txt:林永子 構成:編集部
日本のミュージック・ビデオ(以下:MV)シーンを超近視的に目撃してきた映像ライターの林永子が歴史を振り返る。今回は、2000年代初頭についてまとめた前回より引き続き、2004~2006年あたりの熱狂的な状況について記してみたい。
2004年といえば、90年代後半よりミリオンおよびダブルミリオンヒットが続出した音楽バブルがいよいよ崩壊し、年間を通じて100万枚セールスを記録する楽曲が現れなかった年代。映像制作者はCDの売上低迷に伴う制作費の削減等、深刻な現実と直面することとなる。しかし彼らは、音楽とMVカルチャーへの深い敬愛より、「低予算・高品質」の期待に応えた。
2004年の代表作
年間売上1位は平井堅「瞳をとじて」。MVの演出は人気CMディレクターであり、真心ブラザーズの楽曲をベースとした短編映画「真心 My name is MAGOKORO」(2001年)や、ドラマ「私立探偵 濱マイク」の2話(2002年)等も手がけた前田良輔だ。アニメーション作家の伊藤有壱(I.TOON)による次作「キミはともだち」MVも話題となった。
チャート上位にはMr.Children「くるみ/掌」(発売は2003年)もエントリー。「くるみ」MVは、前回紹介した「youthful days」「君が好き」に引き続き、2000年初頭を代表する人気MVディレクター丹下紘希が担当。中年バンド「MR.ADULTS」が登場するドラマ仕立ての演出が注目を集めた。
その両A面シングル「掌」のMVは、当時は若手ディレクターだった島田大介が大抜擢。当時は島田氏を筆頭に、ELECROTNIK、児玉裕一、清水康彦、スミス、田中裕介、辻川幸一郎、長添雅嗣等、後のMVシーンを牽引する若い世代のクリエイターが続々と話題作を手がけていた。
また、映像コンテンツへの期待からか、MVを含めた映像コンテンツをDVD作品を発売するケースも多かった。HALCALIのDVD「春狩デーヴィーデー」には、ボーナストラックとしてリミックスMVが登場。「タンデム」MV(2003年 Dir:田中秀幸)を、「ストロベリーチップス」MV(2004年)のディレクターのタナカノリユキが「タンデム/ギリギリ・サーフライダー タナカちがいMix」として、また田中氏は「ストロベリーチップス 田中ちがいMix」として制作。
さらには、お茶の間でも大人気の真島利一郎による映像作品「スキージャンプ・ペア」(2003年「スキージャンプ・ペア オフィシャルDVD」発売)のHALCALI編も収録。同DVDジャケットのアートディレクションも行っている田中氏だが、2004年は盛大なモブの描き方が衝撃的な石野卓球「The Rising Suns」MVも大きなインパクトを与えた。
ジャケットといえば、2002年に公開された映画「ピンポン」の主題「YUMEGIWA LAST BOY」が人気を博したSUPERCARのアルバム「ANSWER」。グラフィックアーティストの第一人者である田名網敬一の濃密なアートワークが注目を集めた。アートディレクションを担当した宇川直宏は、2003年「RECREATION」MVも手がけている。
オリジナルコンテンツの発売
同年、クリエイティブプロダクション「P.I.C.S.」は、オリジナルコンテンツであるライブメーション(実写+CGアニメーション)作品「Trainsurfer」(Dir:中尾浩之)を制作。MTV JAPANで放映され、大きな話題を呼んだ。翌年には同じく中尾氏の新作「スチーム係長」がテレビ東京系列で放映。両作品ともに2006年にDVD発売されている。
中尾氏はオリジナル作品を精力的に発表する作家として人気だが(なんと今年は小説も上梓!)、CMやMV(2004年は氣志團「族」等)も演出している。同P.I.C.S.所属のディレクターは、他にも作品制作から映像広告まで幅広く手がける秀逸な人材が多い。
2004年頃のMVの一例を挙げると、CM等で人気の内野政明は東京事変「群青日和」を、絵画にタイムラインを吹き込むかのような作風の喜田夏記は荘野ジュリ「駅ニテ」「マーメイド」等を演出。2005年に初長編映画「隣人13号」が公開された井上靖雄は、同年全米進出したPUFFY「JOINING A FUN CLUB」MVを手がけている。
また、2004年は西郡勲による壮大なアニメーションMV、ACIDMAN「彩 -SAI- (前編)」が誕生。その続編という形をとった「廻る、巡る、その核へ」MVも大きな話題となり、両者を合わせた作品が文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞を受賞した。
その文化庁メディア芸術祭は、1997年より開催。MVを筆頭に音楽メディアを活用したエンターテインメントコンテンツやアート作品等が数多く出展され、年に一度行われる受賞作の上映イベントも毎年人気を博している。
世界に広がるMV表現
プロモーショナルユースではなく、音楽と映像の純然たるコラボレーション作品として制作されたワールドワイドな事例も2004年に登場した。90年代よりCGを駆使したMVをいち公開していたKEN ISHIIのアルバム「Future In Light」(2002年)収録曲を、国内外の人気クリエイターが映像化(DVD&CD「Interpretations for KEN ISHII – Future In Light Visualized & Remixed」に収録)。
作品は「Visionary World」(Dir:Jake Knight(Neo))、「Presto」(Dir:Elecrotnik、Michihiro Yawaka and Imaitoonz)、「Beep Twist」(Dir:Logan)、「Future Is What We Are」(Dir:貫井勇志)、「Strobe Enhanced」(Dir:teevee graphics)。
本企画をプロデュースしたのは、1996年より世界各国で開催されている最大級のデジタルフィルムフェスティバル「RESFEST」にて、日本のディレクターを務めていたNowonmediaの山本加奈。同氏はのちに映像WEBマガジン「white-screen」の編集長を、現在は伊藤ガビンとともに「NEW REEL」の編集長を務め、長く日本の映像シーンに貢献し続けている。
その「RESFEST」を筆頭に、同じく1996年より開催されているイギリス発信のデジタル映像・メディア祭「onedotzero」や、世界のクリエイティブシーンを紹介するオンラインマガジン「SHIFT」主催のデジタルフィルムフェスティバル「DOTMOV FESTIVAL」、エレクトロミュージックとメディアアートの祭典「Sonar」等にて、日本のMV作品が評価される機会が増した。
コンピュータグラフィックスの分科会である「SIGGRAPH Asia」や、ブロードバンドデザインのアワード「PromaxBDA」には、CGやモーショングラフィックス作品はもちろん、音楽専門チャンネルのSTATIONIDや番組タイトルパック等も出展され、世界の広告祭、映画祭、アニメーション祭等で紹介される機会も増加した。
折しも2004年は、人気MVディレクターのミッシェル・ゴンドリー、スパイク・ジョーンズ、クリス・カニンガムによる、ディレクター名義のMV作品集「Directors Label」シリーズ(Asmic)が発売。Aphex TwinやLFO、Squaepusher等が所属するUKのテクノレーベル「Warp Records」も設立15周年記念のMV集「Warp Vision」DVDをリリースするなど、世界的にもMV人気は高まる一方の機運にあった。
2005年、日本のMVシーンを牽引するCAVIAR
前年に続きミリオンヒットに恵まれなかった2005年。年間1位の修二と彰「青春アミーゴ」(MV Dir:井上強)は、翌年以降も続くロングヒットによってトータルで約160万枚のセールスを記録したが、10年前の音楽バブル時と比較してCD産業の売上は深刻な減少傾向にあった。
その他チャート上位には、萩原聖人と鈴木えみが主演したケツメイシ「さくら」(Dir:山口保幸)や、ORANGE RANGE「*~アスタリスク~」(Dir:三木孝浩+田原英孝)等、MVの話題作もランクイン。同年公開された映画「NANA」に出演した中島美嘉による主題歌 NANA starring MIKA NAKASHIMA「GLAMOROUS SKY」も話題となった。
こうしたチャートとは一線を画したJ-POPや新しい音楽ムーブメントも勃興した同年は、新時代の到来を体現する革新的なMVや実験的な映像表現が数多く台頭した。そのシーンを代表する映像クリエイターといえば、2005年に最も注目を集めたMV作品であるYUKI「JOY」を手がけたCAVIARの中村剛(2005年の代表作例:TOWA TEI with Ryuichi Sakamoto & Yukalicious「Milky Way」、m-flo loves Emily & Diggy-MO’「DOPAMINE」、m-flo loves Emyli & YOSHIKA「Loop In My Heart」等)。
80年代よりビデオアーティストとして活動し、MVやファッション映像、MTV JAPANのSTATION ID等を手がけていた中村氏は、2000年に「CAVIAR」を設立。2006年には人気ディレクターの児玉裕一が(現在はVIVISION)、2007年には田中裕介等が参加し、以降日本の映像クリエイティブシーンを牽引するチームとして国内外問わず高い評価を得ている。
児玉氏の2005年の代表作は、ランドセルを背負った小学生ダンサー「ストロングマシン2号」等のダンス表現が話題となったPOLYSICS「I My Me Mine」MV。他方、CMプロダクション「ピラミッドフィルム」に在籍していた田中氏は、20代半ばで初めてディレクションしたMV作品SOUL’d OUT「イルカ」を手がけ、注目を集めた。
複数のクリエイターが集う映像表現
また、同年は、ブレイクビーツユニットHIFANA主催のイベント「ZAMURAI」を映像化したスペースシャワーTVの特別番組「ZAMURAI TV」(2004年放映 Dir:中村剛)のDVDが発売。
HIFANA以下出演者(AFRA、GAGLE、DJ KENTARO、TUCKER等)のパフォーマンスを収録し、その素材をモチーフに中村氏が声をかけた映像クリエイター陣(ヒロ杉山、ELECROTNIK、児玉裕一、清水康彦、木村和史等)が自由に映像表現するという画期的な企画に加え、それぞれに趣向を凝らした表現力が大きな反響を呼んだ。
そのHIFANAは、同年架空の放送局がコンセプトのCD+DVDアルバム「CHANNEL H」をリリース。神風動画が3DCGアニメーションを担当した「WAMONO~和モノ」(Dir:+CRUZ(W+K 東京LAB))を筆頭に、多彩なMV作品を制作・収録している。
他の収録作品:「WWW.HIFANA.COM」(Dir:ELECROTNIK)、「BANZAI COOKING feat.ガーまるちょば」(Dir:VJ GEC(KAZUFUMI KIMURA))、「AKERO feat.TWIGY」(Dir:+CRUZ)、「MR.BEER」(Dir:VJ GEC(5JGN)
当時は、アルバム収録曲の全曲分のMVや、楽曲からインスパイアされたオリジナル映像を制作し、DVDリリースする事例も多かった。2005年の代表例は、RIZE「SPIT &YELL」CD+DVD2枚組。DVDには「Visuarise Movie」と題した30分のオリジナル映像が収録され(制作:P.I.C.S. Dir:井上卓)、劇場での完成披露試写会も行われた。
この作品は、CDの全14曲より11曲を抜粋し、映像のコンセプトに合わせて曲順を変え、実写、3DCG、手書きアニメーション等、様々な手法を散りばめながらひとつの世界観を築きあげている。複数のクリエイターや表現方法がひとところに集うオムニバス形式の映像作品が定番化したことも2000年代半ば頃の特徴かもしれない。
幅広く活躍するクリエイターたち
その他、2005年の話題作として欠かせないMVが、独特なテンポ感のアニメーションが人気のHALFBY「RODEO MACHINE」(Dir:groovisions)。以降「SCREW THE PLAN」「Halfbeat」「STAR TRACK」と同表現のMVシリーズ展開が続く中、翌2006年には「RODEO MACHINE」のバージョンアップ作等を収録したgroovisionsのオリジナルDVD「GRV2283、GRV2284」がNowonmediaから発売。
また、のちに同MVの作風を活かした農林水産省の動画「食料の未来を確かなものにするために」(2008年公開)をgroovisionsが手がける等、ひとつの映像の世界観を拡張させる独自の展開をみせている。
同じMVでも、ジャンルレスに幅広く活躍されているクリエイターという意味では、冒頭で紹介したケツメイシ「さくら」をディレクションした山口保幸の活躍も印象深い。その大規模なドラマ仕立ての演出から一転、同年は得体の知れない生物が登場するゆらゆら帝国「タコ物語」のようなアイデア勝負のミニマルなMVも手がけている。
ゆらゆら帝国のMVといえば、山口氏が手がけた、ひょっとこのお面をかぶった3人がただただ踊り続ける「夜行性の生き物三匹」(2003年)も視聴者の度肝を抜いた。こうしたワンアイデアの映像が成立するのは、山口氏が80年代から音楽映像に着手した第一人者であり、MVの総演出本数が最多数と言われる音感映像の達人だからである。
2005年は、サンボマスター「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」「歌声よおこれ」、LITTLE CREATURES「NIGHT PEOPLE」等も手がけ、スペースシャワーTVのMVA06にてベストディレクターを受賞。その後は、嵐やHey!Say!JUMPといったジャニーズから、星野源、サカナクション、若手バンドまで、ジャンルや規模を超えた活躍が続いている。
最後に、CMディレクターがMVを手がける事例について。90年代より引き続き該当例が散見されたが、2000年代中頃は、人気若手CMディレクターが2004年に結成した「THE DIRECTORS GUILD」のメンバーによるMVがひときわ話題となった。
まずは2004年、柴田大輔が、巨大ザリガニがプールで大暴れするASIAN KUNG-FU GENERATION「君の街まで」を演出(Pl:松村祐治)。2005年には芳賀薫が奥田民生「海の中へ」、細野ひで晃がグループ魂「本田博太郎~magical mystery UPAAAAAAAAAA!!!!!」を手がけた。
翌2006年には、芳賀氏がディレクションしたテレビの音楽番組設定の平井堅「POP STAR」が大きな反響を呼んだ。また、小島淳平は、海中撮影されたYOUR SONG IS GOOD「SUPER SOUL MEETIN’」(2006年)や、木村カエラが登場するBEAT CRUSADERS「TONIGHT,TONIGHT,TONIGHT」(2009年)を演出。
いずれの作品も、若くして大手企業や有名商品のCMを手がける彼らの優秀なキャリアとともに、MVを専門的に手がけるクリエイターとはまた趣の異なる発想に注目が寄せられた。
2006年のヒットチューン
2006年は、KAT-TUNのデビュー作「Real Face」が3年ぶりにミリオンヒットを記録。3位には亀梨和也(KAT-TUN)と山下智久(NEWS)によるユニットであり前年の年間1位の修二と彰「青春アミーゴ」が、4位には山下智久「抱いてセニョリータ」がランクインするなど、ジャニーズ事務所の所属タレントがチャート上位を占拠した。
2位はレミオロメン「粉雪」(2005年11月発売)。MVの演出は90年代より活躍するトップクリエイターの丹修一。同年は、丹氏がMVを手がけたhide with Spread Beaver「ピンクスパイダー」(1998年)をRIZEがカバーし、そのMVを丹氏が担当する世代バトンの継承企画も話題となった。
また、同年リリースのレミオロメン「アイランド」MVは、丹氏同様に90年代よりMVクリエイティブの第一線を牽引する竹内スグルが演出。荒海の沖合で溺れるようにもがく男の姿(葛藤)をただひたすらに映した衝撃的なキービジュアルが多くの視聴者の目を釘付けにした。
新時代の女性シンガーとして台頭したのは倖田來未。2004年の庵野秀明監督映画「キューティーハニー」の同タイトルの主題歌(MV Dir:井上哲央)や、同年放映のドラマ「ブスの瞳に恋してる」の主題歌「恋のつぼみ」(MV Dir:セキ★リュウジ)等を経て人気が上昇。
2005年末から12週連続でシングルをリリースするという攻めの企画も勢いを後押しし、様々なクリエイターが手がけたMVも同年代の話題作となった(「you」Dir:久保茂昭、「Birthday Eve」Dir:須永秀明、「Shake It Up」Dir:田所貴司、「No Regret」Dir:武藤真志・田原英孝等)。
この演出陣の中では若手となる久保茂昭は、EXILEのMVや今年も新作が公開された映画「HiGH&LOW THE MOVIE」映画シリーズおよびドラマシリーズ(日本テレビ系列)の監督を務めている。当時は、MINMI「サマータイム!!」(2005年)やHOME MADE 家族「真夜中のダンスコール」、先述の「抱いてセニョリータ」等のMVも手がけ、頭角を現した。
また、連続リリースものや複数曲の同時発売の場合、そのMVは物理的な事情により複数の映像クリエイターに振り分けられるケースが多い。2006年はTHE BIRTHDAYが3ヶ月連続リリース。「stupid」(Dir:島田大介)と「KIKI The Pixy」(Dir:番場秀一)等のMVも人気を博した。
人気映像クリエイターの動向
同年はCorneliusが5年ぶりにリリースしたアルバム「Sensuous」より、名パートナーの辻川幸一郎が手がけた先行シングル「Music」のMVが公開。ビューアーは改めてAudioとVisualの信号が美しく同期する「MV=音楽映像」の感覚表現に魅せられた。その「Sensuous」からは全楽曲のMVが誕生。groovisionsや高木正勝も参加した作品群はDVD「SENSURROUND」(2008年)としてリリースされた。
また、Mr.Children「箒星」の初回限定版付属DVDには、同作のMVの世界観を約18分のショートムービーとして展開した「箒星 -Ordinary Beauty-」が収録(Dir:丹下紘希)。スペシャル映像コンテンツがCDの初回盤の特典となるケースが増加したのもこの頃だ。
同年は、前年に引き続き、島田大介(代表作例:SHAKALABBITS「SADISTIC AURORA SHOW」(2005年)、木村カエラ「BEAT」「Circle」(2006年)等)や、児玉裕一(代表作例:キャプテンストライダム「風船ガム」、ミドリカワ書房「I am a mother」、GO!GO!7188「近距離恋愛」(2006年)等)等、新世代のクリエイターの活躍が目覚しかった。
若手有望株の田中裕介(代表作例:APOGEE「ゴースト・ソング」、平井堅「バイマイメロディ」(2006年)等)や、teeveegraphicsにて小島淳二のアシスタントを務めていた長添雅嗣(代表作例:BOOM BOOM SATELLITES「Kick It Out」、髭(HiGE)「ロックンロールと5人の囚人」(2006年)等)も頭角を現した。
児玉氏は同年、田中氏は翌年「CAVIAR」に参加。その主宰である中村剛は、2006年にはくるりとリップスライムのコラボレーション企画(リップスライムとくるり「ラヴぃ」、くるりとリップスライム「Juice」(Dir:グルービジョンズとキャビア))のMVが話題となった。
また、中村氏は新人アーティストAYUSE KOZUEのデビュー作「boyfriend」MVを田中裕介とともに共作している。続いてリリースされた「PRETTY GOOD」は小島淳二が、「君の優しさ」はヴィジュアルディレクション全般を担当していたTycoon Graphicsの宮師雄一が演出。秀逸なクリエイティブが集結する豪華3部作となった。
複数のミュージシャンや映像クリエイターによる合作という意味では、HIP HOPやレゲエ、ブレイクビーツの楽曲にてフィーチャリングゲストを迎える際に豪華な映像コラボレーションが行われる傾向にもある(例:RYO the SKYWALKER & THE FRIENDS「Perspire Video Mix」(Dir:木村和史)、AFRA & INCREDIBLE BEATBOX BAND「MOUTH MUSIC feat.TAKKYU ISHINO,SHINCO」(Dir:SHASHAMIN & easeback)等)。
YUKI「メランコリニスタ」「ふがいないや」等のMVを手がけるアートディレクター・平野文子や、山崎まさよし「カーテンコール」を演出したプランナー・大宮エリー等、女性クリエイターの活躍も目覚ましい中、同年はインターネット上での話題拡散および動画シェアの広告企画を行う「バイラルCM」の先駆として、NIKE iDのプロジェクトチームが手がけた「COSPLAY」が大流行。色とりどりの衣装を身にまとったコスプレイヤーが秋葉原に集合した動画は、世界から高評価を得た。
「低予算・高品質」の功罪
以上のように、新世代の映像クリエイターも台頭し、多様かつ多目的な用途を望まれたMVシーンは活性化したが、冒頭で説明したように制作費は減少傾向にあった。が、MV自体は新曲リリース時に欠かせないコンテンツとしてすでに定着していたため、需要自体は変わらずあった。
前時代より続く人気は衰えないどころか、話題作を手がける映像クリエイターへの期待値も含めて、ますます加熱する一方だった。が、予算が潤沢にあった前時代同様の方法論およびクオリティを維持するための条件(プラン、予算、納期等)は現実的に整わない。だからといって容易にクオリティを下げるわけにはいかない。
<低予算・高品質>を求められた映像制作者たちは、精一杯の誠意とプライドをかけてその難題を打破するアイデアを練り、実現してみせた。その現状がMV制作者にもたらしたものは何か。以下、背景を説明してみたい。
前回Vol.06にて、①音楽産業の動向、②映像制作機材の変化、③インターネットの台頭が、④MVの制作環境に変化を促したと記した。
④MVの制作環境
- 制作予算の低下(①)
- 制作費の低額化(②)
- 大所帯のチーム制作から少数精鋭のワークスタイルへ
- 制作者の労力やアイデアへの対価
デスクトップ制作を筆頭に、リニア時代の非合理的な手間を安価で解消できる映像制作環境は、低予算のMV界にて面目躍如の大活躍をみせた。チャンスを得た若手映像クリエイターも大いに才能を発揮し、秀逸なMV作品を競うように誕生させた。クリエイター自身の人気も高まり、彼らのもとには依頼が殺到した。
ある種、熱狂的な状況にあったが、表層的な功績のみを指して讃えることは、手放しにはできない。なぜなら、<低予算・高品質>を望まれたMV制作者が、まさしく「お金をかけなくても素晴らしいMVが作れる」と証明してしまったがために、ますます予算が上がらないといった自らの首を絞める事態に陥ったからだ。
もとより邦楽MVは、短尺の映像広告であるCMと比較して制作費が安い。歴史も浅く、人間のアイデアや労力といった単価のない価値には相場もない。90年代当初は予算という概念もなく、アイデアと見積もりを参照しながら制作費のあたりをつけたり、お金の話をせずに、制作し終えた後にかかった費用をレコード会社に請求するような取引もあったと聞く。
90年代は好景気とあり、多額の制作費をかけたMVも誕生する中、同業者によるカルテルのような連携もなかったため、かえって低額で制作を請け負う営業サービスもまかり通った。映像制作業界全体から見れば、そもそもMVは価格破壊によって成立しているコンテンツであった。
アイデアと労力への対価
新しい機材や環境を利用すれば、かつてより縮小した予算でも、ある程度の品質を保証することは可能となった。が、それは額面上の話というものだ。実働において、お金や時間で解決できない不足を補うためには、映像制作者たちの過重な労力が必要不可欠となってくる。
しかし、制作人件費や演出のギャランティといった「労力への対価」は増額しない。全体予算に合わせて縮小されている。つまり、愛情と労力を注ぎ込んで制作すればするほど、品質は高まり、身銭は減り、労力は疲弊する。かくしてMVの制作環境が不健全化する。
それでは、予算に見合ったそれなりのアイデアを実行すればいいのではないかと思う人もいるかもしれないが、表現者として、MVカルチャーに携わるクリエイターのひとりとしての矜持がそれを許さない。実際にそれなりのMVを納品したところで、熱量も完成度も高いMVがそろい踏みの状況において、見劣りするのは明らかだ。
なにより素晴らしいMVを提供するために、彼らは全精力を注ぎたい。不景気だからこそ映像の力で敬愛する音楽やミュージシャンを応援したい。しかし、目前の現実問題は根性論では解決できない。学生や若手フリーランスをますますの低予算で買い叩くような事態も勃発する中、MVの制作者は③インターネットの台頭により、改めてMVというコンテンツの特殊さに気づかされるに至る。
協会の発足
当時のレコード会社は、音楽ファイル共有サービスやデジタル音楽配信の開始に伴い、それまでの著作物の概念や権利の扱い方を刷新する必要に迫られていた。
インターネットを利用すれば、世界に向けて「情報」を発信するチャンスは広まるが、商品の著作者として、著作権侵害に値する違法コピーや無償ダウンロードの助長を手放しに許すわけにはいかない。特に日本の音楽産業は国内市場に向けて展開されるケースが多いため、まずは足場を保守し、新しいプラットフォームとの向き合い方について各社・各団体が協議を重ねる最中にあった。
2005年には世界最大の動画共有サービスYouTubeが開設。音楽データを含む映像コンテンツの共有が始まった。ユーザーは、音楽専門チャンネルの録画やDVD商品より得たMVをYouTubeに違法アップロードする。レコード会社は「それは違法行為だ」と忠告し、削除申請を行い続ける。このキリがない攻防の最中、MVの制作者たちにも「待った」がかかる。
当時は、制作会社やクリエイター個人がインターネット上にホームページを開設し、主にテキスト情報を掲載していたのだが、インターネット上に動画コンテンツが増加していくタイミングで、自らの手がけたMVも閲覧できるようにしたいと考えた。が、レコード会社からの許諾が下りない。それは音楽の原盤権の扱い方について懸念があったからであり、各社の足並みが揃わないうちは容認できないという見解を各レコード会社は述べた。
新しいメディアである映像と比較して、長い芸能の歴史の中で守られてきた音楽の著作権が強固であることは理解できる。景気低迷とプラットフォームの移行期に対し慎重な姿勢を崩さない事情もわかる。MV制作は概ね買い取り契約であり、成果物の納品とともに著作権をクライアントに譲渡するという通例があるため、映像サイドの判断のみで自由に公開できるコンテンツではないことなど先刻承知の上である。
道理はわかるが、「MVの制作者には、自ら手がけたMVを、自分のホームページで公開する権利がない」という現実に改めて直面した当時者たちは、落胆した。というのも、先述の通り、当時のMV制作は費用と時間の不足を映像制作者の労力およびアイデアに過重に頼って補う傾向にあったからだ。
実際に人気クリエイターが全権を委ねられ、スタッフの不眠不休の作業で進む案件もあり、作品の品質維持と責任の比重が映像サイドに大きく傾ケースもあった。その映像制作者が「これは自分の作品だ」と言えない状況とは、いかにも不平等・不健全ではないか。
その頃、MVライターとして連日連夜を映像制作者たちと過ごしていた当方は、様々な制作当事者の意見を聞く立場にあった。それまで個々に活動していた多くの制作会社が、労働組合や協会の必要性を訴えていた。当方はクリエイティブプロダクションで自社に編集室を設けていた株式会社ライトニングの佐藤武司とともに、関係各社・各人に声をかけ、環境改善について議論する機会を設けた。
度重なる意見交換を経て、2007年日本音楽映像製作者協会(J-MVPA)が発足。制作プロダクションが横の連携を強めることによって、MV制作への理解を深め、より良い環境での制作を目指す活動が行われた。協会長は日本のMVの第一人者である中野裕之。
前回のVol.6から今回のVol.7にかけて、素晴らしいMV作品および制作者の情報をお伝えしてきたが、その背景には映像制作者たちの並並ならぬ努力と愛情があったことを改めてここに記しておく。
次回は2000年代後半
さて、次回はいよいよ2007年~2009年あたりのMVシーンについて。当方は、協会の立ち上げを少しお手伝いしたあと、佐藤氏とともに新たなMV文化支援プロジェクトを立ち上げた。インターネット上でクリエイター別にMVを視聴できる日本発のサイト「Tokyo Video Magazine VIS」(2008年)の運営である。
次回はその話に加え、代表作や時代背景について詳述する。折しも2008年は、ユニバーサルミュージックが先陣を切ってYouTubeに公式チャンネルを開設。以降、MVを視聴する場としてPC、携帯電話が加わり、2010年代のSNSでの情報拡散によって本格的に視聴プラットフォームが移行することとなる。