Vol.125 商業映画とアートフィルムの違い。自身のターミナルを明確にして制作に挑む[東京Petit-Cine協会]

怒涛!まさに怒涛の撮影月間進行中である。前回お話しした文化庁の助成金AFFには4本の短編映画によるオムニバスという形で申請している。内、3本は進行中だったものではあったが、実際撮影に入ろうとすると、その準備も含めて大混乱。

しかも撮影地が東京、神奈川、伊勢、沖縄というのも混乱に拍車をかける。執筆現在で2.5本分の撮影は終えたものの、残り1本は全くの新作でロケ地は愛知の山奥ときている。稽古も始めたばかりで、ロケハンもまだこれからなのに撮影は2週間後に迫っている。言っておくがこれは"多忙自慢"でもなければ、自分の有能さを誇示するものでもない。はっきり言って"やっちゃいけない事"だと思っている。

撮り終わった2本に関しても、今のところ、重大なミスは発覚していないものの、やはり集中力はベストとは言えなかったし、絵コンテをみんなに提示できたのは当日!なんてこともあった。いくら短編とはいえ、もう少し丁寧な作品作りを心掛けなくてはならないと、猛省しているところである。

ただ、ある程度こうなる事は予測していたので、助成金が採択された時点ですぐに、この4本のラインプロデューサー/制作という人を雇った。正直言って、予算の少ない自主制作では真っ先に削られるポジションだが、今回お願いした方が実に素晴らしい働きをしてくれて、彼女に助けられた部分を振り返ると、それは大きな間違いだったと学んだ。


プチ・シネでは、とにかくダウンサイジング、小さなチームでの作品作りを提唱し続けてきたし、それは今も正しい事だと思っている。だが今回の事で気付いたのは人数ではなく、視野の問題だ。

私のチームは演出と撮影をする私と、ずっと私のサポートをしてくれているテクニカルディレクターの二人を核にして進めてきた。私が演出に集中してしまうと(いや、そうでなくてはならないのだが)ついつい生まれてしまう技術的なミスや忘れ事を、彼はいつも冷静に見ていてくれて、指摘、カバーしてくれる。これもまた視野の違いだと言えるし、そこの棲み分けは完璧にできていたのだが、スケジュールや食事、撮影先との連絡や確認といった事は二人で手分けしてやる事が多かった。とはいえ、二人ともカメラを設置する時点で役者と舞台に集中する。

つまりもっと大きな視点でプロジェクトの進行を見ている目が欠落していたのだ。よく自主制作の現場では"その他全部"をやるのがAD(アシスタントディレクター)になっている事があるが、文字通りディレクターのアシスタントであって、視野はディレクターと変わらないし、ディレクターの指示で動く事が多い。

今回、優秀な制作が入った事で、欠落していた視野の重要性を思い知ったという訳だ。僕らがカメラの前に集中している時に、楽屋で何が起こっているか、次のシーンで事前にやっておかなくてはいけない事は何か?食事の手配、様々な外部との連絡…。こういう視点が欠落すると、大きなロスが生まれ、最悪トラブルに発展する。今までのプロジェクトを振り返るとゾッとする。

視点、視野のカバーはただ人数を増やしても無意味だ。ディレクターの下に何人ADを置いてもカバーできない。もっと言ってしまえば気質や才能の違いだと思う。少なくとも私には制作の視点や才能はないと痛感した。もしあったとしても、それは現場で同時には発揮できないものなのだと思う。そこには"人"が必要なのだ。もう一つ、私に決定的に欠落している視点がある。それが演者のスタイリングを作る視点だ。

もちろん、ヘアメイクさん、スタイリストさん(あるいは衣裳デザイナーさん)等はいつもお願いしているのだが、それぞれへの指示や確認が手薄になっているのは否めない。もちろんイメージはあるし、それを最後に確認する目はあるのだが、構築する段階で、ヘアメイク、スタイリスト、場合によっては演者本人からそれぞれ相談や確認があり、混乱してその答がちぐはぐなものになってしまったり、面倒臭くなってしまう事が多々ある。最悪の場合、ヘアメイクとスタイリストの間でトラブルになったり、演者本人のモチベーションに影響したりする。そこで今後、スタイリングディレクターなる人を置こうと思っている。

考えてみれば、アニメなどでは必ず置かれる重要なポジションである。一人のキャラクター設定、相手役との相性、そして物語全体のイメージといった重要なファクターをトータルに理解し、細かい指示を各人に一括して行える人が私には必要なのだと思う。これは早速次の作品からやってもらうことにした。撮影と演出の私、テクニカル、スタイリング、そして制作。この4本柱でしばらくやってみようと思う。もちろん、この間のコミュニケーションはとても重要だし、その統括は監督である私が責任を持ってやらなければならない。だが、まずは違う視点で"気付くこと"が最も重要で、それには特別な気質と才能が必要なのだと思い知った。

Vol.124[東京Petit-Cine協会]

チームの構築。これはそれぞれの考え方があると思う。ダウンサイジングをするというのは一重にコミュニケーションをシンプルに、その分深める為だが、人数は減らしても、必要な視点と視野をなくしてはならない。人によって、得手、不得手があると思うので、できる事はなんでもやればいいと思うのだが、集中力を注ぐべき方向性はそう簡単に掛け持ちする事はできない。

映画製作には多角的な視野が必要だ。その全てを最小限の人数でカバーするのが最良のプチ・シネチームだと思う。例えば演出と撮影を両方やっている私は、確かに必要なテクニックは掛け持ちしているものの、見ている視点は一つなので可能な事だと思うし、そういう意味では照明や音声も技術と知識さえ身につければ一人の人間が行う事は不可能ではないし、それを一人の目と耳で行うことには多大なメリットさえ感じる。逆を言えば、出演することと撮影・演出する事を一人の人間がやることに私自身が否定的なのは視点が180度違うからだ。そういう意味でスタッフ側の中でも視野の違いを意識して、適切なチームを構築してほしい。

さて、これから始まる4本の内の最後の一本、これにはロケ地である愛知県で活動している制作スタッフがもう一人手伝ってくれる事になった。これはとても心強く、更に演出・撮影面での集中を助けてくれる事だろう。 そういう事を人に託して初めて自分の弱点に気付くというのは多少情けないが、今後のために、大きくステップアップできるチャンスだと思っている。ただ丸投げして楽をするというものではない。人が増える分、コミュニケーションには今まで以上に気を配らなければいけない。演出・撮影という立場とは別に、監督という立場にとってはチームをまとめ上げるという仕事が一番大事だと言っても過言ではないだろう。

WRITER PROFILE

ふるいちやすし

ふるいちやすし

映画作家(監督・脚本・撮影・音楽)。 日本映画監督教会国際委員。 一般社団法人フィルム・ジャパネスク主宰。 極小チームでの映画製作を提唱中。