インターネット時代における放送の今後については、アメリカや韓国のATSC3.0、欧州のDVB-Iがそれぞれ独自の動きを継続している。日本では、欧米に比較して大きく遅れを取っていると言わざるを得ない。
総務省の「デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会」が2021年の11月2日から設置され、2022年3月31日に「放送の将来像と制度の在り方に関する論点整理」の取りまとめが行われ公開されている。そこで整理された論点は以下の4点である。
- 論点1 デジタル時代における放送の意義・役割
- 論点2 放送ネットワークインフラの将来像
- 論点3 放送コンテンツのインターネット配信の在り方
- 論点4 デジタル時代における放送制度の在り方
現状ではやっと論点が整理されたという段階で、実際何をどうするのかに関してはこれからの話しだ。これらの論点に関しても、4K8Kとか、インターネットをどう利用するのかといった制度論や技術論の域を出ていない。詳細は前述のリンクと総務省のサイトに詳細が公開されているので、参照していただきたい。
欧州の次世代放送サービス技術規格であるDVBは、電波をインターネット網の一つとして位置づけて、インターネット上で次世代放送サービスを実現するという考え方である。もっと端的にわかりやすく言えば、テレビのリモコンの操作と同じ操作感や視聴体験を、スマホのアプリ上でも同様に実現させようというものだ。その実現のための伝送路は電波でもネットでもどちらでも構わず、その時に最適なものをユーザーには全く意識させることなく実現させようというものである。一方のアメリカなどのATSC3.0は、放送電波でIPを伝送するという考え方で、日本的に言えばIPデータ放送的な発想であるところが大きく異なる。
欧州のデジタル放送規格はネイティブIP
さて、話をIBC2022に戻そう。DVBとEBUの展示やセッションで注目すべきなのはDVB-NIPだ。NIPとはNativeIPのことである。次世代放送に向けてこれまでにDVBが策定してきた技術規格は以下のような内容だ。
- DVB-I=ユーザーサイド(=EPGやUI)
- DVB-DASH=ブロードバンドストリーミング
- DVB-TA=ターゲット広告
- DVB-MABR=マルチキャスト
- DVB-NIP=放送とブロードバンドの橋渡し(=IPブロードキャスト)
DVBーIはユーザーが接するUI関連の規格であり、DVB-NIPは伝送レイヤーでの放送とブロードバンドの融合のための規格である。
EUBのブースでは、ドイツのZDFやRTLとイタリアのCRTVでは、放送からブロードバンド中心のメディア配信への移行を支援するため、DVB-Iの大規模な試験運用の準備を進めていることが紹介された。EUBブースではこれらの活動に参加している多くのテクノロジープロバイダーやサービスプロバイダーが共同でデモを行い、DVB-Iがどのように放送局のサービスを様々なデバイスで提供し、品質と配信コストを最適化するか、また、この技術を利用して革新的な新サービスを迅速に立ち上げられることをアピールした。
DVB-NIPのデモでは、まず主に中間伝送路としての衛星に焦点を当て、DVB-NIPがいかに市場に利益をもたらし、新たなビジネスチャンスを可能にするかを紹介した。この新しいソリューションは、標準規格に基づくOTTサービスの衛星配信の機会を再創出し、サービスプロバイダーや通信事業者があらゆる場所のあらゆるデバイスにコンテンツを配信することを可能にするものだ。初期のユースケースとしては、公共Wi-Fiスポットへの配信や航空機のインフライトエンターテインメントや船舶であるという。
また特に遠隔地への教育コンテンツの配信も有効であるとした。これは必ずしも欧州全域で高速で安定したインターネット環境が整備されているわけではないという事情による。またサスティナブル的にも衛星を使用することで、全てをネットで配信した場合のCDNのための膨大な数のサーバー群の電力消費を抑えるという狙いがある。きわめて欧州的な考え方である。
「Shaping the future of television(テレビの未来を切り開く)」3時間セッション
関連したセッション企画として、IEEE Broadcast Technology Society(IEEE BTS)が、「Shaping the future of television(テレビの未来を切り開く)」と題したセッションを行った。本セッションは7名の登壇者による3時間ノンストップの非常に熱量の高い構成である。取りまとめを行ったIEEE BTSとは、IEEEのメンバーから構成される技術協議会の一つである。
登壇者はモデレーターにIEEE BTSのPeter Siebert氏、スピーカーはQualcommのThomas Stockhammer氏、DVB ProjectのEmily Dubs氏、TP VisionのPeter Lanigan氏、Technology Vision Consulting UGのThomas Wrede氏、DolbyのJason Power氏、EBUのPeter MacAvock氏である。
DVB ProjectのEmily Dubs氏は、インターネットの時代に、DVB-Iはリニアの放送から脱却しようとしているのではなく、両者の長所を活かすためのツールとしてDVBの各種規格を策定しているのだとした。また欧州各国の事情によってタイミングは異なるが、最終的には欧州全域で段階的なIPへの移行が予想されると語った。
EUBのPeter MacAvock氏は、現在の放送局が抱えているジレンマとして、
- テレビはまだリニアな視聴が主流である
- 放送局はブロードキャスティングに投資しない代わりに、リニアとオンデマンドのオンラインサービスに重点を置いている
- 広告で運営される放送局は、オンライン広告の収入が微々たるものであることをすでに認識している
- ネットサービスとの激しい競争の中で、放送局は視聴者をオンラインに移行させることができるか?
といった問題点を指摘した。
Technology Vision Consulting UGのThomas Wrede氏は、MPEG-TSでリニアなコンテンツを配信している現状(これをDTH1.0とした)から変わって、衛星でIP伝送するためにIP LNBを介してファイルベースのIPビデオを配信し、家庭のテレビやタブレット、スマートフォン、PCにDVB-NIPで伝送することに加えて、5G、公共のWi-Fiスポット、商業施設などの小規模なローカルCDNを介して配信するDTH2.0に進化させていくというストーリーを語った。Native IP over Satelliteである。
これには3つの開発モデルがあるとして、
- 商業施設などのB2B向けとして、エッジキャッシュレシーバーで受信した後に、5Gか小規模なローカル送信機でモバイル端末に向けて配信するもの
- B2Cの家庭向けとして、ネイティブなIP TV受信機で受信し、必要に応じてリターンパス(上り回線)を既存のデータネットワークで接続するもの
- B2C向けに次世代のDTHシステムとしてホームゲートウェイを介して家庭などのIP端末に伝送するもの
と、航空機や船舶などの交通機関において、Wi-Fiスポットから配信するといった例を示した。
さらにその先を見据えた次世代放送に向けたDVBの世界観
前述したように、DVB-Iは電波もインターネット網の一つとして位置づけているので、NativeIPということになる。日本のようにそもそも分けて考えた上での融合方法を議論するのとは異なる。さらにDVB-IはXMLベースで構成されるので、XMLベースの高水準言語であるX-VRMLとの親和性が高く、VRなどのメタバースへの対応が容易になる可能性が高いとしている。このことは同時に、BBCを中心としてEBUで並行して検討が継続しているOBM(Object-based media)への道筋を強く意識していることが、他のセッションなどを含めて感じることだ。既報の記事をぜひ参考にしていただきたい。
OBMは、コンテンツを単一のアセット、すなわち完パケとして配信するのではなく、個々のアセットとして提供する。これにより番組コンテンツのパーソナライズ化が可能になる。あらかじめ選択された嗜好や、プロファイルに保存された嗜好、あるいはその時視聴可能な時間に基づいて、時間のない視聴者のためには、自動的に短縮されたバージョンを提供することもできる。ネット動画を倍速で再生している世代からすると神サービスになるのではないだろうか。
IBC2022を通じて感じたことは、インターネット、あるいはインターネット技術の位置づけが明確であることだ。それはNativeIPであり、フルIP化によってリニアコンテンツはもちろん、XMLファイルベースの伝送が可能になり、これがOBMによって完パケコンテンツに加えて新しい映像コンテンツをもたらしていくという、クリエイティブの可能性も含めたビジョンが明確に存在している。
良い悪いかはともかく、日本ではインターネット配信の是非を議論している段階であり、そこで語られていることはせいぜいマルチディスプレイと高解像度か高臨場感の単一アセットの話である。例えば本稿執筆時点でDVB-NIPで検索を行っても日本語記事は1本しか出てこない。こうした世界観はATSC3.0よりもDVBをベンチマークした上で、日本の次世代の放送ビジネスを検討することが必要であると感じた。