空前絶後の大不況に襲われている欧州だが、それでも、EUという共同体を維持しつつ、映像文化を 守り続けている。過去の歴史を乗り越えて作り上げたEUの結束は固く、諸外国の心配を余所に、その歩みは よろめきながらも着実に前へと進んでいるようだ。欧州は、元々言葉すら大きく異なる無数の文化が入り 交じった地で、当然、映像などエンタメ文化にも地域の特徴が強く見られる。 前回に引き続き、今回も電車での移動による欧州紀行をお送りしたい。欧州は「激動」という他ない状況だ。
パリは不況で泥棒天国
アムステルダムからの移動にはタリスを使う
IBCを終え、筆者一行はフランス、パリを目指した。アムステルダムからパリへは、前回同様タリスに乗って移動するのが楽だ。一等車ならばかなりしっかりとした食事も出る。何よりも、ビールが飲み放題なのが幸せだ。前回も述べたが、このあたりはビールとサイダー(リンゴ酒)の名産地なのだ。
タリス内の食事は、かなりゴージャスだ。EU内とは言え、元々国際列車であるからこその楽しみだまず、フランスでは仕事もそこそこに、伝統あるグランド・キャバレー、ムーラン・ルージュへと向かった。キャバレーとは言っても日本でイメージする下品な世界とはまるで正反対だ。正装をした紳士淑女がシャンパン・ワイン付きのフルコースのディナーを頂き、そのデザートの後で、トップレスダンスを鑑賞するのが、本来のグランド・キャバレーなのだ。筆者は残念ながら仕事の延長で行ったため客先との男組で参加したのだが、本来は男女のカップルで観劇するのが正しい姿だ。
米国ラスベガスにもかつて支店があったライバルキャバレーのクレイジー・ホースと異なり、元祖グランド・キャバレーのムーラン・ルージュにはハイテク要素や映像は一切無く、あくまでも、フル・フレンチの食事とシャンパン、そして美しく鍛え上げられた男女によるダンスショーを楽しむ為の場だ。クレイジー・ホースのデジタル映像を多用した美しさを知っているだけに、こうしたムーラン・ルージュの姿勢は映像屋としては正直複雑な思いがないでもないが、こういう、変わらない伝統もまた、とても重要な欧州文化なのだと感じる。
ムーラン・ルージュは、ショーの内容こそ変われども、フル・フレンチの食事、シャンパン、そしてダンスショーというエンタメの伝統を守り通している
とはいえ、欧州は、単に古いものだけを守り続けているわけでは無い。文化施設もテクノロジーとの融和が進行しており、例えば、世界で最も有名な美術館の一つであるルーブル美術館も、映像展示などを充実させるだけでなく、例えば、その売店にApple Storeを出展させるなどしている。ルーブル城の古代遺跡の延長線上に見慣れたリンゴのマークを見るのは、何とも不思議な感じだ。
ルーブル美術館にはApple Storeまである。ハイテクを奇妙に嫌悪する日本の歪んだ美術観はそこには無い
ただ、街中の映像展示などは、元々景観を強く意識して広告制限が大きく、不況の影響もあって少なめだ。このあたりは、日本やアジア諸国、アメリカなどの派手な広告を見慣れた目には、何とも不思議に写る。筆者は、そのあたりの写真を撮ろうとして地下鉄駅に入ったのだが…実はその写真は今回存在しない。地下鉄自販機を使ったスリに遭いかけた為に、急遽撮影を中止したのだ。クレジットカードが数秒とはいえスリの手に渡るというまさにギリギリな状況で被害を回避したため、本当にギリギリであったのだ。
実は、海外でここまで具体的な犯罪被害に遭いかけたのはずいぶんと久しぶりだ。筆者はかつて二度ほどホールドアップされた経験があり、周囲にはかなり気を配るようになったのだが、それでも今の欧州の治安の悪さを相手にしては不足であったようだ。
その事件以降は移動をタクシーへと切り替え、安全第一で動いたために、残念ながら今回のパリでの写真の枚数はぐっと減ってしまった。欧州の不況は耳には聞いていたが、まさかここまでとは思っていなかったのだ。経済の悪化が治安に直結するあたりも、まさに欧州本土。不本意にも、不況を実感する旅程となってしまった。
安全な監視社会、英国
ピカデリーサーカスの電光掲示板は、日本企業のものが少数派となり、その多くが中国韓国の企業のものとなっていた
不況で大変残念な治安となっていた欧州本土に比べ、パリからユーロスターでたった2時間半ほど移動した英国ロンドンは、非常に安全だ。夜中に出歩いても何も問題は無いし、どんな繁華街でもスリも日本のお祭りの時程度の人数しかいない。それもそのはず、英国は街の至る所が監視カメラで録画されていて、何か犯罪があれば即座に犯人が割り出される仕組みなのだ。
とはいえ、ロンドンも決して好景気では無い。欧州不況の影響をもれなく受けているだけでは無く、ロンドン五輪の反動で消費も建設も経済活動の何もかもが大きく落ち込み、大変な状況となっていたのだ。
その中でも勢いがあったのは、新興諸国の企業資本、中でも、中国韓国の電器メーカー各社であった。私がいつも楽しみにしていたピカデリーサーカスの日本企業を中心とした電光掲示板も、TDKなど一部の頑張っている企業の看板を除き、その多くが中国韓国の企業のものとなってしまっていて、愕然とさせられてしまった。それどころか、ピカデリーサーカス近くでは、三越ロンドン店まで閉店してしまっていた。この一角は、三越の隣のジャパンセンターと合わせて日本文化紹介拠点となっていて、英国のみならず、欧州諸国にも知られた存在だったのだ。それが、こんな状況になってしまって、本当に残念でならない。
ピカデリーサーカス近くの三越ロンドン店は閉店。隣のジャパンセンターは健在であったものの、何とも寂しい
とはいえ、そうした我々外来文化はさておき、元々の英国文化は当然に健在だ。中でも、日本がクールジャパンなどとしきりにマネをしている元祖「クール・ブリタニア」はまだまだ元気で、そのアンテナショップはデザイン性を生かしたキャッチな展示方法までも取り入れて、さらに大盛況であった。
とかく、欧州本土に比べ、地味でちっぽけなところの多い英国文化ではあるが、こういう風にお洒落に演出されると、なかなか悪くないのでは無いかと思えてしまう。やはり、こうした演出はとても大切だ。
クール・ブリタニアのアンテナショップは、不況に沈みがちなピカデリーサーカス近辺において、ひときわ目だっていた
クール・ブリタニアのショップ店内は、以前のいかにもお役所的な売店的展示販売から、ロックとファッション性を前面に押し出したお洒落なものに進化していた
英国文化と言えば、007で有名なMI6など、古くからのスパイ文化の印象も強い。そのため、ピカデリーサーカス近くのデパートにはスパイグッズ専門店なども出来ており、観光客だけでなく、実用品として、ロンドンの人々を集めていた。
監視カメラ網による監視社会での平安を受け入れているロンドンではあるが、その素養はこういうところにも見受けられるのが面白い。こういう店は、絶対に欧州本土では流行らない店だろう。
ロンドンのスパイグッズ専門店は、秋葉原あたりに見られるジョークグッズショップでは無く、本物の防犯装置・スパイグッズ・スパイ対策グッズを扱っていた。これもまた伝統
すっかりハイテクなロンドン塔
ロンドン塔は、様々な王族や反乱者の犠牲を出してきた、陰鬱な歴史で知られる
伝統とハイテク、特に映像面との融合と言えば、欧州本土に負けず、英国でもめざましいものがある。例えば、過去、陰鬱な歴史で様々な死者を量産してきた、かの「ロンドン塔」であるが、そうした悲劇の場ですらも、CGやデジタルアニメを多用したハイテク映像で演出され、見事な観光地と化していた。
実は、ロンドン塔は正式名称を「女王陛下の宮殿にして要塞」(Her Majesty’s Royal Palace and Fortress)といい、未だに王家の設備として機能している。ロンドン塔のこの写真側には女王陛下の配下が今でも居住し、設備を維持している
歴史のある各塔には、かつてからそれぞれ、観光客向けに再現設備があったが、最近はそれに加えてCGやアニメを多用した映像展示が加えられて、往年のロンドン塔の様子を映し出すようになっていた。
正直言ってこのロンドン塔は、欧州本土の、例えば同じ離宮であるルーブル宮殿などに比べても、あまりに地味でちっぽけな設備だ。しかし、それだからこそ、こうした映像展示によって、塔の設備の地味さですらも、それ自体が英国文化であることを理解できるようになっている。正直言って、こうした映像がなければあまりの地味さに、塔の歴史の意味に気づかずに素通りしかねない施設だけに、こうした映像の果たす役割は非常に大きいと言える。特にアニメ表現による映像は、言葉を使わない工夫がなされ、各国から来た観光客に、言葉の壁を越えた理解をもたらしていた。
また、エリザベス2世女王陛下の戴冠60周年記念にあわせて展示されていた王笏と王冠の展示は、その歴史を美しい映像で見せることで、観光客をうならせていた。中でも、エリザベス2世女王陛下ご自身の戴冠の映像は、若き女王の美しさと相俟って、強烈な印象を誇っていた。
以前はロンドン塔を褒める観光客は少なかったと思うのだが、最近はそうでも無く、観光名所としても大いに人を集めているのは、まさに、こうした映像の力と言えるだろう。日本の歴史施設でも、堅苦しい真面目な展示をするだけで無く、こうしたエンタメなどの映像の力を意識した演出を行えば、だいぶ観光客の理解も進むのになぁ、と思わざるを得ない。
もっとも、そうした特別展以外の一般展示映像の大半が血みどろの殺戮や拷問であるのは、まあ、流石はロンドン塔ならでは、ということであろう。
かのロンドン塔も進化する。いまでは、その展示の大半が映像付きで、しかも見事なCG再現や、アニメ表現までされている。ただしロンドン塔のその歴史に相応しく血みどろの映像が多い
ロンドン塔といえば、ここでは珍しく「昔ながらのロンドンの食事」をとることも出来た。昔ながら、というのは、伝統的な、という意味では無い。そうした伝統的で美味しい食事は、毎晩のように街のパブで食べることが出来る。そうではなく「大雑把でろくに味が付いておらず、客自身が食卓で味を付けながら食べる」という意味での昔ながらのロンドンの食事だ。
英国、特にロンドンの食事がまずいのは世界的に著名ではあるが、実はこれは現在当てはまらない。かつてロンドンの食事がまずかったのは、植民地支配の都合で瓶詰めなどの保存食を多用した料理が多いことと、大皿盛りつけのため味付けを食卓で最終的に各自の皿の上で行う伝統があること、そして何よりも、英国が「ゆりかごから墓場まで」と称された手厚い社会保障の結果として凄まじい重税であった時期が長く、そのため長らく国民の可処分所得が少なめであったことが何よりも大きいとされている。
日本ひいきの英国王室だけあって、ロンドン塔にはちゃんと、日本からの贈り物も展示されていた。写真は、徳川幕府からの贈り物ところが、ここしばらくは社会保障よりも競争社会を優先する政策が続いて食事にコストをかけるようになってきただけでなく、国際化が進み、その結果、他国並みに食事の時にあらかじめの味付けがしっかりとしたものが好まれるようになってきた。特に、ロンドン五輪を機会として一気に…というか、給仕方法の改善が行われたように思える。元々ちゃんと各自の皿で塩胡椒さえすれば決してまずくは無いのが英国料理であるだけに、あらかじめ最終的な味付けをしてから給仕するようになった結果、劇的な料理の味の向上をもたらすことになったのだ。
しかし、この伝統あるロンドン塔のカフェテリアはそうでは無い。各コーナーに設けられた大皿から各自の皿に給仕をし、それを座席ブース入り口で会計するスタイルである為、昔ながらの各自の皿での味付けの伝統がちゃんと守られているのだ。もちろん、このロンドン塔は英国王室の設備であるから、材料や調理方法の確かさは間違いないのだが、味付けは各自の皿でするのが前提だ。うっかり昔の英国料理の流儀を忘れてそのまま一口食べてしまい、あまりの味の無さに慌てて塩胡椒とソースを取りに料理ブースに駆け戻ったのは、何とも懐かしい感じがした。
ロンドン塔では、設備の説明を映像などで単にハイテク化するだけではなく、こうした伝統もちゃんと残してあるのが、何とも英国的だ。最後に、もちろん自分の皿で、ちゃんと自分で塩胡椒した料理は最高に美味しかったことをお伝えしておく。やはり、かつての英国料理も、問題があったのは給仕方法だけで、料理自体は素晴らしいものなのだ。…かの悪名高き、グリーンピースの煮込みを除いて。
ロンドン塔のカフェテリアでは、昔ながらの大皿盛りつけ方式の英国料理を食べられる。各自の皿で味付けをする事が前提なので、それを忘れると食べられたものでは無いが、ちゃんと自分で塩胡椒すると大変に美味しい。給仕の段階で味付けが完成している今の英国レストランではなかなか食べられない、懐かしい味だ。水分が多すぎるグリーンピースの煮込みは、どこをどう味付けしても食べられたものでは無かったが