txt:林永子 構成:編集部
日本のミュージック・ビデオ(以下:MV)シーンを超近視的に目撃してきた映像ライターの林永子がその歴史を振り返る。
今回は、前2回に渡って記してきた2000年代の動向(Vol.6:2000~03年、Vol.7:04~06年)の最後を締めくくる、2007~09年あたりの日本のMVシーンについて整理する予定だった。が、書き出してみたところ、2007年に新しい試みが集中していることに気がついた。
特に新規メディアの台頭や仕組みの刷新といった、MVを扱う場に変化が生じ、新陳代謝を促した印象が残る。その事例と背景について、2007年に焦点を絞って総括する。
音楽配信の時代到来
まずは、音楽産業における時代背景について少しおさらいしておきたい。2000年代はCDの売上が低迷すると同時に、音楽のデータ配信が開始された年代である。
1999年にアメリカで設立され、何かと物議を醸した「Napstar」等の音楽ファイル共有サービスや、2001年に発売された携帯型デジタルオーディオプレイヤー「iPod」シリーズ(現在はiPod touch)、2003年より配信サービスを開始した「iTunes Store」など、ネットワークを介した新しい音楽プラットフォームが台頭。
2005年には世界最大級の動画共有サービス「YouTube」が始まり、「音楽を聞く場所」「映像を視聴する場所」がPCや携帯端末上に集約されていく。視聴環境の移行は、サブスクリプション時代の現在より見通せばごく自然な流れではあるのだが、当の20年前の音楽産業にとっては脅威であり、著作権法の観点からも非常識と捉えられた。
問題点は、PCでのデジタル音楽データのリッピングや、世界中の不特定多数の匿名者によるファイル共有ソフトを利用した違法アップロード・ダウンロード等。それらは著作権侵害であり、原盤権をもつ音楽制作者・音楽出版社ならびに製品販売に関わる事業者の従来の利益を著しく損害すると見做された。
日本では、レコード会社各社が協議の上、リッピングや違法コピーを阻止するためのコピーコントロールCD(CCCD)を各社の規格で発売するなど、業界全体で対応策に取り組んだ。また、ソニー・ミュージックエンタテインメントは自ら有料音楽配信サービス「bitmusic」(1999~2007年)をいち早く設立し、自社の音楽配信データを管理する方針を打ち出した。
また、主に国内市場に向けて展開する日本の音楽産業ならではの活躍をみせたのが、2002年にau等の携帯電話端末でサービスを開始した「着うた」だ。最初にリリースされた楽曲はCHEMISTRY「My Gift to You」。それまで音楽を使用した携帯電話の着信音といえば、着信メロディ(通称「着メロ」)が定番だったが、ミュージシャン本人の歌唱も加わることによりユーザーの購買欲をそそると同時に、提供する側の新たな活路として利益をもたらすメリットもあった。
2000年代中頃の「着メロ」市場は1100億円だったのに対し、サービスが開始されたばかりの「着うた」は200億と規模が小さかった。その後、価格やデータ量、通信速度の改善、「着うたフル」導入(2005年)等によって市場が拡大。2000年後半には「着メロ」と同規模の市場へと成長を遂げた。
その過程において、「着うたフル」の配信売上がシングルCDの総売上を上回ったのが、2007年の邦楽産業に訪れた重大事である。
2007年の邦楽ランキング
そんなプラットフォーム移行期に、CDのミリオンセラーを達成したのは売上総合1位の秋川雅史「千の風になって」(2006年発売)。2位の宇多田ヒカル「Flavor Of Life」(MV Dir:高畑淳史)は、iTunes Storeでの配信売上第1位。リリースから半年以内に、その他の配信サービスを合わせて700万ダウンロードを突破し、デジタルシングル売上世界1位の記録を打ち出した。
3位はコブクロ「蕾(つぼみ)」(MV Dir:丹下紘希)。前年に発売したアルバム「ALL SINGLES BEST」がダブルミリオンを達成し、「千の風になって」同様のロングセールスを記録。シングル4位の嵐「Love so sweet」(MV Dir:山口保幸)、5位KAT-TUN「Keep the faith」等、デジタル配信に対応しない(当時)ジャニーズ事務所のグループも健闘。既存の方法論と新世代の解釈が混在する特長がチャートからも伺える。
また、購買や視聴のみならず、音楽制作のプラットフォームをPCに移行したり、部分的に導入するミュージシャンも台頭。アメリカの元祖音楽SNS「Myspace」(2003年~)や、ドイツ発祥の音声ファイル共有サービス「SoundCloud」(2007年~)等も登場する中、個人所有のPCで音楽制作をおこなう一般ユーザーも含めて、誰もが世界に向けて瞬時に音源を発信できる時代が到来した。
その自由度と比較して、CD音源を制作し、販売ルートに乗せる従来の方法論は、労も多ければ時間もお金もかかる。音源の発表(=発売)にこぎ着けるまでのハードルも高い。が、従来の業態に則り、レコード会社との契約金や印税を発生させなければ利益があがらない点を指摘する声も聞く。かくして革新的な仕組みと保守的な業態がそれぞれの立場で意見をたたかわせた。
ひと目見て印象に残るMVのインパクト
音楽を含む映像もまたインターネット上に開放されつつあった。が、日本のMVの視聴プラットフォームがテレビからPCや携帯端末に移行するのはもう少し先の話である。
というのも、それまで匿名ユーザーによる違法アップロードと削除申請の終わらないもぐらたたきを展開していた日本の各レコード会社が、YouTubeに公式チャンネルを設立し、レーベル公式のMVを公開し始めたのが2008年以降。2007年はまさしく公開前夜とあり、テレビモニターで視聴した時の印象を念頭に置いて制作されるMVが多数を占めた。
以下、代表的なMVを挙げるが、まずはグラフィックユニットTGB design.の石浦克が手がけたCUBE JUICE「BUNKA」MVを紹介しよう。本作は、古代から現代に至るまでの音楽文化を辿る3DCG作品。打楽器からドラムセットまで、またターンテーブル、PC、iPod等、演奏や視聴環境の歴史を総括する内容は、まさしく2007年に至る音楽の進化状況を象徴している。
全体的には、前回に引き続き、デスクトップで映像制作をおこなうクリエイターに人気が集中。CGや合成編集ソフトを駆使するばかりか、実写、アニメーション、モーショングラフィックス等、あらゆる手法を詰め込んだ自由闊達な映像表現を得意とする彼らは、ひと目見て印象に残る、インパクトの強いMVを数多く誕生させた。
例えば、オファーが絶えない人気ディレクターのひとり、島田大介が手掛けた10-FEET「STONE COLD BREAK」MV。横長に配置されたメンバーとエキストラ総勢40名によるスーパースローなアクションをカメラが追う。ひとりひとりの動作も見逃せないが、ハイスピードデジタルカメラ「Phantom」を車に乗せ、全員が一斉にアクションする様子を、走行しながら4秒(4000コマ/1秒)で撮影したアイデアも話題となった。
島田氏と同世代の児玉裕一もまた飛躍的な活躍をみせた。パンツ丸見えの女性ダンサーが強烈なインパクトを残す東京事変「OSCA」MVは、同2007年に公開した途端に世界を魅了した「UNIQLOCK」を筆頭に、ダンスを取り入れた感覚表現を得意とする児玉氏ならではの演出。雨の遠奏シーンが印象深い東京事変「キラーチューン」MVに見受ける、ミュージカル調の演出も児玉作品の魅力のひとつである。
MVの用途を拡張する「Branded Music Video」
同年、児玉氏はSonyのVAIOとコラボレーションしたRIP SLYME「I.N.G」MVと商品CMも演出している。この企画は、音楽専門チャンネルMTV JAPANが展開する「Branded Music Video」(MV=楽曲とCM=商品がコンセプトを共有しながらシンクロするプロジェクト)の一環として制作された。
それぞれのブランド力を掛け合わて相乗効果を狙う同企画のその他の事例は、Crazy Ken Band「HEMI HEMI DODGE CRUISING」、翌2008年には伊藤由奈「恋はgroovy×2」+GAP、Perfume「シークレットシークレット」+pino等。
その「シークレットシークレット」の演出も児玉氏だが、2005年のメジャーデビュー時以前より現在まで、PerfumeのCDジャケットのデザインとMVの演出を手掛け続けているのは関和亮。折しもPerfumeが「ポリリズム」で一気にブレイクしたのが2007年。その後、関氏もPerfumeも、偉業というにふさわしいパフォーマンスや映像表現を通じて飛躍的な活躍を遂げることとなる。
また、同年は電通ミュージック・アンド・エンタテインメントも、MVと企業CMのコラボレーション企画「ミュージック・ビデマーシャル」をプロデュース。ソニーエリクソン×YA-KYIM、KDDI×EXILE等、コンセプトを共有したうえで映像制作をおこない、MVの「楽曲のプロモーション」以外の用途を広げる試みがおこなわれた。
この頃には、企業HPや特設サイトでの映像コンテンツの取り扱いも増加した。Twitterの日本語サービスが開始された2008年(携帯電話対応は2009年)以降は、SNSでの情報拡散が有力なPR手法となり、テレビ放映される従来のCMとは一線を画したWEB CM、WEBムービーの制作需要が急速に高まった。結果、MVを手がける映像クリエイターたちの活路も広がっていったのだが、その状況については、後日、該当年にて詳述する。
若手アップカミング
上に記した児玉氏、島田氏、関氏は、ほぼ同世代(当時30代前半)。日本では1970年代より制作されているといわれるMVも、新陳代謝を繰り返し、黎明期を牽引してきた第一世代、90年代の熱狂期に活躍した第二世代の背中を追う若い世代の活躍が目立った。
さらに若い世代の才能あふれるクリエイターが集結した事例として、椎名林檎×斎藤ネコ「平成風俗大吟醸」DVDを挙げたい。同年公開の映画「さくらん」(蜷川実花監督)の音楽を担当した椎名林檎が同アルバムを制作。先行シングル「この世のかぎり」(MV Dir:番場秀一)以下、アルバム収録曲のMVを、主にモーショングラフィックスを得意とする次世代クリエイターの手に委ねた。
収録作品:「ギャンブル」Dir:木津裕史、「茎」Dir:針谷建二郎+黒田潔、「錯乱(TERRA ver.)」Dir:池田一真、「ハツコイ娼女」Dir:橋本大祐、「パパイヤマンゴー」「ポルターガイスト」Dir:山口真人、「意識」Dir:笠原紗千子、「浴室」Dir:くろやなぎてっぺい、「迷彩」Dir:市村幸卯子、「カリソメ乙女(TAMEIKESANNOH ver.)」Dir:木綿達史、「花魁」Dir:志賀匠、「夢のあと」Dir:山下裕智、「カリソメ乙女(DETH JAZZ ver.)Dir:梅村麻里&ジョナサン・バウンド
クレジットは文字数の都合上、監督のみに留めたが、他にもアニメーターやCGクリエイター、デザイナー、実写スタッフ等、数多くのスペシャリストおよびスタッフが各作品に携わっていることをここに明記しておく。
プロデュースは、日本最大のクリエイティブカンパニーP.I.C.S。この監督陣は平均年齢30歳以下と若く、才能と可能性を見出されて抜擢された。その中のひとり、当時24歳だった志賀匠(2006~7年の代表作:sports「animal」、GRAPEVINE「FLY」、湧口愛美「炎の女」等)は児玉氏の弟子にあたる。
志賀氏と同年齢のディレクターといえば、80年代よりMV制作に着手した第一人者、山口保幸の弟子にあたる清水康彦。若干21歳の頃にHi-5「ability」MVを手掛けた以降、話題作を演出している(2006~7年の代表作:DOPING PANDA「MIRACLE」、ストレイテナー「BERSERKER TUNE」、SPECIAL OTHERS「AIMS」「Surdo」等)。
また、日本のハウスミュージックの第一人者として知られる寺田創一による<テクノ民謡とモーション・グラフィックスの融合実験企画>Omodakaは、民謡とテクノとチップチューンをミックスした音源を用いたモーショングラフィックスMVを多数制作。
大手レーベルがMVのインターネット上での公開を躊躇する中、寺田氏は自身が運営するインディペンデント・レーベル(Far East Recording)より、いち早く一連のMVをYouTubeで公開。特に2007年に発表した「kokiriko bushi」(Dir:牧鉄兵)は後年100万回再生を早々に超え、海外でも人気を博した。
転換期のサムシングニュー
無論、活躍したのは若手のみではない。が、何かひとつフレッシュな試みであったり、通例にはない方法論を取りいれたりと、時代の転換期ならではの新陳代謝を感じさせる時例が多かった。
トップMVクリエイターの丹下紘希は、2007年にはコブクロ「蕾」、Mr.Children「FAKE」等のMV演出に加え、THE CONDORS「パレード」のCDジャケットのアートディレクションも手掛けている。
同ジャケットにはオリジナルキャラクター「ネコずしニャー太」(© タンゲ&泣き虫ピーナッツ)が登場。後年、書籍、映像、グッズ販売、ガチャガチャ、スマホアプリ等、多岐にわたる展開を通じ、現在も国内外問わず人気を博している。
また、児玉氏も所属していた日本屈指のクリエイティブオフィス「CAVIAR」代表の中村剛は、RIP SLYME「熱帯夜」MVをスタイリストの北澤“momo”寿志とともに共同演出している。スペシャリストが演出全体に関わる可動域の広がりにも新たな可能性を感じる。しかも本作はエロいお姉さん方のダンスも必見な傑作ワンカットMVである。
人気アートディレクターとして活躍し、映像クリエイターとしてはミッシェル・ゴンドリー等が在籍する映像集団「Partizan」にエージェント所属していた野田凪は、洋楽MVに着手。Scissor Sisters「She’s My Man」MVにて、黒子を交えた盛大な夫婦喧嘩の仮装劇を演出し、国際的な評価を得た。
2007年に一際異彩を放っていた作品が、ピタゴラスイッチでおなじみのクリエイティブディレクター佐藤雅彦が監修し、慶應大学 佐藤雅彦研究室のOBによるクリエイティブ・グループ「EUPHRATES」が手がけた真心ブラザーズ「きみとぼく」「All I want to say to you」MV。境界線や空間を意識させるアプローチが、2010年代の映像シーンを牽引するインタラクティブな解釈をいち早く予見していた。
映像クリエイティブシーンを支える2大メディア
2007年は、以降の映像クリエイティブシーンを支える新しい2大メディアも誕生した。「white-screen」と「映像作家100人」である。
「white-screen」は、世界最大のデジタルフィルムフェスティバル「RESFEST」の日本の運営をおこなっていたnowonmediaが立ち上げたWEB映像カルチャーマガジンだ(2007~2016年)。それまで培ってきた国内外の映像クリエイターとの信頼関係を活かし、日本の映像クリエイティブシーンの現在を広く世界に紹介した。
編集長は、RESFESTの日本のディレクターの山本加奈。映像機器やソフトメーカーとのタイアップによる特集記事はもちろん、クリエイターによるトークショー企画や、国内外のクリエイター同士の交流の場作り等を展開。 山本氏は現在WEB映像マガジン「NEW REEL」の編集長を伊藤ガビンとともにつとめている。
他方、「映像作家100人」は年鑑本。年次に活躍した映像クリエイターを100人紹介し、それぞれのページにて代表作を掲載。巻頭には年代を象徴する特集記事やインタビューも掲載され(一部当方が担当)、音楽の使用許諾がおりた作品のみ付属DVDに収録された。2017年より書籍ではなく、オンラインサービスに移行している。
100人のチョイスは、CMやMVの人気クリエイターのみならず、CGアーティスト、オリジナル作品を手がけるアニメーション作家、若いメディアアーティスト等、幅広く網羅。結果、それまでは映像演出を行う者の職種名を指して「ディレクター」と呼称することが通例だったが、仕事として依頼を請け負うのみならず、映像表現をおこなう者・オリジナル作品(著作)をつくる者を指して「映像作家」と呼ぶ傾向が徐々に定着した。
また、同年は手前勝手ながら当方が編集長を務めた監督別MV視聴ストリーミングサイト「Tokyo Video Magazine VIS」も設立。立ち上げ経緯は前回の後半に記したが、引き続き時代性を参照しながら経緯をまとめてみたい。
MVの作品性
MVの需要および映像クリエイター人気が高まる一方で、その期待値に反した現実問題(制作費の低下、労働環境の不健全化、映像制作者のHPに自身の手掛けたMVをアップロードできないジレンマ等)が浮き彫りとなった2000年代(前回参照)。
広告でありながら作品でもあるMVの多義な在り方を前に、映像制作者は改めて「MVは誰の作品なのか」と自問するに至る。無論、MVはミュージシャンの広告物であり、作品でもある。音楽の原盤権を含むMVの著作権者はレコード会社に他ならない。
もとよりMVは、成果物の納品とともに権利を発注者に譲渡する「買取契約」が通例である。が、低予算・高品質を維持するための映像制作サイドの労力と対価のバランスが噛み合わない。さらに契約書を交わさない口約束が常態となっている以上、契約ははなから無効であるとも考えられる。
映画の著作権者(「発意と責任をもつ者」)やCMの著作権ガイドライン(クライアント、代理店、制作プロダクションを著作権者と見做す)を参照するに、映像制作者もMVの著作権者のひとりとして認められるのではないか。そう見做されないのはなぜか。
MVが作品集として発売される時、その名義はあくまでもミュージシャンであり、販売元はレーベルである。その売り上げが監督や制作会社に還元されるシステムは確立されていない。ところで、MVの制作費は広告を制作する目的より宣伝費から捻出されるわけだが、のちに商品として販売する予定がある場合、制作費としての予算も上乗せされてしかるべきではないか。
以上のような議論が、映像制作者間でおこなわれるようになると同時に、世界で活躍するMVの監督作品集「Directors Label」がアスミックエースより発売(2004年)。MVの監督が、自分の手掛けたMVを、自分の作品であると名言するのみならず、自分名義で販売したという奇跡のような事例に、多くの映像制作者が希望を見出した。
これに続き、日本でも同例の企画が立ち上がる。ついにMVの監督作品集が日本でも発売されたのが、本家「Directors Label」より遅れること3年の2007年。先陣を切ったのは、音楽映像のクリエイティブシーンには欠かせないアーティストである宇川直宏(現DOMMUNE)だ。
日本のMVディレクター作品集
「INTOXICATING MUSIC CLIPS OF UKAWA NAOHIRO『MAD HAT LAUGHS!!!!!』」と題されたDVDには、18本のMV代表作に加え、自身による副音声コメンタリー解説も収録されている。
収録作:Sweet Robots Against The Machine「AUDIO SEX」(1997)、BOREDOMS「VISION△CREATION△NEWSUN」(1999)、SUPERCAR「YUMEGIWA LAST BOY」(2001)、DJ TASAKA「STREET STARS BREAKIN’」(2002)、THE ORB「FROM A DISTANCE」(2004)、電気グルーヴ×スチャダラパー「TWILIGHT#1|アブストラクトな林檎たち」(2005)等。
本DVDリリースの一報を聞いた時、多くの映像制作者とともに当方が放った一声は、「一体、どうやって?!」。というのも、日本の「Directors Label」を制作する企画が、主に映像制作サイドから何度も立ち上がっては、軒並み頓挫する様を目の当たりにしてきたからだ。
まず、レーベルの許諾が得られない。ミュージシャン名義のMV集の場合、その販売元は当然ながら所属レーベルとなるが、監督は多岐にわたるレーベルのMVを手掛けている。その「レーベル跨ぎ」のMVをひとつのDVDに集約したとして、どの会社が販売元になるか。
本家の「Directors Label」は、映画の製作や配給をおこなっているアスミックエース社から発売されているが、日本のレコード会社は自らの所有財産であるMVを他社に渡し、他社が利益を得る状況を看過できない。前向きに検討したところで、音楽使用料や分配率の交渉が複雑化し、なかなか実現に漕ぎつけない。
そこで宇川氏は、自身が多くのMVを手がけるKi/oon Recorsに映像アーティストとして一旦所属し、デビュー作として、他レーベルの作品も同梱したオムニバスMV集を同レーベルよりリリースするという奇策に打って出た。そのプロデュースをおこなった人物が同レーベルのA&Rとあり、内側から突き崩す方法論で先陣を切った。
2年後の2009年には、丹下紘希が「TANGE KOUKI VIDEO COLLECTION」を発売。こちらの販売元は、Mr.Childrenを筆頭に、丹下氏が多くのMVを手掛けているレーベル「TOY’S FACTORY」。映像制作会社や配給会社ではなく、収録作品の過半数以上の権利を有するレーベルから発売するところが、邦楽MV監督集の特性である。
収録作:浜崎あゆみ「alterna」(2000)、SUPER BUTTER DOG「FUNKY ウーロン茶」(2000)、Salyu「Dialogue」(2004)、ILMARI×Salyu「VALON」(2004)、山下達郎「FOREVER MINE」(2005)、Bank Band「生まれ来る子供たちのために」(2006)、Mr.Children「箒星」(2006)、Monkey Majik「Around The World」(2006)、コブクロ「蕾」(2007)、一青窈「つないで手」「受け入れて」(2008)等。
全26作品のMV(2009年から遡ること10年以内に発表した作品)に加えて、STATION ID、オリジナル作品、メイキングドキュメンタリー等もDVD2枚組に収録。52ページに渡るアートブックも付いてくる濃厚で豪華な仕様となっている。
MVのミュージシャンはいずれも邦楽のトップクラスであり、交渉の大変さが予想されるわけだが、なんと丹下氏は許諾および権利交渉を自らおこない、実現・発売に至るまで4年間もの日々を費やしている。映画同様の監督印税・脚本印税についても積極的に交渉し、MVが映像表現者の作品としても認知されるよう尽力した。
以上が、日本のMV監督の作品集として発売された2つの事例である。他の監督の作品集発売にも期待が寄せられたが、残念ながら後続例は現れない。映像クリエイターによる映像DVD集の例はあっても、MVという切り口は依然ハードルが高い。そのハードルを超える強い独自性と、アーティスト性を尊重されている2人だからこそ、日本では不可能といわれたMV集発売を実現できたのだろうと想像する。
日本発MV監督別ストリーミングサイト「Tokyo Video Magazine VIS」
こうした刷新の時代の最中にあって、MVライターとして映像制作者たちの意見を身近で聴いていた当方には、制作者たちが何かと不毛な立場に追いやられているように思えた。MVが好きでやっているこの商売。制作者たちには曇りない心境で「このMVは自分の作品だ」と宣言してほしい。というか、それが普通であり、ままならない現状が異常だ。
そう考えた当方は、映像・ビジュアル制作からコンサルティングまで幅広くおこなっていたライトニングのCEO佐藤武司とともに、主要な映像制作会社や監督たちとディスカッションを度々おこない、ついに「日本音楽映像製作者協会」が設立したのが、またしても2007年。
協会の発足のみを手伝った後、当方は佐藤氏率いるライトニングとともに、新たに日本の誇る優秀な映像クリエイターを世界に紹介するプロジェクトを立ち上げた。それがMV監督別作品ストリーミングサイト「Tokyo Video Magazine VIS」(2007~2010年)である。
協会は、主に映像制作当事者が労働環境の改善や権利の訴求をおこなう団体だったが、「VIS」は映像表現の文化的・芸術的価値を尊重し、その類稀なる才能を世界に広く伝えることを目的とした。裏テーマは、監督が自分の手がけたMVを、自分のHPにアップロードできないジレンマの解消である。
無論、容易にはいかない。なにしろMVは制作当事者である監督でさえインターネット上にアップロードできない代物なのだ。第三者が気軽に扱えるコンテンツではないし、実際のところ二次使用許諾もおりない。今となっては、リンクやエンベッドを利用したブログベースの「MV監督カタログサイト」などすぐにでも作れるが、当時は前例がなく、それなりに膨大かつ複雑な手順を踏む必要があった。
折しも音楽業界は配信サービスへの移行で揺れている最中にあり、映像まで手が回らない。YouTubeで未公開なのだから、その他のインターネットでの扱いもないと判断されてしまう。しかしYouTubeの問題は匿名者による違法アップロードで、こちらは素性がわかる者であり、合法的になんとかストリーミングをおこないたいと食い下がる。
また、1タイトルごとに使用許諾の条件が異なるケースもあれば、インターネット上でのMVの取り扱い方針や、サーバーの置き所等について各レーベル担当者の見解にも差異があった。音楽の使用がネックなら、例えば無音で映像だけ流れているという状況ならば許可していただけるのかと尋ねてみたところ、それなら問題ないというお返事を頂いて驚いたこともあった。もちろん音と画がシンクロする視聴覚表現が映像の醍醐味であるため、音を消すわけにはいかない。
一筋縄ではいかないが、その点、当方は度々のMV上映展等において、ケースバイケースの二次使用許諾を賜りまくっている。大変とはいえ、耐性がある。またレコード会社の法務部やJASRACにお問い合わせした回数も一度や二度ではないため、引き続き相談に乗っていただける方々がいらっしゃったことが大変ありがたかった。
かくして著作権法に明るい弁護士も含めてのディスカッションを重ねる中、「購買に結びつくための45秒までの試聴であれば、インターネット上で音源を公開できる」との法律を知った我々は、当時まだ邦楽が品薄だったiTunes Music StoreやAmazonの商品購買ページへのリンクを用意したうえで、MVを45秒ストリーミングする監督別データベースサイトを作成し、2007年12月に公開。
世界の人々と映像表現の素晴らしさを共有したかったので、モーショングラフィックスを筆頭に、日本語の言語理解を越える感覚的な表現を得意とする監督たちにお声がけをした。
スタータークリエイターは、石浦克(TGB design)、Elecrotnik、小島淳二、児玉裕一、島田大介、清水康彦、須藤カンジ、田中裕介、谷篤、辻川幸一郎、中村剛、長添雅嗣の12名。その後、志賀匠、竹内スグル、田中秀幸、丹下紘希、西郡勲等の人気MVクリエイターにも声をかけ、新作も月一更新でカタログの充実を図った。
しかしながら、苦渋の決断によって2010年に閉鎖。というのも、2008年にユニバーサルミュージックがYouTube公式チャンネルを設立。匿名者による違法アップロードに対し、良画質の公式アップロードをおこなう方針を固めたわけだが、これに各レコード会社が倣い、続々とレーベル公式チャンネルが立ち上げられた。権利意識の高いソニーミュージックが公式を設けたのが2011年。
このYouTube公式チャンネル立ち上げラッシュと、丸かぶりした我々「VIS」は、インターネット上でフルサイズのMVが視聴できるようになった状況を前に、お役目を果たしたと解釈した。「VIS」の良さは人選を含めたカタログの充実であり、レーベル主導のチャンネルとは異なるキュレーションが魅力のひとつだった。が、それを続ける体力がない。
MVを監督作品として無償で使用するにあたり、「VIS」は非営利で運営していた。営業利益を得た場合、音楽使用料をお支払いしなければならない。労多くして見入りのない状況には必ず限界が訪れる。もれなく閉鎖に至った「VIS」だが、今こそ新しい形で再開できないだろうかと密かに思案していたりもする。
次回は2008年~2009年
「着うた」配信がCDの売上を上回った2007年。「white-screen」と「映像作家100人」と「Tokyo Video Magazine VIS」が始まり、日本音楽映像製作者協会が発足し、日本初MV監督作品集として宇川氏のDVDが発売された。今となっては2007年は日本のMV のゴールデンエイジである。
以降、日本のMVシーンは、映像クリエイティブやクリエイターの作家性に注目する新しいメディアとともに、ますます活性化する。音楽バブルに乗じた90年代の熱狂とは一線を画した、映像コンテンツそのものの魅力が評価される時代。次回は、インターネットメディアの特性を活かした作品も続々と誕生した2008年~2009年あたりについて記す。