txt:ふるいちやすし 構成:編集部

映画の文化を創ろう、変えようという思い

前回お話を伺ったMotionGalleryの大高氏もそうだったが、映画の文化を創ろう、変えようと思い、行動をしていると、方法や立場は違ってもやはり同じような事を考え、行動している人達に出会う事ができる。出資者、プロデューサー、作家、監督、そして大高氏のような新しいメディア、今まで映画とは無関係だった業種の人に至るまで、少しずつ行動を起こしている人達がいる事を知ると勇気が湧く。

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その反面、その行動の小ささには自分の行動も含めて無力感を覚える事も少なくないし、何より、そういう人達に出会うより数十倍、旧態依然としたシステムにしがみつき、我々の活動をあざ笑うような人との出会いがあって、心が折れそうにもなる。今は個々の考え方とアクションでやっている事を、いつか一つのムーブメントにまとめられるようになれば幸せな事だが、慌ててはいけない。その一つ一つの視点、考え方、そしてアクションはその立場によっていろいろだし、そこから学ぶ事も多い。今はそれぞれ自分の考え方を信じて、独自の活動で根を張ってほしいと思うし、機会があればそういう人達の考え方もここでご紹介できればと思う。

その前に今回は、そういう活動をしている人達の中に共通している問題意識を、怒られる事も覚悟した上でストレートに書いてみようと思う。

映画製作の二極化

今、製作されている映画は大きく分けるとほぼ二種類。一つはみんなが知っているメジャー作品。大手配給会社やテレビ局、広告代理店等も関わって億のお金を使って作られている物。もう一つはアマチュアや学生などが自分たちのポケットマネー、0~数十万円までで作って映画祭や自主上映会で発表している物。「間はないんかい!」と突っ込まれて、まぁ、無い事はないのだが、極端に少ないし特に日本は少ないと感じている。

私はその「間」のレベルを勝手に「プチ・シネ」と名付けているが、ミドルレンジという呼び方も多い。一つの現象として、日本の映画祭には学生やアマチュアの作品が多く、それ自体が悪いという訳ではないが、自ずとクオリティが低い作品が目立つ。アマチュアであっても何十年も映画を作り続け、成長を重ねれば、いい作品も生まれてくるはずなんだが、そういう磨かれた作品が極端に少ないし、海外から出品されている作品との差を感じる事も少なくない。

当然、そういうレベルの映画祭をメジャー作品がプロモーションに利用する事はほとんどなく、マスコミもほとんど相手にしない。もちろんそこからメジャーな世界へとステップアップしていく人も多少はいるが、そうではない人達はもう映画を作る事を止めてしまっているのだろうか?中高年の映像作家がほとんどいない。

一方、億単位のお金をかけるメジャー作品は、そのお金の回収と利益を義務づけられてしまっているので、原作は小説や漫画としてすでに売れている物、出演者はテレビでおなじみの有名人、なんなら芝居はヘタでもいいのでとにかく有名な人。そしてお金さえ払えばとにかく褒めまくるマスコミ、テレビによる宣伝。そこに頼るしかない。当然、文化的、アーティスティック、実験的な作品が生まれる可能性は非常に低い。

ただ、大多数の人がそれを喜び、楽しんでいるという事実を否定できる物ではないし、映画祭レベルの作品がそれに代わってオーディエンスを満足させられるかといえば、必ずしもそうではない。やはり作り続けて磨き続ける土壌が必要で、その為にはクリエイター、演者たちが儲かる事はなくても、せめて生活を犠牲にせずとも作り続けられるお金や環境が必要なのだが、それが無い。

たとえば若い人達の新鮮な感性とアイデアがあったとしても、それを成熟させるチャンスがないと、我々は感じている。それでは文化と呼べる物はできないし、マスコミもオーディエンスも注目する筈ないのだ。中には成熟する間もなく、一足飛びにメジャーの世界にいってしまう人もいるが、そのとたん、型にはまったアイドルムービーを作らされる事も多く、まぁ、それが映画人としての成功の道と言われれば、仕方のないことなんだが、目を覆いたくなる。

映画への出資の意味

私たちの映画「千年の糸姫」も今、制作費を出して頂ける方を集める為に、様々なキャンペーンを行っているが、そこでいつも引っかかってしまうのが「お金を出して下さい」という意味に使う言葉だ。素直な意味で言えば「出資」で合っているんだろうが、どうもこの言葉には金融商品としての響きがあるように思えてならない。つまり、出資に対して現金での配当、返済という意味だ。もちろん何らかの形、例えばエンドロールにお名前を載せるとか試写会招待とかサイン入り台本のプレゼントとか、我々に出来る事は最大限やろうと思っているが、金銭的な利益を約束するものではない。

「パトロンになって下さい」と言えばそれまでだが、どうもこの「パトロン」という言葉も、日本ではよろしくないイメージがつきまとう。もちろん将来的に多くの観客を集める事ができるようになれば、金銭的分配も可能になるとは思うが、今現在の状況でそれを約束してしまうと結局メジャー作品と同じような、動員の為の十字架を背負う事になり、本末転倒だ。戴いたお金は制作費として使い切る。では「寄付」なのか?それも違う気がする。寄付という意味は「私たちのやる事に金銭的援助を!」ということなのだろう。

私の本心は、「我々が感性や技術や時間を注ぎ込むのと同じように、この作品の共同制作者としてお金を注いで下さい。」という事だ。そういう意味でとらえると、エンドロールにはしっかり載せるべきだ。出演や監督、スタッフと共にファンダーとしてちゃんと読める大きさとスピードで書かなくてはいけないと思う。

さて、基本的に現代芸能、芸術に対して、パトロン、タニマチ文化がない国で、これを説明するには一苦労する。ヨーロッパのお金持ちは、財産、地位、そして文化事業か慈善事業。この三つができていないとセレブにはなれない。だが、日本では地位と財産があれば確実にセレブになれる。この文化の違いは大きい。だが、キャンペーンをやりながら丁寧に説明していくと、すんなり納得していただけるケースも少なくない。それもお金持ちとは言えない人の中にも、この映画の制作者になりたいという素直な気持ちから幾ばくかのお金を注いでくださる人もいる。案外、意識は変えられるかもしれない。

芸能プロダクションと演者の意識

これは仕方のない事ではあろうが、完全にテレビに向いているところがほとんどだ。ポケットマネーでの自主制作とは違い、我々も演者に報酬を支払うべきだとは考えており、そうでなくてはいけない。でなければ映画に出れば出るほど彼らの生活を圧迫する事になる。それでは文化は築けない。とは言っても、テレビ、メジャーレベルでのギャラが払える筈もなく、丁寧なリハーサルをしようものなら、時間給は下がる一方だ。だが、上質な映画で上質な演技を披露すれば、それなりにメリットはあるはずだし、それが必要なレベルの役者が必ずしも低レベルだという事もない。

だから一緒になってこのミドルレンジの文化を創る仲間になって欲しいのだが、前述の二極しかないという認識しかもたない人が多い。案外、今交渉中の超大手プロダクションではそれを理解しており、売り出そうとしている若手、逆に露出機会が減って来たベテラン等を積極的に提供してくれる。大手ならではの余裕のなせる技かもしれない。

配給・上映システムの意識

正直、ここが一番古典的な意識を持っていると言わざるを得ない。単館を含めて、ほとんど映画館とそこに配給する会社は、メジャー作品とまったく同じシステムだし、そうでなければレンタルホール同様、時間貸しで制作者からお金を巻き上げる。特に上映館は観客に一番近い立場にいながら、集客の努力をほとんどしない。かなり絶望的な状態だ。

こうなったらもう映画館でなくてもいいのではないかという流れにもなってきているが、とたんにDVDでSD上映しかできないような会場もまだまだ多い。業務用とか4Kは無理だとしても、もうHDプロジェクターとスクリーン、音響システムを買ってしまって、サーカスのように全国を走り回るのもいいかと考えたりもする。しかし本音はやはり、映画館に目を覚ましてもらって、この文化を共に作り上げてほしいものだ。

向上すべきは作品クオリティ

最後はなんと言っても作品クオリティの向上だ。制作費がメジャーの数十分の一だからと言って、そういう質の悪い物が出来てしまうという時代ではない。有名人が出ないという事と、広告がうてないという事以外は、クリエイティビティと時間をかける事でかなりカバーできるはずだ。

残念ながら日本の映画のレベルは低い。文学、美術、音楽、演技の全てに於いてだ。私は映画の専門学校や大学での教育に大きな問題を感じている。正直言って、頭の古い映画屋と若者の独創性を理解しようとしない奴らが教授、講師としてのさばり、才能を磨くチャンスを潰している現場を何度も目の当たりにした。ひどい所では今もフィルムで撮らせている例すらある。今、それに何の意味があるのか、一度とことん問いつめたい気分だ。なんとかそういうところへ行かせずに、中高生の内に基礎を叩き込んで後は独自の感性でどんどん作らせたい気持ちで一杯で、そしてそれはそんなに難しいことではないように思う。

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ざっと挙げただけでもこれだけの障害があるが、そのほとんどが意識の改革だけでガラッと変わってくれるような事だ。そういう意味で、いろんな分野のいろんな立場の方々が、プチ・シネ(ミドルレンジ)の文化に目を向けて行動を始めてくれている事は心から嬉しい。読者の皆さんにもその立場でできる事がきっとあるはずだ。さあ、参加して下さい。

千年の糸姫プロジェクト・クラウドファンディング開始

前回語って頂いたMotionGalleryでのクラウドファンディングが始まりました。ぜひ一度ページをご覧戴いて、この映画の「共同制作者」になって戴きたい!よろしくお願いします。

■「千年の糸姫」クラウドファンディングページは下記より。
https://motion-gallery.net/projects/itohime

txt:ふるいちやすし 構成:編集部

WRITER PROFILE

ふるいちやすし

ふるいちやすし

映画作家(監督・脚本・撮影・音楽)。 日本映画監督教会国際委員。 一般社団法人フィルム・ジャパネスク主宰。 極小チームでの映画製作を提唱中。