クールジャパンなど、最近日本の映像コンテンツ製品を海外に売り込もうという動きが盛んだ。しかし、その実情はお寒いものだ。しかし、日本は様々な製品で海外売り込みに成功してきた実績がある。なぜ映像コンテンツだけがここまでダメなのだろうか?今回は、他ジャンルの成功事例から映像コンテンツの海外への売り込み方を考えて行きたい。

迷走するクールジャパン

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クールジャパンのそもそもの元となったクールブリタニア政策は今も受け継がれている。NABでも英政府主導で、英国零細企業を多数引き連れての参加となった。支援先への直接投資でないと意味が無い

先日からクールジャパンという言葉がネットを駆け巡っている。クールジャパンとは、本年度だけでも500億円もの膨大な予算を背景に、マンガやアニメはもちろん、映画や武道など、広義でのポップカルチャーを含めた日本独自の文化やその魅力を海外に発信して行こうという経産省主導の官民一体型計画で、本年度中にクールジャパンファンドを立ち上げ、そこからの投資を始める予定となっている。特に原発事故以来、日本の実製品は放射性物質汚染を心配する海外市場に売れにくくなっており、震災以後は改善することなく貿易赤字を計上し続けている。我が国が無資源国で、食料品ですら輸入に頼らなければならない国である以上、実製品に代わるコンテンツ産業の海外進出が急務である事は誰の目にも明らかなことであった。読者諸賢にも、その予算規模に、大いに期待している人も多いだろう。

しかし、先日のニュースは、その盛り上がりに水を差すものであった。4月上旬に行われた第二回目のクールジャパン推進会議において、その会議メンバーである秋元康氏が、クールジャパン参加クリエイターに無報酬での協力を呼びかけ、それに同じ会議メンバーの角川歴彦氏が同調したというニュースが流れたのだ。500億もの膨大な予算が出ているにもかかわらず(そして秋元氏自身、自らが関連するAKBに対して2011年度に多額のクールジャパン予算を利用したことがわかっているにもかかわらず)、その基幹となり、支援対象であるはずのクリエイターに無報酬での協力を呼びかけたことに疑問の声が巻き上がったのは当然のことと言える。この発言は訂正されるかと思いきや、そのまま否定もされず、第三回のクールジャパン推進会議はそうした第二回の発言をベースとして4月30日に開催され、クリエイターではなくプロデュースこそが重要だというアピールが行われた。この発言は明らかに前回、クリエイターにただ働きを呼びかけた第二回会議の前提に基づくものだと考えられる。

つまり、クールジャパンと称して、クリエイター支援と日本のブランドイメージをアピールするために多額の国民の血税を投入したはずが、少なくとも現状は、プロデュースを行う中間業者に血税を吸い取らせることを前提にクリエイターにただ働きを呼びかけるという、スタート地点とはまったく正反対の流れとなってしまっているのだ。

クールジャパンは、そもそも直接は韓流ブームの元となったクールコリアに学んだものであり、世界中に一大ブームを巻き起こした韓流の前例を見る限り元々のコンセプトは間違ったものでは無い。クールコリアもその元々は1990年代から行われた英国のクールブリタニアを参考にして、その成功部分だけを商業ベース中心で行ったものであり、目新しいものでは無い。この結果として、世界は英国ロックに湧き、そして数年前は韓流ブームが各国の国会で問題視されるほど、世界中に跋扈した。米国などでも英国バンドや韓国クリエイターの活躍を普通に見るようになったのは、これらの政策の成果と言えるだろう。しかし、その結果は少なくとも現状のところ、英韓と我が国日本とでは、全く正反対の方向性であり、クールジャパンにおいては出版社やプロデュース大手を売り込むプランばかりが目立ち、日本のクリエイターの名前や個別の作品を海外に売り込むようなことは全く無さそうに見える。

香港でのオモチャ関連ショーや、先に米国ラスベガスで行われたNABにおいても、このクールジャパン系の支援が入ったと思われるブースがいくつか見られた。あちこち角が立つので詳細なブース名などを上げるのは避けるが、そのいずれもが開店休業状態で、日本人関係者の休憩場となっていたのが印象深い。どうしてこうなってしまったのか?

やはり、日本の広告代理店、出版社、放送局の大手資本が圧倒的有利な歪んだ状況のままで、そうした大資本に対して支援を行って半官半民のプロジェクトを立ち上げようというスタイルで入ったのが現状の敗因だろう。

我々現場のクリエイターにとって500億円は大金でも、そうした大企業に取ってみれば500億円などは、はした金に過ぎない。国内での売れ行き不振に悩む彼らの目の前をそうしたはした金が通過すれば、当然のごとく吸い上げられ、現場には降りてこないのだ。特に、日本のクロスメディアオーナーシップ規制の無い状況は先進国では極めて珍しく、そこを放置したままのメディア系への投資は、企業間での競争や切磋琢磨を産まず、当然にそうした大資本に吸い上げられるだけの結果を残すことになるのは明らかであったのだ(余談だが、実のところ、貧乏で名高い我ら日本の映像業界だが、米国を除けば我が国の映像作品への予算は国際的に見ても額が多い方だ。ただ、制作現場の予算では米国よりも額が一桁少ない欧州に比べてもさらに一桁小さい。つまり大多数の予算が直接制作に関わらない中間業者に吸い上げられている、ということになる)。

そして結果として4月30日のクールジャパン推進会議においては「500億では(中略)これでも足りない(会議メンバーの依田巽氏)」という結論となってしまった。我々日本人は、明らかに500億円という多額の血税の投資に失敗しつつあるのだ。安価なインディーズ映画なら500本撮れる予算でも、代理店やテレビ局芸能事務所など中間業者の多数挟まるSFX多用のアイドル起用大作映画ならば数本しか撮れない。ハイエンドリアルタイム戦闘ゲームなら1本作れるかどうかだし、それらを支援する大企業体を作りたいなら明らかに予算不足だ。英国や韓国に倣い、本来、前者の戦略で若手クリエイターに作品を作らせまくって海のものとも山のものともつかないコンテンツを大量にでっちあげて当たるも八卦で飽和作戦を行ってそれを政治力で海外に売り込むべきが、どこをどう間違ったのか後者の流れになってしまったのだから、このままでは失敗は当然のことと言える。

そして残念ながら、この多額の予算は恐らく、このまま行使されれば、今回の予算を吸収した大企業自身ですらも救わない。前述の通り、構造に問題を抱えて時代遅れになった大企業や、国民にコンテンツそのものが見放された出版・音楽業界そのものを救うには額が小さすぎるからだ。

しかし、他の産業では日本は海外進出に成功し続けてきた。一例では、我々映像屋が愛するカメラがそうだ。スチルカメラもそしてビデオカメラも、日本製こそが安心の世界標準であり、日本製を買えない者が安価な他国製を選んでいるのが現状だ。そのため、例えばNABにおいては日本専門コーナーは見られない。これは、単純に日本企業が当たり前に進出しているため、敢えて専門の政府支援出展ブースを作る必要すら無いからである。また、自動車や鉄鋼、映像機器などでも政府支援などを有効に生かして同様のブランドイメージを築き上げてきた。

どうして、映像ジャンルだけがこうも失敗をしてしまうのだろうか?我々日本人は、コンテンツ産業や文化産業に向かないのであろうか?いや、実はそんな事も無い。その一例が、刃物産業だ。

成功しつつある日本刃物産業

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タケフナイフビレッジ全景。鍛造所は山中にある事が多いが、同組合は高速から車で10分程度と比較的便利なところにある

刃物は、世界中に存在している。人類の文化は刃物の発明と火の利用から始まった。刃物の性質は様々だが、その背景には料理文化や狩猟文化、あるいは漁業・農産文化などの影響があり、様々な用途に合わせて様々な刃物が作り上げられている。また、同じ用途の刃物だとしても、デザイン一つで大きくその価値は変わる。切れ味も、長切れを重視するか、研ぎ直してでも瞬間の切れ味を重視するかで異なり、一つの用途に様々な刃物が存在する。そして、その刃物の形こそが肝で、それによって評価され、その理想型にどこまで近いかが価格のポイントとなる。例えば日本刀の世界での芸術的評価は非常に高いものだし、生活刃物でも、特にナイフ類においては、R.W.ラブレス氏が考案したストック&リムーバル製法以降は、完全にデザインこそがその刃物の価値の大部分と言うことになった。

ストック&リムーバル製法とは、車の板バネなどの既に出来上がった鋼材に対しあらかじめデザインしておいたナイフ型紙を用い、その型紙に沿って罫描いた線をドリルで穴明けし、その穴を糸鋸で繋いで切断することによってほぼ同じ形のカスタムナイフを量産する方法で、それまでの自由鍛造による一本一本形も性能も異なり癖のある手作りナイフとも、プレス機による工業製品の味気ない低性能な量産ナイフとも、一線を画すものであったのだ。同氏のナイフは同じ性能のナイフを必須とするハンター、レンジャーや特殊部隊兵士などに愛用され、かの文豪ヘミングウェイも3本のラブレスナイフを最後のアフリカ旅行に持って行っている。

つまり、近現代のナイフ作りは、製造業の顔をしつつもその実態はまごう事なきデザイン業であり、コンテンツ産業の類縁なのだ。映像とはジャンルは異なるが、別のジャンルから学ぶことも大きいため、今回は、そんな刃物産業をご紹介したい。

福井県越前市、武生地域には、刀匠、千代鶴国安を祖とし、700年ほど前から日本刀の刀鍛冶による刃物の鍛造文化が脈々と伝えられてきている。日本国内のほとんどの地域の打ち刃物文化が明治維新による廃刀令と第二次大戦敗戦によるGHQの徹底的な刀狩りの2回の衝撃で消える中、武生の打ち刃物が生き残ってきたのは、偏に幕末期に素早く生活刃物へとその軸足を移し、いち早く日本刀の技法を生活刃物へと応用していたからに他ならない。

そんな武生が注目されたのは、武生近辺の刃物職人が作った協同組合連合会「タケフナイフビレッジ」が、独自の共同工房を持つようになり、カスタムナイフ制作に乗り出した時期だ。ちょうどバブルが終わった平成4年頃になる。バブル期から画期的な包丁を作るなどしてGマークを次々に受賞するなど同組合は注目されていたのだが、平成に入ってから、同タケフナイフビレッジ組合員の佐治武士氏と浅井正美氏の両名が前述のラブレス氏とその弟子が日本に設立したJKG(ジャパンナイフギルド、実は筆者もその会員だ)に入会し、カスタムナイフの手法を日本の伝統打ち刃物に持ち込んだことから、大きな発展を得た。

具体的には、先のラブレス氏のストック&リムーバルの手法を日本伝統の打ち刃物に持ち込んだのだ。日本の打ち刃物は日本刀の伝統から、火作りと呼ばれる完全に自由鍛造のみでハンマー1本で形を仕上げるのが特徴であったのだが、両氏は元々型抜きをする近代包丁製造にも慣れていたところから容易にラブレスの手法を取り入れ、あらかじめ板状に仕上げておいた鋼材を日本風の鍛造で引き締め、大まかに形を出したところで型紙に合わせて鋼材を切り抜く手法で同じ型のナイフが鍛造ながらも量産出来るようにした。これにより、デザイン製品としての質が飛躍的に上がったのだ。

両氏が考案した日本伝統刃物と和洋折衷の鋼材、ラブレス氏の近代ナイフ手法のミックスした製品は「和式ナイフ」と呼ばれ、その西洋ナイフに勝るとも劣らないデザイン性と、日本刀伝統の切れ味、そして和のテイストを感じさせる仕上がりにおいて、今は日本を代表する世界的な刃物として武生のみならず日本中の鍛造所で製造が行われ、世界に名前が知られている。

タケフナイフビレッジは、その刃物の質の高さだけでなく、数々の官民合同事業の成功例としても名前を知られている。グッドデザイン賞のようなコンテスト形式のものから、公費設備投資による事業の成功、そして、最近ではクールジャパンの先行事業ともいわれるジャパンブランド(JB)の海外展開にまで成功している。先日のドイツフランクフルトにおけるアンビエンテ出展においても高い評価を得て凱旋帰国しており、そこでは洋風生活向けの工夫を取り入れた新デザインの包丁が出展されていた。

こうした成功の原因は、偏に、個人事業主が主体の個々の親方たちが組合という形でまとまることで投資効率を上げ、それが更に一つの共同工房を持つことで仕入れから製造、販売までを効率よく出来るようにしたからに他ならない。個人事業主規模であっても7社8社が集まることで地域の中堅企業の経済規模を持つことが出来、その結果として多額の直接・間接の投資を得ることに成功したのだ。前述のように我ら映像の世界に置いて、政府が大手に間接投資するあまり、過去多額の金銭が空中で蒸発してきた歴史とは正反対で、大変参考になる。

引き継がれゆく匠の技

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タケフナイフビレッジの若手ナイフ作家、黒崎真・優兄弟。何と、ついにナイフマガジンの表紙を飾った。同マガジンはラブレス色の強い雑誌であり、そこに鍛造ナイフが表紙を飾ること自体、極めて珍しい。弟優氏のナイフを私はキャンプに愛用している

実は、近代ナイフの祖、ラブレス氏のなんとも凄いところは、このストック&リムーバル製法を惜しむことなく公開し、それによって、多くのナイフメーカーをつのり、一種の組合として集団発注をかけることで自分たちの欲しい鋼材を鋼材メーカーに作らせることに成功した点にある。この点もタケフナイフビレッジはラブレス氏と同じ方向性を持っていると言えるだろう。そして今、タケフナイフビレッジは、共同工房を作り上げた親方たちが引退を考え始め、若い世代に引き継がれようとしている。

多くの弟子を育てているところも、ラブレス氏と重なるところがある。各組合参加親方が後継者として自分の直弟子を1〜2名育てている他、年に2回程度、鍛造ナイフ教室と銘打って、同組合のほとんどの設備を参加者に開放したナイフ鍛造ワークショップを開いているのだ。同ワークショップは、初心者でも出来る初級コースから始まり、趣味のカスタムナイフの中級、ラブレス方式でのカスタムナイフ作りが自在に出来る人が鍛造も行うコンセプトの上級コース、そして武生ならではの包丁コース、最後に、そもそもの鋼が生鉄にくっついた状態の材料となる鉄の板を作るための鍛接コースの5コースが用意され、観光客からプロのナイフメーカーまで、幅広い生徒が参加する。同教室の特徴は、そういった名称が日本で一般化する前にワークショップ形式を取り入れたことであり、各コースを修了することで次回開催時に上のコースを修めることが出来、やがてはこの教室を経験するだけでそれなりの刃物が作れるようになっている、という所だ。普段から刃物作りをしている人向けの上級コースともなれば学ぶことは減るが、それでも、トラブル時の対応などは世界レベルの職人が即座に教えてくれるわけで、これほどありがたいものは無い。

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普段タケフナイフビレッジの職人たちが使う工房を、年に2回、鍛造ナイフ教室として有料で開放している。世界一流の先生が指導をしてくれるので、上達も早い

その指導方法は実に素晴らしく、驚くことに初級コースですら、ただの鉄の板から見事な副鉈(そえなた、小型の和式ナイフ)を作り上げることが出来る。つまり、主要なナイフ製作過程については、何一つ隠しごとをしていないのである。

このことは、映像の世界に置いて、海外有名映像作家の大半が自らの手法を公開してノウハウを隠さないことにも繋がると私は感じている。どうせ調べればわかることなのだから、だったら自分のやり方を公開して仲間としてしまい、集団で古いやり方に立ち向かった方が話が早いという考え方だ。刃物の世界ではラブレスに端を発する考え方なのだろうが、この考え方があったからこそ、タケフナイフビレッジは多くの人を惹き付け、ここまで発展したのだと言うことを痛感する。

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弊社の研修にもタケフナイフビレッジの鍛造教室は活用されている。写真は今回初参加の弊社板井義隆の作品。とても初めてとは思えない出来で、もちろん充分にキャンプや日常生活で使えるものに仕上がった

事実、タケフナイフビレッジの作家たちの作品には、我々鍛造教室参加生徒の出したアイディアや本業の技術も遠慮や偏見無く投入され、それが結果的にさらに他の地域を大きく引き離す特色を出している。例えば最近、蒔絵を付けたナイフが出ているが、実はこれも生徒とのコラボ、包丁の柄の飾り方などでも生徒が教室で発案したやりかたがそのまま親方に採用され製品として並んでいることもある。ラブレス氏もそうだったが、タケフナイフビレッジも技術を隠さないことで、教室の生徒すら巻き込んでWin-Winの関係となっているのだ。

余談だが、敗戦以来、我が国では大型刃物の多くを国民の手から取り上げてしまったため、ナイフというとすぐに他人を殺傷する武器という発想になる人も多いようだが、実際にはナイフで人を殺すことは容易ではない。私はサボってばかりとは言え刀匠の弟子ではあるし、本身(真剣)で居合をやるからよくわかるのだが、ナイフ程度の威力では人を一撃で抵抗不能にすることは困難だ。人間は極めて頑丈な大型ほ乳類であり、それを相手に一撃で抵抗力を奪う程度に(これをストッピングパワーという)斬り込もうと思ったら、30センチ程度の刃渡りと200グラム程度以上の重量は最低限必須で、15センチの制限と最大限に重くても100グラム程度のナイフでは明らかに威力が足りない。竹を芯にした畳表が鍛え上げた人体に近いと言われて居るが、それにナイフで斬りかかっても、表面をすべるだけで終わってしまい、竹にすら到達しない。重たい鉈ですら、3度4度斬り込んで初めて竹まで切れる。もちろん、刃物は刃物なので、切られた場所によってはナイフの傷が元で後々死に至ることはあるかも知れないし、一か八かで刺されば大変なことになるが、刃物はそこで相手に刺さったままになって手元からは失われる。少なくとも命のやりとりをする場面で相手の抵抗力を即時に奪うにはナイフはあまりに不向きなのだ。

私は10年も前から常々言っている(そして何度か周囲に物語のネタにもされた)のだが、ある程度武道を修めた人間ならば、刺したら折れる不安のあるナイフなどよりも金属製のボールペンの方が警戒もされず、使いようによっては明らかに殺傷力や相手の抵抗力を奪う力は高い。もちろん、ボールペンなどよりも丈夫な傘や金属バットの方がさらにストッピングパワーは高い。ナイフなどその程度のものに過ぎない。危険視されることの多い軍用のごついサバイバルナイフですら、銃剣と言って、ライフル銃の先に付けて槍として初めて武器としての威力を持つものだ。つまり、ナイフの用途は武道の側から見ても明らかに対人兵器では無く、あくまでも調理や魚釣り、狩猟、あるいはキャンプなどだということになる(賭けても良いが、狩猟であっても、あくまでも銃や罠、犬や鷹などで獲物の抵抗を奪った状態でないと、ナイフでおりゃーと斬りかかっても鶏だって即時行動停止には出来ないだろう)。

特にタケフのナイフは二枚打ちなどで薄いのが特徴であり、その刃は同様の他地域の日本式刃物と比べて、とても軽い。まさに日常生活に特化した素晴らしい伝統工芸品であり「武器であってはならない」というタケフナイフビレッジのポリシーを、その生産された刃物自身が示していると言える。赤く熱した鉄の塊を力任せに打ち据えるところから始まり、素晴らしい教えに導かれ、やがて、繊細な刃物を生み出す。この年に2回の鍛造教室に行くたびに、日本の刃物文化の素晴らしさに心を打たれるのだ。

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手塚の今回の作品。フルタングの包丁を上級コース参加で作った。カスタムナイフの手法で作った包丁という、和洋折衷の作品だ

あとがき

さて、我らが映像の世界を振り返ってみるに、まだ、クールジャパン予算は執行されてない。本来、あの500億円の予算とは、本来、タケフナイフビレッジのような効果的な投資を行う目的で、国民の血と汗と涙から集められたものでは無かったのか?

そうした本来と現状は、あまりにかけ離れてはいないだろうか?500億円の無駄遣いを止めるなら今しかないのだが、果たしてこれを止められるのだろうか?出来上がった包丁で夜食を仕上げながら、ついつい、そんな事を考えてしまう。

WRITER PROFILE

手塚一佳

手塚一佳

デジタル映像集団アイラ・ラボラトリ代表取締役社長。CGや映像合成と、何故か鍛造刃物、釣具、漆工芸が専門。芸術博士課程。