誰でもが簡単に使い始めることができるのです。

映像を使うという行為

私が映像の世界に入ったときには、すでに現場への配属が決まっていて有無を言わさずに、見るもの全てを吸収しながら映像編集を覚えていきました。理論は実地体験を経てから付いてくるもので、そもそも映像の持つ特徴や意図することなどの基礎知識は、頭からではなく体から吸収したタイプでした。そのため、いわゆる学校で学ぶことの多い映像論などとは対極の位置にいました。

現場での経験を踏まえてから、ふとそもそも映像の目的は何なのか?ということを考え始めたわけです。恥ずかしい話なのですが、本来の順番とは逆なんですね。そこで思い当たったのが、「映像とは伝えるための手段」でした。手紙を書くときには、読み手に対して必ず伝えたい気持ちや情報があるはずです。

意味もなく文字を書き並べるだけでは、手紙をもらった側も困ってしまいます。電話をするときにも同様で、おしゃべりしたい目的があるはずです。場合によっては、話をする行為自体が目的だったりしますが…。 このように映像表現も、誰かが他の誰かに対して何かを伝えるための手段なのだ、と私は考え至りました。そんな視点で見ると、映像の中には必ず伝えたい何かがあるべきです。

映像制作を始めたばかりの20代前半の頃は、私もそうでしたが作ること自体が楽しくて仕方がなかった頃があるのではないでしょうか。楽しいが故に、映像の中に埋め込まれるべきメッセージについて考えることをおざなりにして、派手で目を引く演出にのめりこんでいく時期があります。 この作ることが楽しくてしようがない気持ちは、一過性のものであればいいのですが、経験年数を経てもこのプライオリティが高いケースをよく目にします。「いいものを作ればいいんだ」という言葉がそれの象徴です。いいものとは、自分が満足できる力のこもった映像コンテンツなのでしょうか?いいものという定義を「映像は伝えるためのツールである」という視点から解釈すると、伝えるべきものが正確に詰め込まれた上で、確実に相手に伝わるものであるべきです。そこには映像の作り手の自己満足の居場所なんて全く余地が無いわけです。

Appleからのメッセージ

テクノロジーの進歩により、携帯電話という小さなデバイスの中にでも、高機能なビデオカメラが埋め込まれるようになりました。そんな映像が身近になった今、私たちは映像という道具、映像という表現手法をもっと個人のレベルでも使っていきましょう。というのがAppleのメッセージだと私は考えます。 映像はもはや限られた者だけが使うことのできる、特別な道具ではないのです。すでに映像は日用品になっているのです。誰でもが簡単に映像を使って、その中にメッセージを埋め込める時代になったのです。

Appleの製品はそのほとんどが、パーソナル向けの製品ばかりです。個人が個人のために好きなように使うのがApple製品です。世界で最も素晴らしいのは個人が持つ可能性だ、とAppleはMacやiPhoneやiPadをつくりながら、メッセージを発信し続けているのだと私は感じ取っています。

WRITER PROFILE

山本久之

山本久之

テクニカルディレクター。ポストプロダクション技術を中心に、ワークフロー全体の映像技術をカバー。大学での授業など、若手への啓蒙に注力している。