txt:宏哉 構成:編集部
前回のあらすじ
放送業界を目指していている学生さんたちが、必ず興味を持ってくれる海外ロケ話。身の危険を感じた取材は?と聞かれて、スペインはバレンシアで開催される奇祭「トマティーナ(La Tomatina)」での出来事を私は語り始めた。
日頃は静かな田舎町に世界中から押し寄せる観光客。人口密度限界の祭広場。カメラに容赦なく降り注ぐ水。スリ未遂に遭う私。もはや十分ヤバイ世界が展開されている中、ふとカメラの液晶モニターから目を離し、溢れる人混みの先を見やった次の瞬間、地獄ショーの始まりを告げるゴングが、私の頭の中で確かに鳴ったのだ…。
突然のはじまり
自分の目を疑った。パロ・ハボン(palo jabon)に群がる人と、飛沫を上げる水のすぐ向こうにトマトを積んだトラックがいる。すでに広場の入り口に進入してきており、距離にして私の鼻先10メートル程だ。待て待て待て…!!スタートは生ハムが取れてからだろ?取れてないなら10時からスタートだろ??事前の説明と違う!?
と、一気にスイッチが切り替わった。「2階の撮影場所に行かねばならない!」生ハムは取れていないが、もう祭は始まるのだ。私は「トマトを積んだトラックが広場にやってきた」というカットを俯瞰で撮る必要がある。そして何よりも、今この状態で祭が始まったとしたら、死ぬ。私が死ぬ、カメラが死ぬ。このネタが死ぬ。
大急ぎで、撮影スペースが用意された建物の裏手に回れる脇道まで移動を開始する。が、移動できない…。本当に動けないぐらい混んでいるのだ。日本に住んでいる皆さんに分かりやすく表現しましょう。貴方は朝の通勤ラッシュで寿司詰めになっている山手線で、車両2両分を端から端まで移動できますか?私はやりました。ハイ!地獄でした!阿鼻叫喚でした。そう感じたのはあの場所では私だけだと思いますが、私は修羅の道を辿りました。
本当に、人でみっちりと敷き詰められている広場。こんなに人で動けないのは初めてというぐらいの経験だ。「すみませ~ん!ちょっと通してください!!!」と声を上げながら、世界中の人々を掻き分けていく。動けない上に、上からは容赦なく水が降ってくる。ブニョール(Buñol)の人々は私に何か恨みでもあるのだろうか!?
頭上から水が降ってくるから、身体を屈めてカメラを守りたい。でもそんなことをすれば、移動できない。そもそも、群衆の中にカメラを入れてしまったら、きっとこの群衆を抜けるころにはマイクホルダーやビューファインダーは壊れてしまっているだろう。それぐらい“人圧”が凄い…。仕方なく右手をカメラと共に頭の上に掲げて、無理矢理移動していくしかない。もうヤケクソだ。
なんとかして道を作ってくれようとする人や、変な東洋人が喚いているぞという顔で怪訝な顔をしているヤツなど様々だったが、這々の体で群衆地獄から脱して裏通りに出た。もといた場所から直線にしてせいぜい50メートル程度の移動だったが、自分からすれば無限にも思える道のりだった…。
ロケマネさんに電話をして、裏口の鍵を開けてもらう。果たしてあの目の前に迫っていたトラックはどうなっているのか?広場で後ろを振り向いている余裕などなかった。
すでにトラックが広場に進入してトマトを撒き始めていたら、当初の構成と変わってしまう。そんな不安とともに、大急ぎで2階へ駆け上がりバルコニーへ踊り出た。大丈夫だ。まだトラックは広場の入り口に!祭もスタートしていない。と三脚にカメラを据えてレンズを向け、録画ボタンを押したと途端に祭が始まった。ギリギリセーフ…?ここからは、事前に思い描いていた画を作りながら、祭の様子を俯瞰で撮っていく。
地獄絵図である…
…一体なんだこの祭は。トラックからばら撒かれるトマト、投げ合われるトマト、撒き散らされる水、赤く染まっていく広場と人々。正直いって、広場に下りて、この中に混ざろうとは全く思えない…。俯瞰担当で良かったぁ…と思った瞬間、強烈な衝撃が頭を襲う。広場にいる群衆の誰かが、明確にこちらを狙ってトマトを投げつけているのだ。
怒怒怒怒怒!そっちは面白いだろうが、こっちはちっとも楽しくない。カメラにはレインジャケットも被せているし、自分も撥水のウィンドブレーカーを着込んではいるが、熟したトマトがぶつかる衝撃は和らがない。カメラのレンズフードにもかすり、レンズがトマト汁で汚れる。カメラもぶれる…。何よりも痛い…。こちらにもトマトがあれば、応戦してやりたいぐらいだ!
トラックの荷台には大量のトマト
ロケマネさんが、建物内から適当なスチロールボードを見つけてきて、それを楯代わりにしてくれて、その合間から撮影をする。あぁ、本当に早く終わって欲しい…。ぐはっ、誰だ俺の耳にトマトぶつけてきたヤツは。そんな事が1時間ほど続いた…。
もう、帰りたい。
地上は修羅場と化している…
祭のおわり
トラックが広場を抜けていって、自分の場所からは撮る物がなくなったので、2階の撮影場所を引き払い、建物の外へ。建物を出てすぐの裏通りは、トマトの川になっている。そう、街中の道という道がトマト川でありトマト池になっているのだ。それをバケツですくって、掛け合っている参加者達。私は、トマトの川の様子をしゃがみ込んでローアングルで撮影する。なかなか強烈な光景だ。
祭後、街中の道がトマトの川になる
――と、いきなり後頭部からトマト汚水をバケツで掛けられた。「!?!?!」後ろを振り返ると、東アジア系の女性が楽しそうにバケツを持って立っていた。彼女からすれば、まだ祭を楽しんでいるのだろう。だが、こっちは何も楽しんでいない。すごく真面目に仕事をしている。
そして、一歩間違えばカメラもトマト汚水に水没していたところだ…。怒りの火を宿した目で、彼女を見る!そうだな、この道がトマトなのか貴様の何かで真っ赤に染まってしまうかもしれんな…という目をしていたのだと思う。その女性は逃げるように去って行った。
もう、帰りたい。
トマト汚水でずぶ濡れになった頭と背中のまま、少しばかり表通りの方へ近づく。広場から祭の参加者達が脇道へ流れてきていた。まだまだ祭の熱気が冷めやらないトマトで身体中を真っ赤にした参加者を撮影する。と、すれ違いざまに欧米系の若い男にレンズに向かってトマトを思いっきり投げつけられた。クリーンヒットだ!
レンズはトマト汁でグチャグチャ……。そして、レインジャケットをカメラに装着しながらの撮影なので、液晶モニターではなくビューファインダーを覗き込んでいた私の目にも衝撃が走る。ホンマ楽しい祭だなおい☆カメラを持っていなかったら後ろから跳び蹴りを食らわせて、この道をトマトの果肉なのかお前の何かわからないもので真っ赤に染めているところだ。命拾いしたな若造。
もう、帰りたい。
その後ディレクターと合流し、祭の感想を参加者にインタビューして、トマティーナ取材を終了した。私が着ていたウィンドブレーカーとTシャツと靴と靴下は、近くにあったゴミ箱に捨てて帰った。白昼の悪夢と共に…。
祭後は街中が洗われていた
素晴らしきかなバレンシア
ブニョールをあとにし、再び州都バレンシアへ戻り取材を続けた。中央市場(Mercado Central de Valencia)で新鮮な魚介類や果物の撮影や、地中海でのランチクルーズの様子などを取材させてもらった。
中央市場で新鮮な魚介類の撮影
スペインの人は、いつも陽気で明るく、取材していても楽しい。お天気も良いし、食べ物は美味しいし、スペインはどの街へ行っても楽しい思い出ばかりだ(トマト祭?何のことでしたっけ?)。
水着のおねーちゃんと俺
クルーザーの上から海にドローンを飛ばす。ただただ楽しい
学生たちへ
今回は「命の危険を感じたことは?」という質問から、この話に入った。実際は死ぬようなリスクはどこにも存在しないし、単に「今まで一番パニクったのは?」という問いへの答えなのだが、今までで感じた「ヤバさ」としては随一の思い出だ。
正直な話、命の危険に晒された“かも”しれないような現場はたくさんある。建物の屋上でブロック塀1つ分の幅をENGカメラ担ぎなら移動したりとか、山の急斜面の道無き道をよじ登りながら撮影したりとか、スズメバチに囲まれながら巣を収穫したりとか、殺人件数が世界でも1、2位を競う街で高価なカメラを持ち歩いたりとか…振り返ってみれば、アレ危なかったんじゃね?という様な事はいっぱいある。しかし、リアルタイムに危機を感じているときの方が、パニックになるものだ。
今回感じた危機は「ロケが成立しなくなる」という恐怖だ。自分が撮影ポジションに間に合わない。カメラが壊れてしまう…。誰も助けてはくれない。この状況すら気が付いてもらえてない。そんな孤立無援感が、急速に自分をパニック状態に陥れていった。
山手線級の群衆を掻き分けている時は「スタッフの皆、ごめんなさい。今回の11日間あるロケは4日目にして終了です。カメラ壊れるから」ともうヤケクソ状態。が、内心は「何としても成立させる!」「この群衆さえ抜ければ、あとは何とでもなる!」と自身を鼓舞しての突破劇だった。
ロケは楽しい。全ての経験が、その後の自分の糧になる。そして、多くの場合が一期一会で、一生の思い出になるのだ。こんな世界は他にはあまりないだろう。テレビENGを目指す学生諸君の努力と奮闘を切に期待する!
なお「ラ・トマティーナ」取材は二度とご免なので、私をこのロケに誘うのは今後ご遠慮願いたいです(笑)。