txt:ふるいちやすし 構成:編集部

「千年の糸姫」は無事完成したが…

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「千年の糸姫」の粗編集が完了した。ここからまだまだ調整やダイエットを施し、磨きあげていく訳だが、とりあえず通して見られるところまでは漕ぎ着けた。さて、ここでまた恥ずかしい報告をしなくてはならないのだが、以前、ここでも紹介した若い二人のプロデューサーはそれぞれ訳あっていなくなってしまった。これまでのように一人の自主製作にはしたくなかっただけに、なんとも残念な事になってしまったが、元々普通のやり方を避けて経験はなくても気概のある若い二人に賭けたのだから、リスクは仕方がない。あっさり裏目に出てしまったが、これからも新しいやり方を諦めるつもりはない。ここからどうしていくかを考えていくしかないのだ。

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袋小路だが見える光明

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作品はできた。素晴らしい作品だと思う。集めたお金を使い果たし、配給も上映も決まらないまま、今、私一人の手の中に作品だけがある。作品の規模は違うが、基本的には今までの自主製作と同じ状態だ。また「泡沫候補」と言われるのだろうか?このまま映画祭、自主上映会とやっていっても、前回とさほど変わらない結果に終わってしまうだろう。いやいや、そうはさせない!ここから何かを始め、変えていかなくてはならない。そもそも作品の企画書だけで実際の作品を見もしないで配給や上映が決まってしまうという事には気持ち悪さを感じていた。それが今の映画の常識だと言うなら、そんな常識はくそ食らえだ。

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実際、作品の全体像が見えてきたここから、その作品の力で道を切り開く方法がきっとあるはずだ。現にその試写版を見て出資を申し出てくれた新しい企業も現れた。とにかく人に会い、見てもらうことだろう。お金のためだけではない。新たなプロデューサーや上映関係者にも出会う事ができるかもしれない。そこから新しいシステムが生まれるかもしれない。ここまで一緒にやってきた出演者、スタッフ、出資者、協力者の力が集まった作品がここにある。私は決して一人ではない。きっとその力は一緒に闘ってくれる筈だし、きっと伝わると信じている。そして必ず皆さんに届くよう、公開に漕ぎ着けるつもりだ。どうか楽しみにしてほしい。

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映画配給と上映ビジネスモデルの狭間で

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興業収益の50%が映画館、その金額の10%が配給会社、残りは約45%になる。広告宣伝費はその中から捻出しなければならない。更に一定の補償金を先に求められるので、映画館と配給会社は決して損をしない分、制作側に初期費用が必要だ。なんだ?このシステムは?これでは目先の派手さや有名人のキャスティングに頼るしかないのも頷ける。映画館や配給会社のお仕事を回す為に、われわれはそこまでのリスクを丸かぶりしなきゃならないのか?だとすれば映画はアートでも文化でもない。しっかり仕事として報酬を受け取る下請け業者ですらない。彼らにとって私たちはただのお客さんでしかないということだ。なのになぜ、こちらが頭を下げてお願いしなければならないのか?どうにも気持ちの悪い話だ。

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逆に彼らからすれば、ビジネスなんだからお金もないのに話をもちかけるな、といったところだろう。そう考えれば納得がいく。無名のプチ・シネ作家がお付き合いできる人達ではないということだ。それでもお客さんに町のスクリーンで観て欲しいという気持ちがあるなら、既存の方法ではない“何か”を創り出さなきゃいけない。例え、有り余るお金があったとしても、私たちの目的は作品を観てもらうことであって、空っぽの映画館で上映することではない。分相応の規模で考えなくてはならない。その為には作品やお金の他に、まだ足りないピースがあるのだ。今回の作品はプロデュース面ではこれまで大失敗をしてきている。だがそれでも関わってくれた皆さんのお陰で、今ここに、作品が在る。だから私は挑戦を続けなければいけない。

かといって物作りである私が広告・宣伝や客商売である映画館をまともにできる筈も無く、そこにはその才能を持った“人”が必要なのだ。更にその“人”が持続的に活動する為には優れた作品、それを作る“人々”が必要だ。だから私はここで皆さんに伝えようとしている。一緒に考え、動き、新しい文化を作ろうとする人々が必要だ。それは決して一つの作品の為ではなく、これからの映画という文化のためだ。そうでなければこのような公の場で書く意味がない。まずは小さな会議から始めようとも思っている。

WRITER PROFILE

ふるいちやすし

ふるいちやすし

映画作家(監督・脚本・撮影・音楽)。 日本映画監督教会国際委員。 一般社団法人フィルム・ジャパネスク主宰。 極小チームでの映画製作を提唱中。