txt:宏哉 構成:編集部

ルツェルン

今回の海外ロケも、前回に引き続き新婚旅行で訪れたことのある街だ。同時期に訪れたドイツのミュンヘンや、スイスのジュネーブ、フランスのパリよりも思い出深い街、それがスイスのルツェルン(Luzern)だ。

ルツェルンといえば、有名な観光名所のひとつが「カペル橋(Kapellbrücke)」だ。スイス観光の代表的名所と言って良いだろう。カペル橋はロイス川に架かる全長205mの屋根付き橋で、ヨーロッパで最も古い木造橋であるとされる。元は14世紀中頃…1333年に要塞の一部として建造され、屋根の梁には17世紀前半に描かれたスイスの守護聖人伝記や歴史の絵画が飾られている。

ルツェルンのランドマーク・カペル橋(2005年撮影)

フィアヴァルトシュテッター湖(Vierwaldstättersee)の畔に広がるルツェルンは「スイス一、美しい町」とも謳われる「水の都」だ。旧市街には歴史的建造物が建ち並び、また周囲をアルプスの山々に囲まれた「日本人が思い描くスイス」を味わえる街でもある。

朝霧の中、フィアヴァルトシュテッター湖を望む(2016年撮影)

そんなルツェルンを初めて訪れたのは2005年。またしても、結婚したばかりの妻に三脚を持たせての入国だ。記憶では、ドイツ・ミュンヘンからリヒテンシュタイン経由で、バスで4~5時間かけて移動したと思う。

そのバスの移動中に聞いたのが、ルツェルンの街にある「嘆きのライオン像(Löwendenkmal)」の話。その昔、スイスは国策として周辺国に「傭兵」を輸出していた。ヨーロッパ最強とも言われた「スイス傭兵」は、14世紀以降、ブルゴーニュ戦争やフランス革命などで活躍する。しかしそれは、農耕に不向きな国土で産業の乏しかった昔のスイスが外貨を稼ぐために選んだ「血の輸出」であった。

1789年のフランス革命では、スイス傭兵達はルイ16世と王妃マリーアントワネットを命がけで守り、800名近いスイス人兵士が命を落とした。この悲劇を契機に国外に傭兵を輸出することを法律で禁止。また、現在へと続く「武装した永世中立国家」への道をスイスは歩み始める。

岸壁に彫刻された「嘆きのライオン像」(2005年撮影)

そして、1821年。フランス革命でフランス王家のために戦って死んだスイス人の兵士の忠誠心と武勇を称え、デンマークの彫刻家ベルテル・トーヴァルセンにより「嘆きのライオン像」が制作された。スイス傭兵を象徴するライオンの背中には折れた槍が突き刺さり、斃れたライオンはなおもフランス王家の紋章が描かれた楯を守り続けている。像の上部にはラテン語で「Helvetiorum fedei ac Virtuti(スイス人の忠誠心と勇気に)」と彫られており、スイス傭兵への敬意が著されている。

この「嘆きのライオン像」は、そうしたスイスの歴史における悲劇と誇りを伝えるモニュメントとして、ルツェルンの代表的な観光地の一つとなっている。

そんな話をバス移動中に聞いた妻は「ライオンが可哀想…」と涙をこぼしていた。泣くにも笑うにも感受性の高い妻で、このエピソードは深く彼女の心に突き刺さったようだ。

嘆きのライオン像の前で妻と記念撮影(2005年)

観光

さて、ルツェルン観光の最初の到着地点は、その「ライオン像」だったのだが、続いて訪れたのが、やはり「カペル橋」である。14世紀から架けられているこの橋は、1993年8月に火災に見舞われ、橋の大部分が焼け落ちるという悲劇に見舞われる。1994年には再建されるが、屋根の梁に描かれていた守護聖人伝記などの絵画も大半が消失しており、現在は炭化して黒くなったオリジナルの絵画が一部飾られている。

たび重なる悲劇の話に心を打ち砕かれた妻。このままでは、楽しいはずのルツェルン観光を無邪気に楽しめなくなるのではないか…。だが、彼女は知らなかった。スイス人のたくましさを!

1993年の火災で炭化してしまった17世紀の絵画(2005年撮影)

カペル橋には、橋の途中に隣接して八角形の高さ43mの水の塔が建っている。かつては監獄などとして使用されていたそうだが、現在は土産物屋さんが入っている。そして、そこで妻は目撃するのだ。「燃えているカペル橋」が「絵はがき」になって売られているのを!

日本で言えば、金閣寺が燃えているのを写真に撮って絵はがきにして売っているようなものだ。日本ではなかなか考えられない商売だが、スイス人の不屈の精神、転んでもただでは起きない図太さ知り、彼女の心は一転して笑顔とともにルツェルンの街を気に入ってしまった。

橋の途中にあるレンガ造りの水の塔。現在はお土産物屋さんが入る(2005年撮影)

そんな、旅の顛末を今でもハッキリと覚えている。海外ロケでスイス・ルツェルンへ行けると聞いたときは、11年前の記憶が一気に蘇った。そして、この街もぜひまた訪れたかった場所だったので、大はりきりでロケに臨んだ。

ルツェルンロケ

スイスには、最初にチューリッヒへ到着。そこから電車でルツェルンへ向かった。スイスはいつも電車移動が多い気がするのだが、沿線をのんびりと眺めながらの列車の旅は大好きだ。

チューリッヒ中央駅を出発して電車でルツェルンへ向かう(2016年撮影)

1時間ほどでルツェルンに到着。駅近くのホテルに荷物を置いて、初日は街の下見だ。街を歩きながら移動していると、覚えのある風景が目に飛び込んでくる。「あぁ、ここで三脚立ててHVR-Z1Jで撮影してたな~」とか、「このスーパーマーケットに入ったような記憶がある」とかそんなのだ。改めて今の自分ならカメラでこの美しい街をどう切り取るかを考えながら、他のスタッフと共に街中を散策した。

可愛らしい石造りの建物が並ぶ旧市街の街並み(2016年撮影)

ルツェルン初日はロケハン。ネタ候補を下見するディレクター(2016年撮影)

そして、一番の楽しみだったカペル橋を渡る。煤けた絵画や黒くなった梁などはそのままだが、11年前に来た時よりは時間が流れ、新しく再建された箇所も徐々にではあるが全体に馴染むようになっていた。やがて辿り着いた、くだんのお土産物屋さん。ありました!「燃えるカペル橋」絵はがき!

早速、その絵はがきを購入して記念撮影!妻への土産とした。これで今回のロケの目的は果たしたと言っても過言ではない(笑)。

11年ぶりに再会したカペル橋(2016年撮影)

「燃えるカペル橋」絵はがきと記念撮影(2016年撮影)

翌日からは、ちゃんとロケ。ルツェルンの街では、有名なチョコレート工場やスイスの伝統楽器のアルペンホルン職人の工房を取材。他にもホテルやレストラン紹介などの観光情報も撮影した。

チョコレート工場の取材。現場で美味しいチョコをたくさん頂いて、お土産も買って帰りました!(2016年撮影)

また、ルツェルンからさらに電車に乗って1時間半。オプヴァルデン準州(Obwalden)のエンゲルベルク(Engelberg)まで移動し、そこからロープウェーに乗り換えてティトリス山(Titlis)へ登った。ティトリス山は、アルプス山脈の山の一つで、標高は3238m。スイスの山では、ユングフラウヨッホやマッターホルンなどを訪れたことがあるが、ティトリスも他の山に負けず劣らず、氷河と万年雪の広がる壮大な山岳風景を味わうことができる。

麓の街エンゲルベルクから(2016年撮影)

ティトリス山から下界を見渡す(2016年撮影)

ヨーロッパで最も高い場所にある吊り橋「ティトリス・クリフウォーク」を歩いて、上下左右360°のスイスアルプスを満喫するのもオススメだ。ティトリスからの帰りの電車では、たまたまボックス席に乗り合わせた中国人の可愛い女の子とうちのディレクターが、拙い英語で一生懸命コミュニケーションを取ろうとしていた事が、凄く凄く印象に残っている。

山上の吊り橋クリフフォークは迫力満点(2016年撮影)

世界の街の再訪

海外でも国内でも、一度行ったことがある街をロケするのと初めて訪れた街をロケするのとでは、心の事前準備がちょっと違う。

初めて訪れることになる街は、適度に情報を仕入れておく。あまり入念にチェックをして、例えば「ザ・この町」という写真などを見てしまうと、それを現地で再現しようとして、反対に画作りに足枷ができてしまうように思えるので、そこは初見の感性で切り取りたいと思っている(そして、大体いつも物足りない…)。

一方で、訪れたことがある街では「This isカット(その街を象徴するカット)はあそこから撮れたな」とか、後日何かで見た他の映像や写真で「そういう画も作れるのか!悔しい!では次はそれに挑戦しようかな」と効率とプラスアルファを優先して考えたくなる。

ルツェルンの街とカペル橋を様々な角度から切り取った(2016年撮影)

初めての街は何もかもが新鮮だし、訪れたことがある街は前回すくい取れきれなかった新しい発見がたくさんあって、それもまた楽しい。LAやパリ、シンガポールなどは毎年のように訪れていた街だが、知っている安心感と新しい出会いとが常にあり飽きることはない。そんな街を、今後も増していくことができれば幸せだな――と思う。

WRITER PROFILE

宏哉

宏哉

のべ100ヶ国の海外ロケを担当。テレビのスポーツ中継から、イベントのネット配信、ドローン空撮など幅広い分野で映像と戯れる。