txt:ふるいちやすし スチル:しまあきら 構成:編集部

チームワークを作り上げる為のコミュニケーションについて

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「千年の糸姫」の撮影が完了した、と言いたいところだが、予定の10日間を過ぎて2シーンを残してしまった。そもそも1,000万円規模で考えていたこの長編映画を10日間で撮ろうというのに無理があるのだが、クラウドファンディングに失敗し、その他の資金調達もうまくいったとは言えない状況では10日間が限度だし、とっくに資金も底をついた状態で、役者やスタッフには随分ひどい苦労を強いた。資金調達がうまくいかなかった時点で中止するという選択肢もあったのだろう。だが私個人としては最初に50万円という大金を個人がこの作品に託してくれた時点で、「どんなことがあってもやる。このお金を返すということは、その人の思いを踏みにじることなんだ」という気持ちだった。

クラウドファンディングにしても、予定額を大きく下回ったとは言え、たとえ一口2,000円だとは言え、そこにはこの作品が在った方がいいという思いが託されている。その気持ちを裏切る訳にはいかなかったし、今まで自主制作で幾つも作ってきたという自負もあり、必ずできるというおかしな自信があった。それにも増して私を支えてくれたのは、すでに稽古の中でこの作品の意味を知り、役にはまりこんでいた役者達の思いだ。時として私が資金に合わせて作品の内容をダイエットさせようとすると、それを許さない空気を作り、また、その為に役者以上の働きをしてくれた。後ろを向く事などあり得ない空気だった。

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実際、シーンによっては私とアシスタントの二人だけで撮った事もあったが、スタッフ達もまた、ただこの作品を作り上げるという一点に向かって走っていた。そしてその気概に地元の方々も信じられないような協力をしてくれた。素晴らしいチームだった。チームワークというのは一人のリーダーの為に働くという事ではなく、事を成し遂げるのにそれぞれのプロフェッショナリズムに徹して同じ方向を向くということなのだと改めて感じた。今回はそのチームワークを作り上げる為のコミュニケーションについて書きたい。

神は細部に宿る

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7月の終わりからオーディションを始め、役者達と大いに話し合い、9月から本番直前まで本格的な稽古を行う中で、このチームワークの礎は出来ていったのだと思う。とにかく今回は役者に恵まれた。全員決して有名とはいえない方々だが、その集中力、探求力は凄まじいものがあり、自ずと私も役と作品に深く深くのめりこんでいった。

印象的だったのは誰もが知っている大手芸能プロダクションから出演を希望していた女優が、このダイレクトでダイナミックなコミュニケーションに全く入り込めなかったという事だ。それは彼女自身の問題ではなく、テレビ慣れした事務所の業務体系に問題があった。テレビでなくとも、これほど濃密な稽古をやる映画も珍しいのだろう。いちいち顔の見えない担当マネージャーから上司への確認をもらわないと何も決める事ができないシステムは、ある意味では安全な方法なのであろうが、少なくとも私の考える映画作りには参加できる状態ではなかった。

結局彼女には降りてもらうしかなかったのだが、随分悔しい思いをしたことだろう。所詮プチ・シネだ。洗練されたシステムに習うよりは作品性を向上させる事を最優先に考えている。たとえ潤沢な資金があったとしても、大手芸能プロダクションの人達には二度と関わらないのが賢明なのかもしれない。作品について、役について、台詞一つ一つについて、本当にとことん話し合い、それが役者達のプロフェッショナリズムに火をつけ、結果、稽古の雰囲気も変え、それが周りのスタッフ達にも伝わり、一つの方向へ向いてゆく。ここでできた礎が、大混乱の撮影現場でも大きな道しるべとなったのは間違いのないことだ。

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実は私がまだ音楽担当として映画に携わっていた頃、本来ポストプロダクションスタッフであるにも関わらず、必ず稽古や撮影には顔を出していた。それは大切なことだと今も思っている。だから現場スタッフも絶対に一度は稽古場に来るべきだと思う。作品の根幹はやはりここでできている。何の為に画角を決め、何の為に光を当て、音を録るか。全ての理由はこの役者達とのコミュニケーションにある。だからこそ小さなチームで一貫して作る映画には意味がある。

事実、過酷な撮影現場でも誰一人方向性を見失わず、時に折れそうになった気持ちを互いに引っ張り合う力になる。とあるシーンで一人の脇役の衣裳を宿舎に忘れてくるという失態を犯し、時間を考えた結果、私服のままでやってもらう事にした私に、主演女優が「いくらでも待ちます。妥協しないでください」と言い、その場にいた地元スタッフが「僕が取ってきます」と車を走らせた。

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稽古場では100%芝居に向いていた私の意識も、撮影現場では半分は技術に、そして制作進行に向かざるを得ない。そんな私の姿に役者達も戸惑う事もあっただろう。人にはいつも言われている。撮影を他の人に任せ、監督は演出に集中すべきだと。確かにその通りだ。だがそれには作品性に対する完璧な意識と感性を共有できているカメラマンが必要だ。それが現時点では私だということだから仕方がない。そしてそんな私が根幹を見失いそうになると彼らの作品に向けた姿勢や姿が引き戻してくれる。本当に朝、何を撮ったのかも忘れてしまうほど凄まじい忙しさだったにも関わらず、夜、チェックしてみるとちゃんと演じられ、ちゃんと撮れている。映画の根幹は作業ではない。作品性を見失わず持ち続ける事だと気付かされる。全く素晴らしいチームだった。

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コミュニケーションというのはミーティングやメールで結果を知らせる事ではない。共有するという事と、知らせるという事とは違う。できれば作品が生まれるところから見て、それに向き合う姿勢を見せ合い、その熱を一人一人が胸に宿す。だから小さなチームで一貫して作るプチ・シネにはメジャーな人達がメジャーなシステムの中で作り上げる作品とは比べようもない力が生まれると信じている。

疲れが取れないまま残る2シーンの撮影のため早速資金集めに奔走しているが、それを支えているのもまた、チームが見せてくれた姿だ。今回のプロジェクトのプロデュースは資金面では大失敗が決定している。だが、こういうプロジェクトに1,000万円を出そうという人が現れる将来の為には、まずこの作品を意味のある物に、最後まで妥協なく仕上げる事が何よりも大切なのだと思う。見ていてほしい。

WRITER PROFILE

ふるいちやすし

ふるいちやすし

映画作家(監督・脚本・撮影・音楽)。 日本映画監督教会国際委員。 一般社団法人フィルム・ジャパネスク主宰。 極小チームでの映画製作を提唱中。