txt:宏哉 構成:編集部
ちょっと隣の世界まで
テレビのENGの仕事をしていて「せっかくこの業界にいるなら」と、関わってみたい現場が私にはいくつかある。⼀つは刑務所取材。⼀般の人が容易に立ち入れず、また情報も少ないという点で取材する価値は高い。もう⼀つは報道ヘリ。日常的にヘリコプターに乗る仕事に就いている人間は少ないものだ。また、普段とは違った視点を得られるというのは、カメラマンとして魅力的だ。そして、やっぱり海外ロケ。世界の様々な国を訪れ、地元の人々と触れあったり、観光では⼊れないような場所に行ったりと、未知の世界への探訪がこの上なく魅惑的だ。
幸いにして、そしてありがたいことに私はこの非日常とも言える現場をいずれも体験させてもらったことがある。「テレビの仕事は刑務所から幼稚園まで行けるから、面⽩い」と周りに言っていたことがあるが、ある時、⼀週間で刑務所と幼稚園と両方を取材することがあり、驚くと共に、そんな職に身を置く自身が楽しくて仕方なかった。無垢と贖罪の狭間を往復するのは不思議なものだ。
報道ヘリもレギュラーで担当させてもらった。実機ヘリによる空撮技法から航空法まで、様々な勉強をさせてもらえた。また撮影しながらレポートしたり、生中継やドキュメンタリー用の空撮なども担当した。偶然にもヘリで実家付近上空を通りかかった際は、子供の頃から見知っている地域を上空から見渡すことができ、感動的だった。
そして海外ロケ。2017年夏現在、延べ80ヶ国前後を撮影で訪れている。正直もう数えていないので、何ヶ国行ったかは正確に把握していない。年間平均で7~8ヶ国ぐらいを訪れていることになる計算で、パスポートには正味30ヶ国以上のスタンプが押されている。
ただ、歴訪国数は決して人並み外れて多いとは思っていない。例えば私がレギュラーで就いている、とある海外ロケ番組には4人のロケディレクターがおり、それぞれの班の中でさらに2~3人のカメラマンがローテーションされている。そのためディレクターはカメラマンの2~3倍のロケをこなしていることになり、パスポートの更新期限が来る前に空⽩ページがなくなり、増補申請を行わなければならいほどだ。
ありがたいことに現在の私は、その4人のディレクターのうち3人とお仕事をさせて頂けているので、うまくスケジュールが噛み合えば、ディレクター以上に連続して海外ロケが続くこともある。
ある時、Aディレクターとの2週間ほどの海外ロケが終わった後、日本に帰ってきて中5日で次のBディレクターとまた2週間の海外ロケに出たこともある。お陰で、現場で久々の人と会うと「お前、日本にいたんや?」と挨拶替わりに言われてしまうぐらい、海外ロケ担当の印象がついてしまった。実際には年間で80~90日前後しか日本を離れていないはずで、残りの約280日は日本で仕事しているのだが…。
そんなふうに、海外ロケにも多く行かせて頂ける現在の私の立場だが、きっかけは2007年の人事異動とNAB Showだったと思う。それまで、海外とはあまり接点のない中継技術の部署にいた。それが人事異動の発令で、ロケを主に行うENG技術の部署へ配転となり、ENGカメラマンとしての道を歩み出すことになる。
TVカメラマンとしては5年目の春だが、ENGカメラマンとしては新人だ。技術的負担の大きい海外ロケがいきなり回ってくるわけもなかったが、ただNAB Showの視察という仕事は異動早々、いや異動前に回ってきた。アメリカ・ラスベガスのNAB Showへ行き、帰国後にレポートの提出と報告会を行えというものだった。皆、NAB Showには興味があるが、レポート書くのは嫌…という正直者が多かったので(笑)、
上司:行きたい?
宏哉:行きたい!
のやりとりで、ほぼ視察メンバーに決定してしまった。そして、初めてのNAB Showを満喫させてもらい、帰国後に32,000文字余りの報告書を書き上げた馬鹿はこの私です。
さて、この時のNAB Show視察は伏線に過ぎない。4月の異動から順当に国内ロケをこなしていた私だが、その年の12月、唐突な海外ロケがやってくる。とある大企業の案件で、世界中にあるその会社の支社のうち業績の良い部署を巡るというもの。そのVTRは、全世界の支社に同時配信される社長(会長?)の新年挨拶会の際に放映されるという。ちょうどその仕事のオファーが来た時、私はプライベートで相方と⼀緒に地方に出ていた。
会社からは「海外ロケ行ける?ならば、パスポート番号教えて」といわれたが、手元にパスポートがあるわけもなく「明日の夜まで家に帰らないのでパスポートは無理です」と答えるしかない。渡航するカメラマンは、パスポート確認が容易にできるほかの社員でも良かったはずだが、忙しい時期だったのか、あるいは先方指定のカメラが使い慣れないカメラだったため、ユーティリティーカメラマンの私に回ってきたのか…事情は分からないが、私が行くことだけは決定していたようだ。
その年NAB Showへ行っているという海外渡航実績も考慮されたのかもしれない。この時、NAB Show視察の際に会社でコピーしてあったパスポート情報が役に立ったはずだ。正直もはや記憶にないのだが、そうでなければいろいろと間に合っていないだろう。なぜそうでなければ間に合っていなかったのか?話が唐突すぎたのだ。発注が来たのが12月1日(土)で、出国がまさかの4日(火)という無茶振りだったということだ。とにかく、⼀分⼀秒が惜しい状況だ。2日(日)の夜までは家に戻れないので、次に出勤する3日(月)しか準備する日がない。
さらに、なぜか出国までにはATAカルネ申請も通っている。カルネを発給する一般社団法人日本商事仲裁協会は土日祝日は休みのはずで、しかも申請してから発給まで4営業日はかかる。申請手続き自体は会社のデスクが行ってくれたようだが、どのみち日数が圧倒的に足りてない。だがなぜかカルネも4日(火)には手元にあった。今でこそ海外ロケにも慣れ、カルネ申請も自分名義(個人)で行っていて仕組みも理解しているが、それだけに当時の不可解なまでに迅速すぎる動きが、不思議でならない。
さて、大急ぎで人と機材の書類の準備が整ったら、出立だ。言い忘れていたが、行き先は「スロバキア」。「スロベニア」ではない「スロバキア」だ。パスポートを見ると、成田空港から出国しているらしい。全く覚えていない。だがしかし、忘れもしない私の「初めての海外ロケ」が、これから始まろうとしていた。