映像の世界では、言うまでも無く急速に高画質化が進んでいる。総務省官僚の主導で、ここ数年のわずかな間にHD、フルHD、S3Dと大規模に機材投資してきたのに、さらに4Kそして間を置かずに8Kと映像制作業界が機材投資を強いられる事態となっている。これは、まるで二次大戦時、戦場から遠く離れた軍事官僚たちの発案で現場の地形無視で立案され、結局は日本兵の餓死死体で行軍経路を埋め尽くして白骨街道の名をとどろかせた、かの無謀なインパール作戦のようだ、という声まである。そんな我々制作サイドの不満を余所に、政府主導ということもあり、世の中は急速に高画質化が進んでいる。特に4KとRAWの二つは、既に民生映像にどんどん応用されてきている。

当たり前になった4K、HDSLRでも撮れるRAW

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第1回コンテンツ制作・配信ソリューション展でも、4Kモニタは各所に置かれていた。写真はImagica Robotブース。4Kは明らかに普及しつつある(※本展は業界関係者の商談会です。一般の方のご入場は出来ません)

総務省主導で天下り先企業製機材販売の意図が透けて見える状況とはいえ、当初の4Kの推進までは、現在4K化しつつある映画館向けコンテンツにも応用が利くため「まあ投資は辛いけど映像の未来のためだし」と笑ってみていた向きも多いだろう。しかし総務省の方針は更に過激で、本来2020年予定だった8Kの試験放送を2016年に前倒しして「オールジャパン体制で」行う、という強引なものに変わってしまった。

8K放送は、2016年、リオデジャネイロ五輪の際には8Kの試験放送を行う、ということだから、そこから逆算すると、2014年末のInterBEEには動作モデルを出展、翌2015年NABには市販レベルのモデルとスイッチャー、収録機、そしてもちろん送受信周りなどの周辺機器も合わせた販売スケジュールが出ていないとまずい。これは果たして現実的と言えるのだろうか?

しかも、今まで総務省が推し進めていた4K放送は2014年7月頃開始だ。つまり、4K放送は始めてから半年で旧規格になって陳腐化することになる。総務省自身「テレビの買い換えを無理強いしない」と宣言していることからも、下位互換性や現在のHD放送を維持したままの上位放送として8Kを想定していると思われるため、とりあえず、今回の強引な8K推進は、制作業界のみの機材負担で、一般視聴者には後から状勢を見てテレビを買い換えて貰おう、ということのようだ。

しかし、作り手側としては8Kの推進には大きな疑問符が付く。まず、4Kは先ほども書いたとおり、映画産業という安定したコンテンツ供給元が有り、また逆の流れでも、テレビドラマをそのまま映画化する際にも素材の流用が効くであろう事から歓迎する向きは多い。そもそも、4KというのはフルHDに比べて精細感が強く、没入感が心理的に非常に効果的である事も知られており、人の心に訴えかける必要のある映画やドラマとの相性は抜群に良い。旧来のコンテンツの応用という面でも、2K(もしくはフルHD)のコンテンツを同時に4枚送れると考えれば、立体視やチャンネル分割など、新しい視聴方法も色々と発展し得る。今、多くのスチルカメラが5K程度のRAW解像度を持っているところから、この解像度向けのセンサーなどのパーツは量産効果で価格も安く、近い将来、今のEOS-1D Cのような4KDSLRカメラが各社から市場に出てくることが容易に予想される。つまり、制作側も機材製造側も、そしてなによりも強い感動を受け取ることの出来る視聴者側も、最も価値のある解像度ゾーンと言えるのだ。

しかし、8Kとなると、一体どんなコンテンツや視聴環境が想定されるのか?まず、そもそも論として、人の目の限界の問題がある。映画館も含む大抵の視聴環境では、4K時点で既にRetina解像度(人の目の網膜ではピクセルが判別不能な解像度)に達してしまっており、精細感を増す意味合いとしては8Kの必要性は無い。8Kが意味を持つのは、壁紙や環境映像のようにもっと人が近づく場合やデジタルサイネージにおける巨大展示の場合で有り、そういうケースでは電波放送をする必要性は全くないだろう。

カメラのセンサーもスチルカメラの4倍の解像度のものが要求され、その伝送系も収録も、とてつもなく高速なものが要求される。これらは事実上8K放送向け業務機器向けだけのワンオフに近い生産になることが予想されるため、量産効果などは望めず、とんでもない高額なものになると考えられている(そして、機材メーカーに多くの天下りを出している総務省としては、それこそが、狙いなのだろうと考えられている。ワンオフ業務機は、量産の必要が無いため設備投資や流通投資が軽く、機材メーカーには美味しい商売なのだ)。

8K〜12Kの解像度は、日本以外では例えば、以前から米国のRED Digital Cinemaが4Kに続く今後のバリューゾーンとして宣言をしていたが、それも、あくまでも「動くポスター」や「超巨大スクリーンでの立体視映画」「遊園地のアトラクション映像」などが10年単位の将来に使われるであろう、という話であり、日本の総務省の想定するような、普通の家庭用テレビにたった3年後に使われる、という意味では無い。

コンテンツも視聴環境も、そしてもちろん我々映像業界で働く者にとって一番大事なビジネスモデルすらも想定が無いままに、まず機材商売ありきで突き進んでいるのが、今の総務省主導の8K放送なのでは無いかと思えて仕方が無い。まさに、軍上層部は安全な銃後で女遊びをしつつ命令だけを下していた、インパール作戦を彷彿とさせる展開だ。

思えば、プロ用のフルサイズ(ライカサイズ)判スチルカメラも一時期は高ピクセル解像度数競争をしていたが、最近、ここ数年は、最上位機種でも4K〜5K程度で止まってしまっている(正確に言うと、高解像度合戦が止まるどころか、一時期の主流の6K解像度から5Kクラスに解像度ダウンしてしまっている)。これも、どうせあまりに高い解像度では、単にファイルサイズが大きくなって処理が面倒になるばかりで意味が無いということで4K〜5Kという解像度が決まったわけで、恐らく、映像も、この後追いをすることになるのでは無いかと筆者は推測している。

中判ポスターにすら使われる静止画で紆余曲折の末に4Kで充分という結論になったのだから、それよりも低い解像度で人間の認知上限に達する動画では、8Kもの解像度が必要とは到底思えないのだ。

さて、そんなわけで、総務省の官僚が銃後で叫ぶ8Kはともかくとして、4Kは映画という安定産業が存在しており、民生向けテレビモニタも少数機種ではあるが生産が開始されているため、とりあえず、という感じで制作各社共に、コンテンツ作りを開始している。

主流となった4Kコンテンツ展示

つい先日、2013年7月3日~6日東京ビッグサイトにおいて行われた第1回コンテンツ制作・配信ソリューション展でも、4Kコンテンツの展示は主流で有り、大いに会場を賑わせていた。同イベントは、業界関係者向け商談オンリーのイベントで、一般客の入場は禁止されているため、それっぽい派手な演出に一般客が乗せられているというわけでは無く、映像業界関係者たち自身が4Kには積極的に取り組んでいる、ということが見て取れる。

 
HOME360の「Freedom360」などは、高解像度映像のもう一つの側面(※本展は業界関係者の商談会です。一般の方のご入場は出来ません)

同展示会では、単に四角い画面の解像度を上げても意味が無い、それならば、という変わった展示も存在した。NABでもおなじみのランサーリンクブースに展示されていた機材で、HOME360の「Freedom360」がそれだ。同機種は、GoProを6台球状に並べて撮影する、というもので、これによって、360度移動可能な5.6K程度の範囲の映像を作り出すことが出来る。まだ、6台のGoPro映像が完全に同期が取れているというわけでは無かったようだが、高解像度のもう一面ということで、将来が楽しみな製品だ。

また、こうした4Kの新機材準備が進む中、既存機材においては、RAW形式での映像収録が花盛りとなっている。4Kや8Kという解像度方面だけでは無く、色彩方面からも、高画質映像の要求が高まっているのだ。中でも、Canon EOS 5D MarkIIIをベースとした改造ファームウェアMagic Lantanにおいては、盛んにRAW収録が検証され、レキサー社製のx1000カードを使うことで、ついに、比較的安定して、フルHDでのCinemaDNG RAW収録の30P撮影に成功している。

ついに筆者もブームに乗って、RAW向けにEOS 5D mark3を購入!

ただし、これはまだ、ベータ版の前のアルファ版ベースの話なので、Pronews読者にはまだお勧めできないが、近い将来、お勧めできるレベルに達した時点で、またご紹介できればと考えている。そしてそれはきっとそんなに遠い未来では無いだろう。実は、このRAWブームに乗っかり、筆者もEOS 5D MarkIIIを導入した。様々な人にEOS-1D CやRED Scarlet Xを持っているのになんで?と聞かれたが、手軽に持ち運びできるRAW収録機には大いに魅力があるのだ。なにしろ、ロケハンなどでかき集めておいたちょっとした素材動画こそ、いざというときに加工して使いたい映像なのだ。それがRAWで撮ってあれば、応用範囲は大変広い。しかもEOS 5D MarkIIIは普段は、普通のスチル撮影用カメラなので、持ち運びに違和感が無い。

日本の総務省主導の8K放送では、こうした色彩管理方面の意識がすっぽりと抜け落ちているのも、大変に気になるところだ。4Kなどの映画向け技術であれば、ACESなどの色彩管理手法が急速に認知されつつある。これが、テレビ放送だからといって8K放送では全く意識されず、ただ単にカタログスペックの解像度を追い求めていってしまって、果たして本当に世界的ニーズを掘り起こせるものなのだろうか?以前の、総務省主導のアナログハイビジョンのような大失敗にならないものなのだろうか?否応なしに高画質化が進む中、そうした疑問を持たざるを得ない。

「ゲームチェンジャー」の可能性

そんな中、最近我々中小零細クリエイターの間でよく使われる言葉に「ゲームチェンジャー」という言葉がある。これは、今まではこうだろう、とみんなが苦労して積み重ねてきた仕組みを、全く別の発想で、いとも簡単に(しかも大抵はローコストで)ひっくり返してしまうことをいう。オタク的にいえば蓬莱学園の「オルフェウス・ギャンビット」だ(って、世界で7000人くらいしか理解できないマニアネタだが)。

この流行言葉としての「ゲームチェンジャー」というのは、元々はヴィンセント・ラフォーレ氏が同氏のブログで新技術をほのめかす際に口走ったものだが、彼のいうところの今回のゲームチェンジャーは、結局、ヘリ用の3軸ジンバルを手で持つという実にシンプルな発想で、特に技術的に目だったところも無い「MōVI」であった。一見なんて事は無い機材ではあるのだが、この発表と同時に、同種の機材は爆発的に開発が進み、結果的にはそれまでのスタビライザーやレールを一掃する可能性がある、とまでいわれている。「MōVI」は、確かにゲームルールそのものを変えてしまったのだ。また、同氏の以前の成果では、Canon EOS 5D MarkIIでのHDSLR動画の撮影が、「MōVI」以上に鮮やかなゲームチェンジャーであった。

何しろ同氏の手法は、それまで最低でも数百万円であったシネマカメラの世界を、いきなりスチルカメラのおまけ機能で実現してしまったのだ。まさに映像の世の中全てのゲームルールがひっくり返ったといっていい。実際、読者諸賢の中にも(そして実はライター陣にも)、この5D MarkIIの巻き起こしたゲームチェンジによって映像の世界に飛び込んできた人が数多くいるのは周知の事実だ。

先述の8Kだけでなく、4K映像においてもバカ正直に作り上げていくと予算がいくら合っても足りないところから、恐らく、これからの数年間で、こうした「ゲームチェンジャー」がいくつも登場してくるものと考えられている。まさに、映像戦国時代、映像手法の激戦期に突入したといっていいだろう。

しかし、このゲームチェンジャーに対する軋轢は並大抵では無い。なぜなら、ゲームチェンジャーが出た瞬間に、既存の機械の必要性が急速に下がり、あるいは、やり方によっては無価値になったり、既存の機械では全く出来なかった膨大な業務までもが誕生したりするからである。つまり、ゲームチェンジされた側にとっては、大きな負の衝撃を産むわけだ。

例えば、今回の「MōVI」の登場で、真っ青になっているのが既存のスタビライザーメーカーやスタビライザーオペレーターだと言われている。「MōVI」はジンバルにしては異様に高額だが、それでもスタビライザーの半額以下で、しかも、運用にあまり体力がいらない上、訓練もさほどいらない。類似品はもっと価格を下げてくるだろうし、そうなれば既存スタビライザーの需要は大きく変動することが予想されているわけだ。

しかし、映像関係者にはとかくブランドが好きな人が多く、そういう人たちは、とりあえず機材の値段を例示して、この価格だからすごいんだ、という思想を持ちがちだ。そういう人たちはこのゲームチェンジャーに直面すると、一様に激しい反応を示す。大概は激怒し、あるいは罵倒し、場合によってはローコストを理由として軽蔑して近寄らない、という態度を示すのだ。スタビライザーでも、ご多分に漏れず、従来のやり方の利便性を敢えて声高に叫ぶ向きも欧米では見られるが、果たしてどうなるのであろうか。余談だが、5D MarkIIのもたらした衝撃で、私も欧米の場末の映画関係者などから、何回か「Canon fun boy」と罵られた経験がある。一見若そうに見えるアジア人が(実際には私は立派な中年オヤジなのだが)彼らの持っている機材とは全く価格帯の違う機材で綺麗な映像を撮っていれば、猛烈に叩かれるわけである。

Rolandの新しいオールインワンHDスイッチャーVR-50HD。従来であれば複数人数と複数の安定電力を必要としたHDスイッチングを、音まで含めたモバイルワンマン運用に持ち込むことの出来る。使える場所や用途がそのものが従来のスイッチャーリアルタイム合成機とは違う、明らかな「ゲームチェンジャー」だ

そして、この現象は、実は私の身近でも起きた。私は、先日、自分のFacebookページにおいて、Rolandの今秋発売の新作オールインワンHDスイッチャー「VR-50HD」を、そのコンパクトさとモニタまで不要で消費電力もわずか60Wというシステムとしての完成度の高さから、これはまったく新しい方式の配信が出来る、と褒めた。しかしその際に、他のメーカーの正規輸入代理店の人間が、大層な態度で「そうかw?」「書くなら正確な情報をお願いしますw」などと書いて来たのだ。

フェイスブックというプライベートな場とはいえ他社製品の正規代理店の人間であることを明らかにしている者が、他製品の高評価に対してそうした態度でいることに大変疑問を持ったのだが、彼は自分の推す自社製品がなんでも出来ると思い込んでいたのだ。結局、1時間もたたないうちに彼の会社の扱う製品では、電力も機材スペースも私の要求に足りず、私の望む新しいスタイルでの配信は不可能だということがわかり、その人物は今まで有り得なかったその配信スタイルに対して「大変ですねえw」などと捨て台詞を残して会話から去って行った。

この場で内情をばらすと、実は、彼が嘘をついてまでして推したその製品は、従来用途としては充分に優れていることを私もよく知っており、NABの縁で弊社でも従来用途向けに導入を決めていたものだったのだ。しかしながらこの件はさすがに私も不快であったので、事情を見ていた購入代理店の方にも了解の上、急遽導入をキャンセルさせて貰い、弊社の配信事業はVR-50HDの発売まではSD配信のままで行くこととなった。結局、誰も得をしない、四方八方に不快感だけを残す一件となってしまった。

どうしてこんな事が起こってしまったのかを考えて見ると、それは偏に「うちの製品の方が価格が高いから、安い他社製品よりも全てにおいて優れている(筈だ)」「高額機材を利用したやりかたが絶対至高のもので、他のやりかたは全てコストを下げるための代替手段に過ぎない(筈だ)」「安い他社製品を買うような奴は、どうせ高額なうちの製品の客では無い(筈だ)」という身勝手な思い込みが原因だろう。

しかし、実際には両製品は発売時期も一年ほどずれていて、後発製品のVR-50HDの方が当然に対価格性能が勝る上、VR-50HDは本来楽器メーカーのRoland社の生産だけあって高級パーツのコスト削減が大変上手なのだ。パーツの良し悪しは音の良し悪しに直結するため、通常のメーカーなら回路パーツそのものを安価なものに変えるところを、それなりの高級パーツのまま安価にする量産技術を持っている。また、楽器メーカーの経験からフールプルーフ性が高く、ユーザーの無茶な使い方でも比較的機械側で対応をしてくれる傾向が強い。

VR-50HDの一つ一つの機能は確かにありきたりの枯れた技術ばかりで、個々の単機能としては2013年秋発売とは思えないほどに目だって優れたところはあまり無い製品なのだが、それらの機能を総合すると、A3用紙大のモバイル可能なフットプリントサイズで24V 2.5A(60W)駆動というバッテリー駆動可能な消費電力にもかかわらず、フルHDのコンバーターからスイッチ、4レイヤー合成、音のミキシングからモニタリングまでこなす、明らかな「ゲームチェンジャー」であったのだ。

私は従来用途には先発製品を念頭に置きつつも、新しい今までに無かった発展性のある機材としてこのVR-50HDを考えていた。ちょうどネット選挙も始まる時期であり、そうした用途には、コンセント一本かあるいはバッテリーで、膝置きでのスイッチングが出来る上、何もわからない政治家やその秘書が適当にケーブルを突っ込んできても余裕で飲み込んでくれる、コンバーター機能付きのVR-50HDしか選択肢は無い、と考えたのだ。従来の「映像はちゃんとしたスタジオで撮って流しましょう」というところから「じゃあ選挙事務所からそのまま配信しましょうか」という感じに、フルHDがついに従来のSD映像並みに手軽となる。同機の販売想定には、小中学校の放送室向けも考えているというのはまさに象徴的で、小中学生の放送委員でも、数時間の訓練でフルHD生放送を簡単な合成付きで使いこなせるようになるだろう。まさに、ゲームのルールが変わると確信できる機材だ。

私が経験したこのトラブルは、自社の高級機の奢りから個々の単機能の性能にばかり注目してしまい、他社の新しい機器の複合性能がもたらす新しい仕事の展開(ゲームチェンジ)に気づけなかった者の勇み足、と考えていいだろう。

こうしたゲームチェンジに関わる失敗例は枚挙に暇が無い。例えば、少し前であれば、スチルカメラで「フィルムの方が明らかに描写力に優れている」からとデジタル化を行わず、仕事が無くなって消えていったカメラマンや写真事務所が多数あった。フィルムの方がデジタルよりも描写力に優れているのは、未だ銀塩を越える細密さと素子のランダムさのセンサーが開発されていない以上、今現在においても事実である。しかし、DTPでいち早く末端までデジタル化の進んだ印刷業界においては、フィルムカメラの残る余地はあっという間に無くなってしまったのだ。

このように、期待される利益に比べて過剰投資であると判断した場合、現代の市場は、投資指示に素直に従うのでは無く、こうした「ゲームチェンジ」を図って投資を現実的なラインに持ち込もうとする。なぜなら、「ゲームチェンジャー」の開発や発明に係るコストの方が、そのまままっすぐ進むコストよりも遥かに安いからだ。

奇しくも、先日行われたWWDC2013において、今秋発売のAppleのMacProがメイドインUSAになることが発表された。人件費高騰で、ついに、高機能製品の中国生産が採算に合わなくなってきたのだ。これもまた、ゲームチェンジである。中国がついに「世界の工場」から転落した瞬間なのだが、その重要性に気づいている人は、当の中国政府関係者にもまだ少ないようだ。日本は、こうした中国の状況を笑って居る場合では無い。

無理矢理なビジネス的展望無き状況での機材販売目当てでの8K推進は明らかに制作側の予想利益に対して過剰投資であり、恐らく十中八九、こうした「ゲームチェンジャー」を産む。そうしたゲームチェンジャーを産むだけのコスト的空隙がある以上は、必ずゲームチェンジャーは生まれる。そのゲームチェンジが、8Kを簡単に実現する手法か、あるいは8K放送そのものが無意味になる手法か、他国があっさりと安価な8K機材を出してしまって瞬間で優位性が失われるのか、あるいはもっと素直にテレビ業界自体が制作サイドに愛想を尽かされて別の新しい利益性の高い映像伝達手段へと一気に移行してしまうのかはわからないが、3年後のその時になって、そういうつもりじゃ無かったんだ、と泣いたところで取り返しは付かない。

従来の「官僚主導で放送ルールを変えれば機材バカ売れ」という土建都市開発法的思考から抜け出し、一度、プラン全体を冷静に見つめ直し、本当に国民の望むものは8Kなのか、本当に8Kならばどうやって制作側機材負担を無くすのか、あるいは4Kじゃダメなのか、色彩などのもっと別な日本ならではのクオリティアップの方法があるのでは無いか、という所から考え直した方がいいような気がしてならない。

WRITER PROFILE

手塚一佳

手塚一佳

デジタル映像集団アイラ・ラボラトリ代表取締役社長。CGや映像合成と、何故か鍛造刃物、釣具、漆工芸が専門。芸術博士課程。