映画は観客に観てもらえて初めて映画である。もっと言ってしまえば、友人や家族、学校の関係者といったいわゆる「義理客」ではなく、あくまで一般の人、純粋に作品の魅力に惹かれて「お金と時間を割いてでも観てみたい」と思わせなければ映画は完成しない。そういう意味ではいくら立派な映画祭であってもその看板に集まったお客さんがたまたま観たというレベルではまだ途中で、無料で好きな時にいくらでも観られるYouTubeやVimeoでいくら再生回数を稼いだからと言っても、充分とは言えないのだ。
テクノロジーのお陰でプロ達と同じような機材で映像作品を誰でも作れるようになったこの時代、本当の「映画」としてせめて立候補する為には何が足りないのか。私も含めて「いい作品を作りさえすれば後はなんとかなるだろう」なんて考えているクリエーターには、何かとんでもない甘えがあるのではないだろうか。それを知る為に今回は渋谷に小さいながら上映館を構え、また、映画の配給、時には製作までも行い、映画ファン達を常に惹き付ける魅力ある存在となった有限会社アップリンク代表 浅井 隆氏(以下、浅井氏)にお忙しい中、お話しを伺う事ができたので、その内容をたっぷりお届けしよう。
お客さんを呼べる作品、少なくともその努力をしている作品
浅井氏の許には上映や配給を希望する作品が寄せられてきている。まずはじめに、それらを受け取り、検討される立場から見た今の日本の映像文化に対する印象を伺った。
浅井氏:作られた作品に対して不満とか希望とかはないです。今はコンデジや民生機でも作品が作れる時代ですし、それによっていろんな方がたくさん作品を作る事はとても良い事だと思っています。選挙に例えると供託金さえ払えば誰でも立候補はできる。それと同じで作品を作る事は誰でもできる時代になった。しかし当選する事は大変難しいしそれを承知で立候補されている人たちもいる。
こちら側から見れば当選しなきゃ意味がないようにも思えますが、それでも立候補される方にとっては何か大きな意味のある事なんでしょう。だから小さな作品であったとしても、それが映画として認められる事がなかったとしても、そこには作られた方の意義やメッセージはあるんだと思います。
非常に解りやすい。と、同時に耳が痛い。少なくとも本当の意味でのプロデューサーや配給、上映戦略のないまま作られる作品はあくまで立候補する事だけを考えた泡沫作品だと言われても反論できない。だがそういう手立てを持たない作品の中にも良い作品はあるのではとも思うのだが。
浅井氏:(上映館を運営する立場として)コマーシャリズムという言葉は正確ではないですが、やはりお客さんを呼べる作品、少なくともその努力をしている作品を選びます。だからお客さんは呼べないけど良い作品だという事は論理的にはあり得ません。それも選挙と同じで、インターネット選挙が解禁になったからと言ってそこだけでやっていても、応援する人もいない、ポスターも全ての掲示板には貼られていない、それでは当選するわけはないでしょう。つまり映画にはならないんです。洋画の買い付けなんかをしていると、宣伝費や広告費が作品の買付額の3倍、5倍。時には10倍以上かける事もあります。
手元にあるお金は美術、衣装、つまりロケ費用に充ててしまうような感覚では作品はできても映画にはなり得ないという事だ。お客さんを集めて観て頂くまでが映画だとするなら、そこまでを見通せる感覚が必要なのは当たり前。だが映像クリエーターや役者達がその感覚を持ち、戦略を練り実行するという事は必要だと解っていてもなかなかできる事ではない。インディームービー、自主プロデュース等と言ってはいても、そこが欠落していてはプロデュースという言葉は使ってはいけないのかもしれない。
浅井氏:僕らは上映だけではなく、配給、宣伝という業務もしていますから、そこが一番大事だと思っています。そのビジョンがなくても作品は作れるのでしょうが、それは選挙の泡沫候補達が選挙期間中は街頭で演説をする事も許されている、だけど大した政策もないから人も集まらない。それと同じような感覚をインディームービーを作ってる人から感じる事があります。人の共鳴を呼ぶ方法やエネルギーを感じないのに、後は映画館でなんとかして下さいと言われても、映画館はそういう事をする所ではないからそれは無理です。役割分担をしっかり理解しなくてはいけないと思います。うちが時々製作までやるのは、我々が配給、宣伝という所まで責任が持てるからなんです。それなしにとりあえず作品だけ作るなんて事は考えられません。
正直、私自身、映画館にお客さんを集めて自分の作品を多くの人に観てもらおうという意識はとても希薄だったと思う。昨年末に「彩」という作品がモナコ国際映画祭で賞を頂いたのをきっかけに「それなら」という思いでやっと配給会社の人と話を始めた程度で、そんな後付けのビジョンでは全くうまくいかない物だという事を思い知っている所だ。
浅井氏:配給会社はたくさんあるし、昔と違ってYouTube等、アピールできる場はいくらでもあります。それでもそういう仲間が集まって来ないというのは作品に魅力がないと言わざるを得ません。「やりたい、手伝いたい」という人が出てくるという事がその作品に魅力があるという事です。そこまでは自分で動かなくては仕方ないです。
確かにインディームービーであってもしっかり配給、宣伝戦略があり、全国で上映されている作品はある。読者の中にも「それくらい当たり前の事だ」とあきれている方もいらっしゃると思う。だが今のように恵まれたテクノロジー環境の中では映画学校の生徒でなくても、直感的に映像作品が作れるし、プチシネ的にはそういう動きがもっともっと膨らんでいってほしいと願っているが、そういったクリエイターが始めからこういったビジョンを持っているとは言えない。ただの「映像作品」が「映画」になる為には学ばなくてはいけない事、知らなくてはいけない事が多々あるという事は事実だ。それさえ乗り越えればそんな中から名作や新しい才能が出てくるようにも思うのだが。
浅井氏:YouTubeやVimeo等、これだけアピールする環境がある中で、「埋もれた名作や才能」というのはないです。それは単純に努力と知識が足りないとしか言いようがありません。
手厳しい。が、これが観客に一番近い人の見方だ。これを踏まえて、それでも映画館の上映を目指すか、まったく別の新しいやり方でお客さんに届ける方法を考えるかはそれぞれ考え方が分かれる所だと思うが、自分でやるか仲間を集めるかは別として、いずれにしてもビジョンをはっきり持っていなければ映像作品はただの作品でしかなく、「映画」というエンターテイメントにはなり得ないという事だ。
最後に上映側としては4Kという物をどう捉えているのかも聞いてみた。
浅井氏:映画館で映画を観るという事は何も高画質を求めての事だとは考えていません。もちろん良いに越した事はないのでしょうが、それよりも他人と同じ映画を一緒に観て、話をする事はなくても、時に一緒に笑い、泣き、驚き、または周りは笑ってるけど自分はそうではないと感じたり、そういう一つの社会の中で映画を観るという事が楽しい事なんだと考えています。
解像度としてのクオリティよりもその楽しみの対象になる作品である事が大事なんです。これが8K、16Kとなってくればどうだか分かりませんが、少なくとも4Kの作品をシネコンなんかで観ても2Kとの違いは僕にははっきりとは分かりません。そこに時間とコストをかけるよりは映画としてもっと大事な事があるでしょう。お客さんは技術者のようにスクリーンの隅々までちゃんと映ってるかなんて見方はしないでしょうからあまり重要な事だとは思っていません。集客にはまったく関係ないと思います。
なるほど!これはこのコラムで言い続けている制作者の意地として最高画質を求める意識とはまったく違う。だからといって考えを変えるつもりはないが、少なくとも「どうだ、この作品は4Kなんだぞ!」なんて言葉を売り文句に使う事は非常に愚かな事だろう。そしてその為に時間やコストを浪費してしまうようなら、それは大きな間違いなのかもしれない。
アップリンク
映画制作・配給、映画買い付け、版権管理、映像ソフト製作・販売、ギャラリー・飲食店運営等の業務を行い、特に30~80席の3つのスクリーンでは洋画、邦画を問わず個性的なプログラムが組まれ、映画ファンの注目を集めている。また、併設されたカフェやギャラリースペースも含め全ての施設の貸し出しも行われており、自主上映会等のイベントにも最適だ。
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