米ルイジアナ州ニューオリンズで、8月3日から7日まで5日間にわたって開催されたSIGGRAPH 2009から帰ってきた。ニューオリンズでは、1996年と2000年と過去2回、SIGGRAPHが開催されたが、筆者も訪れるのは今回で3回目だ。ニューオリンズといえば、ハリケーン・カトリーナに襲われた街としても有名であり、今回はどこまで復興しているのかも興味深い点であった。
昼と夜で異なる内容のElectronic Theater
SIGGRAPHの見所の1つにElectronic Theaterがある。今年のElectronic Theaterは、昨年のNokia Theaterで味わったような寂しさはなかった。これは、昨年とは上映方法を変更したからである。
今年のComputer Animation Festivalは、Electronic TheaterをAfternoonとEveningの大きく2つのカテゴリーに分けた。2007年以前も、昼間にマチネーをやっていたが、それとは全く異なる。マチネーは、夜に行う内容と同じ物を昼間に流すだけだったが、今回のAfternoon Theaterは、夜に行われるEvening Theaterとは全く別プログラムとなっていた。
まずはEvening Theaterを説明しておこう。Evening Theaterは、月曜日から木曜日まで4回行われたが、そのプログラム内容は同じ3部構成となっていた。第1部はインスタレーションとリアルタイムグラフィックスのショーだった。第1部の出し物には3つあり、1つ目は花咲ジイサン風インスタレーション。PS3用ソフトによって画面上の荒野に花を咲かせていく。実際に壇上にプレイヤーが登場し、PS3のPADを操作しながらインスタレーションを行っていた。
第1部2つ目の出し物は、GEMEの解説だった。カエルに似たキャラクターが山から金を掘り出して行くGAMEで、この展示は,先週報告したEmerging Technologyの隣で常設展示が行われており、ATI Technologies(AMD)のGPUを使って数十万のキャラクターをリアルタイムで計算していた。LOD(Level of Detail)によって3つのグループに分けられたそれらのキャラクターには、ディスプレースメントマッピングまで施されており、なかなか見ごたえがあった。
第1部3つ目の出し物もGEMEの解説だった。ボクシングゲームであるが、やたらフォトリアルで迫力があった。残念だったのは、マイク・タイソンと戦ったキャラクターが、日本人の我々にはなじみが薄かった事だ。多分、米国では超有名人なのだと思うが、タイソンを倒して米国人達が盛り上がっている様を見ながら、いまいち乗れなかった事が残念だった。
第2部はJuried Reelで、過去のEvening Theaterと同じ方式で選ばれた作品だ。第3部はCurated Reel。つまり他のコンテストなどで選ばれた有名所の作品を集めたものだった。Evening Theaterは、第1部から3部まで、トータルで2時間半のプログラムであった。
これに対してAfternoon Theaterは、月曜日:第1部Nominees, Visual Music 1/第2部Young at Heart, Visual Music 2、水曜日:Real Time in Real Time、木曜日:2 Cool 4 School、金曜日:第1部Digital Schoolhouse/第2部The Underneathと、毎回内容が違う出し物であった。
このElectronic Theaterが含まれているComputer Animation Festivalでは、別種類のイベントも含まれている。月曜日から金曜日に行われたProduction Session、木曜日に行われたSpecial Guest Speaker: Peter Lude、金曜日に行われたSpecial Guest Speaker: Bob Whitehill, Chris Landreth、木曜日に行われた3D Festival Track Kick-Off、木曜日に行われた3D Clip Trailer Screening、金曜日に行われたPixar’s “Tokyo Mater” 3Dといった感じ。
さらに、SpaceTime Animation Screeningや3D立体系の発表などもあり、Computer Animation Festivalだけに参加したとしても、すべての作品を見る事は難しいと思えるほど、充実した内容だった。
3D立体系の作品を投影するために設置されていたのは、ソニー製4Kデジタルシネマプロジェクター。ステレオスコピックレンズアダプターが取り付けられ、RealD方式で上映されていた。 |
規模縮小が著しかったExhibition会場
CAD系レンダリングソリューションを提供するLightWorksブース(左)と、美術大学系のRingling College Of Art And Designのブース。 |
今年の機器展示会場は、昨年までよりも規模がますます小さくなり、寂しかった。会場で目立ったのは、CGプロダクションによる就職相談ブースと、各国のCGスクールのブースであった。そして産業界からの出展として目立ったのは、Rapid Prototyping関連のCADのブースである。
3ds Max、Maya、Softimageと主要3ツールを揃えたAutodeskのブース |
PIXARは米国で公開中の映画『UP』(邦題『カールじいさんの空飛ぶ家』)に出てくる家を模したブースで出展。 |
数年前にブースの数と、その面積を誇っていたモーションキャプチャーのブースは、大方のユーザーがすでに導入してしまった理由から減ってしまっていた。CG制作ソフトウエア関連のブースも,AutodeskがメジャーなCGツール3つと関連製品を手中に収めてしまったこともあって寡占状態が進み、やはり全体のブース面積は小さくなった。
実は、SIGGRAPHのようなカンファレンスイベントにおいて、Exhibitionは重要な収入源なのだ。PaperやPosterといった論文発表やElectronic Theaterは、出展にあたって収入があるわけではない。その発表を見に来る観客の入場料収入だけが頼りなのだが、それだけでは通常、赤字になってしまう。その赤字分をExhibition会場で機器展示やリクルート、学校案内を行う出展社に補ってもらうという構図である。CG業界で潤う企業が多いほど、企業もある意味「お布施」のように、ブースを出してイベントに協力してくれるのだが、寡占化が進んで競争原理が働かなくなったり、市場そのものが小さくなって来ると、企業側もお布施を出す余裕は無くなってしまう。SIGGRAPHで、ここ数年にわたって続くExhibitionの低迷は、CG業界も成熟産業になって来た事の証なのかも知れない。
日本と異なり、ボランティアに支えられた会場運営
日本では見かけない米SIGGRAPHの特徴の1つに、ボランティアの存在がある。まず、Resistrationエリアでキーをタイプする年配の女性達は、ほとんど地元のボランティア組織から派遣されて来る。彼らは仕事では無いため、1人分のバッジを作成するのに5分以上も費やしてしまうこともあるが、ボランティアなので参加者も文句は言えない。
最も数が多いボランティアは学生達であり、SIGGRAPHのたびに専門の部署が構成される。学生ボランティアは世界各国から募集され、面接を通じて採用されている。採用されると、SIGGRAPHのFull Conferenceバッジと期間中の宿泊と食事が提供される。その代わり、自分の自由時間は制限され、かなりの長時間をSIGGRAPHの運営の為に働かなくてはならない。もちろんボランティアであるから、アルバイト代などは支払われない。
SIGGRAPHは学生ボランティアが多いことも特徴。このボランティアで国際的な友人関係を築き、CGクリエイターの道を志す人も多い。 |
それでも学生がボランティアを行うのは、一番のメリットとして、世界中に友人が出来ることだ。学生ボランティアは世界中で募集され、SIGGRAPHの期間中に集められたメンバーで構成される。SIGGRAPHの会期中に寝起きや行動を一緒にするのであるから、イヤでも知り合いにはなれる。そうした友人の中には、学生だけでは無く、ボランティアを統率するコミッティのメンバーとして有名な大学の先生なども含まれるのだ。
さらに、CGに関するいろいろな知識を身に付けられる。仕事は、作品や会場の警備や、観客の誘導、道案内や、ACM SIGGRAPHに関する告知ブースの観客対応などを行う。その仕事をしている最中に、ブースで展示内容の説明などを受けたり、多くのCG関係者と触れ合ったりという体験が、彼らをCGに近づけるのである。
ボランティア初心者は赤いベスト、経験者はリ-ダーとして青いベストを着て会場に常駐している。最終日の夕方には、ボランティアだけのパーティが開催され、日々の制約から解放された彼らは、大いに盛り上がるそうである。このボランティアを経験したことで、CGの世界にはまる学生が多いのも納得できる。
JAZZ発祥の街からJAZZが消えた?!
ここからは、SIGGRAPHが行われたニューオリンズについても触れておこう。フレンチクォーターやバーボンストリートなど、米国の中でも特異な文化的な背景を持つニューオリンズは、米国人が観光したい街としても特に人気がある。それはSIGGRAPHメンバーも同じであり、過去のSIGGRAPHが、複数回にわたって同じ場所で開催された町を見ると、市の政策によってコンベンションセンターが特別安く借りられるロサンゼルスを除けば、ボストン、アナハイム、オーランドなど、観光的にも人気のある町で占められている。
ハリケーンに襲われる前、2000年のSIGGRAPHでは、昼間は会場でしっかり視察して、夜になるとともに街に繰り出し、ディキシーランドJAZZとともに過ごす日々が心地よかった。特にバーボンストリートでは、ほとんどの店がLIVEでJAZZを楽しみながら食事が出来る事を売り物にしており、どこに入るか迷ってしまうほど、通りにJAZZが溢れていた。
しかし、今年のバーボンストリートは、当時とは状況が一変していた。確かにLIVEの店は多くが営業をしていたが、店内から聞こえてくるのはエレキギターの耳をつんざくような大音響ばかり。2000年当時の、生音によるJAZZの香りが溢れた通りとは、趣を全く変えてしまっていた。かつてJAZZの街を支えていた、良い味を出した年寄りのミュジシャン達はみな、ハリケーンを逃れて別の地へと去ってしまったらしい。しかし、LIVEの店を閉じるわけにも行かず、代わりにこの地に入ってきたのは若いROCKミュジシャン達。かくしてJAZZの通りはROCKストリートと化してしまったのである。
ROCKの爆音溢れるバーボンストリート。生楽器の音は限られた場所でしか聞けなかったのが残念だった。 |
JAZZがROCKに変わったって、LIVEをやっていれば同じじゃないか?と思われるかも知れないが、これは音楽ジャンルの違いだけでは無く大きく違う環境である。2000年当時のJAZZ LIVEは、電気楽器を使わず、せいぜい電気を使うのはボーカルマイク位だった。したがって、バンドの出す総音量も大した事は無いので、LIVEの店がひしめき合ってるバーボンストリートといえども、隣の店の音は微かに聞こえて来る程度。通りを歩いていても、各店舗からの音楽は適度に混ざり合って、それは得も言われぬ雰囲気を醸し出していた。丁度、お祭りの夜のお囃子が、遠くで聞こえているかのような高揚感が街全体に満ちていた。
しかし、ROCKはエレキギターを始めとする電気楽器がなくては形にならない。当然、LIVEの出す総音量は、生音JAZZのそれとは桁違いに大きい。すると、壁一つ隔てた隣の店の音が、どうしても聞こえて来てしまう。それをクリアするには、隣の店の音が聞こえなくなる位の大音量で演奏をするしか無い。かくして、バーボンストリートは爆音の場所となってしまった。そのため、いくつか残ったJAZZのお店でさえ、生音では聞こえにくくなってしまったので、PAを通した音にせざる得ない。生の楽器の音と、PAを通した楽器の音は、もはや同じではない。生楽器の音に溢れていたあの頃は、とても贅沢な時を過ごしていたんだなぁと思うことしきりであった。
(今間俊博)