カメラがどんどん新しくなってゆく。本当はクリエーターの要求に応じる形で技術が進歩していくのが望ましいとも思うのだが、最近は技術先行の感は否めず、クリエーターはそれに追いつくのがやっとといった感すらある。それが記録、圧縮方法や処理速度といった事ならまだいいのだが、DSLRムービーの出現でビデオアートの表現力が格段に広り、前回まで取り上げていたSONY NEX-FS100等の大判センサー搭載のビデオと呼べる機種の登場で、その表現力はさらに上がった。

というのに、クリエーターがそこを攻めて行かないというのは悲しい事だ。そこで今回より新しい技術で広がった表現力をどのように使って作品に新しい風をおくりこめるのか、技術と演出を結びつけていくチャレンジをしていきたいと思う。最近はDSLRでの仕事が増えてきてはいるが、いざ打ち合わせしてみると構成やカット割りは今までと同じ感じであったり、FS100のような明るいカメラがあるのに照明プランに新鮮さがなかったりと、がっかりさせられる事が多いのだが、それではせっかくの表現力が活かせない。まぁ、仕事とはいつもこういう物で、よっぽど安心させないと新しい事はやらせてもらえないものだ。なのでここはやはりクリエーターが先頭きって「せっかくこうなったんだから、こんな事もできるんじゃない?」的なギリギリな冒険をしていくつもりなので楽しみにしてほしい。

被写界深度とボケを使いこなす

DSLRムービーの出現でなんと言っても衝撃的だったのは浅い被写界深度だろう。実際私も最初はそうだったが、やたらとボケボケのカットばかりの作品が多くなっている。DSLRならではの画となると、やはりそうなるんだろうが、当然の事ながら絞り込めば深い被写界深度の画も撮れるし、中間深度の画も使いこなしていけば作品の表現力はもっともっと広がっていくはずだ。実は前の人物にフォーカスを合わせて遠景をぼかそうとするのに従来のビデオカメラほど絞りを開く必要はないのだ。従来のビデオカメラではいくら前の人物にフォーカスを合わせても、その人が動いたりしたらまるで後ろに合ってるのと見間違えてしまうことさえあった。それほど遠景をぼかすのが難しかったのだが、その感覚に慣れてしまっていると、すぐに絞りを解放近くまで開いてしまう傾向にある。これはとても極端な考え方で、遠景の存在感をどの程度見せるか見せないかという微妙な表現が中間深度を使いこなす事によって無段階にコントロールできるようになっている。

DSLRムービーが広げてくれた表現力はそればかりではない。よくスチルカメラマンが口にする「レンズのボケ味」という言葉に象徴されるのだが、ボケているところの柔らかさや諧調、さらには独特の癖等もレンズによって異なる。レンズを交換できるようになったDSLRで撮るムービーではクラシックレンズも含めてそれを選ぶ事ができるようにもなっている。ボケるかボケないかだけではなく、極端な言い方をすれば背景のトーンをゴッホのようにするかルノワールのようにするか…まぁそこまではできないにしても、そこをコントロールする事ができるようにはなっているし、それによってシーン、カットの印象が大きく変わって来る事は確かだ。そこまでの演出をして初めてこの表現力を活かした映像と言えるのではないだろうか?

アンジェニュー35mm(35mm換算56mm) F2.5
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アンジェニュー35mm(35mm換算56mm) F4.0
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アンジェニュー35mm(35mm換算56mm) F8.0
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ソニー35mm(35mm換算56mm) F4.5
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レンズが違えばもちろんトーンや発色も変わってくるが、ボケ方にも特徴が現れる。

女優:笠原 千尋(Office Monolith 所属)
現在制作中の私の新作「彩~aja~」で主役の絵描きの女の子を演じてくれている。まだ21歳になったばかりで身体も小さいが、一瞬にして周りの空気を作れる期待の新人だ。
【公式ブログ「雨に濡れた花は太陽を仰ぐ」

フォーカシングによる演出

これほど広域多彩になったインフォーカス/アウトフォーカスの間をどのように移動して行くか、つまりフォーカシングのセンスとテクニックを改めて鍛えなくてはいけない。とかくデメリットとして捉えられているマニュアルフォーカスの制限ではあるが、使いこなせばスピード、変化ののカーブは思いのまま操る事ができる。これもまた合ってるか合っていないかだけの物ではない。だんだんボケていく(又はその逆)間にその人の心情を表す事もできるという事だ。それほどDSLRのボケは一般的ビデオカメラとは比べ物にならないほど美しい。例えば口元をねらったカットで、何かのセリフを言った後に、口を固く結ぶといったカットがあったとしよう。

  • ボケた所からシャープにピタッとフォーカスを合わせた後、セリフが始まる。
  • セリフと共にゆっくりフォーカスが合っていきセリフの終わりと同時にピタッと決まる。
  • セリフの間はボケたままで、その後シャープにピタッと合った所で口が堅く結ばれる。
  • 逆にセリフの後、口が結ばれると同時に溶けるようにフォーカスがはずれてゆく。

等々、演出意図によって様々な表現が可能だ。いろいろやってみればわかるのだが、その変化のスピードとカーブは「これだ!」と思える物がきっとある。もちろんそこに辿り着く為には台本を今まで以上に理解し、役者との息も合っていなければできないことだが、広がった表現力を使いこなすというのは、センス、技術、そしてプロダクションのプランさえも磨き直さなくてはいけないという事だ。また、単純にフォーカシングと言ってもただリングを動かすだけではない。レンズの距離は固定させておいて、カメラを動かすという手もある。とにかく表現力は無限に広がっている。

確かにDSLRは普通に撮るだけでも従来のビデオムービーとはひと味もふた味も違った画が撮れる。ただ、それは本当にクリエーターをにんまりさせる為だけにある物なのだろうか?これからもDSLRに限らず、新しい技術や機材が与えてくれる新しい表現力の可能性を探っていきたい。

WRITER PROFILE

ふるいちやすし

ふるいちやすし

映画作家(監督・脚本・撮影・音楽)。 日本映画監督教会国際委員。 一般社団法人フィルム・ジャパネスク主宰。 極小チームでの映画製作を提唱中。