3月11日(日)の午前2時を期して時計を1時間進めるDay Light Saving Time(夏時間)が始まりました。
これにより冬の間日本とコロラドの間の時差は16時間であったのが15時間となり、日本が朝の9時の時にはコロラドの時間は前日の夕方6時という事になります。
このDay Light Saving Timeは今年の11月4日(日)まで継続します。日常生活でも冬の間は日の出が遅く、まだ暗いうちに起きていたのが、だんだんと日の出が早くなって来たところで1時間繰り上がりましたので、再び暗いうちに起きる生活に戻って朝寝坊をしていたい気分のこの頃です。
コロラドのデンバー地区では今年の冬は異常に暖かく降雪量の少ない気候でしたので、ロッキー山脈中の降雪を生活用水の水資源にしている事から夏の水不足が今から心配されています。
デンバー地区の若者のこれからの季節のスタイル
これは私の娘が週末に我が家へ来た時に娘が撮影した彼女の自動車の様子です。コロラドは冬は雪が降り、山岳ドライブとなることも多いので全輪駆動の乗用車スバルLegacyに乗っています。また、アルミエンジンのためエンジン始動から暖まる迄に時間がかからないので人気があります。
その屋根の上にハンガーを取り付けて、この様に自転車を積んで目的のサイクリングコース迄走ります。そして、自動車は駐車しておいて自転車で走り回る、といった事ですが、サイクリングに行かない時でも自転車は積んだままになっていますから、これが一種のライフスタイルなのでしょう!
屋根のハンガーは町中で駐車している時に盗難に遭わない様に鍵が付いています。そして自転車の方についてもハンガーへ括り付ける施錠バンドが準備されています。コロラドの初夏から秋にかけてこうしたスタイルの車を多く見かけます。ちなみに私の次女の自転車は「Carbon Drive」にはまだなっていません。
毎年2000人のサイクリストが6日間かけてコロラドロッキーを走破するRide the Rokies
コロラドのロッキー山脈中の道路を舞台に毎年2,000名の自転車愛好家を集めて6日間のツアーを行う「Ride the Rockies」の今年の開催計画が発表されています。
今年で27回目を迎える自転車ツアー「Ride the Rockies」は1986年に地元新聞社のDenver Post紙が主催して「Ride The Rockies Colorado Bicycle Tour」として開催されたのが最初です。
この時はコロラド州内のみならずアメリカ各地からの参加者も含めて1,500名を越すサイクリストの参加で6日間かけてコロラド州内を走ると言う事で大成功裏に終了し、人気が高まった事から、それ以降毎年Denver Post紙がメインスポンサーとなって6月にコースを毎年変えながらコロラドのロッキー山中を走るツアーとして定着してきました。
参加者は全米の50州から、そして数カ国の外国からのサイクリスト達も加わり、総参加者数が急激に増加する様になった事から、しっかりとしたツアーの運営が難しくなったので、1987年からは2,000名の抽選による限定とする事になり、更に1989年からは前年の抽選ではずれて参加出来なかった人達には次回の抽選条件が有利となる仕組みを取り入れて人気の定着を図る様にしています。ちなみに、昨年の参加希望申込者数は約4,000名に達しています。
今年のコースは6月10日(日)から6月15日(金)の6日間で2つの国立公園(Gunnison National Park、Rocky Mountain National Park)、そして5ヵ所の峠越え、アメリカ内でも最も高地を走る連続したBywayの総距離数442マイル(711km)を走破する事になります。
6月10日(日) | Gunnison → Hotchkiss 50号線 | 79マイル(127km) |
6月11日(月) | Hotchkiss → Carbondale 133号線 | 68マイル(109km) |
6月12日(火) | Carbondale → Leadville 82号線 | 85マイル(137km) |
6月13日(水) | Leadville → Granby | 92マイル(148km) |
6月14日(木) | Granby → Estes Park | 63マイル(101km) |
6月15日(金) | Estes Park → Fort Collins | 55マイル(89km) |
初日はコロラドの景観の一つGunnison 国立公園内のBlack Canyonの北辺を走行する足慣らしで、2日目は海抜8,755フィート(2,668m)の峠McClure Pass越えで3日目の難関Independence Pass越えに備えます。
3日目は冬のスキー、夏の避暑地として知られているAspenの町を通過し、コロラドロッキーの分水嶺の峠の一つIndependence Pass 海抜12,095フィート(3,687m)を越えて古い鉱山町Leadville まで走ります。
4日目のルートは中間にロッキー山脈を東西に横断している国道ハイウェイ70号線のFriscoの町を通過しロッキー山脈国立公園の南の入り口の村Granby迄ですが、先ずFremont Pass 海抜11,319フィート(3,450m)そしてUte Pass 海抜9,165フィート(2,794m)の2つの峠越えになります。
この4日目にはオプションコースが設けられていて、Granbyの村の少し前で距離としては14マイル余分に走るルートがあり、サイクリストはその時の自分の調子をみて選択する様になっています。
5日目はいよいよロッキー山脈国立公園内を縦断している道路Trail Ridge Road (最高地点の海抜12,183フィート(3,713m))の走行です。そしてMilner Pass海抜10,758フィート(3,279m)を越えると公園の北の入り口の町Estes Parkまで一気に下りです。
このルートは6月には標高が高い事から雪降りとなることもあり天候が急変しますので要注意個所です。2004年には逆コースのEstes ParkからGranbyへ向かうコースが設定されましたが、折しも降雪となってサイクリスト達は強制的にバスでGranbyまで輸送されると言う事態が発生しています。
最終日はEstes Parkからコロラド州立大学の町Fort Collinsまでのこのツアーの余韻を楽しむルートでその最終ゴール地点はビールの醸造工場の敷地となっていて、「One of the most bike-friendly in the nation」と自慢しているFort Collinsの町のサイクリスト達への歓迎が待っています。
今年の参加申し込みは既に2月5日(日)に閉め切られて、2月24日午後5時から抽選が行われて2,000名の参加者が決定しています
参加登録費用は今年は1名当たり400ドルで抽選で参加資格を得られた人のみが支払う事になります。
この400ドルでテント張りのキャンプ場での寝泊まり、シャワーの利用、バッグ1個分の手荷物の運搬、医療看護、自転車の修理調整サービス、マーク入りのジャージ、水筒、ツアーの地図帳、Rocky Mountain国立公園の入場料などといったものが受けられます。
このRide the Rockiesのツアーは競争レースではありません。2,000名のサイクリスト達がコロラドロッキーの景観を楽しみながら標高4,000mに近い高地サイクリングに挑戦しようというものです。
特にこのツアーに参加する人達の状況は、今迄の実績から参加者の90%が大学卒業者で学士号を得ている人達となっており、60%は年収が10万ドル以上となっており、6日間でその発着する各町にはそれぞれこの運営団体から5,000ドルの寄付金を含む約合計25万ドルの経済効果をもたらしているとしています。
今やコロラドの初夏の名物となった「Ride the Rockies」ですが、その運営団体の事務局では「今年はこの27年の歴史の中でも最も楽しめるコース設定となったと思う。」と言っています。
創業100周年を迎えるデンバーのGates Corporation
デンバーに本拠を置くGates Corporationは1911年にCharles Gates, Sr.さんが当時デンバーにあったThe Colorado Tire & Leather Companyを3,500ドルを出して買収したのに始まって今年で創立100周年を迎えています。
- Gates CorporationのWorld Headquarters ビル
- デンバーのダウンタウンの西南の端に在ってここから世界のあちこちに展開している商品製造部門、営業販売部門、マーケティング部門、品質管理部門などへの指示、指令を発しています。15th StreetとWewatta Streetの交差点にあって、デンバーの鉄道駅ユニオンステーションから直ぐそばです。現在、このGates CorporationのビルとUnion Station駅舎の間はデンバー市のユニオンステーション地区の総合開発事業のため一大工事が行われており、それはこのビルの裏側となります。
- Gates CorporationのWorld Headquarters ビルの入り口に立っている看板塔
- ユニオンステーション側に正面入り口があって、その脇にこの看板塔が立っています。一番上のマークはGates社の登録商標となっている社票です。その下側に「A Tomkins Company」と記されていますが、これは1996年にGates社はそれまで創立以来Gatesファミリーが経営権を握っていたいわゆる親族会社だったのですが、やはり世界的な産業機器と自動車産業そしてビル建設の機材などで世界的なTomkins社の傘下に入り、その85年に及ぶ親族会社から脱却しました。それ以降Gatesの社票マークの下にこの「A Tomkins Company」と記する事になっています。その下に記されているマークはフロリダ州のTallahassee に本社を持つ腎臓病の治療専門会社の「DaVita labs」の社票マークでそのコロラド支店がこのビルの一部に入居しています。その下の「1551 WEWATTA」はWewatta 通り1551番地のこのビルのハウスナンバーです。
Gates Corporationは何よりも良く知られている同社の商品として自動車のエンジンに広く使われているV字溝のプーリーに組み合わせる「V-belt」があります。
このV-beltはCharles Gates, Sr.さんの弟のJohn Gatesさんが考案したもので、この世界的な特許を1917年に同社が取得しており、強力布材料を芯材としてゴムで固めてV字型断面のベルトにしたもので、その騒音発生が少なく、耐摩耗性や環境温度にも強い事、そして何よりも簡単な構造で確実な動力伝達が出来る事から自動車のエンジン用途だけでなく、大型の発電機や機械類などにも需要が広がりました。
1954年になるとGates社はそのV-beltの商品名で世界的な製造供給販売の体制を敷いて世界的に積極拡大し、その社名もGates Rubber Companyとして広く知られる様になりました。
また、30年前の1982年にはV-beltのVの先端を歯形にしたベルトを自動車のエンジンなどの回転タイミングを重視する用途として業界提案し現在では新車の約半数の自動車のエンジンのタイミングベルトとして使われる様になっています。
現在同社は、デンバーのダウンタウンにある鉄道駅ユニオンステーションの脇に建っている大きなビルをGates Corporation World Headquarters としてアメリカ内はもちろん世界の各顧客にこのV-belt の他、自動車のラジエーターとエンジンとを連結する液冷用のホースを始め、水や油などの搬送をするホース類、大型産業機械類の動力伝達用のベルトなど非常に広範囲な用途向けに供給しています。
前置きが大変長くなりましたが、そのGates Corporationが今年創立100周年を迎えるにあたって、同社では約3年前に市場へ導入した現在は機械的なチェーンが広く殆ど使われて来た自転車のペダルギアと後輪軸のギアとを連結しているものを本格的なカーボンファイバーをコアー材とする歯形Vベルトで置き換える活動を展開しようとしています。
商品名は「Carbon Drive 」ベルトシステムと呼んでいて、現在のチェーン使用の自転車にはそのまま置き換えは出来ませんが、このCarbon Drive ベルトに合わせて設計された部品を使用して自転車の駆動ベルトとして動作します。
その為にコスト的には約200ドルから300ドル高くなりますが、メカニカルなチェーンのシステムに比べて
- チェーンの様な騒音が出ないで静か。
- 丈夫で耐久性が高く、寿命が長い。
- 重量的に軽量となる。
- 給油などの保守が不必要。
などと言う特長を活かして、今後世界の全ての自転車のチェーンをこのCarbon Driveに置き換えるのだ、としています。
既に、現在世界の自転車メーカーの54ブランド、92モデルに採用されていますが、来年迄には68ブランド、150モデル迄に使用される様に拡大するという同社の計画です。
更に新たなモデルとして、通常の自転車ではチェーンは後輪の左右どちらかの端に取り付けられて駆動していますが、これを後輪ハブの中央部にベルトを掛けて駆動する方式の「Center Track 」システムとすることにより自転車の駆動バランスが良くなり、重量的に大幅な軽量化が出来ると言う新システムの提案も準備しています。
また、このCarbon Driveベルトシステムでは競技用のロードレースバイクやマルチギアのマウンテンバイクなどではその切り替えギアはインハブタイプを使用しなくてはならない為、まだ本格的にこの分野での展開は図られていませんが、同社では「We are trying to change the entire (bike) industry. Then people say I do not see why any bike should have chains.」と言う様にしたいとしています。
ところで、今年6月のRide the Rockiesのツアーには参加する2,000台の自転車の何台がこのGates Corporationの「Carbon Drive」仕様のものとなるでしょうか?
- Gates CorporationのWorld Headquarters ビル脇からUnion Stationを望む
- デンバーのダウンタウンのビルのWewatta通り側を通して鉄道駅ユニオンステーションを見てみました。写真の右下に見える屋根の上に大きな金属製の水タンクの載っている灰色の建物がユニオンステーションです。その少し左側に大きく積み上げられている土の山やその上に大型クレーンの鉄塔が見えますが、現在この地区の開発計画に基づいて進行している大工事現場です。鉄道会社ユニオンパシフィックの線路はこの土の積み上げられた山の向こうに入って来ています。この工事全体が完成するとこのGates社のビルは非常に立地条件に恵まれた環境となる事が分かります。
- Gates Corporationの寄贈した大型プラネタリウムがある博物館Denver Museum of Nature & Science
- ここでGates社が寄贈した大型プラネタリウムがあるデンバー自然科学博物館の様子を4枚の写真で紹介します。(この博物館自体の紹介はまた次の機会に号を変えて詳細な紹介をさせて頂きます。)
Gates Corporationはデンバーに本拠地をかまえて世界規模の大企業となりましたが一方その稼ぎ出した資金で財団を形成してデンバー市の施設などで大型な寄付寄贈を行って来ました。デンバー自然科学博物館の中には大型な本格的なプラネタリウムが設置されていて、その円形ドームの観覧席とともにGates社の寄贈によるものです。この写真はデンバー自然科学博物館の入り口です。この博物館の正面入り口が別にありますが、通常見学者は駐車場に面したこの入り口から入ります。
- 博物館Denver Museum of Nature & Science の夜の部の入場口
- もともとこの入り口はやはりGates社から寄贈された大型望遠鏡があって一般の見学者に公開する天文台を構成していましたが、デンバー地区の発展に伴って夜間でも町の灯りが明るすぎて天文観測には不向きとなった事から別の場所に移設されています。現在でもプラネタリウム館を始めその季節季節に応じた天文の専門家による解説講義の会が催されています。この入り口はそうした夜のアトラクションの時の入り口です。
- 博物館の夜の部の入り口のガラス扉には?
- 博物館の夜の部の入り口のガラス扉を見るとこのような事が記されています。
・Gates財団寄贈のプラネタリウム
・Ricketson財団寄贈の講堂
・Leprino家寄贈の大広間
博物館が開かれている日の入り口は北側の建物に有ります。
注意!
このドアから25フィート(7.6m)以内は禁煙です。
- 博物館の夜の部の入り口から外を眺めると?
- 博物館の夜の部の入り口から外を見るとこの様な景観が楽しめる様になっています。前方にはデンバーのダウンタウンの高層ビル群、そしてその後方にはロッキー山脈のMount Evansを中心とする雪を冠った4,000m級の峯峰が眺められます。右の木立の奥にはデンバー動物園もあります。
あとがき
- 今年取り壊しが決まったDenver Tofu社の豆腐製造工場
- 建物の前がBlake Streetです。この建物の裏側には直ぐにUnion Pacific鉄道の線路となっていて一日に上り1本と下り1本の運転往復しているアメリカ大陸をシカゴとカリフォルニアのSan Joseとを結んでいるCalifornia Zephyr列車が通ります。建物全体は豆腐をイメージする白色のペンキ塗装されています。
デンバーの町中にある豆腐の製造販売会社「Denver Tofu Company」が、現在その建設工事が各所で始まっているデンバーのダウンタウンの鉄道駅「ユニオンステーション」とデンバー国際空港とを結ぶ新設鉄道の建設計画区域にかかる為、その場所での操業を停止することになるというレポートがTVのKUSA第9チャンネル局のニュース番組で紹介されています。
この「Denver Tofu」は山本晴久さん(現在73才)が、かつてアメリカンドリームの希望に燃えてスーツケース一つで日本からアメリカへ渡り、デンバーで今から約40年前の1972年に豆腐店を開業したもので、当初は現在の場所から少し西のArvadaに近いFederal Boulevardと64th Avenueの交差点付近の小さな場所で日本の豆腐の製造販売を始めました。
その後幸いにも製造する豆腐の販売が日系アメリカ人の家庭や病院での入院患者向け食事などで人気が出て順調に拡大した事から、もっと広い建物としてユニオンステーション駅へ入って来るユニオンパシフィック鉄道の線路沿いのBlack Streetと64th Streetの交差点に近い現在の場所の土地と建物を山本さんが1987年に購入して移転し現在に至っているものです。
現在工事が進行しているデンバー国際空港からの鉄道はユニオンステーションへこの線路沿いの敷地を拡張して新しく複線の線路が敷設される計画であり、3年前にこの計画が纏められた時よりデンバー地区のバスや路面電車などの公共運輸の運営を担当しているRTD ( Regional Transportation District ) 当局とこの山本さんの「Denver Tofu」社をはじめ約30社の事業所の閉鎖又は移動についての交渉が行われてきています。
今回最後まで残っていた「Denver Tofu」の山本さんとの解決が今年の始めに行われて、その製造工場は現在使用している各種の豆腐の製造装置や設備そして「デンバー豆腐」のブランド所有権を含めて他へ売却され閉鎖される事になりました。
また、その豆腐製造工場は現在13名の従業員で運営されていますが、その人達はこの売却によりその職を失う事となります。
山本さんはそのニュースを伝えるTVのインタビューで「いやあー、私はただ(豆腐の製造販売を)続けて行きたかっただけです。そしてRTDからの土地建物に関する売却保証金を基に移転と言うことも考えましたが、その為にはそのRTDからの資金では全く不十分なので、今回設備及びブランド権を含め売却して事業閉鎖をする事にしました。」と語っています。
また、山本さんの娘さんであるLisa Yamamoto Grimsleyさんは、「この父 Haru Yamamotoはまさにアメリカンドリームを目指して日本からスーツケース一つでアメリカへ渡り、この豆腐ビジネスを一から立ち上げて豆腐がコロラドで英語として確立された彼の第2言語とした人です。」と話しております。
- Denver Tofu社の豆腐製造工場の左側の端に書かれている看板です
- 「デンバー豆腐カンパニー」そしてその左に書かれているのは商標の様です。さらに建物の左側に見える鉄道線路の様子です。今度のデンバー国際空港から来るRTDの電車のレールはその複線がこの建物のところまで掛かります。そして、その向こうはUnion Pacific鉄道の複線の線路が在り、さらにその向こうには貨物専用のBurlington Northern鉄道の複線の線路となっています。現在通過中の石炭輸送専用の貨物列車の貨車が見えます。
- Denver Tofu社の建物の右側に続く細長い建物
- 荷物運送の流通業が使用しているトラックから別のトラックへと荷物の積み替えに使う長い建物です。建物の道路側には数多くの上下するドアが付いていて、ここへトラックの後部を付けて停車して積み荷をおろします。建物の中はホークリフトが行き来する通路となっており、他の扉に停まっているトラックに行き先別に荷物を選別して積み込む様になっています。この細長い建物も全部デンバー国際空港からの電車の線路に掛かりますので取り壊されて複線のレールが敷かれます。