私のFacebook等を見てくれている方にはお知らせしている事だが、去年から撮影監督・カメラマンとして携わらせてもらっている「さかなかみ」という映画の完成が迫っている。この長編映画はプロデューサーの浜野安宏氏が監督・主演を務め、1,000万円以上の自己資金で作り上げようとしている自主制作映画で、プチシネであってプチシネでない“大”自主制作映画だ。
これだけの自己資金を一本の映画に注ぎ込むという事はなかなか真似のできる事ではないが、延べ一ヶ月以上の北海道ロケを伴う長編映画の予算としては余裕があるという物でもない。そこには各所にプチシネ精神があり、だけどプチシネの限界を超えてしまう大胆な発想と戦略もある。撮影完了後、編集から音楽まで任せていただく事になり、今もその作業は日々続いている所だが、幸運にもこのプロジェクトの全体を見る事ができる立場に居させてもらえているので、できるだけ細かく数回に渡ってレポートしてみようと思う。ここまでこのコラムで突き当たっていたプチシネの壁を、制作面、公開面でも打ち破るヒントがあると確信している。
改めてこの映画を自主制作した浜野安宏氏を紹介したいのだが、ファッション、カルチャーから都市計画に至るまで、あらゆる物をプロデュースしており、その世界では知らない人がいないほどのカリスマだ。東急ハンズや渋谷のスクランブル交差点に面したランドマーク、QFRONTも彼のプロデュースだ。
そしてもう一つの顔が世界中を巡る釣り人、フライフィッシングの名人でもある。だがもう一つの顔と言っても別の顔ではない。彼の美学、思想の中でそれらは一体化しており、そんな中から生まれたのが「さかなかみ」である。彼は最初小説として出版、それの映画化という訳ではないが、その中で描かれている北海道の川と海のあるべき姿を、イトウという人間の傲慢により消されそうになった魚を追い求めることから探り、訴えるというテーマをより強く浮き彫りにした作品だ。実はこの「さかなかみ」の映画化は二度目のチャレンジだ。
浜野氏ほどのビッグマンだから一度目のプロジェクトはかなり派手な物だったようだ。大手広告代理店、テレビ局、そして誰もが知っている国民的俳優が主役として名乗りをあげていたらしい。恐らく制作費も億を軽く超えていたに違いない。残念ながら脚本が浜野氏の納得いく物ではなく、また時代のタイミングも悪く、このプロジェクトは実現には至らなかったが、浜野氏は諦めてはいなかった。私財を投じてでも伝えたい事があったからだ。いや、その思いは年を追うごとに高まっていったようだ。そして時代のタイミングが今度は味方した。映像機器の低価格化と表現力の向上。そしてFacebookでのコミュニケーションが彼の思いを強く後押ししたのは間違いない。
私と浜野氏との出会いだが、“その世界”では知らない人はいないほどのカリスマを私は全く知らなかった。ある日、Facebook上で私の“その世界”の友人がシェアした浜野氏のコメントの中で、とある超有名建築家に対して痛烈に批判しているのを見て、私も直前のロケで同じ建築家の建物の撮影許可問題に関して大変苦労した事などを、これまた痛烈な批判をこめてコメントしたのがきっかけで、私に興味を持って頂けたらしい。
ちょうど「さかなかみ」の制作にとりかかっていた彼は私が小さなチームで映画を作り上げている事、モナコで賞を取っている事等を知り「一度会いたい」とのコメントをくれた。その時になって“その世界”の友人に「浜野さんって人からこんなコメントをもらったんだけど、どんな人?」「ひぇ〜!すぐに会うべきだよ!僕も連れてってくれ〜」なんて言われたものだから早速会いにいった。そこで映画の事、機材の事、そして小さなチームで作る事の利点、もちろんこのコラムの事等を話し合った。その考え方や作品を気に入ってくれたのか、「さかなかみ」制作に協力を要請して頂いた。
浜野氏がこの映画にかける思い、テーマの重要性が半端なものではないと感じとった。だがその時点で監督は彼自身である事、撮影部隊は彼の長年のパートナーと言えるスチルカメラマンが撮影監督として参加していた事、また、私自身が釣りや北海道の事を全く知らなかった事、そして時間が差し迫っていた事などを理由に参加を固辞し、もしアドバイスできる事があるならいつでも呼んでくださいと言い残して帰った。
約一月後、再度呼び出された。その間二度に渡って北海道ロケを行った彼は頭を抱えていた。どうもチームがうまくいっていない。それまでの映像も見せて頂いたが確かにスチルカメラマンが陥りやすいミスを連発しており、クオリティは酷いものだった。それにも増してチームとのコミュニケーションもとれていないのか、とにかく浜野氏は怒りを隠そうとしなかった。そこで私は技術的な事、それを撮影部隊に伝える方法、また、弱い制作部の強化等を徹底的にアドバイスしたが、このチームに入ってなんとかしてくれという要請には無理だと答えた。すると次の日、彼は今までの撮影隊を全て解雇してしまったのだ。…え?…てことは?「そう、あなたがあなたのチームでやるんです」ロケは一ヶ月後、ひぇ〜!
浜野氏の私財を投じての自主制作とはいえ、報酬条件は満足のいくものだった。ただ私は更に条件を出した。一つがカメラは自分の物を使うという事。実は前の撮影隊の要請を受けて、浜野氏自身が5D Mark IIIを二台、その他三脚等を買いそろえていた。それを使ってほしいという彼の要求を私は断り、私のSONY NEX-FS100と700を使う事を譲らなかった。未知の北海道の原野でのロケを、しかも少人数で行うという条件をデジタル一眼で乗り切るイメージができなかったし、何より画作りが満足にできないと思ったからだ。ただ、彼が昔から所有していたカールツァイスのレンズセットを使うことには同意した。
もう一つの条件は撮影前にまず北海道へ行かせてほしい、そして出来るだけ多くの釣り人と行動をできるようにコーディネートしてほしいというもの。結果的にこのロケハンで多くを学び、少しは自信も芽生えてきたように思えた。まぁ、その自信という物はこの後、あえなく崩れてしまう事になるのだが(笑)。その辺りの事は次回以降、もちろん機材、撮影テクニック面も含めて細かくお知らせしていこうと思うのでお楽しみにして頂きたい。
完成を控えた現在、協賛企業や上映が次々決まっていくという浜野氏の見事な手腕も含めて新しい映画文化を目指すプチシネ精神に満ちたもので、学ぶべき事が多い。今も“その世界”には大きな影響力をもつ浜野氏だが、そういう人が強いポリシーを持ち、小さなチームで、まず、形にするという姿勢には敬服する。できるだけ多くを学び、プチシネの世界に役立てていこうではありませんか。