はじめに
「爺のいやがらせ」を打ち上げて、そろそろ「隠居」の境地に入りかけた昨今、「どうやって暇をつぶすか」が人生の大きなテーマになりつつある。とはいえ、今から金のかかる趣味を始める気にもならず、機材リストを眺めると、「引伸し用レンズ」が多数ある。これらのレンズがどんな性能を持っているか、また、一般の撮影に適するのか、をまとめて比較テストしたレポートを爺は見たことがない。
引伸しレンズは小さなネガを拡大投影するのだから、マクロレンズの性質に近い。マクロレンズ並みの性能を持った中古引伸しレンズが安価に入手できるなら、テストする価値がある、と勝手な思い込みと、言わば「隙間レンズ」で暇つぶししよう。
「静止画を引伸すレンズだから動画には関係ない」と思うアナタもいるだろうが、ソニーEマウントに変換すれば、静止画、動画、どちらにも対応できるので、「他人様とは違った画面を撮る道具」として活用できるかもしれない。
引伸しって何?
フィルム時代の引伸しは、まず暗室を作ることから始まる。暗くなるスペースがあればいいので、押入れなどを利用してもよいし、普通の部屋を遮光して、夜だけ暗室として使うこともできる。爺はこの方法だった。
ここに引伸し機を設置して、必要な大きさの印画紙、印画紙を固定するイーゼル、印画紙に感光しない赤っぽい光を出す安全灯、印画紙に光を当てる時間を計るタイマー、印画紙の大きさに応じた3枚のバット、各々のバットにはアルカリ性の「現像液」、現像の進行を止める酸性の「停止液」、余分な銀粒子を取り除いて画像を定着させる「定着液」を満たす。
液温を管理する温度計、印画紙を挟むピンセット、印画紙を水洗いする流しも必要で、まるで科学実験室だ。おまけに、薬品の臭い(主に酢酸臭)が部屋中に充満するので、家族から大ヒンシュクを買い、酸性の蒸気で、引伸し機はサビ、レンズのガラスも腐食する。少しでも換気を良くしようとすれば、遮光型の換気扇。暖冷房が必要ならエアコン。
これだけの設備を整えると、大掛かりなスペースと費用が掛かる。大型で鑑賞に耐える引伸しプリントを作るには、これ以外に方法がない。そして、現像液のバットの中で、印画紙にフワリと画像が浮かび上がる瞬間は感動する。モノクロの銀塩画像は仕上がりも美しい。
だけどね、学習と試行錯誤を繰り返さないと、自分の望むプリントは焼けないよ。始めから上手くプリントできることを期待してもダメ。レンタル暗室もあるので、引伸しを試したいなら検索、相談してみるべし。
データをパソコンに入れて、補正を施し、倍率を選んでプリントすれば紙ベースの画面ができるのがデジタル時代の引伸しで、乾燥した明るい部屋で作業でき、臭いもないので印刷のイメージに近い。どちらを選ぶかはアナタしだい。
引伸し機
爺が持っている引伸し機は「ライツのフォコマートIc」。世界最高の精度と耐久性を誇る35mm専用の名機。
ランプハウス内の電球でネガを照明し、引伸しレンズごと上下に動かして、目的の大きさに投影する。台板の上にイーゼルに挟んだ印画紙を置き、適正時間露光する機械。
ここに付いているのが、引伸しレンズだ。
ライカの24x36mmの小さなネガから大型のプリントを作成する引伸しの概念は、ライツが創造した。したがって、引伸し機のレンズマウントは、ライカL39mmのネジマウントがほとんどだ。
爺は、写真専門学校時代のフジB型(35mm~6×9cm判兼用)を始めに、フジ690D×(35mm~6×9cm判兼用)、ライツバロイ(35mm専用)、ライツフォコマートIA(35mm~6×9cm判兼用)、フォコマートIc(35mm専用)を使った。
ここまでは本題ではないので、忘れても差し支えない。
引伸しレンズ
それらの引伸し機に対応するレンズは、
ニコン
- ELニッコール 50mmF2.8-35mm専用(新旧2本)
- 同63mm F2.8-マイクロ判をカバー
- 同80mm F5.6-6×6cm判をカバー(2本)
- 同105mm F5.6-6×9cm判をカバー
フジ
- フジノンEP 38mmF4.5-35mmハーフサイズ専用
- 同 E 75mm F5.6-6×6cm判をカバー
ミノルタ
- CEロッコール 50mm F2.8-35mm専用
ライツ
- フォコター 50mm F4.5-35mm専用(新旧2本)
- 同95mm F4.5-6×9cm判をカバー
ローデンシュトック
の、5社製の14本。印画紙の周辺まで粒子にピントが合っていることが必須なので、35mm用ならF8、6×4.5cm判以上用ならF11に絞って使う。引伸しに絞り開放で使うことはない。
引伸しレンズに求められる性能
ネガを引伸ばす場合のピントは、全体の画像ではなく、ネガの銀粒子にピントを合わせる。そのために使うのがピントルーペ。
顕微鏡で銀粒子を見ていると思えばよい。レンズを絞っても鮮やかに粒子が見えるので、絞りによる焦点移動も補正できる。引伸しレンズにとって、露光の度にシビアなレンズ投影検査を受けているようなもの。
プリント全体に揃った粒子と、ネガの持つコントラストや諧調を正しく再現する目的に沿って、画像の歪みや像面の湾曲が正確に補正されていることが必須。引伸しレンズには「蒸留水のようなレンズ」が要求される。
ただし、平面にピントを合わせるのでボケを考慮する必要はない。強い光源がレンズ内を照射するのと、酸性の蒸気が充満して湿度の高い暗室内で使うので、タフな耐久性も求められる。爺が複数の同じ引伸しレンズを持っているのは、消耗品だからだ。
デジタルカメラに装着する
mukカメラサービス小菅社長に相談すると、
ご希望のカメラマウントで、ヘリコイド付きのM42マウントアダプターがあります。これに長焦点レンズ用の延長チューブと42~39mmの変換リングを用意すれば、撮影できます。私も引伸しレンズをテストしたことがありますが、逆光に弱く、フレアが多いですよ。
「そうですか。では、ソニーEマウント用でシステムを組んで、どんな具合か確かめてみましょう」発注。即納。
以前、アイモマウントのフジノン75mmをテストした時、鏡胴内部を見ると黒のアルマイト仕上げのままで、派手な内面反射が見え、画面全体が白くなる質の悪いフレアが出た。 反射防止材のファインシャットを貼って再テストすると、見事な描写に改善された。この経験から、延長チューブ内部にモルトプレンを貼り、始めから反射防止対策を施した。
無限遠の確認
まず、このシステムでどの焦点距離まで無限遠にピントが合うのか、を確認。
カメラはソニーα6300。色温度はオート。絞りは一番暗いレンズのF5.6に統一して、内蔵露出計の適正表示より3分の1絞りアンダーに露出。63~105mmは、延長チューブを組み換えれば、問題なく無限遠にピントが合う。38、50mmは延長チューブ無しでも無限遠に合わないので、接写専用になる。
結果はご覧の通り。ピントはセンターのアンテナ。どのレンズも極めてシャープで、前ボケも美しい。色再現も不自然さはない。フジノンとフォコターのコントラストが少し柔らかいかな、と感じる程度の差。これはレンズの使われ方の差とも見える。
明るい風景だが、フレアは皆無で、レンズ自体に画質を悪化させるような内面反射はない。太陽をダイレクトに撮影しても、ゴーストやフレアは少ない。
何だか、「これ以上テストしてもムダ」と思わせるような結果になった。
本テスト
- テスト日:2021年9月20日午前、晴天
- カメラ:ソニーα6300
- ホワイトバランス:晴天日陰
- 画質:エキストラファイン
- ピント位置は右上のブーゲンビリアの花弁
フジノンEP38mmと、フォコター2は至近距離にしかピントが合わないので、テストから除外した。
比較用のマイクロニッコール55mm。
各社の50mmを比較する。アダプターで約1m以内にピントが合う。無限遠は合わない。
以下、焦点距離順。
まとめ
各社の引伸しレンズの内、フジノンE75mmは使い込まれたレンズのようで、フレアが多く、「寿命が尽きた」と判断。爺が驚嘆したのはELニッコール63mmだが、暗室で絞って使うのと同等な条件では、「どのレンズもシャープネスや色再現に、ほとんど差はない」結果になったほか、平面だけでなく、立体の被写体にも適することが判った。
マイクロニッコール55mmと比べても、性能は同等と考えられる。引伸しレンズの75、80mmは、既存のマクロレンズにはない焦点距離で、使い勝手が良さそう。
無限遠の撮影はできた方が便利だが、マクロレンズと顕微鏡撮影の間を埋める拡大率のレンズが必要な時、静止画にも動画にも重宝なのが引伸しレンズだ。アナタの武器として、覚えておいて損はないだろう。
岡山県のコンテンツ株式会社は、4億画素のデジタルカメラを所有、運用しているが、レンズはシュナイダーの引伸しレンズ「コンポノン」だ。同社の小野社長によれば「4億画素の超高精細解像力を満たすレンズは、コンポノンだけだった」そうな。
引伸しレンズは隠れた才能を秘めた優れモノである。