txt:小寺信良 構成:編集部
戦い終わって感じるCES2017
PRONEWS取材班として、筆者が毎年CESの取材に来ていたのは、プロの映像クリエイターにも役に立つ製品が発表されていたからだ。特にカメラはDSLRが台頭して以降、プロとコンシューマの垣根がなくなり、プロもコンシューマの動向に無関心では居られなくなったわけである。
しかし今年、PRONEWS取材班としては、カメラもテレビも大きな注目を集める製品は少なく、大いに肩すかしを食らったと言わざるを得ない。なぜそんなことになったのか、その理由を分析してみよう。
カメラ、テレビの成長が鈍化
今年、カメラで4K/60Pという新基軸をひっさげて具体的な製品を発表したのは、パナソニックのGH5のみだった。ソニーに至っては、今回のCESが初お披露目となるカメラはゼロである。筆者もCESの取材に来て14年になるが、ソニーからアメリカ向けの新カメラが一つも発表されなかったのは、今年が初めてである。
理由は、いくつか考えられる。ソニーとしても動画カメラの中心はαシリーズに移っており、カメラの新製品発表ターゲットは9月のフォトキナに照準を合わせている。そこから順次年内に新製品が発売されていくので、1月のCESで発表するカメラはない、ということになる。ビデオカメラはまた別の開発フェーズなのだろうが、ご承知のようにコンシューマ市場では、ビデオカメラのマーケットは壊滅状態にある。
そもそも米国コンシューマにおいて、日常使いの「カメラ」は写真も動画もスマートフォンで十分なのだ。一眼カメラを買う層は、もはやマニアに近い。そうでなければ、業務・プロユーザーだ。今年、Huaweiのブースがセントラルホールに移動してきたが、本来ならば通信系はサウスホールに位置するはずだ。だがライカレンズを搭載したカメラ機能でスマホ業界を席捲するHuaweiが、キヤノン、ニコンらとともにセントラルホールにあることに、あまり違和感がなかった。
セントラルホールにあったHuaweiブース
4Kテレビについても、引き続き新製品の展示は続いているが、OLEDパネルも珍しいものではなくなり、市場へのインパクトは薄れた。さらに今年は東芝、シャープが出展していないこともあり、テレビを大々的にアピールする企業は、中国メーカーばかりとなった。4Kテレビはもはや、画質云々よりも何インチでいくらなのかに関心が移っている。
4Kテレビのバリューゾーンは1000ドル以下。プレミアムクラスでも2500ドル程度だ
かろうじてブランド力が残っているのは、米国量販店に棚を確保しているソニーとサムスンぐらいだが、それもかなり低価格だ。同価格帯で中国メーカーが出してきても、魅力は薄い。もはや映像は、CESの主役ではなくなった。アメリカにおいて4Kを撮るのは映画を作る人たちであって、一般人ではないということがあきらかになった。
すれ違うスマートホームのかたち
現在ほとんどのコンシューマ機器は、アジア圏で設計・製造されている。中国、韓国、台湾、日本が、現時点で世界の工場だ。一方米国の中心は、知財だ。Apple、Google、Amazonといった企業は、クラウドサービスの充実に相当の資金を投入している。旧来の意味の「メーカー」は姿を消し、商品企画とブランディング、販売を担当するだけのファブレス企業が増えた。
Kodak初のスマートフォン。実際に作っているのはどこだろう?
グローバル化する世界の中で、このように役割が分かれるのはごく自然な成り行きではある。だが文化の違いまでは「輸出・輸入」できないと感じたのが、スマートホームに対する理想像だ。ソニーは、4K短焦点プロジェクターを使って、映画や音楽、本などクラウド上にある全てのコンテンツを扱うというコンセプトを展示した。パナソニックは、ワインセラーからお酒を取り出すと、それにあったレシピを表示、作り方も逐一動画で教えてくれるというスマートダイニングの姿を展示した。
日本企業が考えるスマートホームのかたちは、人が何か操作したりアクションしたりすることに合わせて、自動的に連動して何かが行なわれるというスタイルだ。理想の生活とは、人の行動に合わせて常に「見えないこびと」が先回りして何かをやってくれるという、ある意味でのリレーションシップだったり動きの調和だったり、そういう姿である。
一方で欧米人が理想とする生活とは、もう根本的に違うように思える。元々ヨーローパの貴族は、沢山の使用人を抱えたお屋敷に住んでいた。米国もかつてはアフリカから大量の人々を連れてきて、召使いや労働者として酷使したという暗い歴史がある。
それの是非を今問うのではないが、根本的にこうした「使用人を命令によって使役する」ことが、彼らの生活の理想として存在する。自分のために行なわれている全てを管理下に置くが、動くのは自分自身ではないという生活。これは今もなお変わらず、お金持ちの世界では現実に行なわれていることだ。従って今GoogleやAmazonが製品化しているクラウドスピーカーは、音声による命令によって情報を取り出したり、家電を動かしたり、モノを買って届けたりといった方向に向いており、これらは米国社会から強い支持を受けている。
こうした欧米とアジア圏の感性の違いが「ホームエレクトロニクスの理想」を語り始めた時、大きなズレが発生する。お互いがお互いの理想の姿を、ちっともいいものだと思えないのだ。欧米の理想は、本来ならば大富豪が大変なお金を動かしながら実現する事だが、クラウドスピーカーはたったの50~150ドル程度である。一方、日本が求める理想は庶民の夢だが、導入コストは家のリフォームが必要になるレベルの金額にのぼる。文化の違いなのでどちらがいいとは言えないが、ものすごくちぐはぐな世界であることは間違いない。
米国ですでに600ドルで販売が開始されたHover Camera。「写真を撮らせる」という感性の違いがわかると、意味が違って見える
映像を撮るということも、こうした文化の違いが大きく表れているのではないか。アジア圏では、高いカメラを手に入れてコツコツと自分で絵を撮る楽しみを享受する。一方で欧米の理想は、自分が撮るのではなく、使用人に自分達の姿を撮らせることにある。
ハードウェアに限らず、コンテンツ作りのヒントも、案外こういうところを理解していないとグローバル化の波に乗ることは難しいのではないかと感じた、今年のCESだった。
txt:小寺信良 構成:編集部