チケットを販売するということ
前回お伝えした真っ赤っかな収支報告が思いの外反響を呼んでいて、嬉しいやら恥ずかしいやら。でも実は金額の問題はさほど大きな物ではない。確かに個人のポケットマネーとしては大金ではあるが、例えばどこかがスポンサーになってくれたり、チケットをまとめて買ってくれたりすれば、簡単に消化できてしまう金額だ。
実は私にもそういう道が無いわけではなかったが、その手の動きは一切しなかったのだ。私は何度も見てきた。チケットは何百枚も売れているのに会場はガラガラという映画や演劇、コンサート。そのからくりはこうだ。企業はタイミングさえ良ければ税金対策としてチケットをまとめて買ってくれる事がある。現金を寄付するのはなかなか難しいがチケットなら社員に配る福利厚生として、顧客に配るノベルティー等、いずれにしても経費算入ができるのだ。勿論、作品や作家、役者に対しての応援意識が全くなければそんなことはしないし、我々にとってもありがたい話だ。
問題はその後、そのチケットがどうなるかだ。出したお金の元を取ろうと誰かに売ってくれるなんて事はまず無い。それは経理上つじつまが合わない。ちょっと気持ちがあれば本当に社員に配って、「面白いと思うから良ければ観に行ってやってくれない?」なんて事も言ってくれるのかもしれないし、お店ならばポスターやフライヤーと一緒に差し上げるなんて事をしてくれればこれほどありがたい事はない。
しかしほとんどの場合はばらまくだけ、チケットは買った時点で税金対策も応援の意思も完了しているので、ひどい場合にはそのまま捨てられてしまう事さえある。また貰ったり配られたりしたチケットは、まぁよっぽどの事がない限り9割方来てはくれない。それが判っていても、前売りは席数以上には売れないので、結果、会場はガラガラって事になる。確かにそんな中にも興味を持って観に来てくれる方もいるかもしれないし、そういうきっかけを一つ一つ大切にしていく事も必要だが、とにかく今回はやめておいた。理由は作品の力を信じていたし、純粋にその力を見てみたくもあったからだ。結果はご存じの通りだが、少なくとも本当の数字は見られたし、そこから多くを学べると思う。
「お客様の種類によって異なる訴求」
では、何が問題かというと、何と言っても来場者の数だ。作品の力という意味では実際に来て下さって観てくれた方の反応は素晴らしかった。決して万人受けする作品ではないが、もしもっとたくさんの方に観てもらえていればそれなりに次に繋がる印象も残せた筈だ。そのチャンスを逃してしまった原因はまず私自身の知名度の無さ、そして宣伝力の無さに尽きると思う。
確かにこうしてコラムを書かせていただいたり、そこそこ露出はしているが、エンターテイメント、興行の求める知名度とは例えばFacebookやTwitterのフォロワーとその反応の数でも軽く一桁、いや、下手すると二桁違う。また、知名度と同等に考えてはいけないが、正直、私は友達が多いとは言えない。それも一つの原因ではあろうが、友達や身内に頼っているだけではエンターテイメントとして成り立っているとは言えず、興行ではなく発表会にしかならない。友人が義理や応援の意味だけで来てくれるのと、一般の人が大切な時間とお金を使って来て、それに見合うだけの価値を感じてもらうのとでは根本的に意味が違う。後者こそがエンターテイメントなのだと思う。
この作品がそうなり得る物だという自信はあった。元よりそれがなければ有料公開上映などしない。だがお客様にとってそれは来て、観るまで分からない、言わばギャンブルなのだ。そのギャンブルに踏み切ってもらえる程の期待を与えられなかった宣伝力の無さがなんと言っても一番の問題であり、その期待を高めるひとつの大きな要素としての知名度というものが、とにかく足りなかった。結果的に14回の上映で80人という来場者はそのほぼ全てが私の数少ない友人、知人と主演の笠原千尋のファンだけという事になってしまった。
「致命的だったポスターデザイン」
宣伝力がないといっても何もしなかった訳ではない。途中から見るに見かねて手伝ってくれたプロの広報マンもいた。まず、ポスター50枚、フライヤー4000部を用意した。これらは仲間が献身的に手伝ってくれたお陰で色んな所に置かせてもらうことができ、なんと他の映画館でも置いてくれた。やはり、基本的に映画館に映画館を見に来ている人の目に留まるという事にはダイレクトな効果があるだろうと期待したが、結果はこれらの物を見て期待を持って観に来てくれた人はゼロだった。
それにはこのポスターとフライヤーのデザインに大きな問題があるという厳しい指摘を戴いたので紹介すると、上からまず映画祭で受賞した賞が並び、続いてトークショーと私の名前、その次に出演者の写真と名前という順になっている。これは典型的なヨーロッパスタイルなのだが、日本の興行に限ってこの順番は全く逆だという。映画祭での賞に惹かれて映画を見に来る人はまずいないし、監督なんかも関係ない。一にも二にも出演者だという事だ。その出演者が有名人である事ももちろん重要だが、少なくとも映画の内容を想起させるインパクトのある写真をメインに、なんならその他の情報はギリギリ読める程度にあれば充分だということだ。
北野武さんは監督である前に桁外れの有名人だが、それでも興行的には出演者でしか人が集まらない。だからと言って人気だけのアイドルを主演にというのでは上質な映画を作る事はできないが、実際興行的にはそちらの方が人が集まるし、企画段階でプロデューサーが最も気にするポイントでもある。そこまで商業的になるつもりはないが、何れにしてもロケ中からすでにポスター等を意識して良いスチルを撮っておく必要性が高いと感じた。
また、地方局ではあるが、朝の情報番組内でトレーラーの映像まで流して紹介してもらったり、FMの番組に出してもらい、かなりの時間、告知と内容等を喋らせてもらったが、そこから呼べたお客様はゼロで、他にも広告マンの力によってメジャー新聞の夕刊にも写真付きで告知して戴いたし、その内一紙はチケットプレゼントも行った。それには予想を超える応募を戴き、中には必要事項以外に熱いメッセージを書いて下さった方もいた。嬉しくなって落選した方にも全員にご挨拶の手紙とフライヤーを送ったのだが、その効果も全くなく、招待券に当選された方でさえ、来て下さったのは半分だった。こういった物も中身が有名人であれば結果は違っていただろうし、逆にいえば知名度がないとやっても無駄だろう。
私よりも人付き合いがよく、もっと多くの友人、知人を集める事ができる方もいるだろうし、グループ上映などでその数をまとめる事で上映会を成功させているケースもある。学生さん達の強い繋がりと応援意識で人を集めているところもある。だがそれは友人、知人でしかなく、そこから広がったケースはあまりない。知名度を高め、広告力とセンスを磨くしか一般の人に伝わる事はない。だがプチシネ的には制作者だけでできる事は少ない。やはり上映館、オーディエンス、出演者やその事務所、広報とマスコミ等、全てが一斉に変わらないとこの現実から抜け出す事はできない。次回はその辺りも含めて総括と将来のビジョンを書こうと思っている。お楽しみに!
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