北海道原野での本当の闘い

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確かに寒かった。熊に出くわさないかと怖くもあった。でもそんな事より私は自然の持つもっと大きな力と闘わなければならなかった。北海道の原野で感じた自然のパワーは粗野で乱雑で、今まで大自然だと思っていた山や川がまるで人間の為に設えられた道端の自然のように思えたほどだ。そんな人間に向かって美しい姿を披露してくれるような自然を基本に考えると、原野の自然はまったく無愛想で美しさのかけらも感じる事ができない。つまりどこを撮っていいのかわからなくなってしまっていた。

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正直、初日は全くダメだった。それでも道のない所を川に浸かりながらジャブジャブ歩いて行ったり、釣り人が残したであろう薮のほんの少しの割れ目を道だと理解し、ザクザク分け入って行ったりするうちに、何か違う基本を感じ始めていた。多分本当の自然とやらに飲み込まれていったのだと思う。凄まじいパワーだった。無愛想というよりは操られているような感覚。自分の主体を失うようなふわふわした感覚のまま、それでも撮影を続けた。まるで「よし、そこでこう撮れ」と言われているような感じでそのまま三脚を立て、カメラを回し続けた。

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そして夜、宿舎へ戻ってその映像を確認してみて愕然とした。面白くもなんともない。一言で言うと在るがまま、撮らされている映像だ。おそらくその場に誰がいても同じになるような記念映像、絵葉書のような映像で、少なくとも映画ではあり得ない。「主体を失った」、正にそういう映像だった。

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例えば東京で映画を撮っていると、全てを自分が作っているような気になる。がらんどうのスタジオでなくとも、全ての風景が力なくそこに横たわっているだけなので、自分から勝手にいろんなものを吐き出し、配置し、風景もそれを受け入れてくれる。それはそれでパワーの要ることなのだが、原野の中でそのパワーに飲み込まれた時、あっさりと負けてしまっていたのだと思う。自然紀行のような物を撮るのであればそれをそのまま受け取ってくるのも一つの手かもしれないが、これは映画だ。テーマもストーリーもある。その「主体」を失っては何の意味もないのだ。闘う?ねじ込む?未だによく分からないが、ある種の覚悟を決めた。

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原野でのロケは述べ一ヶ月以上のものだったが、少し体調が悪い時等はすぐにまた飲み込まれてしまう。編集をしながら映像を一つ一つ見ているとそれが如実に分かってしまう。奇麗だが意味のない、そんなカットが多い。だがロケが進むに従って徐々に増えて来る「この映画」の為の映像、つまり対等に渡り合っている映像には言うに言われぬ充実感を感じた。正直なところ、危険な事は何度もあった。台風で荒れた海の波にカメラを抱えたまま持って行かれそうになった事、零下の川の中でウェダー(完全防水のオーバーオール)に開いた小さな穴から水がしみ込んできた事、真新しい親子熊の足跡を見つけたこと(流石にこの時ばかりは白旗上げてさっさと退散したが)、これは洗礼なんて生易しいものではない。第一、自然は私のことなんか見てもいない。ただパワーを浴びせかける。

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そんな中で、人間文化の主体性を持ち続ける事はとてつもなくエキサイティングな挑戦だった。何もこれを境に自然派カメラマンに転向するつもりはないのだが、ここで得た特別な感覚は今後も大きな糧になるに違いない。東京の風景にでも、それがスタジオのセットであったとしてもパワーはある。なきゃ困る。役者にしてもそうだ。それは原野の持つ圧倒的なパワーとは異質なものだとしても、大切なのは対等である事なのだと思う。受け取るだけは論外。かといって操っているだけでもダメな気がする。こちらのパワーを加減してバランスをとる前に、役者の演技にも美術にもパワーを求め、高い次元で対等でありたいと思う。特に監督であったなら、そうなれるような環境を作る事が第一の仕事なんだと肝に銘じた。これから私と一緒に作品を作る人は大変だぞ!

小さく作って大きく膨らます手腕とは

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さて、この映画「さかなかみ」の編集も大詰めをむかえていて、ここまで浜野氏のポケットマネー、たった4人の撮影隊、私のスタジオでの編集等、プチシネ精神全開で小ぢんまりやってきたが、ここに来て浜野氏の大物ぶりを目の当たりにする事になる。加藤登紀子さんがエンディングテーマを提供。ジャズ界の大御所、日野皓正氏がこの為にオリジナルレコーディングをしてくれる等、他にもその道の大物達がこぞって協力してくれて、急に華やかになってきた。

上映も6/14の札幌を皮切りに、京都、東京、福岡と行われる予定だが、これはまだ試写会レベル。映画祭への出展基準の問題から本格的な公開は来年になるともいわれている。その間にも協賛企業などの獲得に動かれるそうで、この幾つかの試写会もそんな企業が一括して買い上げてくれていたり、各地の仲間やファン等が企画の段階から盛り上げてくれたりするようだ。これは非常に羨ましいとしか言いようがない。断っておくが浜野氏は名前とお金に物を言わせて配給会社に丸投げなんて事は一切なさらない。むしろ私と同じく、日本の映画の配給システムに大いに疑問を感じていらっしゃる。いろんな障害はあるものの、あくまでご本人が足で動いて決めていっているという。もちろん、浜野氏のステイタスに依るところは多いと思うが、この映画が「釣り」「イトウ」「自然保護」等といった明確なテーマを強く持っている事がおおきなポイントだと思う。特に企業はそういうテーマには協賛しやすいという事だ。単に娯楽作品、文芸作品というのではここまでは無理だろう。

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小さく作って大きく膨らます。本当に大切な事だし、プチシネが向かっていかなくてはならない最大の課題だと思う。あともう一つ大切なのはタイミングだ。企画の段階で話をするべき人、撮影の途中あるいはその直後に会っておかなければいけない人、ラフの段階で見せられる素材を作り持って行くべき所、いずれにしても黙って作って完成と同時にばらまいてしまうようではせっかくのチャンスを無駄にする可能性が高い。私たちはそこをもっともっと学ばなければならない。私たち作り手はどうしても作る事に精力を注ぎ、その為の仲間の事にしか考えが及ばない所がある。

また、日本の映画館や配給は産業としてマイナーな物には手を貸さない。しかし映画はやっぱり観てもらって初めて映画だ。その為にはどんなコミュニティーが必要なのか?あるいは創造しなくてはならないのか?その人たちに向けて、いつ、どんな形でプロジェクトを表に出していかなくてはいけないのか?これからも試行錯誤ではあるが、このコラムでも研究していきたいと思う。

映画「さかなかみ」札幌ワールドプレミア上映会&トークショー

2014年6月14日(土)に「さかなかみ」のプレミアム上映会&トークショーが開催される。

場所:札幌プラザ 2.5(狸小路道HUG2F 座席数:376席)


■第一回(昼の部)
14:00~15:50:挨拶と上映(映画は104分)
16:00~17:00:トークショー 浜野安宏氏とゲスト、関係者、出演者等

■第二回(夜の部)
18:00~19:50:挨拶と上映(映画は104分)
20:00~21:00:トークショー 浜野安宏氏とゲスト、関係者、出演者等

WRITER PROFILE

ふるいちやすし

ふるいちやすし

映画作家(監督・脚本・撮影・音楽)。 日本映画監督教会国際委員。 一般社団法人フィルム・ジャパネスク主宰。 極小チームでの映画製作を提唱中。