カメラの楽しみ方は人それぞれ。蒐集したい人もいれば、写真が撮れれば何でもいい、と割り切った考えの人もいたり。
自分の場合、なんだか楽しそう。とふらふらしていたらいつの間にか大判カメラを手にし、肩と腰と体力を削りながら撮影する日々です。
でも、大判カメラのファーストコンタクトはそう良いものではなかったよーというお話。
失敗だらけの大判カメラ
自分は色々あって2回大学を出ていますが、最初は美大の写真専攻でした。いわゆる写真学生ってやつです。ホントは映画専攻志望でしたが、願書を書き間違えてよくわからないまま写真学生になりました。
もちろんカメラのことなぞ知る由もなく、授業と課題に振り回される日々。そんな授業の一環で大判カメラと出会い…見事にトラウマ化しました。
重い、失敗する、1枚当たりのコストがバカ高い、操作方法がよくわからん、とデジカメと"写ルンです"くらいしか扱ってこなかった人間にとっては完全に未知の機械で、こんなの使ってられるか、と暗いスタジオの中で嘆いたものです。何とか大判カメラの課題をこなすも、しばらく触りたくないなーというのが正直な感想でした。
とりあえずやってみよう使ってみよう
そんな意識が変わったのは写真専攻も慣れてしばらくたった頃、自分で作品作りを始めるようになってからです。
アンセルアダムスという写真家がいました。アメリカのヨセミテ渓谷の風景写真が有名で、印象的な風景写真を数多く残した方です。彼は大判カメラのSINARを愛用した写真家でした。
彼のオリジナルプリントを見る機会があり、圧倒されたのをよく覚えています。 「すごいなぁこんな作品撮ってみたいなぁ」と思いながらもなんとなく初期のトラウマが引っ掛かっていましたが、折角使える機会があるなら使うしかない、と大学の機材を借りて試行錯誤する日々が始まりました。
そうなると現金なもので、大判カメラ楽しい!と意識が変わるようになりました。当時のネガを振り返るとひどい出来ですが、それでも良い思い出です。
そこからなんやかんやあって、しばらく大判カメラから離れて、某オークションサイトで再び大判カメラを購入して、今にいたるわけですがその辺りの顛末を書くと長くなりそうなのでまた別の機会に。
まとめ
以上大判カメラを克服するまでのお話でした。オチは特にないのですが、楽しいを続けていける機材に出会うことがカメラにとっても、自分にとっても一番大事なことだと思います。
お付き合いありがとうございました。
すほい|プロフィール
1985年、福岡県生まれ。東京造形大学卒業。卒業後なんやかんやあって医療系のお仕事をしている。基本的にフィルムもデジタルもメーカーも問わず使う雑食人間。撮影はストリートスナップが中心。大判カメラと出会って以来、大判カメラを色んな所に引っ張り出して撮影をしている。「黄昏屋」という個人サークルで大判カメラに関する同人誌を作っている。