txt:宏哉 構成:編集部
遺失物を追って
クアラルンプールからシンガポールへの旅次。予想外の波乱の中、無事に陸路で移動を終えた我々ロケスタッフ。仕事としては、本来のロケスケに遅れることなくシンガポールに入国できたので、翌日から予定されていた取材には一切響くことなく通常体制に戻った。
だが、1つ大きな宿題というか問題が残った。極めて個人的な問題だ。
前回のコラムの最後に4枚の写真を並べたが、最後の1枚には他の3枚に写っているのに、その写真には写っていないものがある。
「ヘッドフォン」だ。
赤いヘッドフォンが今回の主役
写真に写っているこの赤いヘッドフォン。Sony“MDR-100ABN”というモデルになる。Bluetoothによるワイヤレス接続で、ハイレゾ対応。さらにノイズキャンセル機能付きというモノだ。
実売は当時で28,000円前後だったのだが、私の“MDR-100ABN”は少し事情が違った。私の所有しているモデルは「h.ear on Wireless NC(MDR-100ABN)『劇場版 ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-』モデル」というもの。アニメ「劇場版 ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール」とSonyのウォークマン&ヘッドフォンのコラボレーション製品なのだ。
当然ながら限定商品。2ヶ月間ほどの期間限定予約購入のみに対応で、申し込んでからもさらに2~3ヶ月待たされて手元に届いた商品だ。しかも、2ヶ月の予約期間が当初設けられていたのだが、期間途中で「予約多数のため受付終了が繰り上がるかも」という告知がなされ、さらにその1週間ほど後に「完売のため販売終了」となって、2ヶ月を待たずして予約受付が打ち切られてしまった人気コラボ商品だったのだ。
価格は限定モデルということで、税別39,880円。ヘッドフォンの品質・実力に対しては少し割高だ。実際、通常のMDR-100ABNの音は知っていたが、自分の好みとしては70~80点というところ。だが「ワイヤレス」で「ハイレゾ対応」で「ノイズキャンセル」というのはずっと欲しかった機能で、どうせ買うならば好きなアニメ作品のコラボ商品であれば大満足だ、と思っていた。
なお、ウォークマンにもコラボモデルが同時に用意されており「WALKMAN Aシリーズ『劇場版ソードアート・オンライン -オーディナルスケール-』モデル」も購入した。こちらはSony NW-A35(16GB)がベースで、コラボモデルは税別26,880円だった。
「劇場版 ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-」コラボモデル
海外ロケで飛行機に長時間乗ることの多い私にとっては、その数時間を音楽を聴きながら快適に過ごすのは重要なリラックス方法。好きな曲を静かな環境で楽しむには、オーバーヘッド型のヘッドフォンでノイズキャンセリング機能によるノイズ低減というのは欠かせない。
日常的に電車に乗ることも少ない私の生活では海外ロケでの飛行機内がヘッドフォンで音楽を聴く一番の時間となり、この「劇場版 ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-」コラボモデルのヘッドフォンとウォークマンは必需品だったのだ。
さて、そんな大切なヘッドフォンがシンガポールに到着したときにはなくなっていた。どこで私の手を離れたかは明確に分かっていた。我々をCIQに置いていった例の越境長距離バスだ。
時系列を遡る。
マレーシア側のCIQで税関オフィスを探す旅に出ていた私の元に、バスに残ったディレクターから掛かって来た電話。それは、もうバスが私を待てないと言っている。バスは行くので荷物を下ろせとバス運転手から言われている。という内容だった。
ディレクターは仕方なく自分と私の荷物と機材を全て下ろして、バス停で荷物に囲まれて私を待っていた。税関でカルネ処理を無事終えてディレクターと合流した私。そこで最初に気が付いたのが「ヘッドフォンの不在」だった。
私:「私の赤いヘッドフォンって、バスから降ろしてもらえました?」
D:「……っあ!気が付かんかった…」
私:「座席と座席の間の肘掛けに、掛けていたのですが…」
D:「ごめん見落としてた…。お菓子とかコーラは持っておりたんやけど」
私:「シートの色と同系色だから、たぶん分かりにくかったと思います」
D:「ごめん…」
私:「…いえ……」
D:「………」
本来なら出国手続きを終えて再度乗りこむはずだったバス。ディレクターと並びの指定席だったので、そのシートとシートの間の肘掛けにカポッとヘッドフォンを掛けた状態で、出国手続きにバスを降りていた。指定席とはいえ海外で不用心と言えば不用心だが、バスが客を置き去りにして行くということがなれば問題なくヘッドフォンとは再会できた話なのだ。
座席と同化してしまう色合い
まぁ、現時点では盗られたと決まったわけではない。乗り合いではない指定席バスだし、他の乗客の誰もが気が付かなければ、そのままの状態でヘッドフォンはバスに残っているはずだ。そうなればバスの運転手が乗客の下車後のチェックで気が付くだろう。或いは、乗客の誰かが見つけて遺失物として届けてくれているかも知れない。
発覚した現時点。マレーシアのCIQのバス停で騒いでも仕方のない話なので、シンガポールに無事着いたらホテルでロケマネージャーさんと合流し事情を話して、私用ながら助力を願うことにした。
そして、シンガポール CIQでの騒動を経て無事にシンガポール入りを果たした我々。ホテルでロケマネと合流してシンガポール最初の夕食を韓国焼肉店でとっている時に、ヘッドフォンの話をロケマネさんにする。ちなみに彼は日本在住のポーランド人。
シンガポールの韓国焼肉店にて
バスの半券が手元にあるためインターネットでシンガポール側の事務所の連絡先を調べて、早速連絡を取ってもらった。まだバスが到着して数時間。何事もなく遺失物として届けられている可能性は高い。だが、事務所からの返事は「そのような届け物はない」という事だった。
ヘッドフォンと再会できる可能性が一気に下がる。
とりあえず、利用したバスの便名を伝えているので、担当した例のバス運転手に連絡を取ってくれると言うことになった。
万が一、ヘッドフォンが返ってこなかった時の事を思って買い直す算段も考えておく。限定予約品なので普通には購入不可だ。ネットを探してみると、Amazonで6万円ぐらい。オークションでも5万5千円ぐらいから…。プレミアがついて倍近い値段になっている。先も言ったが、ヘッドフォンの性能としては3万円未満のものだ。それにアニメコラボの刻印が入っているだけで、あとは何も変わらない。
流石に、この性能に6万円はあり得ないな…とアニメオタクではなく、リスナー視点での評価になってしまった。5~6万円払ってヘッドフォンを買うなら、上位のハイレゾヘッドフォンを買い直したほうが耳も満足だ。
シンガポールのホテルにて。デスクの上にヘッドフォンはない
さて、翌日からロケが始まった。限られた日数の中で多くのネタを扱っていくため、スケジュールはタイトだ。だが、シンガポールには優秀な現地コディネーターさんがいらっしゃるし、我々もシンガポールは何度も来ているので勝手は分かる。順調と言えるロケスケ消化で取材は進んでいった。
シンガポール・ファウンテン オブ ウェルス付近
そのロケの合間、たまたまバスの事務所の近くまで行くことがあった。その後の連絡もないので直接事務所に顔を出して、改めてヘッドフォンの捜索状況を確認することにした。私用に付き合ってくれた、スタッフの皆に感謝だ。
事務所に伺って分かったことは「ヘッドフォンはバスの運転手が持っている」ということだった。だが「今、運転手はマレーシアに帰っている」と言われる。
それを聞いて私は「??」となったのだが、運転手が正直に会社に言ったということは、パクるつもりではなかったのだろう。何故シンガポールで業務を終える時に会社に届けなかったのかは不明だが、もしかするとマレーシアに帰ってからバスを清掃して見つけたのかも知れない。
まぁ、その辺は推測の域を出ないのだが、少なくとも私のヘッドフォンは「ある」ことが判明した。不特定の誰かが持っているわけではなく、あの運転手が持っているのだから、所在は明確になったと言って良いだろう。
ヘッドフォンと再会できる可能性は、ほぼ100%に回復した。
あとは、受取をどうするかだ。バス会社曰く「次の彼(運転手)の業務でシンガポールに来る際に持ってこさせる」という事だった。で、それはいつなのだ?と聞くと、我々がシンガポールに滞在している最終日ということだった。おおぉ……ギリギリセーフ。
海外で紛失した物が返ってくることに期待はしていなかったが、バス運転手が見つけてくれて、正直に会社に報告してくれたお陰で、私の大切なヘッドフォンが返ってくる。先行き不透明な海外での遺失物探しかと思われたが、一気に目の前が開けた。
それでは改めてその日の夜にでも取りに来ると伝えて、我々はロケに戻ったのだった。
そして最終日、夕方。ロケを終えて、我々は再びバス会社の事務所に向かった。ヘッドフォンと無事に対面できるだろうか。
しかし、顔を出してみるとヘッドフォンは届いていない。今日はバスの運転手はシンガポールに来ないとか責任者が言い出した。どんな勤怠管理してんだ?!
我々は今日までしかいないのだから、あとは配送して貰うしかない。代金引換とかは国際便では難しいだろうから「先に多めに現金を置いていくから送って欲しい」とお願いすると「そういうことはできない」とか言いやがる。
いやいや、シンガポール到着した時点でちゃんと車内チェックして落とし物見つけて会社に報告してないおたくの運転手が悪いんだし、というか、そもそもCIQで客を見捨てていくおたくのバスが悪いんやし、もとを正せば、まぁヘッドフォン車内に残しておいた俺が悪いんやけど…。
とにかくも「日本まで送ることはできない」の一点張りだったので、どうしようもない。あと寸で…ここまで来てダメなのか…と諦め掛けたその時、ひとつの別策を思い出した。
僅かなる5,000km、遙かなる10km
実は、私がシンガポールを離れるのと入れ替わるように日本から知り合いがシンガポールに仕事で来る予定だったのだ。「あ~、入れ替わりだね~」なんて話をLINEで彼女と話していたのを思い出す。ちなみに、彼女は日本在住のイタリア人だ。
急いで彼女に連絡を取り、ヘッドフォンの経緯と現在の状況を説明する。彼女も仕事で来るのだからそんな時間があるのか分からないし、そもそも他人の忘れ物を取りに行くなんて面倒な事を引き受けてくれるか分からなかったが、二つ返事でOKしてくれた!
おおおお、女神よ!!
バスの事務所には、代理の者が取りに来る旨を伝える。そして、ヘッドフォンが到着したらちゃんと連絡をくれるように、ロケマネージャーと連絡先を交換してもらった。
さらに、ロケマネージャーさんと彼女もLINEで繋がってもらい、いつ誰を訪ねればヘッドフォンの受取ができるかの情報を共有してもらった。
あとは彼女を信じ、そしてバス会社がちゃんと対応してくれることを願うほかない。我々は翌日、シンガポールをあとにし帰国の途についた。
2日後。彼女から連絡が来る。「ヘッドフォン受け取ったよ~」というLINEの文面とともに、証拠写真が送られてきた。
現地ホテルから送ってきてくれた写真
これだ!間違いない!うはぁ~~~!!!!!
諦めていたヘッドフォンが確実に手元に帰ってくることを確信した瞬間だった。
「ありがとう、ありがとう!」
彼女の海外出張が終わって日本に戻ってきて、お互いに時間ができたらヘッドフォンを引き取りにいくと伝える。「お礼に、ご飯おごるね」と伝えて、彼女の帰国を待った。
彼女が帰国して数日後。ヘッドフォンを受け取る日取りを決める。丁度私が休みで、彼女が仕事終わりで合流できる日があったので、その日にディナーがてらヘッドフォンを受け取る事にした。
そして当日を迎える。
早朝7時前。私のスマホにLINEの着信が入ることで私は目を覚ました。発信者は今日会う予定の彼女だった。
「宏哉くん、ごめん」
「ヘッドフォン、電車に置き忘れてしまった」
「JRの(大阪)環状線。一応、JRには連絡してある」
午前6時45分ぐらいのLINEだった。私は眠気眼にそのLINEを読みながら「ふふ…。おもしろ…」と感想を漏らして再び眠りについた。
起床後、改めて彼女と連絡を取る。何があったのか事情を聞くが、別に彼女を責める気持ちは全く起きなかった。「取り敢えず、予定通り今夜ご飯一緒に食べましょう」と約束する。彼女とも久しく会っていなかったので、せっかく作った機会に会うことにした。ヘッドフォンはないけど。
会いに行く前、私もJRの事務室に立ち寄る。遺失物検索をしてもらうが届け出はないとのこと。大阪環状線なので終点がなく電車はぐるぐる回っている。どの時点で盗られたのかも分からない。
ここは日本だ。財布が中の現金ごと返ってくる国だ。そう信じて JRの遺失物案内を幾度か訪ねたが、ついにヘッドフォンは返っては来なかった。
日本から離れること約5000kmを旅して、奇跡のように帰国したヘッドフォンだったが、まさか自宅から10kmも離れていない所まで返ってきて行方不明になるとは思ってもいなかった。これは数奇と言って良いだろう。面白いネタとしか思えなかった。
夜、彼女とご飯を食べながら今回の旅の顛末を振り返り、また現地でヘッドフォンを取りに行ってくれたことに改めてお礼を言う。彼女は何度も謝っていたが、本当に私は気にしていなかった。
お礼のチョコレートともにディナー
後日、オークションで新古品として出品されている「『劇場版 ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-』モデル」を発見。入札価格も定価とほぼ同等だったので、私の1人入札で無事に落札した。
今手元にあるこのヘッドフォンは2代目ということになるが、この事件以降も毎回海外ロケのお供として世界中に携行し愛用している。
2019年7月タイ・プーケットのホテルにて