eizojin_06_toph6nLhgAu

日本の音楽映像シーンを最前線で目撃し続けたライター林永子(a.k.aスナック永子)が、映像の現場を牽引するプロフェッショナルにインタビューを行う連載企画。

第6回のゲストは、話題の映画『ルックバック』の撮影監督を務めた上野千蔵氏。先日発表となったシカゴ国際映画祭(2026年)にて、同作の撮影賞(シルバー・ヒューゴ賞:最優秀撮影賞)を受賞するなど国際的にも注目を集めている。

今回お話を伺う中で感銘を受けたのは、「本当にここにある時間を記録するカメラ芸術」と真摯に向き合う上野氏の哲学だった。

上野千蔵(Senzo Ueno)|プロフィール
1982年鹿児島県出身。映画、広告映像、MV等の撮影監督として、また映像作家としても活動中。

https://senzoueno.tokyo/profile/

バックパック旅行でカメラと向き合う

――撮影監督になられた経緯から伺いたいと思います。

両親と兄弟が映像の仕事をしていたので、僕も自然とその道を志した気がします。18歳から撮影助手を始めたのですが、特に映画やフィルムについて詳しくはなく、映画好きで、映画学校を卒業しているような周囲の助手仲間に勝てないのではないかと感じることもありました。

――すぐに現場に入られたんですね。

そうなんです。助手を始めて4年くらい経った時に「このままでは撮影しか知らない人間になってしまう」と思い、バックパッカーとして2年ほど世界を旅しました。そこで初めてがっつり写真を撮る、大切な時間を過ごしました。あくまでも世界見聞を広げる目的だったので、仕事として撮影に携わらないようにしていたのですが、結局オーストラリアで撮影のアシスタントをたまにしながら、個人的に写真を撮り続けました。

――上野さんの撮る映像は、広告も含めて、日常性やドキュメント、アートの解釈と距離が近い印象があるのですが、そうした旅の撮影体験がベースにあるのでしょうか。

そうかもしれません。その場を体感して、フィジカルに「撮る」行為はすごく好きなんです。以前インタビューで「どんな映像が好きですか」と聞かれて、考えを巡らせていた時に出てきたのが「匂いがするような映像」でした。

匂いの素がどこから来るのか、まだ分かっていませんが、撮る前から「こうやって撮ってやろう」と企てている雰囲気がする映像、特に既存の映像をリファレンスにして、頭だけで考えたものを具現化するような行為からは、匂いを感じない気がします。頭の中にある、例えば「子供の頃の記憶」を撮ろうとするならば、実体験を通っている分、いい匂いがしそうです。

――俗に言う「企画書が透けて見える」という状態でしょうか。そうではなく、もっとフィジカルに。

もちろんコンテとか読みますよ(笑)。読みますが、その通りに撮るのみではなく、結局最後は、今、この場を撮るのがカメラマンなので、ジャズのセッションのような感覚も大切にしています。

――撮影監督として独立されたのはいつ頃でしょうか。

帰国後、しばらく助手をやり、27歳でカメラマンとして独立しました。ちょうどキヤノンEOS 5Dなど、個人所有で勝負できるカメラ機種が台頭してきた頃だったので、若いカメラマンにもチャンスが広がった時代だったのだと思います。制作会社のプロデューサーがコンパクトな規模の仕事を振ってくれたり、若い監督を紹介してくれたり、徐々に仕事の幅が広がっていきました。

ドキュメンタリーにおける被写体とカメラの関係性

――独立以降、多様なお仕事をされてきました。思い出深い作品を教えてください。

たくさんありますが、最近の作品ですとHaruka Nakamura『君のうた』MV。自分が監督も務めた、カメラと身体だけで撮った作品です。この曲は、中川龍太郎監督のHulu配信作品『息をひそめて』書き下ろし主題歌で、同ドラマの撮影も僕が担当しています。MVは、多摩川の近くで暮らしている、偶然出会った市井の人々に声をかけて、それぞれの日常を撮り下ろしたドキュメンタリーとなっています。

ドラマのキャストも出演していますが、それでもドキュメンタリーだと思っています。なぜなら、女優としての彼女たちの日常を撮らせてもらっているから。フィクションの映画は、「カメラは存在しない」という前提で撮る。ドキュメンタリーでは、被写体がカメラを無視しない。「撮影行為」は隠されず、必ず被写体とカメラの関係性が現れる。つまり撮影している側の存在も映像には映る。

カメラのテクニックや技術だけでは、そんなに大きな差は出ないと僕は思っていて、差がつくのは、カメラマンの身体性と哲学ではないかと。自分にとっては「カメラがその映像にどう関係しているか」、その関係性と事実性を重視しています。フィクションの物語である嘘を撮るという行為に対して、嘘をつきたくない。いかにして本当にしていくか。その感覚は、映画『ルックバック』にも活かされています。

本当にそこにあった時間を記録する

――映画『ルックバック』は、上野さんの代表作と言える作品でした。

今までの自分の経験の総集編であり、哲学を詰め込んでいます。フィクションの映画ですが、2025年2月からの撮影期間を、彼女たちが「本当にここにいた」かけがえのない時間として丁寧に記録しました。本作のレビューで、多くの方々が「匂いがした」「体温を感じた」と感想を寄せてくださっていて、独自の言い回しである匂いについて、説明せずとも伝わったと感動しました。

――設定は物語でも、撮影行為はノンフィクションであると。

絵描きや音楽家は頭の中を表現できるけれど、カメラは目の前にある事象しか撮れない。ここにコップがあるとして、コップ以外には変えられない不自由さがあります。だからこそカメラマンは「変えられないものに対して、どうすれば美しいと思えるか。自分側しか変えられない」という修行に赴く表現者なのかもしれません。逆にいえば、フィクションも含めてそこにあった世界を、事実として、本当にあった時間として記録できるのが他の芸術にはできないカメラ芸術の特性です。

――自分の外側の世界と、どう真摯に向き合うか。

いかに世界を慈しめるかと言いますか。カメラ視点で「見る」は一方向的なので、それよりは「触れ合う」といった、双方向的な言葉の方が近いかな。あるものに対して、僕が何かを感じているから、撮っている。対象を見て、自分が感じて、身体で咀嚼したものを、カメラを通じて映し出す。その関係性は、必ず写真や映像に現れます。

――主演のお2人も素晴らしいですね。

この2人じゃないと醸されない空気感があります。それを引き出す是枝監督がすごい。是枝さんは、スタッフにも役者にも指示は最小限で、なるべく自由を与えてくれるんです。まだ脚本も仕上がっていないタイミングで「カメラはどうしますか」と聞かれ、単純に「可能性があるならフィルムで撮影したい」と答えたら、「よし、やりましょう」と。

撮影の方向性やルックについて尋ねた時には、しばらく沈黙した後に一言だけ「そんなに丁寧に撮らなくて大丈夫ですよ」と(笑)。おそらく、作為的に美しく整えなくていいという意味だったのだと思います。その前の沈黙の中に、本当に言いたいことがあった気もするのですが、あえて沈黙して、僕の身体性を信じてジャズのような自由を与えてくれたのではないかと。

――撮影現場はいかがでしたか?

映画の段取り中、多くの監督は役者のために舞台を空けさせて芝居に集中してもらうのですが、子供たちの最初のお芝居のシーンで、六畳の子供部屋に大人たちがぎゅうぎゅうに(笑)。普通は「みんな静かに」と促すところですが、後で聞いたら、「楽しいことをしているから、みんなも見た方がいいですよ」という感じだったそうです。撮影という行為、芝居という行為自体を隠そうとしていない現場でした。

――最後に、今後公開となる作品について教えてください。

10月30日に映画『恒星の向こう側』(中川龍太郎監督)が公開となります。この作品も強烈に、その時にしか起き得なかった時間が色濃く記録されています。フィクションを撮るカメラであっても、実際にあった時間に嘘はつけない。その不自由さと面白さを今後も深く掘り下げていきたいです。

WRITER PROFILE

林永子

林永子

映像ライター、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。「スナック永子」やMV監督のストリーミングサイト等にて映像カルチャーを支援。