これからの日本映像文化について考える

なんとかしなければ。そう思っている。何をって、日本の映像文化をだ!大きく出たでしょ。でも本当にそう思っている。切実に危機を感じている。なんとかなるのは20年後かもしれない。もう私はいないかもしれない。それでも今からなんとかし始めなければ、せめて種だけでも蒔いておかなければならない。前にも言った事かもしれないが、この「東京プチシネ協会」という、おおよそコラムのタイトルとしては不自然な名前は、10年以上も前に友人と自主制作映画を作りやすくする為に作ろうとしたネットワークの名前だ。せっかくの才能や技術をもっと共有する事によって日本のインディームービーの質を高めていこうという理念があり、今もその思いはこのコラムの中で諦めずに訴え続けているつもりだ。残念ながら当時は見事に失敗してしまったが、その必要性は今も感じている。

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だが今改めてこんな事を強く感じたのには二つ、大きな理由がある。その一つは私が自分の映画を本気で多くの人に観てもらおうと動いて、初めてとんでもなく大きな問題にぶち当たったという経験だ。正直、10年前も今までも作り手の事しか考えていなかった。私も一人の作り手として、どうすればもっと質の高い映像が作れるかという努力はしてきたつもりだし、提案も行ってきた。ただ良い作品を作りさえすれば後はなんとかなると思っていたのは事実だし、その先の事は自分の専門外なのであまり深くも考えなかったし、活動もしてこなかった。いわゆる作りっぱなしというやつだ。

今回、モナコで受賞した事をきっかけにたくさんの人がこの作品を見たいと言ってくれた。そこで私はもう一度動くことにしたのだが、所詮物作りだ。たった3ヶ月動いたところでそう簡単にいく筈もない。そのたった3ヶ月でとてつもなく大きな問題にぶつかってしまった。それもどこかを一つ変えればどうにかなるという物ではなく、私たち作り手も含めて映像文化に関わる人や組織やシステムがこぞって変わらなければ、もうどうにもならないと思える状態になっているのだ。だから私一人がここで小さな声を上げてもどうなる物ではない。ただ、今、種を蒔かずにはおれないのだ。

そのもう一つの理由が音楽業界、いや、音楽文化の現状だ。今や音楽の世界が危機的な状況だという事は誰でも知っている。アメリカやイギリスのような音楽の輸出大国とは違い、日本の音楽のマーケットは小さい。そのような国では音楽が職業や産業になり得ない国が多々あることは事実だし、日本もまたそうなってしまう可能性は否定できない。少なくとも青山に大きなビルを建てたり、駅前の一等地に何フロアーもある大型店舗を構えてやるような商売でなくなっているのは事実だ。もちろんほんの一部のアーティストだけはいい暮らしもできようが、そんな大物だけでは文化として成り立ちはしない。今やメジャーデビューをしていて、夏のフェスティバルでは華々しくアリーナに立って歌っているアーティストでさえ、普段は他のバイトをしている人も多い。当然、音楽家達が自身の音楽を磨く機会は失われ、それでもオーディエンスは自由に無料で音楽を楽しむ事をまるで当然の権利のように主張するばかりか、最近の音楽の質の低下をぼやく。当たり前だ!生身の人間がやってる事なんだ。

プチシネの世界が活気を持つことを夢見て

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デジタル的に見ると、同じコンテンツとして映画も同じ道を辿るのは目に見えている。今はただデータ量の多さにネット等の環境が少し足りなくて、少し遅れてその道を辿っているだけで、確実にその下り坂は始まっている。なのにかつての音楽業界と同様に作り手、売り手、買い手がそれぞれの主張を繰り返し、それぞれの責任を責めるだけで、指をくわえて「その時」を待っているだけのようにも思える。とっくに「その時」を迎え、それでも生き残ってる人もいる音楽の世界から多くを学ばなくてはいけない。そして変わらなければいけない。それは映像機器メーカー、販売、クリエーター、配信者、オーディエンスが一体となって変わらなければならない事だと思うのだが、その中で合格点が与えられるべきなのは機器メーカーだけだと思う。良い物を次々と生み出している。世界的シェアを見てもほとんどが日本製だ。こんな事はそうそうあるもんじゃない。

だがそのメーカーですら、国内の販売では危機的状況だと言われている。当たり前だ。映像文化そのものがすたれてきているのだから。なのでここは一つ、一緒になって種蒔きに参加していただきたい。日本の優れた技術者がものすごい早さで進化させている映像機器は、メジャーな映画やテレビ局には充分な恩恵を与えているのだろうが、インディームービーにも、趣味や生活レベルでの映像表現にももっと活気を与えられる物であるはずだ。このコラムでも伝えてきたが、コンパクトカメラでさえ映像作品を作れるようになったのは、機器の高性能化と低価格化のお陰だと言って間違いない。ところがインディームービーのレベルはそんなに上がっているとは感じないし、クリエイターの裾野が広がってきているとも思えない。

何より、エンターテイメントとしてオーディエンスの心を潤しているかというと、価値ある物としてちゃんと届いているとは決して言えない状況だ。メジャーな映画や、CMや特番を湯水のように使ってPRできるテレビの世界に文句を言うつもりは全くない。ただそれを頂点とするピラミッドの裾野が豊かで活気に溢れていないと文化としては成り立たないはずだ。逆に言うとそこが豊かになればなるほど機器は売れ、優れた人材が生まれ、新しい理想や欲求が膨らみ、それがまた機器や人や作品を育てる。私は本気でそういうプチシネの世界、つまりマイナーリーグやアマチュアのレベルでの活気を夢見ている。その為にこのコラムでは様々な角度から問題を洗い出し、道を探って行きたいと思う。読者のみなさんからの意見も大いに歓迎したいが、最終的には私たちクリエイターも含め、みんなが変わらなければいけない。責任のなすり付け合いにだけはしたくないと思っているので、ぜひ前向きな意見を寄せて頂きたいと思う。

WRITER PROFILE

ふるいちやすし

ふるいちやすし

映画作家(監督・脚本・撮影・音楽)。 日本映画監督教会国際委員。 一般社団法人フィルム・ジャパネスク主宰。 極小チームでの映画製作を提唱中。