早くも2月下旬に入ってかなり日が伸びて来たのを感じる最近ですが、毎年コロラドでは3月が最も降雪量が多い月ですので三寒四温と言った状態でまだまだ冷え込む日が続くデンバー地区です。

今迄のところロッキー山脈地帯では例年の2倍近い降雪量で昨年11月と12月上旬は雪不足で心配していた各スキー場は多くのスキー客やスノーボーダー達で賑わっていますが、東山麓のデンバー地区では降雪回数は多いものの降雪量は少なく助かっています。

例年この時期までには我が家では3回か4回は小型エンジン付きの除雪車で除雪を行うのですが、昨年1回練習試運転の為に動かしただけで、その後使っていません。このまま暖かくなってしまうと言う事は無いと思いますが、春近しの雰囲気が感じられるデンバー地区の最近です。

ロッキー山中を1週間かけて走破する自転車ツアー

毎年6月下旬に催されている自転車で1週間かけてロッキー山脈を走破するツアー「Ride the Rockies」が今年も6月15日から21日の日程で開催される予告と参加メンバーの募集案内とが地元新聞に載っています。

このツアーは地元新聞の1紙デンバーポストが主催して毎年ロッキー山中の450マイル程のコースを6日ないし7日かけて走破するもので、その参加メンバーは参加締め切り後抽選によって2000名限定で行なわれ、コースは毎年異なるルートが設定されています。今年はコロラド州の南西端に位置するDurangoの町をスタート点として7日間かけてロッキー山中のスキーリゾート地Breckenridgeの町迄の全行程435マイル(約700km)を走る予定となっています。今年の走行配分日程については下記の様になっています。

期日 走行行程 走行距離
6月14日 Durango 参加者集合/登録
6月15日 Durango ⇒Cortez
比較的平坦なコース
49マイル(78.8km)
6月16日 Cortez ⇒ Telluride
途中にLizard Head峠(海抜3116m)在り
77マイル(130km)
6月17日 Telluride ⇒ Montrose
途中にDallas峰(海抜2734m)在り
65マイル(105km)
6月18日 Montrose ⇒ Crestbutte
途中にCerro峰(海抜2423m)とBlueMesa峰(海抜2831m)の2つの峰越え有り
92マイル(148km)
6月19日 Crestbutte 休息日
6月20日 Crestbutte ⇒ BuenaVista
途中に最大の難所Cottonwood峠(海抜3696m)在り
75マイル(121km)
6月21日 BuenaVista ⇒ Breckenridge
途中にTroutCreek峠(海抜2849m)とHoosier峠(海抜3518m)の2つの峠越え有り
77マイル(124km)

各日程の終着点の町ではテントを設営して参加者達がそのテントで泊まり翌日次のコースを走る、ということで、テント設営だけでなく、食事の手配や走行中の飲料水の供給、そしてトイレの設置、自転車の修理など毎年ボランテイアで500名以上の人達がサポート隊として活動しています。

通過する各町の自治体もこのツアーへの全面協力を行って、コースの確保やテント設営場所の準備などを行っています。

全コースが舗装路ですが、なにしろ標高が高く空気が希薄な事と途中にアップダウンの激しい峠を何カ所も越えなくてはならず、何れも難コースと言えますので参加者は事前にトレーニングを充分行って参加しないと乗り切る事が出来ません。主催者でもこれはツアーであって競争ではないのだ、という呼びかけや参加者対象に事前のトレーニングクラスを設定するなどしています。特に6日目のCottonwood峠は3696mという標高でちょうど富士山の9合目を自転車で通過すると言う事になりますので大変です。

また、途中のTelluride, Crestbutte, BuenaVista, Breckenridgeの各町は冬はスキー場、夏は山岳トレッキングでそれぞれ人気のある町で、町自体が高地に在って眺めも良いと言う事で、今年はうまいコースを選定したな、と言う印象です。今年で23回目を迎えるコロラドのサイクリスト達に大変人気のある催しとなっています。

ちなみにこの自転車ツアーRide the Rockiesへの参加料金は一人335ドルとなっています。また、18才以下の参加者は必ず21才以上の人と同時参加申し込みをする事を条件としており、更に両親などの保護者の許可証明のサインが必要となっています。また、自宅から集合地Durangoまでと解散地Breckenridgeから自宅迄の交通手段は各自が自前で行う事となっていますので、参加者2000名の他にサポート部隊の人達、そして送り迎えの人達の車でこの2つの町は大変混雑するのではないかと想像されます。

私は今度の夏にはこのコースを自転車ではなく、自動車で途中ロッジで泊まりながら3日くらいかけて家内と走ってみようと思っています。

地上波TV放送デジタル化対応コンバーターボックスの販売が始まる

アメリカでの地上波TV放送のデジタル移行への対応策の一つとして、従来から使われて来たアナログNTSC方式のTVセット放送を受信していて新たにデジタル方式対応のTVセットを購入出来ない人達の救済策としてTVチューナーとデジタルからアナログへと信号を変換する機能を持ったコンバーターボックスの準備が進められていますが、アメリカ政府ではこれ迄にこのコンバーターボックスの購入申請をした人に対する40ドルのクーポン券の支給を2月19日(火)から開始すると発表しています。

コンバーターボックス自体は1台40ドルから70ドルの価格で販売される予定ですが、既に小売店のBestBuy, Radio Shack, CircuitCityの各店では準備が出来ていて、政府からの支給の40ドルクーポンを受け付ける様になっているとしています。全米の240万軒以上の家庭から既に470万枚分以上のクーポンの支給申請があって、1日平均6万1000件の申請が到着しているとしています。

FCCでは、全米の約5%のアンテナでTV放送を受信している家庭はこのコンバーターボックスを接続しても現在まだ放送の方が対応していない為にデジタル信号を全て受信する事が出来ない、としています。来年2009年2月17日にデジタル全面移行後にデジタル放送受信が可能となる地域がまだ残されていると言う事になります。

この地上波デジタルTV放送移行に伴って現在アナログTVセットで地上波TV放送を見ている人達の中にはこのコンバーターボックスを購入接続する代わりにケーブルTVや衛星TV放送等への月額料金を払って移行する人達がかなりの数にのぼると予想されています。調査会社のStanford C. Bernstein & Company 社では、その調査結果を発表しており、全米でアンテナで地上波TV放送を受信している家庭1400万軒のうちからこうしたケーブルTVや衛星TV放送へ切り替えると思える家庭は2007年で既に210万軒、2009年には約320万軒にのぼると予測しています。

新築の家の販売不振や電話会社のビデオ配信が始まっているケーブルや衛星TV放送にとって現在悪い条件があるものの、それでもそれぞれの視聴者数の増加となるとしています。

予測によるとケーブルTVで全米トップのComcast社の場合で40万2000軒の増加が見込まれ、業界2位のTime Warner Cable社の場合で21万2000軒の増加となるとしています。また、衛星TV放送では首位のDirecTV社では20万6000軒、業界2位のDish Network(エコースター)社でも19万軒の増加が見込めるとしています。

一方、デジタルTVセットの販売を行っている各店の店内でのデジタル移行に対する顧客への対応としては、現行のアナログTVセットにコンバーターボックスを接続すれば継続してデジタルTV放送を見る事が出来ると言う事をお客に伝えないで、新しいデジタルTVセットを買わなければならないかの様な雰囲気で対応しているところが殆どで、その実態を市場の各販売店へお客を装った覆面調査員を送り込んで調べた結果をColorado Public Interest Research Group では発表しています。

  • 94%の店の販売員はコンバーターボックスの事をお客に伝えないでデジタルTVセットを新たに購入する必要があると伝えている。
  • 81%の販売員が政府のコンバーターボックス購入への40ドルクーポンによる補助を受ける事が出来る事を伝えていない。
  • 44%の店では既に除外されているはずのアナログTVセットが展示棚に並んでおり、それらの多くは添付されている商品タグに誤りがあったり、英語のみの表示だったりしている。
    (注記:2007年5月25日- この日以降はアメリカ国内でデジタルチューナーを内蔵していないTVセットを販売する業者は、その商品がアナログチューナーのみを内蔵していて、2009年2月17日以降はアンテナを介して受信する地上波デジタル放送を受信するためには、特別なデジタルからアナログへのコンバーターボックスの接続が必要となる、と言う事を表示して消費者に明らかにすることが義務付けられています。)

この調査は昨年の秋に実施されたもので、現在では各販売店の顧客への対応は良くなって来ているものと考えられますが、こうした市場監視システムが機能している事は重要であると思われます。

ところで、今年のサンクスギビングデイ(11月27日)から来年2月18日のデジタルD-Day後一ヶ月位迄の期間に全米でいったい何台のアナログTVセットが各家庭から廃棄処分される事になるでしょうか?

こうしたアメリカでの地上波TV放送の全面デジタル移行に伴って発生するいろいろな社会現象はこれから2012年に発生する日本での全面デジタル移行の時の対応として大変参考となると思いますので、日本でもアメリカでの状況を良く観察しておいて活かして欲しいと思います。

巨大な馬の像がデンバー空港に設置

デンバー空港へのハイウエイPena Boulevard沿いの空港近くに鋼鉄とガラス繊維で作られた高さ32フィート(9m75)という巨大な荒馬(Mustang)像が2月12日に設置されました。

この像はデンバー空港が開港する時のシンボルとして30万ドルの費用を出してデンバー市がニューメキシコ州の銅像制作芸術家のLuis Jimenez氏に1992年に発注したもので、大幅にその制作完成が遅れてデンバー市とその芸術家の間で訴訟となっていました。

そうこうしているうちに2006年6月14日にそのLuisさんが制作作業中にホイストを使って銅像を吊り上げている時に銅像の一部が落下して、運の悪い事にその下敷きとなって亡くなってしまいました。

その後彼の2人の息子を含む家族でその像の完成を目指して、やっと昨年の10月に纏まったのですが、その後補強修正をカリフォルニア州で行って完成設置にこぎ着けたものです。

デンバー市では初期契約の30万ドルに追加して、補強修正及び搬送、設置の費用として35万ドルを更に追加して出費しています。夜間にはその馬の像の両眼が電気で点滅する様になっています。

なにしろ巨大な像なので設置には大型クレーン車も出動して2月11日(月)一杯かかって行われました。これでデンバー空港の名物が新しく出現して、今度皆さんがデンバーへお出かけの時には注目して下さい。

デンバー市内にはその公共の場所にこうした大きな動物の像がいくつも設置されており、デンバー市当局の施設係にこうしたものを設置するのが好みの役員が居るのではないかと想像されます。ちなみに、それらの像を拾ってみますと、

  • Bucky the Bronco
    地元プロアメリカンフットボールチームのDenver Broncosの本拠地であるInvesco Fieldの南側のスコアーボードの上には高さ27フィート(8.2m)で重量が727kgという鋼鉄製の馬の像が設置されています。これは1976年に制作されたもので、ニックネームはBuckyと呼んでいますが、「Buck」とは馬が跳ね飛ぶ事で「Bronco」はアメリカ西部地区に生息する野生馬の事です。100万ドルかけたスコアーボード建造の一部として制作されたものです。
  • I See What You Mean
    デンバーのダウンタウンにある催しもの場のコロラドコンベンシヨンセンターの入り口に中を覗き込む様に造られた大きな青色の熊の像です。高さが40フィート(12m)のガラス繊維で造られた像で、2005年 のコンベンシヨンセンターの大改装に合わせて設置されました。「会場の中で何をやっているか分かります」と言う意味で「I see what you mean」と言う長いニックネームが付けられています。42万4400ドルの制作費用がかかっています。
  • The Yearling
    デンバー中央図書館の デンバーの中心のシビックセンターパークに面した庭に造られた馬の像ですが、馬の像自体は高さが6フィート(1.8m)で小型ですが、その馬の像が高さ21フィート(6.4m)の赤く塗られた椅子にのっていると言う奇妙な造形物ですが、1998年に15万ドルの費用でなんとニューヨークの芸術家によって制作されて輸送されたものです。

今度のデンバー空港に新設された荒馬の像ははたして何と言うニックネームが付けられるでしょうか?

デンバーの銅像ギャラリー

デンバー空港に設置されたBlue Mustang
開港以来16年振りにやっと完成にこぎ着けたデンバー空港のシンボルとなる荒馬の像です。 周囲に大きさを比較するものが無いのでその大 きさを想像しにくいのですが、高さが9m75あります。全身青色の馬ですが、夜間には周囲からの照明と二つの目が電気で光る様になっています。中に入れないのでサイドを走っている空港へのハイウエイのPena Boulevardの端に車を停めてフェンス越しに撮影しましたが、ここは「No Stopping Area」なので交通違反ですがなんとか収まりました。フェンスの右側にちょっと顔を出しているのがデンバー空港の管制塔の頭部で、さらに右の端にターミナルビルの白いテントが見えています
Denver Art Museum 別館
昨年始めに開館したデンバー美術館の別館です。モダンアート建築で有名なDaniel Libeskindさんのデザインになる建物で建築業者を困らせた外観となっています。開館後に大雨が降った時に屋根から雨漏りがして原因が分からず建築業 者が屋根の殆どを吹き替えた、と言うエピソードが残っています。別館には特にモダーンアートが展示されています。右側に続く建物がデンバー美術館の本館で総数6万点にのぼる美術作品が展示されています。また、左側の建物はデンバー中央図書館となっています。
デンバー中央図書館前のThe Yearling
デンバー中央図書館のシビックセンターパーク側の庭に設置された大きな椅子の上に馬が乗っている、という変わった像で、前の道端に駐車している自動車と比べるとかなり大きな椅子だ、と言うことがお分かり頂けると思います。像には付けられている名前「Yearling」とは1才馬の事です。何で馬が椅子の上に立っているのか?と聞かれても其の理由はわかりません。
I See What You Mean
デンバーのダウンタウンに在るコロラドコンベンシヨンセンターの正面入り口脇に設置されている大きな青い熊の像です。建物の中で行われているコンベンシヨンで何をやっているか覗き込んでいるところです。「I see what you mean」というニックネームがこの熊の像に付けられてい ます。このコンベンシヨンセンターは2004年に大改装が行われて全体のスペースが2倍に拡張されました。この撮影に行った時にはColorado Garden & Home Showが開かれていて庭の庭園造りや家のリモデリングなどに関する展示会が行われていて家族連れのお客で大変賑わっていました。
デンバー市役所別館前にあるモダーンアート像
デンバーの市役所の別館は本庁舎からColfax通りを挟んで対面側に在ります。前のデンバー市長だったWellington Webb氏の名前がこの建物に付けられていますが、市民への一般的なサービスは別館のこの建物でおこなわれています。別館前に据え付けられているこれも何とも奇妙なモダーンアート像ですが人間の顔が左右にあって、中央に測量などで使う鉛直線儀の様な錘りがぶら下がっています。「これは何を意味しているのか?」と聞かれても其の意味は不明です。写真の右側後方の金色のドームはコロラド州庁舎でコロラドの1800年代中旬のゴールドラッシュを象徴して金メッキが施されているセンタードームの屋根となっています。
Civic Center Park内に設置されている荒馬に乗ったカウボーイ像
デンバーの中心のシビックセンターパーク内にはこの荒馬にまたがったカウボーイの像が2体あり、これがその一つです。西部開拓時代のアートで有名なAlexander Phimister Proctorさんの作品でコロラドではあまりにも有名な像なので複製が沢山造られてコロラド内のところどころで見かけます。

あとがき

かってコロラドの地方新聞The Denver Post紙の記者、編集員、論説委員など38年間にわたり務めて、朝鮮動乱やベトナム戦争の取材で活躍し、その後もう一つのコロラド地方紙Rocky Mountain Newsの読者代表評論委員として活動した日系人2世のビル細川さんが、昨年11月9日にワシントン州の一番下の娘の家で亡くなりました。享年92才でした。

新聞社での忙しい仕事の傍らアメリカでの日系人の事をテーマとした著書を多く発表しており、特に1969年に出版した「Nisei: The Quiet Americans」は当時アメリカでのベストセラーとなり、その後の第2次世界大戦中の日系人への米国政府の抑圧からの権利回復運動に大きな影響を与えています。

また、晩年になっては日本の「名誉領事」として25年間務め、コロラド州政府の日本からの企業誘致活動にもその団長として日本を何度か訪れています。コロラドの地元での日系人の間では尊敬される象徴として受けとられていました。

私自身はビル細川さんがコロラド州の団長として日本へ来られてJETROの主催で東京で会合が開かれた時に直接お会いする機会を得て昼食時に歓談させてもらった事が有ります。物静かな中にも年齢に似合わぬ一種の鋭さを感じてハッとさせられた事を憶えています。

2月16日(土)午後2時よりデンバー大学のNewman Centerを会場としてビル細川さんの生前の活躍を偲ぶ会合が開かれ、コロラド州知事のBill Ritter氏、ワシントンの日本大使館から加藤良三大使、Rocky Moutain News新聞の編集長のJohn Temple氏、そして細川さんの娘さんでデンバーの南のLittletonの町に住んでいるSusan Boatrightさん達のビル細川さんの生前の思い出を語る講演が行われました。

また、会場には細川さんの活躍の様子を示す写真や解説が多く展示されて出席者の関心を集めています。

1915年1月30日に広島から移民として米国へ1899年に移住した細川摂呉さん夫妻の子供としてシアトルで生まれ、ワシントン大学でジャーナリズムを専攻して卒業しています。その後太平洋戦争が勃発して当時のルーズベルト大統領令で日系人総数約12万人の一員となって、奥さんと産まれたばかりの長男とともにワイオミング州のHeart Mountainの収容所へ抑留されました。

其の時既に細川さんはアメリカの新聞では人種差別の為に雇ってもらえないのでシンガポールの英字日刊新聞と上海の雑誌の記者として活動していましたので、その経験をかわれて収容所新聞「The Heart Moutain Sentinel紙」の編集者として活動しました。また、新聞「Pacific Citizen」に特別コラム「From the Frying Pan」へも40年以上継続して投稿しています。

その後デンバーのThe Denver Post紙に職を得てコロラドへ移住してジャーナリストとしての活動が始まったのですが、地方新聞を通してコロラドの特に日系人達に多くの影響を与え今日に至っています。細川さんの最後の著書となった「Colorado’s Japanese-American」は2005年に出版されましたが、実に彼が90才のときの事になります。

コロラドには日系人の団体「Japan America Society of Colorado」がありますが、今回のBill Hosokawa と1998年に亡くなっている奥さんのAliceさんの二人の名前で開催された今回の会合での出席者からの基金などを基にして「Hosokawa Fellowship」がスタートしますが、その管理運営をこの団体が行って行く事となっています。

人生様々ですが、戦争と言う環境で変わった一面を体験した日系人の一人として活躍し多くの人達に多くの影響を与えた92才の人の歴史を語るにはもっと紙面を多く割かなくてはならない訳ですが、それにしてもジャーナリストと言うより新聞マンと言った方が当てはまる人を亡くしました。 ビル細川さんのご冥福をお祈りしたいと思います。

WRITER PROFILE

萩原正喜

萩原正喜

米国コロラド州から、米国のデジタル放送事情からコロラドの日常まで多岐に渡るコラムをお届けします。