
AV over IPとはどういうものか
AV over IP(Audio-Visual over Internet Protocol)は、音声および映像信号をインターネットプロトコル(IP)ベースのネットワークで伝送する技術である。日本の放送、映像協会では単にIP化と表現することも多い。従来のような放送や配信専用のハードウェアだけに頼らず、標準的なネットワーク機器を使用して信号を送受信することが可能になり、柔軟性とスケーラビリティが向上し、運用を合理化することができる。こうした映像や音声をIPパケットに変換して伝送する手法は、映像制作の様々な場面やライブ放送などで広く活用されるようになってきている。
IPインフラ化がもたらす構造変化
放送インフラのIP化には、思っている以上に多くの利点がある。信号の柔軟な管理や、機器の集約によるコスト削減、遠隔運用のしやすさなどが挙げられる。
こうした利点は、SMPTE ST 2110の採用によって実現されている。ST 2110は、放送に求められる高い品質とリアルタイム性を確保したIP伝送規格で、映像・音声・メタデータをそれぞれ独立したストリームとして扱う。この構造により、ルーティングや編集の自由度が大きく広がる。ストリーム間の同期にはPTP(Precision Time Protocol)が用いられており、従来のBlack BurstやTri-Level Syncといったアナログ信号に比べ、ネットワーク上でマイクロ秒単位の同期が可能になる。
さらに、ST 2110そのものには制御の仕組みがないが、AMWAが策定したNMOS(Networked Media Open Specifications)によって、ST 2110環境での機器や信号の検出・制御をネットワーク上で行えるようになっている。
現場にとっては、これまで手動で行っていた切り替えや構成作業が、より論理的で再現性のあるプロセスに変わるという点も大きい。
運用のスタイル自体も少しずつ変わってきている。北米ではREMI(Remote Integration Model)と呼ばれる遠隔制作の考え方が広がり、現地収録と拠点制作をIPでつなぐ事例が定着してきた。日本国内でも同様の運用を模索する動きはある。朋栄が提案する階層型RDS(Hi-RDS)のように、機材をスタジオ間でネットワーク越しに"使い回す"ような発想もその一つ。物理的な移動を伴わず、ネットワーク上の制御で必要な場所に機材を割り当てられる。こうした仕組みは、設備の重複を避け、運用効率を高める手段として注目されている。
もちろん、全てがスムーズに行くわけではない。遅延の最小化、ネットワーク帯域の確保、セキュリティやQoSの担保といった、IPならではの課題も依然として残る。特に、放送を止められないという前提がある限り、冗長構成やモニタリングといった設計は避けて通れない。
それでも、IPベースのワークフローが現実味を帯びてきたことで、放送設備の在り方は確実に変わりつつある。SDIの置き換えではなく、IPならではの利点を活かした構成にどう進化させていくか――その視点が、これからさらに重要になってくる。
日本のIP化が大きく遅れた背景
IP化が遅れた背景を知ることで、今から打つべき方策を正しく考えることができるので、いまいちど振り返ってみる。
地デジ化以降、次なる放送のあるべき姿について、総務省にも放送業界にもビジョンがなかった。IP化を考えるに当たって、4Kというのは非常にわかりやすいテーマであったにも関わらず、それに対してきちんとした議論も指針も出てこなかった。すでに大部分のテレビ局には資金的な体力がなかったし、イノベーションを好まない体質も根底にあったと言わざるを得ない。
これは日本の地デジ化のタイミングとその後のデジタル技術、特にIP関連技術と画像処理技術の進化のタイミングのなかで、判断したくなかった部分と、できなかった部分の両面がある。
たとえば、アナログ放送が終了した2011年頃から、市販されるテレビの多くは4Kパネルを搭載するようになり、地デジやBSのHD放送を端末側の超解像でアップコンバートして4K表示することが普通になった。そしてその精度、画質は年々上がってきたので、ピュア4Kで放送を行う意味自体が極めて曖昧になっていった。これは8Kですら同じことで、特に直近のAI技術の革命的とも言える進化によって、ピュア8K放送ですらその意味が問われかねない状況にある。
そもそも一般の消費者は、4Kテレビを買ってきたからこれでDVDを4Kで見られる!と歓喜している向きは少くない。そしてそれは正しくないという正論は、誰にも届かない不毛な議論なのである。ワンセグはパケ代がかかる(今ならギガを食う)と思っていた人が大多数だったのと同じである。
これはつまりどういうことか。テレビ放送は、長きにわたってコンテンツ、伝送路、端末が三位一体化して、国、テレビ局、テレビメーカーが共に歩みながら拡大発展してきたわけだが、デジタル以降、インターネット以降はこれら全てがバラバラに動いているのは明らかである。これまでの三位一体の世界観とは異なる、複雑怪奇なものになってしまったからだ。特に日本はARIBのようなものでテレビ局とテレビメーカーの結びつきが強く、たとえ総務省がノーアイディアであったとしても、これまでどうにか維持ができていたが、デジタルテクノロジーがこうした前提を一変させてしまったからである。
そして放送が4Kになるかどうかとは全く無関係に、テレビメーカーは4Kパネルを搭載した4K放送が見られない4Kテレビを売りまくる。これはハイビジョン対応と称してアナログ横長ブラウン管テレビを売りまくっていたのと全く同じである。

もうひとつ、日本でIP化が遅れた理由には、技術者のアイデンティティーとマインドの問題がある。それまでのベースバンド技術者は、システム構築と機材選定、それとワイヤリングのノウハウが脈々と受け継がれてきた。
これに対してIPは、乱暴に言いすぎかもしれないが、LANケーブルをルーターに挿せば、あとはソフトウエア上でどうにでもできる。ここが彼らの存在意義を脅かしたからである。この話には伏線があって、デジタル化の時の別のIP問題、インターレスかプログレッシブかと言う議論からあまり変わっていない。目に見えないもの、手で触れないものは人間誰でも嫌なのである。
また先ほどコンテンツ、伝送路、端末の話をしたが、これに関して、テレビ局内を考えてもう少し詳しく見ていくと、コンテンツと伝送路の部分が完パケとライブに分かれる。完パケコンテンツについてはテレビ局内システムとは切り離されているので、どこかのタイミングで送出サーバーにインジェストされればいい。
問題はライブ、生放送の場合だ。ここが前述した圧縮や遅延という問題、特に遅延が問題になってくる。ここが放送クオリティーという名の呪縛からなかなか逃れられない。また自局専用のオリジナルシステムをスクラッチで構築してきた文化と、IPの世界でのクラウド側のツールにビジネス自体を合わせていくという考え方とは、水と油とまでは言わずとも、なかなか相容れないものがあったのも事実だ。

オリンピックのタイミングの悪さ
徐々に状況が変わってきたのは、2013年に2020東京オリンピックの開催が決定し、将来を見据えるなら放送設備は4Kベースという流れになったあたりからだろう。
しかし4Kには課題も多かった。従来のSDI接続では、4Kの伝送はメタルケーブルが4本必要になる。理屈はそうなのだが、現場でケーブルを4本取り回すというのは作業的にも物理的にも非常に重たい話になる。それをIPで伝送すれば、ケーブルは1本で済むのである。
しかしここで、日本の放送技術者はとっても真面目に考えたのだ。4K60Pを非圧縮で送るには12Gbpsが必要になり、非圧縮のSDIと比べて信頼が置けないという判断である。またIPによるデジタル圧縮には遅延という問題がある。ほぼ遅延がないSDIと比較して、あるいはIPとSDIを混在させる際にその扱いに非常に苦慮することになるからである。
こうしたタイミングで12G-SDIが登場することになる。これは結構決定的な出来事であったのかもしれない。ちょうどこのタイミング、2015年頃だと思うが、2020年の東京オリンピックはSDIで行こう、という流れになったのである。これも今から思えば微妙な判断であったと言えよう。この時世界は完全にIPへと舵を切っていたのである。

時代も世代も変わった
時間経過によって世代交代が急速に進展しており、状況は大きく変わってきている。デジタルネイティブ世代が局内の多数派になりつつある。自分自身のライフスタイルの中で、テレビのあり方を変えていく必要があることを痛感している。これは技術だけにとどまることなく、広告セールスが予約型から運用型に移行しつつあるのも同様だ。これはすでにインターネット広告の流儀がデファクトになっているからである。

最終的にはエンドツーエンドのフルIP化が、放送や映像ビジネスのあるべき姿なのだと思う。それは2030から40年を想定して、6Gや衛星といったワイヤレス系のネットワークと、IOWNのような有線系ネットワークをどう位置づけていくか、その時のディスプレイはどういうもので、完パケリニアだけではないであろうコンテンツはどうあるべきか、をイメージすることが極めて大切である。そしてグローバルで見て圧倒的にIP化が遅れている日本だからこそ、一気に最前線にリープ・フロッグできるはずだ。そのためにはIP化は待ったなし、必要不可欠なのである。
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